第四話 秘密を知る者

 そっと薄目を開けて、天井を見る。


(ああ、もう……。こんなことを繰り返していたら、そのうち二度と目覚めなくなってしまいそうですね。……まだ……痛い……)


 それでもずきずきとした痛みに顔をしかめないように、まぶたの下でそろりと眼球だけを左右に振る。だが、視界に入ったものはほんの僅かだ。


(きっとここには、あの女の人がいる筈です。気付かれないようにしないと)


 今回は勝手が違っている。


 感触だけが頼りだったが、恐らくはベッドの上に寝かされているのだろう。それでも彼女はこう言った――最初から襲うつもりだったのだ、と。何とか隙を見つけて逃げ出す必要があるだろう。




 しかしだ。




「あら――もう気付いてますわよ?」


 糞っ。




 仕方なく眠ったふりを止め、レイナードは慎重に身体を起こした。そのまま油断ない視線を周囲に向ける。


 ――いた。


 つたに覆われあまり陽の光の差し込まない窓辺にある椅子の上で、襲撃者の女はくつろいでいた。白いフリルがあしらわれたピンク色の革張りの椅子は、白い髪に黒のドレスという不吉な予感すら感じさせる陰鬱いんうつとした印象の彼女の所有物にしては、いささか少女趣味が度を越しているようにも思える。


 彼女が動こうとしないので、レイナードは問うた。


「僕を……どうするつもりですか?」

「そうですわね――」


 彼女がその科白の続きをつまみ上げた白磁のティーカップで覆い隠してしまうと、あたりにはベルガモットの芳醇な香りが漂った。こんな僻地へきちで一体どうやってあんな高級品を手に入れているのだろうか。


「まずはじめに、こちらからいくつか質問させていただきますわ。よろしくて?」

「あ――ああ、はい」


 思わず居住まいを正してから、レイナードは急に自分自身の行動が実に滑稽だと呆れてしまった。何せ相手は襲撃者なのであり、こちらはその被害者なのである。かといって、いまさら横柄に、憮然とした振舞いもできなかった。見かけは子供だ。


「ええと……どうぞ」

「では――」


 彼女の一つきりの赤い瞳がレイナードを見ている。


「何故、この森に入りましたの? ここが禁足地だとは知らなかった――そう仰るのでしょうか?」

「いえ……知っていました」

「では、何故?」

「僕は先を急いでいました――だからです」


 余計なことは言わない。


「急いでいたのだから、無遠慮に通っても構わない、そのように仰りたいのかしら?」

「そ――そういうつもりでは……! 済みません」


 深く理由を問い質すではなく、苛立ったように僅かに口調をとがらせた女に素直に詫びる。それを耳にすると、しばし女は沈黙した。


 やがて再び口を開く。


「黒狼を見て、それまで身を潜めていた貴方は姿を見せましたわよね? それは何故です?」

「そ、それは……あなたの身が危ないと判断したからで――」


 嘘ではない。

 だが、その答えも女の気に入るものではなかったようだ。


「すべからく魔物は敵――そのように思ったからという訳ですのね? あれが私の友だとは一瞬たりともお考えにはならなかったのでしょうか?」

「!?」


 驚くなという方が無理だ。


「ですが……! 済みません、まさかそんなことがあるとは思ってもみませんでしたから」


 魔物と友好関係を結ぶことができるだなんて、想像することすら難しいだろう。魔法使いを名乗るくらいなのだから、多少は魔物についての見識がある方だと自分では思っていたのだが。


 レイナードはまだ習得していないが、使い魔を召喚したり、隷属れいぞくさせたりといった魔法もあると聞く。しかし、あの黒狼はそこまでの知性を持たない種族の筈だ。飼い慣らしたなどという話は噂レベルでも聞いたことがない。


「では、最後にお伺いしますわ」


 そして女はこう告げた。






「貴女は何故、子供の姿をしていますの?」


 がん、と頭を殴られたような衝撃に、まだ残る現実の方の痛みがぶり返し、レイナードはみるみる蒼褪あおざめ、ベッドの上で後退あとずさる。


「え………………!」

「あら? 答えてくださらないの?」

「そ、それは――!!」


 適当な出まかせを並べ立てて誤魔化すことすらできず、レイナードは底知れぬ恐怖に身を震わせた。


(この人は――)


 赤い瞳が輝きを増し、静かに見つめて――いや、観察しているのが分かる。


(この人は知っている……分かっているから――)


 ――逃げなければ!


 いまさらながらに着ていた物、全てが剥ぎ取られて素っ裸であることに気付いたが、それでもなりふり構わず逃げ出そうとベッドの上で立ち上がろうとしたところで――。


「無駄、ですのよ?」


 女は席を立とうとする素振りすら見せない。


 がちゃり。


 その時一つきりのドアが開き、そこからもう一人の人影が姿を現して、レイナードの行く手を阻んだ。


「う――うわわわっ!」


 ぼすん!

 まともにぶつかる。


 恐る恐る巨大な張りのある二つの丘越しに見上げると、表情の乏しい生真面目な顔の女の丸眼鏡の奥にある目とかち合った。


「……」

「あ……」


 何て言おう――迷うレイナードより先に、もう一人の女は目を反らし、部屋の奥でまだ優雅に寛いでいる隻眼の女に向けて口を開いた。


「御用でしょうか?」

「ええ。呼びましたわ」


 そこにレイナードなど存在しないかのように振舞う新顔の女の素振りに違和感が生じる。辛うじて今のやり取りで分かったことは、二人の間には主従関係がある、ということだ。少なくとも目の前にいる女は丈の長い質素なデザインのメイド服に身を包んでいた。それも根拠の一つである。


「その子をこちらに」

「承知しました」

「い、いえ! ぼ、僕は――!」

「……」


 咄嗟に抵抗しようとしたレイナードの肩口あたりにメイドが細く長い指を添えた。


「あ……! くっ……!」


 その瞬間、レイナードの全身に痺れが駆け抜け、一切の力が抜けてしまった。唖然あぜんとし、ただうめくことしかできないレイナードを、まるで物を扱うかのようなぞんざいさで女主人の前へと誘導していく。


(一体……何をされたんです……?)


 魔法医であるレイナードですら、今自分がされたことが理解できなかった。ただあるのは、自分の鎖骨にそっと触れているメイドの指の冷たい感触だけ。


「あらあら。乱暴しては駄目ですわよ?」


 しかし、不思議と女主人の方は少し面白がっている風でもある。


「その方はお客様なのですから――まだ、今は」

「申し訳ございません、アイリス・マルゴットロード様。ですが、私はこれきりしかできませんので」

「ああ、もう……」


 はっ、とレイナードが息を呑む様を目にして、女主人は溜息を吐いた。


「名前を言っては駄目――そう教えたでしょう?」

「申し訳ございません、忘れてしまったようです」


 素直に詫びる言葉を吐いたものの、メイドの表情は毛筋ほども揺るがなかった。本心であろうとなかろうと、そこからは少しも反省の色はうかがえない。


「まったく……本当に駄目な子」


 もう一度、女主人――アイリスは溜息を吐く。


 そして、すっかり逃げ場と逃げ時を失ったレイナードに向けて、雪のように白い手を差し伸べて空の椅子へと座るよう促した。


「さあ、おかけになって。それから、貴方がお聞きになりたいことを仰ってくださいな?」


 レイナードは躊躇したが――。


「……そうするしかなさそうですね」

「そういうことですわ」


 正直に言えば、湧き上がる好奇心の方が込み上げる恐怖心に勝った、これに尽きるだろう。



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