5.追憶と回想(2)――《降魔の森》ノドローン

第一話 少年は復讐の旅に出る

 西へ向かう、そう決めた。




 正体不明の襲撃者たち――彼らは、レイナードたちがイタレリア行きのために手配した竜車ごと消え失せていた。




 だが、彼らは十二人いた筈だ。




 しばしば《四つ足》と呼ばれる荷物運搬用の竜車の定員は四人。しかし、貨車を二頭立てで引き、その荷台のスペースの大半を占めていた魔道機関を降ろしてしまった後であれば、何とか乗り込むことはできるだろう。


 そのわだちの跡を追う。

 いや、それきりしか手掛かりがないのが現実だ。


(夜明け前とはいえ……村の中を通ったんでしょうか。それなら、誰かが見ていたかもしれない……)


 微かな希望を胸に、レイナードは三人の生まれ育った村、バフルへと足を速めた。






 が――。


(……甘かった)


 すぐにもレイナードは、自分の今置かれている状況に打ちのめされてしまった。


(誰もまともに話を聞いてくれないなんて……)


 見かけが子供だということもあるのだろう、村の大人たちにいくら熱を込めて問いかけようとも、せいぜいが子供のかくれんぼだと決めつけられてしまったのか、情報という情報が得られなかった。


(積荷はいくぶん軽くなったとは言え、しっかり轍は村の中へと続いているというのに……)


 いっそ、自分はこんな姿になってしまったがレイナードなのだ、と明かそうかとも思ったものの、余計にからかわれているに違いない、と怒らせるのがオチだと止めておいた。そもそもいまだに自分自身でもこの状況が現実の物とは信じられないのだから、あながち見当外れでもないだろう。






「ね……ねえ? お前、竜車を探してるんだろ?」


 途方に暮れて道端で座り込んでいると、横合いから声がかかった。子供の声だ。


「あ――はい……。あれ、君は……!?」

「んー? 前に会ったことあったっけ?」


 わずかに息を呑むレイナードが応じると、少年は不思議そうに首を傾げた。しかし、自分の中の感情に負けたように小声で囁きかけてくる。


「ま、いいや。……あのさ、俺、見ちゃったんだ。朝、村の真ん中の通りを竜車が通るのを。一〇人くらいかなあ。荷台に乗っててさ。また戦争でも始まるのかなあってワクワクしてさ! でも……ちょっとヘンだったな。男だけじゃなかったもん。女の人もいたし、歳もバラバラ。あんなんじゃ負けちゃうよなー。武器も見えなかったしさー」

「それは本当ですか!? その他に、何か変わったところはありませんでしたか!?」


 レイナードが顔を寄せて興奮気味の声を出すと、少年の方はいぶかし気に顔をしかめた。


「……ヘンな喋り方。俺、お前と同じくらいだぜ? もしかして……どっかの貴族の子とかなの? テキトーでいいのに」

「あは……あははは……。く、癖なんです、これ」

「ふーん」


 苦しい言い訳だったが、納得したようである。


 少年は、おもむろにはだけたシャツの襟元から左手を突っ込むと――利き手ではないのだろう――そこから覚束おぼつかない手つきで一枚の紙片を取り出して、レイナードの目の前に自慢げにかざしながら言った。


「じゃーん! これ、何だか分かる? その竜車から落ちた奴なんだぜ! 俺、まだ字が上手く読めないから、何て書いてあるのかちんぷんかんぷんなんだけど……。そうだ! お前、読めたりするか?」

「では、お借りしてもいいでしょうか?」


 またもや渋い表情をする少年から紙片を受け取る。






《乗船札:アメルカニア行き:片道》


 そう読めた。






 その意味を知るレイナードの表情は固く引き締まり、自然と鼓動が早くなった。思わず小躍りしたくなるような気持ちを抑えつけるのに苦労する。


「……おい、何て書いてあるんだよ?」


 本当のことは言わない方がいいだろう。


「これは護符アミュレットですね。早く良くなりますように――って、そんな意味のことが書いてあります」

「じゃあ、大事にしないと! 落とした奴、がっかりしてるかなあ! でも、俺には必要なんだ」

「あはは。そうですね。早く元気にならないと遊べませんものね。でも次は、遊ぶのに夢中で竜車の前に飛び出したりしちゃ駄目ですからね?」

「えっ」


 思いもかけない言葉を耳にしてきょとんとする。


「お前………………何でそれ、知ってるの?」

「――! え、ええと……た、たまたまです」

「ふーん。ま、いいや」


 何処かで名を呼ぶ声を聴きつけ、少年は慌てて立ち上がると、急いで駆け出そうとして――言った。


「な? 今度さ! 俺が元気になったら、一緒に遊ぼうな! 約束したからな!」

「ええ! 約束しますよ! 必ず戻ってきます!」


 レイナードの返事を耳にすると、やっぱり少年は不思議そうな顔で笑ったのだった。






 そうしてレイナードは、ひたすら西を目指し、旅を続けることを決めた。

 だが、まだ解決できていない問題が残っている。


(こんな子供の姿のままでは、このまま旅を続けるのは難しいかもしれませんね……)


 旅を続けると言うからには、途中で必要な物資を補充しなければならない。食事だってするだろうし、宿に泊まる必要だってある。だが、そのいずれも子供の姿のままではどうしたって不都合が生じる。


 さっきのように、噂話を聴き出すだけでも一苦労だったのだ。レイナード自身はこれまであまり出入りしてこなかったものの、元の姿形でさえあれば何処の町にも大抵あるサルーンに立ち寄ることで多少の期待ができる。だが、子供の姿では叩き出されるのは火を見るよりも明らかだった。


(これ、どうにかしないといけませんね……)


 ふむ、と顎先に手を添え、むっつりと考える。


(今の状況を理解してくれて、その上で協力してくれる誰かが必要です。とは言ったものの――)


 元々人付き合いが得意な方ではなかったし、すでにこの世から去った両親以外に縁者もいない。彼を育ててくれた教会は村のずっと東だ。魔法学校もまた、同じく遠く離れた山間の町、ウィーゲルにある。


(とてもそんな時間はありません……それに――)


 レイナード自身は気付いていないだろう。

 その瞬間、彼の瞳にくらかげりがきざしたことには。


(この旅は――救済と復讐のための旅ですから)


 道連れは誰でもいい――そういう旅ではない。

 それなりの《力》を持つ道連れが必要だ。


(しかし……今の僕では、その対価すら差し出せない。たった、これだけでは。困りましたね)


 背中に負ったあまりに軽すぎる重みを噛み締め、レイナードはただひたすらに前を向き、歩いていく。




◇◇◇◇◇




 日没とともに一日目が終わった。


 その夜、レイナードは小さな林の中に立つ一際大きな老木の洞の中で眠ることにした。それしか手がなかったのだ。


 が――まともに眠れなかった。


 凍えるような寒さと、まだ生々しくたやすく脳裏に蘇る悪夢にうなされながら、それでもレイナードは眠るフリをする。それが今できる精一杯だった。




◇◇◇◇◇




 二日目――。


 レイナードは、ようやくバフルから真西に位置する最初の町、スタッカルルに到着した。


 ここスタッカルルは、またの名を《出会いと別れの町》とも呼ばれる皇国内陸部の交易の拠点の一つである。だが、やはりここでもレイナードに対する人々の反応は変わり映えがしなかった。


「何で、とは聞かねえがな――?」


 朝市を取り仕切っているのはあいつだ、と別の男からぶっきらぼうに教えられ訪ねていった果物屋の主人は、どう転んでも上客になりそうにない少年の質問にトレードマークらしいもみあげを擦り上げながら面倒臭そうに問い返す。


「どうせ追っ駆けるってんなら、もうちっとマシな連中がいるだろうが? 軍隊やら大道芸人やらが? 大体な――」


 言いながら、見るに見かねて渡した傷物の林檎を芯の際まで綺麗に齧り尽くしたレイナードに向けて、ほれ、ともう一つ勧める。大丈夫です――飛びつきたい気持ちを堪えてレイナードは首を振った。売り物にならない品とはいえ、甘えてばかりはいられない。


「――そりゃ、俺ぁいつものように朝一番に店を開ける準備をしてたさ。だがな、坊主? ここは交易の町だぞ? 竜車なんざ、見飽きる程通るんだよ」


 ありがとうございます――そう微笑みと共に告げ、丁寧に頭を下げてからレイナードはその場を離れた。


 ようやくまともな会話ができたものの、大した情報は得られなかった。だが、彼らの目的地であればすでに知っているのだし、そこは重要ではない。


(海を渡る……か。その前に追いつきたいですね)


 現時点、レイナードにはアメルカニアへと渡る手段がなかった。


 まず、資金が足りない。

 十分な旅の貯えもない。


 それにそもそもの話、たとえバフル村のあの少年から乗船札を譲り受けていたところで、子供だけでは渡航の許可が下りないことを知っている。


 アメルカニア行きの定期船には、ただ人を運ぶ機能しか備わっていないのだ。皇国の西の端にあるいずれかの港町を出発し、アメルカニア大陸唯一の海の玄関、イスタニアに到着するまでの二十余日の間、乗客はそれぞれのやり方とそれぞれの範疇はんちゅうでもって自力で生活しなければならない。宿屋のようなサービスは一切提供されないのである。


(とは言え……向こうは竜車、こっちは歩き。とても追いつける気はしない。困りました……)


 それでもできることをしよう――それしかない。


 レイナードは最後にスタッカルルを振り返りその目に焼き付けると黙々と歩いていく。彼の進む眼前には、遠く険しい山脈の連なりがあり、その麓には鬱蒼うっそうとした森が視界の端から端まで広がっていた。






 かつて魔法学校にいた頃、名前だけは聞いていた。


 ノドローンの森――通称《降魔の森》である。



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