第八話 レイナードの魔法学講座

 ヴァイオレットが取り乱すのも無理はない。今見た出来事だっていまだに理解が追い付いていないというのに。まだ続きが――あるですって!?


「ああ、うん。勿論もちろん、これも見て欲しかったんですけど、まだ続きがあるんです、この実験には」


 そう告げたレイナードが促すまま、ロザーリオとヴァイオレットの二人は目の前に置かれた蓋のない木箱にもう一歩歩み寄り、黙して二匹の様子を見守ることにした。


 ――特に変わった所はない。


 くるくると互いの尻尾を追い駆け回しては立ち止まり、ふんふん、ふんふん、と可愛らしい仕草で鼻をうごめかせている。入れ替わり、また入れ替わり、もうどちらがどちらか分からない。やはり、特に変わった所はないように思えた。




 ひゅん!




「……ん?」


 何かが、おかしい。




 眉間に皺を寄せて、隣の、そのまた隣の二人を見つめると、どちらも今の自分と同じ表情をしている。


「今のは……何? 見た?」

「ああ、見たとも。解説を頼むぜ、先生?」

「もうちょっと。もうちょっとだけ見ていて下さい。今ここで何が起きているか、それが分かりますよ」


 仕方なくそうすることにする。




 ひゅん!

 ひゅひゅん!




「ねえ? 地鼠ってこんなに素早かったっけ?」

「い、いやいやいや! 素早いとか素早くないとかじゃないぞ、こいつは……!」


 やはり剣銃遣いだけに、ロザーリオの方は速さにとりわけ敏感なようだ。もう彼には分かっていた。


「こっちの一匹、ちょいちょい姿が消えてやがるぞ! どうなってんだ? 俺にはさっぱり……!」

「さすがロッジですね。驚きました。でも、正解は半分だけ、ですかね? 花マルはお預けです」

「じ――冗談言ってる場合じゃねえだろ!」


 ロザーリオはお道化てみせたレイナードに詰め寄り、低く声を押し殺して問い詰めた。


「こいつは、さっきの――何とか、って言う赤い石っころを飲んだせいなんだな? 傷が嘘みたいに治ったまでは良かったが……これじゃあ……!」


 ちらり、と妹に視線を投げたが、ヴァイオレットの方は目の前の光景に夢中で気付いていない。


「お前には、これがどういうことなのか、ちゃんと分かってるんだろうな? どうなんだ、レイ!?」

「う、うーん」


 がっちりと胸倉を掴まれ、ゆさゆさ!ゆさゆさ!と揺すられながら、レイナードは何とも歯切れの悪い返事をする。


「じ、実は、僕にも半分しか分かってないんです」

「よし。言ってみろ」


 解放されて無意識に乱れた襟元を整えながら、自分の理解できていることを話すことにした。


「では、最初から説明しますね?」


 ロザーリオは神妙な面持ちで頷き、その隣に今一つ状況が呑み込めていない様子のヴァイオレットが寄り添った。


「まずは僕がやっていた実験についてお話ししましょう。……と、その前に、二人は魔法学の基礎について何処までご存知ですか? 例えばですが――」

「さっぱりだ」


 首を振る剣銃遣いのロザーリオは当然の反応だ。


「ええっと……自然界に存在する五つの元素を素に、五つの系統の魔法がある、とかってアレよね?」

「いいですね! さすがはヴィーです」


 にこり、と微笑むレイナード。


「より高度な魔法術式を構成できる熟練した魔法使いであれば、その五つを組み合わせて、さらにその種類と効果を引き上げることもできます。しかしですね、それでも実現できていなかったこともあるんですよ」


 そこで言葉を切り、レイナードは木箱の載っている作業台の半分に点在していた書物やらペンやら小瓶やらを右手の肘から先を使って大きく掃くようにして端の方へと寄せた。幾つか床に落ちた物もある。そして構わず空いたそこに、紙屑をボール状に丸めた物を五つ置いてからレイナードは話を続けた。


「火・水・木・金・土、これが五大元素です。金というのは金属のことを示していて、文字通りの金以外に、銀や銅、鉄なんかもそうです。一方、ルビーやサファイヤのような宝石は、金ではなく、土に属します。ここまではいいですね?」


 こくり、二人が頷いたのを横目に、さらに続ける。


「それぞれがそれぞれの特性に応じた魔法の力を行使する源になります。そしてまた、任意の二つを組み合わせることで、単独の系統よりも強力な魔法を行使することができます。たとえば、火の系統の基礎魔法である発火ファイヤーと木の系統の基礎魔法・疾風ウィンドを組み合わせれば熱風ファイヤーストームとなり、その効果と範囲を増大させることができる、という理屈ですね」

「凄ぇんだな」


 それを口にするのが精一杯のロザーリオは、実を言うとこの時点で早くも理解が覚束おぼつかない。


「勿論、相性はありますから、闇雲に組み合わせても、効果が上がるどころか逆に下がってしまう場合もあります。例を挙げると、火と水は最悪ですね。互いに打ち消し合ってしまいますから」

「ふーん」


 合槌を打つヴァイオレットの方にはまだ余裕の色が見えた。というより、普段より雄弁なレイナードの顔を見つめ、面白がっているようにも見える。


「あとですね、元々この自然界は五大元素が互いにバランスを取り合うことで成立していますから、系統の組み合わせは最大でも四つになります。ただしそれは、まだ実験に成功した者がいません。通常は二つの系統の組み合わせで充分用が足りますし、三つ組み合わせるだけでも実験にかかるコストとリスクの増大は計り知れないほどになります」

「何だかド偉く大変そうだな、魔法使いってのは」


 ぽりぽりと頭を掻き、小難しい話続きにすっかり辟易へきえきしたようにロザーリオは呟いたが、


「だが、それよりだな……それでも実現できていなかったこと、って何なんだ? その五大元素様ってのが自在に操れるんなら、何だってできるんじゃねえのかよ? だって、この世の全てはそいつで構成されてるってんだろ?」


 そう言うと隣で目を丸くする者がいる。


「あら、驚いた! 案外、理解できてるじゃない」

「舐めんなよ。お前の兄様は天才なんだぜ?」


 それが真実かどうかはさておき、ロザーリオの指摘はもっともである。レイナードも頷いてみせた。


「理屈ではそうですね。難しかろうが何だろうが、この五つを組み合わせることでこの世の全てが再現できる筈なんです。ただし一つだけ、理論上ですら魔法で成し得ない事象があるんです」

「?」


 他に何が残っているというのだろう?

 レイナードはその答えを、ゆっくりと口にした。




「時間を――制御すること、操ること、です」



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