枝垂林の本気

 試合終了後、両者は互いのゲートから退場した。単衣は観客席までの道のりで、巫女装束を着た、銀髪の少女に出会った。


 その少女は単衣に駆け寄って、その勢いのまま単衣の胸に飛び込んだ。ふわりと花の香りが広がる。


「単衣。先ほどの試合、お見事でした」


 そう言って林は、埋めていた顔を上げて笑った。


「ありがとう」


 単衣も嬉しくて笑う。林は再び顔を埋めて、単衣を堪能する。


「ふふ。単衣の匂い。覚えちゃいました」


 そんなことを言いながら、林は顔をごしごしと単衣の胸に擦り付ける。


(なんか、犬みたいだなあ)


 林を見ながら、単衣はそんなことを思った。


「単衣の匂いは、良い匂いです」


 犬が言った。尻尾をふりふりしながら。


「次は林の試合だよね。頑張って」


 単衣の言う通り、次の試合には林が出場する。当然勝利するだろう。そうなれば、二回戦目は林と単衣の戦いとなる。


「ねえ林。次の試合、桜使うの?」

「使いませんよ。言ったでしょう。枝垂流が刀を抜いた時、それは斬る時です。桜を握ってしまったら、殺意を抑えることなんて出来ませんから」

「じゃあさ」


 単衣は言った。


「僕と戦うときはさ。桜、使いなよ」


 その言葉を聞いた途端、林の気配が変わった。抱きついていた単衣からそっと離れる。


「単衣、調子に乗っていますよね」


 その言葉には怒気が含まれていた。


「林、桜使って良いよ。殺す気で来なよ」


 その言葉を言い放った瞬間、空気が震えた。


「良いでしょう。次の試合、ぶちのめしてやりますから」


 殺気を垂れ流しながら、林は去っていった。


「ひ、ひえー。怒った林は怖いなあ」


 単衣は思わず壁に寄りかかった。


「でもやっぱり」


 単衣は察した。林の様子がおかしい。あまりにも怒りっぽい。


「怒らせちゃったなあ。油断してくれた方が、勝てる見込みがあったのに」


 そうは言ったものの、手を抜いて戦われるのはもっと嫌だった。


(林、一体どうしちゃったんだ)


 単衣は林を案じながら、去っていった林を目で追ったのだった。





「両者、準備」


 主審が合図をした。相対するのは、林と他校の女生徒。女生徒は主審の合図によって構えた。そして林も構える。そっと鞘に手を添えていた。


(え、桜使うの)


 観客席で見ていた単衣は驚いた。


(まさか、さっきの挑発がまだ効いていたなんて)


 やはり林の様子がおかしいと、単衣は思った。


「始め!」


 瞬間、林は消えた。そしてパリンとガラスが割れた音が響いた。


「枝垂流・柊」


 あまりにも一瞬だった。単衣とは段違いの速度。この場にいる誰もが、林の動きを捉えることが出来なかった。単衣を除いて。


 そして一秒が経った。その瞬間、またもガラスが割れるような音が響く。自動防御システムが作動したのだ。


「枝垂流・柊」


 会場はどよめく。やはり誰もが林の動きを捉えることが出来ない。


 女生徒はようやく動く。懐からすぐに何かを取り出して、それを地面に落とした。


 瞬間、閃光が走る。そして強烈な、耳をつんざくような炸裂音。観客席にいる単衣たちには、光量は下げられ、一定数を超える音量はカットされるため無事だった。


 女生徒が使ったのはスタングレネードというものだ。破裂すると衝撃は無いものの、強烈なフラッシュによって目を眩ませ、強烈な破裂音によって聴覚を奪う。直撃すれば相手は視覚聴覚が麻痺し、状況が全く掴めなくなり、何も出来なくなる。


 状況判断のほとんどを耳に頼っている林にとって、聴覚を奪うスタングレネードはかなりの脅威になるはずだった。


 しかし、すぐにガラスが割れる音が響いた。林が女生徒を斬りつけ、最後の自動防衛システムを作動させたのだ。


「そこまで。勝者、枝垂林」


 主審が試合終了の宣言をした。ざわつく会場。


「耳を封じる。学生にしては良い作戦でしたよ」


 林が女生徒に言った。


「しかし残念でした。既に対策済みです」


 そう言う林の耳には魔法陣が浮かんでいた。これは観客席に施されているものと同じ魔法。一定音量を超える音がカットされる魔法だ。


「流石だ、林。やっぱり対策していたんだ」


 聴覚を奪う。それは単衣も考えていたことだった。しかし対策済みなのは概ね予想通りだった。手練れの林が対策していない筈がないのだ。


――八意単衣選手は準備をしてください。


 数試合が終了した後にそんなアナウンスが流れたので、単衣は立ち上がった。





 閉じたゲートの前に単衣は立っていた。鼓動が激しく脈打っている。足がほんの少しだけ震えている。呼吸の間隔がいつもより短い。額から既に汗をかいている。


(緊張する)


 ついそんなことを思ってしまった。林との真剣勝負は初めてのことである。それに、単衣としてはなんとしても勝利を収めたかった。


――これより二回戦、八意単衣対枝垂林を始めます。


 そんなアナウンスが響いて、目の前のゲートが開く。途端に外の光が差しこみ、会場の騒めきが聞こえてきた。単衣は所定の位置に向かって歩く。


 単衣は遠くにある向かいのゲートを見た。そこから白髪で背の小さな少女が歩いて来ていた。


 ぞくりと悪寒が全身を駆け巡った。単衣はすぐに林の殺気によるものだと、直感する。


(な、なんて殺気だ)


 数々のハゼスとの件で林の仕事ぶりを見てきた単衣だったが、林がこれ程の殺気を発するのは初めてだった。


 単衣は林の殺気に圧倒された。踏み出す足がこんなにも重い。全身に重りを纏ったような気怠さだ。


 単衣はやっとの思いで所定の位置についた。そして目の前の敵を見る。人形の様に整った顔。白い眉毛に、白いまつ毛。白い肌。薄らと紅い唇。


 普段なら愛しいと感じるはずなのに、今単衣にあるのは、ただの恐怖であった。


「単衣の言う通り、殺す気で行きますよ」


 そう言うと、林はにたりと笑う。可愛らしいはずの笑顔は、ただただ不気味だった。


「両者、準備」


 主審の合図。


「単衣、本気で殺す気で行くので」


 単衣は目を疑った。林のまぶたがぴくぴくと震えたかと思えば、徐々に上がっていく。


 林は開眼した。


 そしてその眼球は、到底人間のそれではなかった。白目の部分は真っ赤に、血の色のように紅く染まっていた。茶色であるはずの虹彩部分は猫のように細長く、金色に輝いている。


 おおよそ人間の目ではない。そう、例えば獣ような目だ。


「り、林。目が見えるの?」


 単衣は思わず尋ねた。


「いえ、見えてませんよ」


 林は答えた。林は自身の目が開いていることに気付いていないようだった。


「始め!」


 そして、主審の合図。


(え……)


 単衣は違和感を覚えた。目の前にいたはずの林がいない。そして、自身の身体が急速に冷えていく。感覚も無くなっていく。


 瞬間、まるで噴水のように単衣の身体から血が噴き出た。そしてけたたましくアラートが響く。


――エラー。自動防御システムが間に合いませんでした。致命傷を負っています。止血処理起動。


 血しぶきは止んだ。しかし単衣はぐったりと倒れた。


「ふふ。言ったでしょう? 殺す気で行くと」


 そして林は高らかに笑った。

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