第五話 必要な行為なのですが

 一人の女が、飢えた獣のように目の前に並べられた品々を次々と引っ掴んでは口の中へと放り込んでいく。そしてもう一人の女が、半ば呆れたようなめた視線でその様を、口も開かず静かに見つめていた。


 だがその実、喰らい続ける女の方が被害者であり、呆れている女の方は加害者なのであった。その証拠に、喰らい続ける女の瞳はうるうると潤み、表情は今にも泣き出しそうに歪んでいた。


「もうっ! 信じられないっ! あんなこと、普通する!? あんな……あんなあああっ!!」

「と、言われましても」


 しれっ、と表情も変えずに言い放った加害者――メイドのメイベルを、哀れな被害者である少女、ブリルが涙目のまま、きっ!と睨み付けた。


「そりゃあね? あたし、確かに言ったわよ? 何でも言ってって! 何でも手に入れてあんたにあげるからって! だからって……この……変態糞メイドっ!」

「満更でもなさそうでしたが」

「嫌がってただろうがああああああああああ!!」


 怒り心頭のブリルは、んがあああ!と吼えた。


「は、初めてだったのに……。初めてのキスは絶っ対、レイ君みたいな純真無垢な超絶美形のショタに捧げるんだって決めてたのにさ……ううう……っ!!」

「ギリノーカンです」

「ノーカンじゃねえよ! 思いっきりぶちゅっ!といってただろうが!? 挙句あげくの果てに、容赦なく舌で人の口ン中、好き放題蹂躙じゅうりんしやがって!!」

「必要な行為なのですが」

「お前の中ではな!!」


 何を言っても悪びれる素振りの欠片かけらも表情に出さないメイベルの態度に込み上げる激情すらすかされてしまったブリルは、最後に一際大きく叫ぶと、はあああ、と深い溜息をついた。


 そして尋ねる。


「で……あたしにこれだけさせたんだから、もう動けるのよね?」

「ええ。問題ありません」


 メイベルは応じ、視線の先の両手を何度か開いては閉じてみせる。動作もスムーズで、握力も十分だ。


「では参りましょう、漏らショタ嬢」

「うぉうぃ! 呼び方っ!」


 いろいろ余計な物まで戻ってしまっている。


「ま、それは後でケジメつけてやるとして。……ね? キャンディアちゃんとレイ君、何処どこに行ったと考えたら良い?」

「探すのは、キャンディア嬢です」


 揃ってキャンディアの家を出、人影のまばらな《負け犬通り》をわざとゆっくりとした足取りで進んで行く。目立つのを恐れてのことだ。メイベルは続けた。


「レイ様であれば、今頃あの小さなお嬢様を必ず見つけ出している筈ですから。仮にそうでなかったとしても、すぐに合流できるでしょう」


 いまだにレイナードこそ我が主人であると明確に言い切れないメイベルではあっても、少年に対する評価と信頼は揺るがないらしい。


「そして、お嬢様が向かう場所はただ一つ――」

「マニングマンの屋敷……」


 まだ早朝ということもあって見覚えのある鍛冶工房の窓のカーテンは閉じたままだった。視線を正面に戻し、ブリルは中央広場に続く道を用心深く見る。


「町の中央だと言ってたわよね? あの広場の奥の。まさか……もう吊るされてたり……とか?」

「それはありませんよ」

「妙に自信満々なのが気になるんだけど」

「ただの、勘、です。それでお気に召さなければ、ただの演算処理結果と申し上げますが?」

「?」


 ほどなく辿り着いた広場は閑散としていた。


 ほっとした反面、異常なまでの清潔さと空虚さにかすかな寒気を覚える。あの犠牲になった門番の流した血の跡すらすでになく、架台かだいすら撤去されていた。


 この《正しき町》にはふさわしくない、町の景観を損ねる――尋ねればさまざまな建前が並べ立てられることだろうが、その根底で息づくマニングマンの異常性がひたひたと背後に忍び寄っているかのように感じられて、ぞくり、としてしまう。


「ルール……ルールか」


 確か、こうだ。




 ――故なくして、町に物を放置してはならない。




 ロクに面識もない間柄だというのに、それはブリルの脳内で、まごうことなきマニングマンの声で再生された。


「あいつはどうしてここまでルールにこだわるのかしらね……? ちっとも理解できないわ、あたし」


 思わず呟くと、隣に立つメイベルの、丸眼鏡の奥にある切れ長の瞳がわずかに見開かれ、じっ、とブリルを凝視していた。


「な、何よ?」

「いえ。何でもありません」


 答えず一歩踏み出したメイベルは、くい、と顎を突き出すようにして目を閉じ、耳を澄ませた。




 静かだ。




 やがて、その瞳は見開かれ、表情が固く強張った。


「急ぎましょう。すでに屋敷の中で事は始まっているようです」

「? ……う、うん、了解!」


 二人は頷きを交わし、駆け出した。



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