第九話 規格外の副産物

 時間魔法――。


 それは、魔法使いたちの間でもいにしえより論理的矛盾パラドックスの一つに挙げられる命題である。




 森羅万象に存在するものの根底でありながら、何人たりともそこから逃れることなどできない。ただ滔々とうとうと流れ、止めることも、逆らうこともできない。


 それが時間である。

 運命と言い換える者もいるだろう。




 だが、この世の全ては五大元素で構成されているというのが真理であるならば、魔法で再現不可能な《時間》とは、その真理に反した逸脱した存在であり、人の手の及ばぬいわば《神の領域》にある概念だということになってしまう――故に、論理的矛盾なのである。




「ふーん」

「……何そのうっすい感想は」

「い、いや、だってよ――?」


 言いたくねえが――とロザーリオは渋々口にした。


「とある依頼で魔法使い連中と組まされて、廃墟に巣食う魔物退治に行ったことがあったんだが、連中、速度低下スロウやら停止ストップの魔法は普通に使ってたぜ?」


 それを疑問に思うのはもっともである。


「厳密に言うと、それらは時間魔法ではないんですよ。対象の肉体と神経に影響を及ぼす状態魔法に属しますから。むしろ麻痺パラライズ毒化ポイズンに近いものです」

「じゃあ、その時間魔法なら何ができる?」

「こういうことです――」




 時間の流れを止めること。


 時間の流れを進めること。


 時間の流れを巻き戻すこと。




「そして、時を切り取り、抽出して、物質として固定化させることです。僕は手始めにそこからアプローチをし、繰り返し繰り返し、何度も実験を重ねてきたんです」

「それが《結命晶エージス》……そういうことね?」

「ご名答」


 実に嬉しそうにレイナードは笑い返した。


「さっきお見せした実験は魔法医学の類ではなかったんです。あれは治癒魔法なんかじゃない。一方の地鼠じねずみから《結命晶》を――時間を抽出し、もう一方に分け与える、そういう実験だったんですよ」

「凄い凄い! これって凄いことよね、レイ!?」


 はしゃぎ飛び跳ねながらヴァイオレットが歌うように何度も繰り返した。釣られてロザーリオまでお付き合い程度にジャンプしてみせる。だが、肝心のレイナードだけは浮かない顔をして表情を曇らせた。


「なんですけどね……この通り、喜んでばかりもいられないんです。僕のまったく予想していなかった結果が生まれてしまっているので」


 ぴたり、と動きを止めた二人は、再びレイナードの示す先にいる二匹の地鼠の姿に視線を戻した。


「んだよ? 素直に喜べばいいじゃねえか?」

「無理ですよ。抽出した《結命晶》を与えられた瀕死の地鼠が得たものは何だったのか、本当に分かっているんですか?」


 二つの頭がふるふると揺れた。


「――一つは、時間です。実験の際にダイヤルで設定した数字、〇・〇・一は、一年分であることを意味します。それを摂取したことで、間もなく死ぬ筈だった《運命の時刻》を無事回避することができた。そこまではいいんですが――」

「ねえ、まだ良く分かってないんだけど」


 ヴァイオレットは声を潜めて尋ねた。


「誰かから《結命晶》を貰ったら、その人の寿命がその分縮むってこと? 誰かが生きる筈だった一年分の時間を奪い取ることができるってことなの?」


 だとしたら――確かに喜んでばかりはいられない。

 彼女はそれが恐ろしいことだと思ったのだ。




 もしもこの《時間魔法》が公になれば、遅かれ早かれ力持つ者による寿命の搾取が始まるだろう。いいや、この世は悪人ばかりではない――そういう者もいるかもしれない。だが、それは動かし難い事実だった。




 不老不死、それは万人の願いだ。


 しかしながら、ヒトは不老不死になれるか――これもまた《魔法使いの論理的矛盾パラドックス》の一つであるとされている。


 自然界に生きるヒトもまた、五大元素で構成された存在だと言い換えることができる。であるならば、魔法によって、ヒトを生み出すことも消し去ることも自在であり、老いることなく永遠に生きながらえさせることも可能な筈、と言う訳だ。しかし実際には、幾多数多の魔法使いが挑んだものの、いまだ不老不死の魔法は実現できていなかった。




 いや――。


 実のところこの命題は、決して誰にも証明することができない《意地悪な論理的矛盾》とも呼ばれていた。




 限りなく寿命を延ばすことが可能になったとして、果たしてそれを不老不死と呼べるのだろうか。もし数十年後、数百年後に死んでしまえば不死ではない。数千年後ならどうか。途方もなく長命かもしれないが、やはり不死とは呼べないのではないか――故に、証明することを拒絶する《意地悪な論理的矛盾》と称されているのであった。




 だが、そもそもヴァイオレットが口にした恐怖は的外れなものだ。レイナードは首を振った。


「その心配は無用ですよ、ヴィー。抽出し、固定化している《時間》は《未来》ではありませんから。平たく言えば、これまで生きてきた時間です。寿命ではなく、生命力なのだ、と考えてもらった方が近いと思います」


 それも正解ではないんですけどね――だが、今は他に話すべきことがあった。


「――話の続きですが、問題はもう一つの方です。この地鼠君が《時間》以外に得たもう一つの物、これは僕の想定をはるかに越えたものです」


 脳内を占める思考をうまく言葉に変換できないことに苛立ったようにレイナードはかぶりを振った。


「いや、むしろ、僕の想定とは全く別の次元にある物だったんですよ! 何処まで行こうが進もうが決して到達できなかったであろう場所にあった物、力だったんです!」

「お前の考えは?」

「推論ではなく、空想ならできます」


 推論して、実験を行い、実証するレイナードにしては珍しい言葉のチョイスだ。


「この地鼠は、時間を制御している! つまりですね、《結命晶》を与えられた者は、時間を得るだけではなく、それを操る力、時間魔法をも獲得するってことなんですよ!」


 それからレイナードは、再び目の前の信じ難い光景を指さし、力説した。


「いいですか? もしさっきの実験で二匹の立場が逆だったら? 僕はすでに試しているんです。もう一方の地鼠が《結命晶》を与えられた場合には、彼はこの箱の中の空間の時間の流れを遅くすることができるようなんです。では、発現する時間魔法の種類は《結命晶》に依存する? これも試しました。別の一匹の《結命晶》を使っても、この二匹が獲得した時間魔法は変わりませんでした」


 硬く表情を強張らせた二人に向き直り、レイナードはこう締め括る。


「そこから考える限り、発現する時間魔法の特性は、個体そのものが最初から持っている、いわば個性だと考えられます。それしかない」

「うーん……」


 腕を組み、首を垂れて考え込んだままのロザーリオは低く唸った。魔法についてはちっとも理解できないロザーリオだが、今ここで、世界の根幹を揺るがしかねない事態が起きているという事実は分かっているつもりだ。




 だが――じゃあ、どうしたらいい?


 しかしレイナードのことだ。この先のことについてまるで考えていない筈はないだろう。ロザーリオはまずはそれを聞いてみることにした。




「お前はこれからどうしようと考えてる?」

「僕は」


 はじめに魔道機関を見、次にヴァイオレットを見てから、レイナードはこう告げた。


「僕はこれの正邪の判断を、イタレリアの神聖十字教団本部にいる《賢人会》に委ねようと思っています。皇国の庇護下に置かれているとはいえ、あそこはいまだに独立した永世中立国家ですからね。間違ったことにはならないと思うんです」


 グレイルフォード皇国による大陸統一の動きの中でも、すでに全ての人々の心の拠り所として存在していた神聖十字教――その聖地・ゴーラの丘のあるイタレリアは、決して何人からも侵されることなく戦火を免れ、今も一つの国家としての機能を果たしていた。そこに属する十二人の賢者・賢人たちからなる《賢人会》は、互いの利を求めず、争うことなく常に平穏な世界を維持するべく、日々議論と決定を執り行っている公平盛大な機関であった。


「確かにな……もうこいつは俺たちの手に負える代物じゃない。俺だってそう思うが――」


 ロザーリオもまた、ちらり、とヴァイオレットの方を一瞥した。だが彼女は、それを意見を求められているものと誤解したようだった。


「ん。具体的に言って、レイ。ただ行って、お話しすれば万事オッケーって訳じゃないんでしょ?」

「うん。そうだね、ヴィー」


 レイナードはすぐにも頷く。


「あの魔道機関をバラバラに分解して、イタレリアまで運んでいく必要があると思う。いずれにしたって彼らの目の前で再現してみせないと駄目でしょうから。あとは、設計図面やら実験の記録、そういった研究文献も一通り持って行かないと。万が一、組み立て直した魔道機関が動いてくれなかったらお手上げです。実は……あのう……むしろ、そっちの方が凄い量なんですけれど」


 ははは……と乾いた笑いを発したレイナードに、兄妹は呆れ顔と溜息で応じた。前途多難である。


「ま、仕方ねえか」


 それでも肩を竦め、快くロザーリオは請け負った。


「最後まで付き合うって決めちまったからな。何せ、大事な大事な親友様の頼みだ。それにこいつは、元々俺様の頼みでもあった訳だし」

「……どういうこと、ロッジ?」


 思わず滑らせた口元を押さえ、慌てて手を振る。


「な――何でもねえ! 何でもねえって!」

「やな感じ。この前から変よ、二人とも!」


 思わず顔を見合わせた。

 だが、口が裂けても、言えない。


「す、少し前にレイナードから話を聞いて、そいつは面白そうだヴィーの奴を驚かせてやろうぜ!って言ってただけだよ! それだけなんだって!」

「ですです!」

「ふーん……ま、いいわ、もう」

「お、俺は、竜車を手配してくる。そうだ。その前に、出発の日取りはいつにする?」

「早い方がいいでしょうね」


 レイナードはもう決めていた。


「三日後――その日の朝、出発しましょう」


 誰にも異論はなかった。



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