第九話 貴女に覚悟はありますか?

「――っとっと! 肩を貸すから、まずは座って」

「……申し訳ございません」


 ぎこちなく宣言通りに身体を支えたブリルに半分だけ体重を預け、今しがた跳び起きたばかりの薄いベッドの上に、メイベルは再び腰を降ろした。


 ぎし……ときしむ。


「レイ様たちは――?」


 メイベルはすぐにも尋ねた。普段は敢えて立ったままの姿勢を貫いている長身のメイベルだけに、こうやって肩を落として座っていると、何だか親とはぐれてしまった子供のように心細そうに見える。


「まだ……ね。でも、大丈夫よ、きっと」


 ブリルは首を振った。


「キャンディアちゃんが怒って飛び出して行ったすぐ後からレイ君は追い駆けて行ったんだから。まあ、とっくに連れ戻してきててもおかしくないんだけど、何処かで喧嘩の続きでもしてるんじゃないかしら? まったく――」


 子供なんだから――と、ブリルは他愛もない出来事のように薄く笑ってみせたが、そんな風に簡単に解決できるとは、彼女自身、微塵も信じていないのだろう。ときおり曇った窓ガラスの向こうに視線を泳がせているのは途轍とてつもなく不安だからであり、ざわざわとした予感めいた何かが消えないからだろう。


 それでもそんな科白を口にしたその訳は、自分以上に不安で堪らない様子のメイベルを、少しでも安心させたい、そう思っているからに違いなかった。


「まずは、メイベルの体調を元通りにするのが先でしょ? それから二人で探しに行くの……いい?」

「……はい」


 愁傷しゅうしょうに答えるメイベルが妙に可愛らしく思えてしまって、ぷっ、とブリルは堪え切れずに噴き出した。それを、じろり、とメイベルが睨む。


「ご、ごめんごめん! 茶化すつもりはないってば。……でもさ、メイベルって本当に主人思いなのね」


 何気なく言ったところで、




「……主人? 誰のことです?」


 意外にも、メイベルはわずかに首を傾げた。




「え? い、いやいや、レイ君でしょ?」

「………………ああ。なるほど。そちらですか」

「?」


 合点がいったとばかりに頷いたメイベルの様子に、逆にきょとんとするのはブリルの方である。


「何よ、他にも主人がいるって反応するのね?」

「……」


 メイベルは、今度は口をつぐんで答えなかった。


「ねえ? そもそもメイド連れの二人旅をしているレイ君って、何処かの貴族の子息か何かなの? 物言いは丁寧だし、頭が良いし、誰にでも優しいし」


 いや――ついさっき、そうではない一面を垣間見たばかりではないか。


「ううん……そうね、さっきのはある意味、凄く貴族っぽい考えなのかもしれない。いつも正しくあれ、高潔であれ、って奴。そう考えたら、しっくりくるかもね」


 ほんの少しの腹立ちを溜息に変えて吐き出し、ブリルは唇を尖らせて皮肉めいた物言いをする。


「――でも、この世は綺麗事ばかりじゃない。真っ当に生きていても、理不尽なことなんていくらでもあるわ。だからこそ、たとえ無駄だと分かっていても貫きたいものが誰の心の中にもあると思うのよ。きっとキャンディアちゃんにとっては、それがお兄さんの仇を討つことだったんだ。それなのに……」


(あんな風に言わなくっても……可哀想じゃない)


 ブリルとて、レイが言いたかったことは分かっているつもりである。

 しかし、当然のようにメイベルは首を振った。


「……貴女はレイ様のことを知らないから、そんな風に仰ることができるんです、ブリル」

「そうよ、悪い?」


 さすがに気力も体力も万全でないメイベルは喰ってかかるような真似はしなかったものの、丸眼鏡の奥からとがった視線を向けてくる。だが、苛立っているのはブリルだって同じだ。その視線にひるむことなく真っ向から受け止めつつうそぶいた。


「だって、知らないんだもの。何も話してくれないんだもの。……だったら、仕方ないでしょ?」

「……」

「いまだにあなたがノーマン・ガナーって剣銃遣いのフリをしている理由だって教えてくれないじゃない。あの《決刀》の時にどんな手品マジックを使ったのか、その種明かしだってしてくれないじゃない。それでもあなたは言うのよね? 何も知らない癖にって」

魔法マジック……ですか」


 メイベルがそう意味深に繰り返すと、ブリルは苛立ったように露骨に顔をしかめた。


「そこじゃないってば。魔法ってのは物のたとえよ」

「いえ――」


 メイベルは静かに首を振った。


「案外、あなたの言葉は核心を捉えていますので」






 ――沈黙。






「ちょ……それ、どういう意味?」


 不安そうに聞き返すブリルを置き去りにして、それ以上何も言わずに心底辛そうな緩慢な動作でメイベルは薄いベッドの上に身体を横たえた。起きているのも辛い、そう見える。そうしてしばらくはただじっと天井を見つめてから、ゆっくりと口を開いた。


「……一つ、伺ってもよろしいでしょうか?」


 ブリルは無言で頷く。

 それをわずかに向けた目の端にとらえ、メイベルは再び天井の一点を瞬きもせず、じっと、見つめる。


「貴女には、何処までのお覚悟がおありなのでしょうか? 私にはそれが分からない――まだ確信が持てないのです」

「覚悟?」

「そうです」


 頷き、再び視線を戻す。


「貴女はご自身を、新聞記者だ、と仰いましたよね。どうしてそんな道を選ばれたのです? 私の知る限り、女の身でその職を選ばれるのは稀かと」

「うーん……」




 改めて聞かれると、正直に答えて良いものか迷う。




 夢は劇作家になること――最初の頃は、新聞記者という職はそのための足掛かりに過ぎないのよ、尋ねられればブリルはそう答えていた。


 しかし最近は、そうではない、と思う自分もいる。


 この不思議な力を持つ目があるから――能力に目覚めてから、そう考えていた自分もいた。忘れたくても忘れられない記憶――記録ならば、せめてそれを文字にして記事にして、誰かに伝え残したい、それが天から与えられた使命なのではないか、そう思っていたこともある。


 だが、それもまた、何処か違う気がしていた。




「真実を知りたいから……かも知れない」


 不意に頭をよぎった思いつきだったが、何だかそれが一番しっくりした。


 しかし、ブリル以外の者にとっては、その真意までは理解しにくいだろう。思った通り、メイベルは口の端を歪め、嫌そうな顔をする。


「好奇心――はぁ……その程度ですか」

「ううん、そうじゃない。そうじゃないんだよ」


 恥じたように薄く笑い、ブリルは首を振った。


「誰の目にも見える綺麗事だけじゃなくって、本当のことを知りたいの。たとえそれが酷い間違いだったり、人の道を外れたことであっても、真実、ただそれだけを知りたいの――」


 慎重に言葉を選り抜きながら話すブリルの邪魔をメイベルはしなかった。瞬きもせずに天井を見つめたまま、一言も聞き漏らすまいと耳を傾けている。


「悪い物から目をそむけて、この世界の都合の良い部分だけを見ているのは嫌。嫌なの。すべてを知ることで初めて、私自身が今ここでどうすべきかを決められるんだと思うんだ。誰かに言われたことじゃなく、誰かが決めた道じゃなく、あたしのことはあたしが決める。そのためにも、あたしは真実を知りたいの。こんな理由じゃ……駄目?」


 答えはなかった。


 そっと目を閉じているメイベルの吐いた細く長い息を寝息だろうとブリルが勘違いしかけたところで、ぱちり、と開いたメイベルの瞳が、じっ、とブリルを見つめていた。


「いいでしょう。それが貴女の覚悟だと言うなら」


 その視線は再び天井の一点に向けられる。


「……いずれはそうしなければいけなかったのです。貴女はすべてを知れば良い。そして、決めるのです。ここから元の世界へ帰るのか、この先へと進むのか。レイ様の背負う物がどれ程重い物なのか、それを知り、それでも共に進むと仰るのであれば、もう私はお停めしません。ですが――」


 すっ、と視線がブリルを捉え、感情の乏しい瞳に彼女の不安げな表情が映し出された。


「決して後悔だけはなさらぬよう。聞かなければ良かった――そんな科白だけは口にされないと、今ここで、確かにお誓いくださいますか?」

「……誓うわ」

「それは心の底からのお言葉と受け取っても? 貴女が大切にする何かに誓えますでしょうか?」


 少し考えてから、ブリルは真剣な面持ちで答える。




「この世のすべてのショタに誓って」

 どちらも、くすり、ともしなかった。




 そうして、メイベルはゆっくりと語り始めた。



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