第十一話 レイナードの賭け

 駆けつけた時にはすでに少年の脈は微かだった。


「おい、遅かったじゃねえか! 頼む、もうやべえんだ……さっきから痙攣が始まってる!」


 得体の知れない何かにりつかれたように、がくがくと少年の四肢ししに震えが走る。すっかり血の気を失ったその口元には、破損した竜車が落としていったらしい木切れが横一文字に咥え込まされていた。どうやら舌を噛まないようにと咄嗟とっさにロザーリオがやったことのようだ。幾度となく修羅場を潜り抜けてきた剣銃遣いならではの良い判断である。


 だが、現れたのがレイナードだけじゃないと知り、ロザーリオの顔面が蒼白になった。


「ちょ――! 何で来たんだ、ヴァイオレット!? これはお前の見るものじゃねえ! 頼むから――」

「馬鹿にしないで! あたしだって手伝える! あたしだって助けたいのよ! ロッジこそもう限界じゃない! そこ、代わるわ!」

「――!?」


 半ば強引に、兄の身体の横から肩をねじ入れるようにしてヴァイオレットが少年の傷口に手を添えた。しかし、いつも以上に白さを増したその顔には嫌悪も恐怖も見つからない。真剣そのものの表情で的確な位置と力加減で止血を始める。それにはロザーリオも舌を巻く思いだった。そして、思わず安堵しかけたところで、まだ動こうとしていない親友の名を呼んだ。


「レイ! 急げ! 詠唱を――!」




 だが、レイナードはそうしなかった。




 ゆっくりと少年のそばひざまずき――。

 胸ポケットから透き通った真紅の結晶を取り出した。




「お願いです……これを飲んで……!」


 周囲に集まっている村人たちから見えないように身体を盾にすると、しきりにわななく少年の唇に触れ、その小さな結晶を乾いた口腔に差し入れた。


「レイ……! それは……!」

「しっ、黙って! こうするしかないんです!」


 それが何か、ロザーリオにもヴァイオレットにも分かった。




結命晶エージス》。




 たまたま――本当にただの偶然だ。


 昨日の実験が終わった後、その《結命晶》を元の持ち主である地鼠じねずみに返すのを忘れ、ポケットに入れっ放しにしていたのだった。




『この地鼠は、ずっとこのままなの?』


 不安そうに尋ねるヴァイオレットにレイナードはこう言った。


『いえいえ。実験が終わったら彼から《結命晶》を取り出して、こっちの彼に戻す決まりにしているんです。そうやって被験者から抽出しようとすると、ちゃんと彼自身の物でない《結命晶》から取り出せることが分かりまして。まあまだ、きちんとした仕組みの解明までは出来ていないんですけどね』


 背中を撫でられた地鼠が居心地良さそうに伸びをした。その様を目を細めて見つめ、レイナードは嬉しそうにこう締め括った。


『誰かが困った時に、自分の持っている《時間》を一時的に貸してあげることができるんですよ。そうして元気になったら、元の持ち主に返してあげればいいんです。ね、ヴィー? これって素敵なことだと思いませんか?』


 いいじゃない!

 実にレイらしい考えだわ!――そう言ってヴァイオレットは微笑んだものだ。




 実験の決まり事を忘れうっかりしていたとはいえ、それが今ここで役立つとは運命とは不思議なものだ。


「お願い……それを飲み込んでくれないと……!」


 触れた少年の顎先は熱を失っていた。それでも期待を込めて、レイナードは黙って見守ることしかできない。


「頑張って! ごくん、って飲み込むの!」


 ヴァイオレットも少年を励ました。




 不安はいくつもある。


 種族の異なる者から抽出した《結命晶》が、果たして期待された効果を生み出すことが出来るのだろうか。いや、そもそも種族の違う者の《結命晶》を摂取した少年の身体には、何らかの異常が起こるのではないか。


 そして――。

 もしも少年が、異能の力に目覚めてしまったら?


(助けられなければお話になりません……!)


 その時はその時だ。


 罪を償う覚悟はもうできている。それよりも今は、目の前のこの命を救いたい、それだけをレイナードは必死に願った。


 やがて――。


「今、飲んだわ! 飲み込んでくれた!」


 ヴァイオレットが告げた直後、少年の身体から仄かな赤い輝きが発せられた。


 だが、弱い。

 やはり種族の差――いや、サイズの違いだろうか。


 急がねば!


「よし! 行きますよ!」


 レイナードが詠唱を始めた。


「~~~~~~~~~~!」


 はじめはゆっくりと、そして徐々に速さを増し、レイナードの口から傍にいる二人には理解不能な魔法使い独自の言語が紡ぎ出される。息継ぎすら忘れてしまったかのように、細く、長い詠唱が続く。


 じゅる。

 うじゅる。


 ほとんど千切れかかっていた肉と骨が次第に元の位置へとうごめき、寄り集まって、だんだんと足の形に戻っていく。見方によっては身の毛のよだつ光景なのかもしれないが、ヴァイオレットでさえ目の前で起こっている奇跡に心を奪われ、魅入られてしまっているようだった。


(もう……少し……っ!)


 少年の身体から発せられていた赤い輝きが弱々しく消えていく。レイナードは必死に詠唱を続けた。


(もう少しでいい……持ってくださいよ……っ!)






 輝きは。

 消えた。






「お、おい! 大丈夫か、レイ!?」


 力尽き、どさり、とその場に崩れ落ちたレイナードの身体を、慌ててロザーリオが抱き起こす。喘ぐように呼吸を繰り返し息を整えてから、レイナードは微笑みとともに頷き返した。


「僕は……大丈夫……です……。けれど……」

「――!」

「慌てないで、ヴィー。彼も大丈夫ですから」


 咄嗟に動こうとしたヴァイオレットの腕を掴み、もう一方の手でロザーリオのシャツの裾を掴み、レイナードは二人だけに届く囁きを発した。


「命を落とす危機からは脱した筈です。ただ、痛みは残るでしょう。そこまでの治療の時間が足りなかったので。それより――」


 目で合図を送るとすぐに二人とも気付いてくれた。

 そばだてるようにレイナードの口元に耳を寄せる。


「彼の身体に、見慣れない紋様が浮き出ていないか、今すぐ確認して欲しいんです。いいですね? 彼は《結命晶》を摂取したんです。この意味、分かりますよね?」

「わ、分かった!」

「で、でも、見慣れない紋様って言われても……」

「赤い丸い紋様――時計盤に似た目盛があります」


 命じられるままに、ロザーリオは足の方から、ヴァイオレットは頭の方から、慎重な手つきで少年の身体をくまなく確かめていく。


「これか!?」


 やはり足の方にあったらしい。ロザーリオが小さな悲鳴を上げると、ぎしつく身体を何とか起こし、レイナードもそこに加わる。


「やはり……。必ず修復された部位の近くに現れるんですよ、これは。だけど、小さいな。それに薄いですね。まるで今にも消えてしまいそうな――」


 すうっ。


 レイナードの言葉を聞き届けたかのようにその紋様は少年の滑らかな肌に吸い込まれるように消え失せてしまった。念のため、指先で強めに擦ってみる。それでも紋様は再び浮かび上がることはなかった。


 代わりに。


「か……はっ……! 痛い……痛いよお……!」


 海老のように身体を仰け反らせて少年が意識を取り戻し、いまだ残る痛みに涙を浮かべた。


「ト、トミー!! 助かった……助かった!」


 それを一番待ち望んでいたのは父親だろう。ようやく安堵の息を漏らした三人の間に身をこじ入れるようにして飛び込んで来たかと思うと、少年の父親は息子の身体を強く抱き締めた。途端に少年は飛び上がる程の痛みを覚えて押し退けようとする。


「痛い、痛いってば! 放してよ!」


 照れ臭いのもあったのだろう。だがじきに、不思議そうな顔つきになった。その顔が見慣れない三人の顔を見つけ、ますます曇った。


「あ……あれ? 僕、どうしたんだっけ……?」

「こいつ! 心配させやがって! あれ程、竜車には気を付けろって言っておいただろう! この人たちはな、命の恩人なんだ! 竜車にかれて死にかけてたお前を救ってくれた恩人なんだぞ!!」




 驚き、蒼褪めた少年は、やがて全てを理解した。


「あの……ありがとう。本当にありがとう!」



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