百合車

第1話

ぽつ、ぽつりと、にごった雨がふる。

ひどくにごった、雨がふる。

真っ黒な空から、辺りを切り裂くように、

ひどくにごった、雨がふる。



「雨だねえ」

目の前に座る、幼馴染みが言った。

「そうだねえ」

私も言った。特に言いたいことがあったわけではない。


「まるで、私の心みたいだ」


ぽとり、と私の口から出た言葉は、誰に聞かせようとしたものではなかった。ただふと、そう思っただけである。

「なあに、それ」

幼馴染みは面白そうに私の瞳をのぞき込んだ。

「雨が、にごっているでしょう?」

「そうだねえ」

「私の心も、こんなふうににごっているのかなあって」

なんだか感傷的になってしまっただけ。

「ふむふむ、それはまたどうして?」

「どうして、って……」


空はまだ黒い。希望という名の太陽はどこにも見当たらない。そもそも、存在するのかさえあやしい。


「太陽が、ないからじゃない?」


悩んだ末に、適当に答えた。けれどそれは、案外と的を得ていたかもしれない。

「太陽、ねえ…」

幼馴染みは笑った。

「それじゃあ、太陽があれば雨は透明になる?」

そう言われると、違う気がした。太陽は、雨のにごりを取り除くことができない。

「透明には、ならないかなあ…」


「じゃあ、太陽のせいじゃないんだよ」


ああ、そうだ。そうかもしれない。

太陽がないから雨がにごる、というわけではないのだ。



それなら、何が必要なのだろう。

にごった雨は、どうしたら透明になる?




「ねえねえ、雨がどうしてにごってるか知ってる?」

幼馴染みはふいに言った。

「それはまた、随分唐突だね」

「そうかな、私の中では一本に繋がってるけど」

一度この人の頭の中をのぞいてみたい。

「まあそれはそうとして、どうして雨はにごるんだと思う?」

「うーん、雨が空気中のよごれを吸い取るからでしょ?」

何かで聞いたことがある。雨は、雲から地面へ落ちてくる間に空気中のよごれを吸い込むのだと。だから雨がふったあとの空気はとても澄んでいるのだとか。まあ正しいかどうかはよく分からない。

「そうそう、よく知っているじゃない」

ばかにされた気分だ。

「ねえ絶対ばかにしてるよね」

「いいやしてないね!私はいつでも本気さ!」

きりっとした真面目な顔をする幼馴染み。だが無駄だ。目がらんらんと輝いている。楽しそうに、愉快そうに。

「ねえ知ってる?目は口ほどに物を言うんだよ」

「それで?」

「絶対面白がってる」

「ばれたか!」

彼女はあちゃー、とでも言いたげな仕草をして…あ、あちゃーって言った。どこの漫画のワンシーンだ、これ。

「まあまあ、それはおいといてー」

「おいとくんかい」

思わずつっこんでしまった。時間を返せと言いたい。まあ、特にすることもないのだが。


「つまり、そういうことだと思うよ」


主語がない。


「何が?」

「んん~~?おちえてほちいのお~~?」

おちょくるように手を目の前でひらひらされる。これでいらつかない方がおかしい。

「は?」

「はうっ。その虫けらを見るような冷たい眼差し、クセになるぅう~~!!」

…何言ってんだ、こいつ。

私は長年こいつの幼馴染みというものをやっているが、Mっ気があっただなんて初めて知った。つい目線がもっと冷たくなってしまう。

「冗談!冗談だって!だからそんな目で見ないで!」

「…はあ」

なんだかどっと疲れた。

「それで、何がそういうことなの?」


「あなたの心だよ、優しい優しい幼馴染みさん」


そう言って幼馴染みは綺麗に笑った。




「…優しいってどういうこと?」

私は、自分が優しいとは欠片も思ったことがない。言われたこともほぼない。

「ほら、あなたはよく友達の相談にのっているじゃない」

まあ、そういうことはよくある。なぜか昔から相談事をされやすいのだ。嫌なわけではない。むしろ大好き。

「それに、愚痴とかも嫌な顔一つせずに聞いてあげるし」

それはそうだ。でも、いまいち話の流れがよめない。

「それと、雨の話になんの関係が?」

「うん、そういうのが、空気中のよごれだよねっていう話」

幼馴染みはずばっと言い切った。


「あなたは優しいから。優しすぎるから、周りのみんなのよごれ…心の中に抱えているものやもやもやしているものを吸い取ってくれるんだよね」


「……」


「よごれを吸い取った雨はにごるでしょう?だから、あなたの心もにごるのは当然なんだよ」


…ああ、そういうことか。ようやく理解できた。

そうか、そうか、私の心はにごっているんだ。

あの雨のように。あの黒い空からふる、雨のように。


「雨は地面に落ちておわり。でもあなたの心はそうじゃない。

にごりが溜まったら、洗い流さなきゃね。

ーーでもそれは、自分じゃできないから。だから私があなたの心を救いましょう。にごりをおとしてみせましょう。

私があなたの、透明な雨だよ」

「…でもそれじゃ……」

「大丈夫、大丈夫。私は普段、あなたの心をにごらせている側だから」

「…」

「だから、こんな時くらい格好つけさせてほしいな。



私はあなたの、透明な雨でありたい」





「ーーーーーーああ…」


ほろり、ほろりと、私の目からにごった涙が流れる。にごりのこもった、水がおちていく。

そんな私を、幼馴染みは何も言わずに抱きしめた。その温もりが私を優しく包み込んでいく。


心が洗われる、ようだった。




しと、しとりと雨がふる。

優しく澄んだ、雨がふる。

世界を隅々まで洗い流さんと、あちらこちらへ飛び跳ねていく。


今はご機嫌ななめな空だって、

きっと明日は晴れている。

そうして、太陽の光に誘われた美しい虹が、

高く向こうへ架かっている。


「そう考えた方が、きっと毎日が楽しくなるよね」

「?なんの話?」

「ううん、なんでもない」

不思議そうに首を傾げる幼馴染み。

あなたは私の、透明な雨。

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百合車 @waramekozou

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