第十六話 ダイヤルナンバーは九・九・九
そこに――。
ロザーリオが――ロザーリオだった物がいた。
いや、あった。
「ロ――ロッジィィィィィィィィィィィィィ!!」
ぽたり。
研究所の高い屋根を支える梁にかけられた鎖が何重にも彼の両足に巻き付けられ、逆さまに吊り下げられていた。
ぽたり。
彼のトレードマークだった鍔広の帽子は脱げてしまっている。妹と同じ金色のあちこち跳ね散らかっている短髪はしっとりと濡れ、赤々と染まっていた。そこから、一滴、また一滴と、彼の生命の源が今も漏れ、地に落ち、とろりと粘る水たまりを作る。
ぽたり。
それでも少年は、きっとそれはロザーリオでは、かけがえのない親友の姿ではないと思った。
何故ならそれには――顔がなかったからだ。
「う……ぷ……っ」
何故ならそれには――腕がなかったからだ。
「う……ご……っ。う……げ……っ」
胃の底から込み上げてきた自分の意志ではどうすることもできないすっぱい物を吐く。口元を両手で塞いだが、もう止められない。げえげえと無様な呻き声を上げながら、四つん這いの姿勢で吐いた。
(あれ……?)
その吐瀉物まみれの震える両手を顔の前まで上げてみる。手のひらを見て裏返し、手の甲を見る。
(縮んで……いる?)
「ごめんね……そうするしかなかったの」
「何で……っ!」
ヴァイオレットは悪くない。
そんなこと分かってるのに。
「何で……ヴィーが謝るんですか!」
それでも口調に行き場のない怒りが混じる。
「でもね? そうでもしないと、レイまで死んでしまうと思ったの。だからね? だからなの」
「ロッジもヴィーも僕が助けます! 絶対に!!」
「ごめんね。レイを一人ぼっちにしちゃって――」
「嫌だぁああああああああああああああああ!!」
少年――レイナードは絶叫した。
「嫌だ……嫌です……! ずっと三人一緒だって約束したじゃないですか! これまでも、これからも! 僕は魔法医です! だから……っ!」
「聞いて、レイ――」
涙で歪む視界の中で、白い少女は静かに首を振る。
「前に、レイは教えてくれたわよね? どんな魔法医でも死人を生き返らせることはできない――と」
「あ……あ……!」
「でもね?」
そこで白い少女は、泣き笑いの顔をくしゃりと歪め、照れ臭そうに囁いた。
「あたしはずっとレイと一緒よ。あなたの命を救うために、あたしの《
「――!?」
「ごめんね。ごめんなさい。でもね? そうするしかなかったの。もう考えつくのはそれしかなかったの――あなたを助ける方法なんて」
「全部……全部って……!」
「そ。たった十三個っきり」
「そんなことをしたら……君の命が……!」
「いいのよ。いいの。だって――」
ヴァイオレットは透明な微笑みを湛え、言った。
「もうじき死んじゃうんだもの。でしょ?」
思わず言葉に詰まった。
鼓動が速まる。
やがて、喘ぐようにレイナードは尋ねた。
「知ってた……んです……か……?」
「うふふ。馬鹿ね。ロッジもレイも、呆れるくらいに嘘を吐くのが下手糞じゃない。それに」
ヴァイオレットはぎこちない仕草で背中に触れる。
「自分の身体なんだもの。嫌でも気付いちゃうわ」
ゆっくりと手を戻し、身体の前で祈るように両手を組んで、ヴァイオレットはレイナードを見つめた。
「二人を見守る神像になれたら、それでもいいかな、って思ってた。でも……ただ見守るだけより、こうして誰かのために役に立てた方がいいじゃない」
また、笑う。
だが、たったそれだけの動作の拍子に、ヴァイオレットの身体から月の光を受けてキラキラと輝く鱗粉のようなものが周囲の空気に舞い散ったことにレイナードは気付いてしまった。
あれは――石粉?
神像化が進んでいる!?
「だ――駄目です! すぐ僕の身体から《結命晶》を再抽出して、ヴィーの身体に返さないと……!」
「それは無理よ。もうあれは壊れてしまったから」
ふと目をやると、研究所の片隅の元あった場所にレイナードの発明した魔道機関が組み立て直されていた。ヴァイオレットが言ったように破壊された跡もある。
いずれもあの襲撃者たちがやったのだろう。ご丁寧にもすぐそばに設計図まで準備してあったのだ。さしたる苦労はなかったようである。微かな希望を胸に駆け寄ったレイナードは、魔道機関の計器類を一通り確認してみたが、被害は甚大でやはりそう簡単に動きそうにない。そもそも燃料源となる魔晶石が空だ。
「そ……そんな……!」
それから、もう一つのことにも気付いた。
ダイヤルが示す数字は、
――九・九・九。
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