第二話 ノドローンの森
カフ山脈の麓に広がるノドローンの森は、皇国法により禁足地とされている。故に、手つかずの自然が残されている数少ない場所の一つでもあった。
(中に入ると、余計にそれを実感しますね……)
素直に
(もう陽は落ちたのかな……真っ暗だ)
不思議と、恐怖は湧かなかった。
あまりに無知である、それが良い方に働いた。
今のところは――である。
(ええと……『
辛うじて初級魔法なら使えるらしい。
落ちていた小枝の先にほんのりと灯る熱のない白い光を宿し、それを右手で掲げながらさらに奥へと進んでいく。
(静かですね……)
ノドローンの森が禁足地である理由は定かではない――そう魔法学校で教わった。古い古い昔からそうだった、それがそのまま形だけを残して伝わっているのだそうだ。
通りがかった商隊が魔物の声を聴いた、そういう噂も聞いた。しかし、実際にこの目で見た、襲われて命からがら逃げだしてきた、そういう話はほとんど聞いたことがなかった。あっても大抵は、まるで筋道の通らない与太話程度のものでしかない。
(でも……何だか視線を感じる……気のせい?)
物音すらも聴こえない。
それだからこそ全身の感覚が過敏に働きすぎて、ありもしない物があるように感じ取ってしまっているのかもしれない。
(万が一の時にはこれで……)
無理矢理今の背丈に合うよう切り詰めてしまったローブの上から左腰あたりの膨らみにそっと触れる――それはロザーリオの形見のナイフだ。
しばしばこの世は《剣と銃と魔法の世界》と称されることがあったが、それはあまり正しい表現ではない。
正しくは――。
剣と銃。そして、魔法。
そう二分されるべきである。
両者は決して相容れない存在であり力だ。有形の力と無形の力――そういう見方も確かにできはするが、もっと根本的な概念の部分から異なる物である。
そして、よりレイナードの身近にある違いを述べるなら、剣銃遣いは決して魔法を扱うこと、行使することが出来ない。その逆もまたしかり、である。ナイフに触れた手元から哀しみの感情が沁み出し、レイナードの心にそっと忍び込んでくる前に手を引っ込め、自分を憐れむように首を振る。
(元々僕は、誰かを傷つける魔法は得意じゃない方ですけれど……。どのみち、以前には出来たとしても今のこの姿では無理ですね)
身を潜め、慎重に進むしかないだろう。
その後も黙々と足を進め、やがて歩き疲れた頃、レイナードは三本寄り添うように天に伸びる木々の下生えの上で、胎児のように身を丸めて眠った。
が――やはりまともに眠ることはできない。
◇◇◇◇◇
ざざ。
ざざざ。
(何の音でしょう……?)
起きているのか眠っているのか自分でも良く分からなかったが、その草むらをかき分けるような小さな物音でレイナードは覚醒した。
(……?)
必死で目を凝らすものの、闇夜のような森の中を見通すことはできない。確証は持てなかったが、まだ夜は明けていないように思える。
音の出所は近いようだったが――。
(もしそうであれば、『灯り』は使えないし……)
――ねえ! 僕はここにいますよ!
そう叫ぶようなものだ。
気付かれないように――と、身動きもままならずそのまま目と耳をフル稼働させていると、レイナードの目の前の光景に変化が起こった。
(え……!?)
墨を
(月なんて……出ていましたっけ?)
しかし、レイナードの目にはそう見える。
天空の月から降り注ぐ白々とした光、それに照らされ、また導かれるようにして、濡れたようなてらてらとした光沢を放つ黒いロングドレスを身に纏った女性が歩いていた。そのいで立ちとは対照的に、彼女の髪と肌は雪のように白い。まるで熱を持たない、悪く言えば病的な冷たさを持った白さだ。
(こんなところに人が……? しかも、女の人?)
レイナードのいる位置からは彼女のふんわりとうねる肩までの髪が邪魔をして、表情を窺い知ることができない。つん、と尖った鼻と可愛らしくすぼめられた唇がわずかに覗く程度である。
(迷い込んだ訳ではなさそうですね)
そんな素振りは一切見せない。ただ、目指す場所まで迷うことなく真っ直ぐ歩いているだけ、そう見える。この森に住んでいる――にわかには信じ難いことだが、そうとしか思えない。
と――。
その足取りが止まった。
「……」
彼女の視線は一点に注がれていた。
レイナードの方に、ではない。
釣られたレイナードがその先を目で追うと――。
(あ――あれは……っ!!)
ぐる……。
闇から生まれたように黒一色の獣の姿が現れた。
(黒狼だ……! 獣とも魔物とも言われるとりわけ獰猛な奴じゃないですか! 時に人も襲うと……)
ぐる……。
ぐるる……。
黒狼は威嚇するような低い唸りを喉の奥の方から発し、一歩、また一歩と、先程の女性の立つ方へとゆっくりと歩み寄っていく。
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