第四話 近道と抜け穴は子供の領分

「おや、ロッデンや。そこで何をしてるんだね?」

「ええと……はい、おばあ様」


 薄汚れた窓から、じっ、と外の様子を見つめていた銀灰色の髪をした少年は、揺り椅子の上でうたたねから目覚めた老婆の皺枯れた問いに、困ったように微笑み、応じた。どうも騙しているようで気が引けたが、前触れもなく訪ねてきた彼のことを老婆は孫だと信じているようなのである。

 ベッドの脇にある小さなテーブルの上にはガラスに罅の入った写真立てが置いてあり、本物の孫らしき姿が写っていた――その中の老婆自身の姿から推測するに、恐らくもう孫は成人どころか所帯持ちだろう。


「もうすぐ僕の友達が来るんじゃないかな、って」

「そうかいそうかい」


 老婆は皺だらけの顔を一層くしゃくしゃにして嬉しそうに笑った。

そして、じきにまたうとうとする。


(それにしても――)


 別の誰かと思い違いをされたままの少年――レイナードは独り思いに馳せる。


(キャンディアは、一体何処に行ってしまったんでしょう? 馬鹿なことを考えていなければいいんですが……)


 老婆の家の窓から見える屋敷が、あのロイ・マニングマンの物だということを知っている。だからこうしてキャンディアが来るのではないか、と監視しているのだ。

 本来であれば外で待っても彼自身は少しも苦ではないのだが、この町には厄介なルールが幾つもある。そうでなくともレイナードは、マニングマンから直接すぐに町を出るように言い渡されていた。見つかれば面倒なことになるのは明白だ。


(とは言え)


 こっくり、こっくり、と揺り椅子の上で幸せそうな表情で居眠りをしている老婆に、万が一にでも迷惑をかける訳にもいかない。かくまっていた、などとあらぬ嫌疑をかけられでもしたら、老婆とは言えただでは済まないのだろう。


(それに、まだマニングマンの秘密は解き明かせていないんですよね。本当に彼がそうなのか……)


 ふるふる、と銀灰色の髪を揺らし、レイナードは確証の持てない疑念を振り払った。


 レイナードの手に入れた情報は、限りなく少ない。


 その中の一つが、あの港町、シェールフルで出会った女剣銃遣い、ベラッサ・ティースボーンが今際の際に口にした科白だった。






『糞……しくったよ。あんた……奴らと一緒なんだろ? あの《辿り着いた者ゴールド》たちと。そうと知っていたら、こんな仕事……引き受けなかった』

『奴ら、って……! 知ってるんですか!?』

『そう……言ったろ?』


 にやり、と笑う口の端から、つ、と血が零れた。


『あんたと同じだよ、坊や……。奴らにも同じ、時計盤に似た……赤く輝く紋様があったからね。殺しを引き受けなければ……弟を殺すと言われた。だからあたしは……こんな……くっ……!!』

『喋っては――駄目です!』

『もう持ちやしないよ、終わり……さ』


 死の淵にいる女剣銃遣いは荒い息を吐き、ごろり、と仰向けになった。

その瞳の輝きが徐々に曇る。


『あたしの弟は馬鹿だからね……きっとあんたたちを追いかけて付き纏うだろうさ。どうか……お願いだから、殺さないでやってくれないか? 馬鹿なだけなんだ、あいつは……』

『ああ……! 本当にごめんなさい……!!』

『いいさ。剣銃遣いなんてのは、いずれ皆……こうなる運命なんだからさ。気に病むんじゃないよ、坊や……それよりも――』


 もう顔を振る気力も失くしてしまったらしい。


『奴らは西に行くと言ってたよ……紋様を探しな。そして……奴らの使う、奇妙な魔法に気を付けるんだ。一つとして同じ能力はない……そう言っていたよ。あたしが見たのは……《時間を喰う》奴だ』

『《時間を……喰う》?』

『そうだ……喰っちまうんだよ……喰われた時間は消えて……なくなる……気を……つけ……な……』


 女剣銃遣いは、もう二度と語ろうとはしなかった。

 濁ったガラス玉のような瞳が澄み渡った空を映しているだけだ。


『……』


それをレイナードは優しく閉じてやった。






(二度とあんなことはさせません。もう誰も殺さないと誓ったのですからね……)


 殺したのは彼ではない。


 それでも、その一因を作ったのは他ならぬレイナードだ。彼にはその責任があるし、そこから逃れるつもりもない。しかし、だからこそ悔やまれる。


(まずは、確証を掴まなければ……マニングマンが《辿り着いた者》だという確たる証拠を……話はそれから、です)


 女剣銃遣い・ベラッサは言っていた――《辿り着いた者》たちは皆、紋様を何かしらの方法で覆い隠していた、と。それは手袋であったり、スカーフであったり、いろいろだったと言っていた。あのマニングマンならば、右手の白い手袋が最有力候補だ。


(あの手袋をどうにかして外させることができさえすれば……)


 はっきりする筈である。

 と――。


(あ、あれは……!?)


 レイナードの鼓動が跳ね上がった。


 通りの向こう側には、見覚えのある手編みの帽子を深々と被った少女の姿があった。少女は周囲の視線を避けるようにして、マニングマンの屋敷を囲む高い生垣に沿うようにして、着実に一際背の高い門のところへと進んで行く。

 だが、門の両脇には屈強そうな男が二人立っている。腰の左側面辺りの不自然な膨らみから察するに、あれもやはり剣銃遣いなのだろう。ただし、服装はバラバラで、よほど手持ち無沙汰なのか、一方の男は呑気に大欠伸なぞしている。規律やルールを重んじるマニングマンらしからぬ振る舞いだと感じずにはいられない。


(まさか……何者かの襲撃を事前に察知して、急遽雇い入れた? ますますまずい展開ですよ……!)


 咄嗟に腰を浮かせたレイが見つめる先で、


(あ――っ!?)


 キャンディアの姿がない。






 いや――見つけた。


 確かにレイの目には、生垣の中から伸びてきた細い手が、板張りの歩道の上に置き去りにされていた帽子を素早くひったくる様が映っていた。


(近道と抜け穴は子供の領分、と言う訳ですね。ならば僕もそれにならうとしましょうか――)


 意を決して玄関まで足を速め――そこで立ち止まって二、三歩後退してきたレイナードは、揺り椅子の上の老婆に向かって丁寧に頭を下げた。


(御礼を言わないと、でした……僕、行きますね)


 レイには、こくり、と老婆が頷いたように見えた。



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