第六夜
「ここは……どこだー!」
三日前にとったばかりの運転免許に浮かれ、なけなしの貯金をはたいて中古の原付きを買った。ピカピカに磨いて新車同然になったその二輪に跨がれば、行き先なんて決めずに走り出したくなるのも致し方ないと思う。
そう、家を出たばかりの時は思っていた。
(ヤバイ、またお兄ちゃんに怒られる!)
常に自由奔放な自分とは違い、家内で誰よりも生真面目な兄には叱られることも多かった。アレをしろコレをしろと細々と言われると煩わしくてしょうがないが、大半は自身に非があるので大きなことは言えない。それに普段がどうであれ今の状況は間違いなく自分が悪い。
もう日はとっぷりと暮れて頭上には満天の星空が広がっていた。そろそろ夕飯の時間だ。今晩はすき焼きにすると張り切っていたので、恐らく普段よりも早めの夕食になるだろう。にも関わらず、今自分は全くどこにいるのか検討もつかない原っぱのど真ん中で途方にくれている。狭い獣道を探検家の如く嬉々として走っている時は楽しかったが、こうも先が見えないと焦燥感が凄い。しかも獣道のせいか最早来た道もどこだか分からない。前にも後ろにも進めないどん詰まりだ。
「うぅ、泣きそう……」
「どうされました?」
「うわぁ?!」
一人きりだと思い込んで、周りに誰かいるなど考えも及ばなかった。突然後ろから声を掛けられて比喩ではなく飛び上がって驚いてしまう。そして振り返って再度驚愕した。なぜならそこに立っていたのは人ではない。
「カ、カカシ?!」
「どうもー、案山子です」
それは、綿の詰まった頭をゆらゆら揺らし、緑のチェックシャツの中で十字に組まれている木を軋ませ返事をしてきた。見た目はまさに、画像検索で一番最初に出てきそうな『ザ・カカシ』だ。それがこの見通しのいい田畑の影もない原っぱに、居た。
どうも、と挨拶を返し、いやそうじゃないと自身にツッコミを入れる。あまりにも奇想天外でどこから尋ねればいいのか分からない。とりあえず重要なのは、先の独り言をどこから聞かれていたかということだ。
「えぇっと、いつからそこに……」
「ずーっとです。よく迷い込んでくる人がいるので、その道案内に立たされてます」
ちゃんと役に立つ案山子なんですよー、とどこか間延びして答えてくれるそれに、私は「なるほどぉ」とやはり間延びして返す他なかった。とにかくこのカカシは突然現れた訳ではなく、居たことに私が気付かず勝手に盛大に独り言を漏らしていたということだ。恥ずかしい。
どうしよう、穴でも掘って隠れてしまおうかとモダモダしていると、カカシは再度頭を揺らし始める。それにどういう意図があるのかは分からないが、ちょっと動きが怖いので遠慮願いたい。
「星が落ちてます」
「は?」
「ほらぁ、沢山落ちてきました」
カカシに言われて空を見上げれば、確かに幾つもの流れ星が頭上を駆け下りていた。流星群だろうか。とても綺麗で見入っていれば、カカシは声を少しだけ低くして急いだ方が良いかもと呟いた。
「星が全部落ちちゃうと、行き先が分からなくなっちゃって帰れなくなるんですよ」
「え、マジ?」
「あの一番明るい星目指して、ひたすら真っ直ぐ進んでください。そうして海岸に出ると鴉がいるんで、彼について行けば大丈夫です」
「カラス……」
「ほら急いで、急いで!」
カカシが急かすたびに轟々と山おろしのような強い風が吹く。エンジンを止めていた原付きに息を入れ、ライトがつけばその明かりは一番星と重なった。
「よく分かんないけど、とりあえず進めば大丈夫?」
「ええ、大丈夫です!」
「オーケー、ありがとねー」
「いいえ、どうぞお気をつけてー」
ライトが示す先のまま、私はハンドルを握って風を切った。後ろをサイドミラーで覗いて見るが、とうにカカシは見えなくなってしまっていた。きっとまた誰かが迷い込んだ時のために、あの場所に一人佇んでいるのだろう。
世の中には良いカカシがいるもんだ。次に会う機会があったら優しくしようと心に決めてただひたすらに直進する。頭上を駆ける星屑はその勢いを増していて、まるで空そのものを描かんとしているようだ。
早くお家に帰らなきゃ。
ようやく見えた海原に、間に合ったのだと安堵の息を吐く。そうして港へ入る道の脇、見つけたカラスに私は大きく手を振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます