第十七話 あなたのためなら何処へでも

(何て無茶なことをしたんですか……)


 僕が必ずヴィーを助けてみせる――それはレイナードの願いであり決意だった。だが、己が命を賭して誰かを救ったのは、そのヴァイオレットの方だ。


(何も……できないんですか)

(僕は今まで何のために……)


 ただ一人生かされたレイナードは、己の無力さに絶望し嗚咽に身体を震わせながら涙を流した。その一回り小さくなってしまった少年の髪に触れ、優しく撫でながらヴァイオレットは言った。


「何だか懐かしいな。小さい頃、よくそうやって泣いてたわよね、レイ。自分のためじゃない。いつも誰かのために涙を流してた。そんなあなたがね、あたし、ずっと好きだった。優しい、優しいレイ」

「う……う……!」

「ねえ、お願い――あたしの代わりに生きて。ロッジの代わりに生きるの。そして幸せに……なって。あたしの……最後のワガママ」

「最後だなんて言わないでください、ヴィー!」






 その時――。


 かちり。

 時を刻む針の音が、静寂を切り裂いた。






「もっと! もっとワガママ言ってください! これが最後だなんて……僕が許しません! 許しませんよ、絶対に!」






 かちり。

 さっきの物とは明らかに異なる針の音が時を刻む。






「優しいだけの僕なんて、もうごめんです! 僕が君を――ヴィーを助けてみせる! 僕が君の、君だけのヒーローになってみせます! だから――!」






 かちり。

 かちり。


 かちかちかちかちかちかちかちかちかち――!!






「レイ……あなた!!」


 レイナードの瞳に映るヴァイオレットの表情が驚きのあまり凍りついた。レイナードもまた、気付く――この薄暗い《死んだ世界》を仄かに照らしているのは、レイナード自身が放つ赤い輝きだということに。


「これは……一体!?」


 ヴァイオレットの目の前だと言うことも忘れ、オーバーサイズのローブを一気に脱ぎ去ると、レイナードの全身に無数の時計盤に似た紋様が浮かび上がっていることを知った。それが一斉に、時を刻むかのごとく動き、規則正しい音と共に輝きを放っている。


「そうか……《結命晶エージス》を飲んだから!」

「そうなのね……」


 しかし、ヴァイオレットの微笑みは哀しげだった。


「ごめんね、レイ。あなたをそんな姿にしてしまって。あたしの《結命晶》のせいかどうかは分からないけれど、今のあなたは一〇歳くらいの頃の姿をしているみたい。小さくなってるの。だからあたし、何だか懐かしいな、って思ったのよ?」

「そうなんですか!?」


 言われるがままに研究所唯一の曇った姿見のところへ駆け寄り、自分の目で確かめてみた。そこまで言い切れないが、明らかに若返ってしまっているようである。


 そこでふと兆した不安を胸に、口の中で小さく呟いてみた。

 糞っ――やっぱりそうだ。


「魔法が……魔法が使えない……」


 いくつか試してみる。どうやら初級魔法がやっと、という魔力レベルだ。


「せっかく時間魔法を覚えた筈なんですよ! それを操ることさえできれば、もしかすると」


 今すぐヴァイオレットを救うことだってできるのかもしれない――だが、そもそも自分が会得した時間魔法の正体が何なのかすら分からないのだ。これでは駄目だ。少なくとも、今まで覚えてきた魔法を行使できる程度には魔力を取り戻さなければ。


 だが、その時間が足りない。

 足りなさすぎる。


 で、あれば――やるべきことが見えた。


「ねえ、ヴィー。僕の話を聞いてください」


 ヴァイオレットが頷くと、レイナードは彼女の硬く強張り始めた手を取り、その白く曇り始めた瞳を真っ直ぐに見つめた。


「僕が必ず君を救ってみせます。待っていてくれますか?」

「え……? でも、それは無理よ、レイ!」

「無理じゃないんです。ただし、僕の実験の被験者になってもらう必要があります。とても危険です。もしかすると失敗してしまうかもしれない。その時は――いや! 絶対に成功させますから!」


 不安はあった。

 何しろ、まだ一度も稼働させたことがないのだ。


 しかし、ヴァイオレットは一切迷わなかった。


「いいわよ」

「……え?」

「あたし、やるわ、って言ったの」


 にひー、と笑うヴァイオレットの表情はどこか堅くぎこちなく映る。もう時間はないのだ。


「だって、レイが絶対成功させるって言ったんだもん。信じるわ! それに、いつも悔しかったの」

「悔し……かった?」

「そうよ! だって、いつも実験の巻き添えになるのはロッジだったじゃない! あたしだって、レイの役に立てる。そう思ったら嬉しくって」

「あ、あははは……でも、大丈夫。今回は大爆発、なんて絶対にさせませんよ!」

「あら、凄い自信ね。なら、安心だわ!」

「ついてきてください! 急ぎましょう!」

「いいわ。あなたのためなら、何処へでも――!」


 彼女の手を取り、床板を一気に取り払う。

 そして、二人は秘密の地下室へと降りて行った。











 秘密裏に開発したもう一つの魔道機関。

 レイナードはそれを《時間凍結柩フリージング・コフィン》と名付けた。




 最後に彼女はこう言った。


『絶対に生きて、レイ。約束よ?』


 レイナードは、ただ無言で頷いた。




 少年は、小さなガラス窓からわずかに覗く少女の微笑みを見つめ、その表面をそっと撫でる。


 だが、もう二度と触れることはできない――。




 少年の顔が歪んだ。

 ずっと堪えていた感情が全身をきつく掴み上げ、激しく揺さぶる。


「う……う……ううううううううううううう!!」


 そうしてしばらくの間、少年はひたすら涙を流し続けた。



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