第七話 《決刀》――ただし立会人無し

 奇跡と幸運はキャンディアの味方だった。

 あれほど頼りなかった照準がその一瞬だけ、びたり、と制止した。


 狙うはマニングマンの眉間、ただ一点。






 だが――。






 びすっ!


「………………え?」


 当たる――今見ていた光景は果たして幻だったのだろうか。冷えた空気を切り裂いて滑空した弾丸は、マニングマンのはるか背後にあった屋敷の壁に突き刺さった。


 だが、それだけだ。


 轟!

 轟!!


 びすっ!

 びすっ!!


「そ……そんな……! 確かに……!?」

「確かに――何だね、キャンディア?」


 尋ね、ゆっくりと背後を振り返る。そして、三発の弾丸で抉られ、削られた屋敷の板壁の惨状を目にし、溜息とともに正面に向き直った。


「始めに言った筈だ――私には当たらないと。そしてだ……撃っていいと言いはしたが、こうもぽんぽんと撃たれては困るのだがな? 誰があの壁を直すのだね? 誰が償ってくれるのだね?」


 轟!!!


 びすっ!!!


「……これだから子供は嫌いなのだよ。ルールと節度を知らないのだからな」


 もうマニングマンは振り返ることすらしなかった。

 代わりに、すうっ、と目を細めた。


「さて……確か私とお前はここで《決刀》をしているのだったよな? しかし、これは正式な《決刀》ではない。ならば勝者が己の正しきを得るのではなく、敗者が自らの過ちを償うべきだ。そうだろう? そもそもこの私が得る正しさなぞいまさら何処にもないのだから。私は常に正しい――常に、な」


 かきんっ!

 かきんっ!


「た、弾が……!」

「残りは不発か? 可哀想に。予備の弾丸はあるのかね? ほら、急がないと――」

「――!」


 弾丸を込めようとしていたキャンディアの細い腕は、滑るように距離を詰めてきたマニングマンの右手に瞬く間に掴み上げられていた。痩せた外見にそぐわぬ腕力で搾り上げられてキャンディアの握力が失われ、手のひらからぽろぽろと弾丸が零れ落ちてしまう。


「――こうして捕まってしまうぞ?」

「痛っ! は、放してっ!」

「そういう訳にもいかん」


 剣銃遣いの間でも広く普及しているのが、今キャンディアが手にしているのと同じシングルアクションの回転式発射機構を備えた剣銃である。このタイプの特徴は、筒状の弾倉部分に振り出し式や中折れ式を採用したものに比べて堅牢であり、命中率が高いことが挙げられるだろう。


 しかしその分、再装填するためには後方のローディングゲートを開いて一発ずつ空の薬莢を排出し、新しい弾丸を込めるという煩雑な手間が生じる。それを見逃すマニングマンではなかった。


「せめて、剣の腕の方も少しは磨くべきだったな、キャンディア。と言っても、こんなちっぽけなナイフのごとき代物では、やはり私には届きはしない」


 憎々し気にマニングマンの冷笑を浮かべた顔を睨み付け、必死で振り解こうと掴まれた腕に視線を移したキャンディアは小さな悲鳴を上げた。


「手が……光っている!?」

「ああ、そうだ。そうだとも」


 白い手袋の下からでもはっきりと分かる赤い輝きに照らされたマニングマンの表情はぞっとするものだった。


「お前はいけない子だ。お前は……ルールを破ったのだ。だから私は、溢れんばかりの愛を持ってお前に相応の罰を与えなければならない。……奪うのではなく、与えるのだ。それが、正しき者の使命……」

「ひ……っ!」


 キャンディアの表情が恐怖に歪んだ。復讐のための剣銃すら取り落とし、身を捩ってマニングマンの束縛から逃れそうとする。


「やめて……! 何を……何をする気なの!?」

「お前はまだ一〇だと言ったな? もう少しばかり、熟すまで待っているつもりだったのだが。……ああ! きっと物足りない味なのだろうね? せっかく見つけた《合いの子》だったのに……実に悔やまれる」


 その何気なく口に出された一言で、刹那、キャンディアは恐れを忘れ、沸き立つ怒りに身を任せた。




「あたしを! 《合いの子》と呼ぶなあああっ!」




 がぎん!


 キャンディアが本能的に目の前の白い手袋に噛みついた。


「ぐ――っ!?」


 少女には獣人らしい鋭い牙はない。それでも全身全霊をかけて喰い千切らんばかりに込められた力にマニングマンの表情が苦痛と焦りで醜く歪んだ。


「放せ! 止めろ!」

「ふーっ! ふーっ!!」

「止・め・ろ・と・言・っ・て・い・る・!!」






 ごぎん!






「あ……あう……!」


 マニングマンがキャンディアに向けて放った一撃は、平手打ちというよりもはや殴打に等しかった。キャンディアの口腔で何かが折れ砕けたような異音が響いたかと思うと、その身体は糸の切れた操り人形のように不自然な姿勢のまま地面に横たわったままひくひくと痙攣している。辛うじて意識はあるようだが、目は虚ろだ。


「こ……この……!」


 マニングマンは普段の冷静さをまるで失っていた。


「こ、この、恥知らずの獣の子め! お前の穢れた牙で何をしでかしたのか分かっているのか!? 分かっているのかと聞いているのだっ!!」






 がすっ!


「あ……っ! う……く……!」






 至近距離から硬いブーツの爪先を蹴り込まれたキャンディアが脇腹を押さえて悶絶するが、それでも怒りは収まらない。


「お・ま・え・が・っ・! 触れていいものではないのだ、これはっ! 卑しい《合いの子》のお前が――いいや、違う! これは選ばれた者である我々にしか、触れることを許されていない物なのだぞ! それを……! それを貴様ごときがあああああ!」






 がすっ!






「ぐ――」


 とうとうキャンディアの小さな身体は、痙攣することすら放棄してしまった。次第に瞳に宿った光が弱々しく薄れていく。


「ああ、何という――!」


 マニングマンは嘆くように一声発すると、震える指先で目の前に掲げた右手から白い手袋を摘み取る。


 すると――。


「おお……感謝します……!」


 手袋に包まれていた時とは比べ物にならない程の赤い輝きが右手の甲に描かれた精緻な紋様から放たれているのを目にし、マニングマンは恍惚とした表情で歌うように告げた。




 その紋様は――時計の文字盤に似ていた。



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