4.追憶と回想(1)――バフル村の片隅で
第一話 ピクニックは楽し
「レイナード! レイナードォォォ!」
実に良く通る声だ。
しかし返事はなかった。
「ったく……今日はピクニックだって言っといたじゃねえか。一体、何処うろついてやがるんだ?」
つんつんと
「もう。決まってるじゃない、あそこでしょ?」
「だよな、ヴィー」
「ちょっと! その呼び名は嫌って言ったよ!?」
「あー。はいはいはい、済みませんでした、ヴァイオレットお嬢様。おお、俺の可愛い可愛い妹よ!」
「ぜんっぜん分かってない! 怒るよ、ロッジ!」
「おいおい。ロッジはねえだろロッジは。仮にも俺は、お前の兄貴なんだぞ?」
「はぁい、お兄様」
「ったく……」
呆れたように鼻先を弾く。しかし、そう悪い気はしないのも事実だった。何せ、可愛い可愛い妹様だ。しかしこの自分を掴まえて、ロッジ、などと呼ぶのはこのヴァイオレットくらいである。
いや――もう一人いたな。
その肝心なもう一人を、これ以上待っても無駄だと分かっている二人は、どちらともなくその者のいるであろう森の奥にある一軒家へと歩み出した。
「ほれ」
「?」
先頭に立って歩くロッジが、振り返りもせずに左手を突き出した。が、ヴァイオレットはきょとんとしたままだ。痺れを切らして振り返るとこう言った。
「持ってやる、って言ってんだよ。それ、あいつのために作ったんだろ? 落としたら台無しだ」
「ば――っ!!」
ヴァイオレットは目を白黒させて真っ赤になった。
「ばばばばっかじゃない!? これは、三人でお昼に食べる分に決まってるでしょ!? ななな何であたしが、あんな実験馬鹿のためだけに作ってあげないといけないのよ!? 信じらんない!!」
だが、言葉とは裏腹に、
「あ……!」
「あ、じゃねえだろ……。だったらとっとと寄越せ。俺の分も入ってるってんなら、ますます落としてもらっちゃ困るんだ。喰いっぱぐれるのだけは避けねえと。……ったく、ツンデレ娘が。素直じゃねえ」
「………………何か言った?」
じろり。
「何も言ってない言ってない!」
ふう、おっかねえ。
三つも年下だというのに、女って生き物は怖い。
おまけに地獄耳だ。それもこれも、約束の時間に来ないあの実験大好き馬鹿魔法使い(見習い)――略して大親友がいけないのだ、とロッジ――ロザーリオは、むすり、と顔を顰めた。その大親友の家はもうすぐそこに見えている。だが、二人はそこで示し合わせたかのように、ぴたり、と足を止めた。
「……何よ?」
「いやいやいや。お前、行けって」
「そういうお兄様こそ行ってらしたら?」
「今日はお前に譲ってやる。ほれ、行け」
「や」
「や、って……糞! また俺か? この前も――」
じ・ろ・り。
「はいはいはい! 行きます! 行きますよってんだこの野郎! ……こら、レイ! いつまで――」
預かっていたバスケットを再びヴァイオレットに渡し、やけくそ気味に喚き散らしながら全力疾走して行ったロザーリオがこじんまりとした家の木戸に手をかけ、ばたん!と閉めたそのきっかり五秒後。
ぶもんっ!!
突如、炸裂音があたりに響き渡り、驚いた鳥たちが梢から澄み渡った青空へ向けて一斉に飛び立っていった。
ぎ――ぎ。
淀んだ黒煙を伴って弱々しく木戸が開き、最後に、かくん、と斜めに傾いだ。
あまり驚いた表情をしていないヴァイオレットがそこに視線を戻すと、二つの人影が登場する。
「いやあ、またやってしまいました……あははは」
「あははは、じゃねえええ! 毎回々々――ごほ!――迎えに行くたび、大爆発に巻き込まれる――ごほごほっ!――こっちの身にもなれっての!」
どっちがどっちの肩を支えているのか、傍目には仲がよろしそうに出てきた二人はさっきの爆発のせいで全身煤だらけ、真っ黒である。それを少し羨ましそうに見つめながら、ヴァイオレットは漂う煙を嫌うようにハンカチで口元を押さえながら尋ねる。
「……で? 今回も失敗?」
「うーん……どうでしょうか……? で、でもっ! かなりいいところまではいきましたよー!」
「あー……うん。失敗、ってことよね」
はあ……溜息しか出ない。
いつもどおりだ。
「……ねえ。それより、レイ? 今日って何の日だか覚えてる? ま・さ・か、忘れてないわよね?」
じ・ろ・り。
「え……えーと……その……」
実を言うと。
さっぱり忘れてしまっていたのだ。
だが、長年の付き合いであるヴァイオレットにこのまま隠し通せるとも思えない。じきに彼女の口元がひくつき、鋭く細められた目の端に涙が、ぷつ、と沸き出した刹那、
「あああああ! や、やっべええええええ!!」
大声を出し、頭を抱えたのはロザーリオだった。そのまますぐ隣のレイナードの肩をがっちりと掴むと、ゆさゆさ、ゆさゆさ!と揺さぶり始める。
「お、おい! 俺、お前に今日のピクニックのこと、話すのをすっかり忘れちまってたんだ! まずった……本当に! 本当に済まない! 許してくれ!」
「え……いや……でも……!」
レイナードはすっかり仰天してその言葉を否定しようとしたが、感極まったロザーリオに息が止まるほどの抱擁をされたかと思うと耳元で囁かれた。
(馬鹿。話を合わせろって。ヴィーはお前と出かけるのを物凄く楽しみにしてたんだぞ。忘れてた、だなんて、絶対に言うんじゃねえ……分かったな?)
(う……うん。でもさ――?)
しかし、それ以上の科白は口に出せなかった。半ば押し退けるように身を引き剥がしたロザーリオは、綺麗な放物線を描く跳躍とともに肩を震わせ睨み付けているヴァイオレットの足元に着地したかと思うとそのまま渾身の土下座をしてみせた。
「これは俺のせいだ! 本当に、本当に済まん、許してくれ、ヴィー!」
俯き、肩を震わせるヴァイオレットは、しばらく目の前で平伏したままのロザーリオを睨み付けていたが、
「その呼び名! 嫌って言ったじゃない!」
げしっ!
「おぅふっ!」
「済まん、じゃないわよ! 楽しみにしてたんだから!」
げしっ!!
「おぅふっ!」
今日の妹様、容赦ねえ……!
次々に繰り出される踏みつけを後頭部に喰らいつつ、それでもロザーリオは耐え続けた。何だか少しだけ、気持ち良い感じも――いやいやいや!
「もうっ! 馬鹿ロッジ! だいっっっ嫌いっ!」
げしぃっ!!!
「おぅふっ!!」
妹よ……。
兄のHPはもうゼロよ……。
そこでロザーリオの意識はブラックアウトした。
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