第六話 キャンディアよ、銃をとれ

(見つかって……ないよね……?)


 まだ朝露あさつゆでしっとりと濡れる下生したばえの上を四つんいの低い姿勢で進みながら、キャンディアは冷えた空気に混じる音を獣人族の象徴ともいうべき耳で残らず拾う。まだ、それらしき音や声は聴こえない。


 安堵とともに手に握り締めた帽子と剣銃を見つめ、ふと思いついて帽子だけをシャツのゆるみ切った襟元からごそごそとしまい込んだ。さっきまでかぶっていたのでお腹のあたりが、ほう、と暖かくなる。


(失くしたら大変だから、ここにしまっとこうっと。これ、お兄ちゃんからのプレゼントだもんね……)


 元々それは、兄・ラケットが母親から貰った誕生日プレゼントだった。


 年の離れた兄妹だったが、それを感じさせないほど仲が良く、ラケットはいつも幼いキャンディアの遊び相手を喜んで買って出たものだ。今ならば少し理解できていたが、それは人と獣人の《合いの子》であったキャンディアが周囲の子供たちから孤立していたことも関係していたのだろう。




 父・ジェイクと母・ブーシェが再婚して出来た子がキャンディアだ。

 ラケットを産んだ母親はすでに他界している。


 希望に満ち溢れた新大陸・アメルカニアに移住してきたジェイクたち親子三人だったが、ほどなく妻は風土病におかされ、治療の甲斐なく命を落とした。失意の淵にあったジェイクが息子・ラケットをともなっての旅の途中で獣人族と遭遇し、二人は彼らの集落に身を寄せることになった。そこで日々生活する中、傷付いた彼の心を献身的に癒そうとする一人の娘・ブーシェと恋に落ちた。やがて二人は、周囲の反対を押し切って駆け落ちし、もう一人の子をもうけた。


 それが妹・キャンディアなのだった。




(これ、お前がかぶっておけよ。暖かいぞ?)


 もう一つ作ってあげるから――そう言って母・ブーシェは止めようとしたが、キャンディアはふるふると首を振って、取られないようにと帽子を抱き締めて言った。


(これがいい。ラケットからのプレゼントだもん)


 正直に言って母は編み物が得意な方ではなかった。その帽子はラケットがかぶっても少し大きい。キャンディアがかぶれば尚更なおさらで、いつも兄は『帽子お化け様のお出ましだ!』とからかったものだ。




(お兄ちゃん……あたしがきっと――!)


 ぐ、と唇を噛み締め、四つん這いの姿勢のまま、顔を上げたキャンディアの視線の先に、何者かの影が見えた。


「おや……? かくれんぼかね、キャンディア?」

「――!?」


 慌てて飛び退き、尻餅をつくような格好で見上げるとそこには――。


「マニングマン……!!」


 さっきまでは誰もいなかった筈だ。

 キャンディアの人間の何倍も敏感な耳でさえ、何の音もとらえていなかったというのに。


「いつの……間に……!?」

「ご挨拶だな、キャンディア――」


 一流の職人の手によって仕立て上げられたスーツを一分いちぶの隙もなく着こなし右手にだけ白い手袋をめたロイ・マニングマンは、少しだけ不満げに呟くととがめるように左の眉を吊り上げた。


「ここは私の屋敷だ。その科白を口にしたいのはこちらなのだがね? はて……見張りの連中が己の役目を果たしていなかったのだろうか。どう思う?」

「……!」


 明確な敵意と憎悪を瞳に宿したキャンディアが無言のままでいると、どうぞ続けたまえ、と促すようにマニングマンが鷹揚に頷くのが見えた。


「……ここへは生垣の隙間から入りました」

「なるほど。うむ」


 無味乾燥な返答が苛立ちを誘う。


「で……目的は何だね、キャンディア?」

「……」

「いいかね? 尋ねている。目的は何だねと――」

「《決刀》です」


 話の腰を折る突拍子もない一言に、マニングマンが驚くかに思えたが、彼はそうしなかった。




 にっ。

 代わりに、笑う。




 あまり見たことのない、彼らしくないとすら思える喜悦の表情だった。その拍子にキャンディアの背筋に、すっ、と冷たさが一匹の蛇のごとく滑り込む。


「君はいくつだね、キャンディア?」

「まだ……一〇です」

「なるほど。ふむ」


 もちろんマニングマンは知っている筈だ――剣銃遣いになるには、年齢が十三歳に達していなければならないと。それは、誰もが良く知るこの世界のルールだ。




 しかし――。




「……まだ三年足りない。違うかね?」


 マニングマンがさとすように告げると、キャンディアはうつむき、低く唸るように呟いた。


「ここには――」

「?」

「ここには、あなたと私しかいません。何が言いたいか……分かりますよね?」

やすくはないな」

「とぼけないで!!」


 キャンディアが吼えた。


 ちゃきり!


 手にした剣銃をマニングマンの眉間に向けて真っ直ぐ構えたキャンディアの手が、感情の波に揺られてゆらゆらと揺れている。


「もうこの町をあなたの好きにはさせない! あなたの決めた勝手なルールのせいで、誰かが死ぬを見るのはもう嫌! 《決刀》を受けなさい、マニングマン! それとも……この私が怖いというの!?」


「……」


 すっ、とマニングマンの瞳が細められた。


 それから不意に視線を外し、胸のポケットから真鍮のチェーンで繋がれた懐中時計を取り出すと、竜頭りゅうずの上のボタンを押してバネ仕掛けの蓋を開く。


「時間は……十分のようだ」


 ぱちり、と蓋を閉じたが、キャンディアにはその言葉の意味が上手く汲み取れない。後になって悔やんだが、今マニングマンが見せた隙は決定的な物だった。引鉄ひきがねを引きさえしていれば――が、もう遅い。


「正直に言おうか――」


 目の前でいまだ剣銃を構えるキャンディアを静かに観察しながらマニングマンは言った。


「怖いか怖くないかで言えば、怖いのだろうな。ああ、怖いとも。だが……私には時間がある。この時間がある限り、君の放った弾丸は私には当たらない。触れることすらないだろうと言っておく」

「え……?」

「当たらないのだよ、私には」

「い、意味が……?」


 動揺がキャンディアの構えにも伝播していた。小舟を漕ぐように、ゆらり、ゆらり、と彷徨っている。


 失望したとばかりに溜息を吐いたマニングマンは、


「撃ってみたまえ。許可しよう」

「え……え……?」

「撃っていい、そう言っているのだが」

「で、でも――」




「撃て、キャンディアッッッッッ!!」


 轟!


 張り詰めた空気を砕かんばかりのマニングマンの怒号に気圧けおされ、半ば反射的に引かれた引鉄によってキャンディアの剣銃が火を噴いた。


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