第二話 だいっっっっっ嫌いっ!!

「ふん、だ!」

「ね、ねえ、ヴィー?」


 怒り収まらず、ぷりぷりと先を急ぐヴァイオレットの背中に、おずおずとレイナードは声をかけた。


「な、何もあそこまでしなくっても……」

「いいのっ!」

「で、でも……」


 そう歯切れ悪くレイナードが喰い下がると、突如足を止めたヴァイオレットがいきなり振り返り、鼻先が触れそうな距離でまくし立てられた。


「いいって言ってるのっ! ねえ? あたしだって馬鹿じゃないのよ!? どうせ今日の約束なんて、すっかり忘れちゃってたんでしょ、レイ!?」

「あ……うん。実は……ええと……ごめん!」


 ごっ!


 しどろもどろになりながらも、謝らないと!と予告もなくレイナードが頭を下げたせいでおでことおでこがぶつかり、目の前に星が散る。額をさすりさすりしながら、ヴァイオレットは唇をとがらせた。


「痛たた……もうっ! 気を付けなさいよ!!」

「ご、ごめん……痛かった?」


 おずおずと伸ばした手をぱしり!と跳ね退けられながらもレイナードは言った。


「でも……そこまで分かってるんなら――」

「だからよ! だからなのっ!」


 ばつん、とレイナードの科白は両断された。


「ああやって、自分が悪者になれば万事オッケー!って考えちゃうロッジが大っ嫌いなの! 悪いのはレイじゃない! ホント、あったまきちゃう!!」

「あ……あははは……」

「へらへら笑ってんじゃないわよ! 実験馬鹿!」

「あ……はい、仰るとおりです……ごめんなさい」


 しゅん、とするレイナードを見て少したじろいだ表情を浮かべたヴァイオレットだったが、その反面、いい気味よ!とでも思ったのだろう、胸の前で尊大に腕を組み、ふん、と鼻を鳴らしてことさら大袈裟に拗ねてみせた。


「どーせどーせあたしなんか、最後に決まって爆発する実験よりも興味の湧かない存在ですよーだ! ……ね、レイ? そろそろ教えなさいよ。何のための実験をしてるのかってこと?」

「あう……それはですね――」






(絶対に――言うなよ? 言ったら殺してやる)






「ひ、秘密ってことで……はい」


 じろり。


「……ふーん。またロッジの差し金ってこと?」

「そ、それは違いますっ!! 絶対にっ!!」




 時間が止まった。




 思わずそう錯覚してしまうほど、今日まで見たことも聞いたこともなかったレイナードの絶叫に似た大声を正面から浴びせかけられ、ヴァイオレットは表情を失くし、言葉を失くしてしまった。


 やがて、瞳が潤み、


 ――と、その前に、ぷい、とそっぽを向く。


「な、何よ、馬鹿……。そんなに怒らなくってもいいじゃない……」


 細い肩と華奢きゃしゃな背中が震え、ヴァイオレットは顔を伏せたまま、怒鳴り散らす。


「馬鹿馬鹿馬鹿っ!! ロッジもレイも、みんな大っ嫌い! こんな物……一生懸命早起きしてまで作ってたあたしも……だいっっっっっ嫌いっ!!!」

「ま、待ってよ、ヴィー!」


 ぐしゃっ!


 追い駆け、抱き留めて弁解しようとしたレイナードの胸元に投げつけられたバスケットのふたが開き、中に丁寧に詰め込まれていたサンドウィッチがそこら中に散乱した。そして、レイナード自身も、足元に落ちた空になったバスケットのに足を取られ、見事にひっくり返ってしまう。


 そのことに一番驚いたのは、当のヴァイオレットだったのかもしれない。


「――!」


 だが足を止めたのはほんの一瞬で、一層表情を歪めると、その場にレイナードを残し何処かへと走り去ってしまった。為す術もなくその背中が見えなくなるまで見つめていたレイナードは、やがて、ごろり、と寝返りを打つように木々の間から覗く青空を見上げた。


(どうして……僕たちはこうなってしまったんでしょうね……)


 原因は分かっている。


 だからこそ、その原因を解消すべくレイナードはこうして実験に没頭する毎日を過ごしているのだ。






 なのに――。






「……ほれよ。つかまれ、レイ」


 込み上げる感情を隠し誤魔化すように顔の上に載せていた腕をどけると、そこにはロザーリオがいて、むっつりと顔をしかめたまま手を差し出していた。


「ありがとう、ロッジ」

「ロッジと呼ぶなって、馬鹿。……知ってるだろ? 今や俺様は、泣く子も黙る凄腕の剣銃遣い、ロザーリオ=ザ・ボウイ様なんだぞ? それをお前――」

「ごめんごめん」


 詫びつつ、ロザーリオの腕を借りて立ち上がる。


「君が、レイ、だなんて昔みたいに呼ぶから、つい。それに僕やヴィー――あ、いや、ヴァイオレットにとって、いつまで経ってもロッジはロッジだもの」

「喜んで良い奴か、それ?」


 照れ臭そうに鼻先を掻き、それから急に真面目腐った顔付きをして、握る手に力を込める。


「で……まだなのか? まだ完成しないのか?」

「………………ごめん」

「言葉で簡単に謝るんじゃねえ!!」


 吼え、自ら引き起したばかりのレイナードを力任せに突き飛ばしたロザーリオは、再び転倒する親友に目もくれず、怒りと苛立ちを拳に込め、そばに立っていた古木に叩きつけた。


「糞っ!!」


 皮膚が裂け、血が滲む。

 それすら意識の片隅にもないようだった。


「もう時間がないんだ! それはお前だって――」

「分かってる」


 よろよろと立ち上がったレイナードは、彼らしくない堅く厳しい口調でロザーリオの怒声を遮った。


「僕がヴィーを助けるから。この命に代えても」


 う、と思わず気迫に怯んだロザーリオだったが、


「それじゃ困るってんだよ、馬鹿。俺がヴィーに殺されちまうだろうが……死なねえ方向で頼むぜ?」


 独り言のように呟き、それを耳にしたレイナードが、きょとん、と首を傾げた。


「……え?」


 はぁ……。

 ここまで来ると、溜息しか出ない。


「ホント、お前……実験以外はからっきしな?」

「え? え?」

「だあああああ! もういい! もういい!」


 宙に浮かび上がった馬鹿げた考えを消し去るようにロザーリオは大きく両手を振った。この朴念仁ぼくねんじんにいくらレディとの正しい付き合い方をレクチャーしたところで物になるとも思えない。レイナードの頭の中には、実験!実験!実験ッッッ!しかないのだ。


「嘘じゃないんだ。けれど……」

「馬鹿。分かってるって。俺はお前の親友だぜ?」

「うん……」

「だが、もう時間がないってのも分かってるよな? このままじゃヴィーの身体は……じきに《神像化》が始まっちまう……」




 ロザーリオ・シープヘッド。

 ヴァイオレット・シープヘッド。

 そして、レイナード・ニーディベルン。




 この三人の少年少女の平穏な日々を一変させてしまった原因は、《神像化》――つまり、いまだ治療法の確立されていない奇病、のせいだった。



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