6.オールドバニー、再び(1)

第一話 去る者は追わず、来る者は拒まず

 目覚めた時には――誰もいなかった。




 わずかに差し込む陽の光を浴びながら、まるで復調してなぞいない身体をのろのろと起こしたメイド服姿の女は、その曲げようもない現実じじつに気付くと、柄にもなく深く押し殺した溜息を細く長く吐いた。


(そう……でしょうね。いやはやまったく――)


 一体、自分は何を期待していたのか。


 いまだにうまく理解できていないことだったが、今の自分の何処かで――それが具体的には何処のことを示すのかは分からない――ずきり、としたうずきをもたらしているこの感情が、きっと失望というものなのだろう。


(それでも、私は行かなければ……)


 主人の命は絶対だ。


 だが主人とは――どちらのことを指すのだろう?


(私はまだ……決めかねているのでしょうね)


 ふらつきながらも立ち上がったメイド服の女――メイベルは、ぼやけたような視界の中で己が手を何度か開いては閉じる――思った通りだ。


「……ちっ。使えない身体です」


 状況は最悪だ。

 まるで力が入らない。


 それでも部屋の片隅に置いておいた山のような荷物に手をかけ、一気に引き上げて――。


「な――何してるのよ、メイベルっ!」

「!?」




 息を呑む音に我に返った。




 そして――それを発したのがあろうことかメイベル自身だったことに息を呑むほど驚いたのだった。


「何故………………?」


 思わずそう呟くと、柔らかくて暖かい塊が自分を包むのを知覚した。それはメイベルの身体にしっかりと両腕を回したまま、笑顔とともに語りかけた。


「何故って言ったよね? ねえ、それ、どっちのこと? レイ君たちを探しに行こうとするのを止めたこと? それとも……どうしてまだあたしがここにいるのかってことかな?」

「……」


 言葉が見つからない。


 見つめる視線を避けるように目を反らしたメイベルを見て、その柔らかくて暖かい塊――ブリル・ラウンドロックは浮かべていた笑顔を困ったようなそれに変化させた。


「あたしだって分かんないよ。でもね? それはまだあたしが全ての真実を知らないから。メイベルはたくさん話をしてくれたけど、それで全てが語り尽くせた訳じゃない。言いたいことも、言えなかったことも、もっともっとある筈でしょ? あたし言ったよね? 全ての真実を知り、その上であたしがあたし自身の進むべき道を決める、って」

「で、ですが――」


 何を聞き、何を知ったのかはブリルは語らなかった。だからこそ、どう答えるべきかメイベルは迷っていた。


(自分が何処まで話したのか……曖昧です)


 昨晩、メイベルは包み隠さずに今までの出来事をブリルに打ち明けた。そこに嘘や偽りはなかった。


 だが、何処までの事実を語ったのか、記憶がない。


「私は、私自身が何者なのかを貴女に――」

「そんなことより! ねえ、聞いて、メイベル!」


 意を決して発した言葉が宙に浮く。有無を言わせないブリルの遮りに気圧され、そのまま後退ったメイベルは、今しがた立ち上がったばかりのベッドの上に、ぽすん、と座り込んでしまった。


「あんたが休んでる間、あたしはあたしにできることをやってたの! だから、聞いてくれる?」

「あ――」


 目覚めるまでには数時間あった筈だ。


「そうです。今までどちらに、ブリルお嬢様?」

「お、お嬢様って……まだ具合悪い?」

「………………はい?」

「まーいいや。何でもない」


 何故か、ぷっ、と噴き出す。


「メイベルは忘れてるかもしれないけど、あたしは新聞記者だよ? だから、あっちこっちで情報を集めてたの――真実を知るために」



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