第七夜
波が寄せては引く様をひたすら眺めているのは、どこか己の人生にその様を重ねているからかも知れない。
「久しぶり」
卒然と現れた恋人に、返事はせずに笑顔で返す。特に待ち合わせをしていた訳ではなかったが、ここで待っていれば彼女に会える気はしていた。波打ち際で一日中立っていたことは秘密にする。
彼女は過去よく着ていたクリーム色のシャツワンピースを纏っていて、その姿は若い頃を思い出させて気恥ずかしく直視はできなかった。誤魔化すように水平線に目をやれば、その少し上に月がまん丸く浮かんでいる様が見える。私の視線を追ってか、彼女はどこか感慨深そうに吐息を漏らした。
「今晩は月が随分と綺麗ね」
「さっきまでは隠れていたんだよ。代わりに満天の星が美しかった。全て流れ落ちてしまったけどね」
「ふぅん?」
彼女はあまり興味がなさそうに、足元に寄せる波を追う。ぱしゃりと膝まで水がかぶれば、少し不機嫌になったのが分かって腕を引く。短気なのは時を経ても変わっていなさそうで、なんだか無性に安心した。
「……にやにやしないでよ、気持ち悪い」
「元からそういう顔なんだよ」
「ウソ。随分と表情が柔らかくなったわ」
そっと頬に右手を添えられ、私の増えた皺をなぞる。髪も白くなり、筋肉も落ちた。普通に歳をとった私とは違い、彼女はあの日と変わらない姿でここに立っている。
「もうすっかりおじいちゃんね」
「ふふふ。老体に立ち仕事は堪えてね、最近は腰が痛いよ」
「何それ。鍛え不足じゃない、しゃんとしなさい」
眉間に皺を寄せてぺちぺちと叩かれた。
そんな仕草すら愛おしくて堪らずその背中に腕を回す。すっぽりと腕の中に収まった彼女は肩口に頭を預けて目を閉じた。潮風が髪を撫ぜて懐かしい香りが昇る。ずっとこうしていられたら良いのに、そう頭に過ぎった頃、彼女はぽつりと呟いた。
「そろそろいかなくちゃ」
「うん」
「またその時になったら来るわ」
「うん」
「だから、まだこっちに来ちゃ駄目よ」
「……うん」
心得てるよ。そう返せば、宜しいと満面の笑みを彼女は浮かべた。
それじゃあね。
すん、とひとつ息を吸えば、潮の香りが鼻を抜けた。
隣にはもう君は居なかった。
しかし、いつだって傍で君が見ていてくれることを、私は疑いもなく知っている。
それはまるで、溢れた涙の残り香のように切なく、波の音に揺られて誘われるように目を閉じた。
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