八意単衣の両親
やわらかな、心地よい感触がした。小型犬を抱いている様な、そんな感触。そして花のような香り。
「起きましたか。単衣」
すぐ近くに林の顔があった。白い肌に、白い眉毛に、白まつ毛。染色されていない人形のような、美しい顔で単衣に笑いかける。
単衣は自身が林をぎゅっと抱きしめて寝ていたことに気付く。
「おはようございます。単衣」
「おはよう、林」
お互いに軽い挨拶を済ませると、単衣はより一層強く林を抱きしめた。単衣と林の身体が密着する。とくん、とくんと林の鼓動を単衣は感じた。
「朝ごはんの支度をしなければならないのですが、困りましたね」
そう言いながらも、林も単衣を抱きしめ返す。林の顔が肩に乗って、吐息が丁度耳にかかった。
「離れたく、なくなっちゃいました」
単衣はそんなことを言う林を見た。目を瞑って、この幸せな時間を噛みしめている様だった。なんて愛おしいのだろう、と単衣は思った。
「起きようか、林」
名残惜しく単衣が言った。林も寝間着ままだった。今日は土曜日。一日中稽古をする予定だ。
*
「お待たせしました」
林が朝食を運んできた。アジの開きとほうれん草のおひたし、ひじきの煮物、白米と味噌汁。
「いつもありがとう、林」
「いえいえ。私も楽しいですから」
今度、料理を林に教えてもらおうと単衣は思った。それで、いつか一緒に食事を用意して、それを二人で食べたらきっと幸せだろうなと単衣は思った。
「いただきます」
二人は手を合わせると、それぞれ料理に手をつけた。単衣は色見の薄い味噌汁を啜った。やはりテーブル一体型料理機とは比べ物にならない程の美味しさだった。
(ノウンが言っていたことって、きっとこういうことなんだろうな)
大好きな人が作った手料理を食べながら、単衣はそんなことを思った。今、この時間は単衣にとってかけがえのないものだ。でも世界中のほとんどの人々は、この時間の有難さを知らないのだ。それは確かに、悲しいことだと単衣は思った。
「単衣、食べながら聞いてください」
そう言った林の顔はとても真剣だった。
「あなたの両親についてです」
それは、単衣が昨日からずっと気になっていたことだった。かたん、とししおどしの音が鳴った後、林は口を開いた。
「奥寺と鷲田がハゼスに引き抜かれたこと、覚えていますか」
「もちろん」
その二人によって単衣は攫われたのだ。忘れるはずがなかった。
「二人は死亡扱いとなりました。対テロ特殊部隊の隊員がテロ組織に寝返るなんて、世間に面目が立ちませんからね」
「ねえ、何で今その二人の話を?」
単衣は言った。単衣が聞きたいのは両親の話だった。
「A部隊が引き抜かれたのは鷲田と奥寺、そしてそのずっと前にもう二人A部隊の隊員が引き抜かれていたのです。それが単衣、あなたの両親です」
林はそう言うと目を伏せた。単衣はショックのあまり持っていた箸をからんと落とした。
「そっか。両親は死んでいると聞かされていたけど」
「ええ。ハゼスに引き抜かれたことによって死亡扱いとなったからです。つまり単衣。あなたの両親は」
林は一呼吸おいて、再度口を開いた。
「生きています」
沈黙。かたんとししおどしの音が響いた。
「ねえ、林」
沈黙を破ったのは単衣だった。
「両親はどうやってハゼスに引き抜かれたの」
「それは……」
林はとても言い難そうに口を開いた。
「ハゼスは単衣を誘拐して人質に取り、単衣の両親をむりやり……」
「でも、僕覚えてない」
「トラウマにならないよう、保護したあなたの記憶を操作したそうです」
沈黙。
「そっか」
単衣はそう言うと、ふうっと息を吐いた。
「ごめんなさい。黙っていて」
林はそう言って目を瞑って、頭を下げた。閉じた瞼のまつ毛がぷるぷると震えていた。
「林。大丈夫だよ」
単衣のその言葉に、林は顔を上げた。
「今の僕には林がいる。それに新しい目標も出来た」
「新しい、目標?」
「うん。だって、僕の両親は生きているんでしょ」
単衣はそう言って笑う。
「たとえ洗脳されていようと、取り押さえれば奥寺さんのように解けるんでしょ」
林は驚いた。単衣がこんなにも前向きになれるようになっていたなんて、知らなかった。
「僕は両親を取り戻す」
そう言うと、単衣は箸を置いて手を合わせた。
「ごちそうさま」
単衣は食べ終えた食器をキッチンに運んだ。
「あ、待ってください!」
林も慌てて食事を平らげて、食器を運びに行ったのだった。
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