第四話 ブリルのそこはかとなく良くない目覚め

 ゆさゆさ。

 すーすー。




 ゆっさゆさ。

 すーすー。




 絶え間ない一定のリズムの振動とやけに寒々しい妙な感覚に、ブリルの感覚は徐々に平常運転になりつつあった。


「あ……あう……」


 何故か呂律が回らない。

 息を吸ってから喋り直そうとして、不意に、ずきん、とした痛みを頭部に覚えてブリルは顔をしかめた。


「痛っ……痛たたた……」

「ブ、ブリル! 良かった! 目が覚めた!」


 この声は――。

 眩しそうに目を細めて見つめると、そこには心配そうながらも嬉しそうに微笑む少年の顔がある。


「あ……あれ……? レイ……君……?」

「そうですそうです! 僕ですよー!!」


 銀灰色の髪を揺らして何度もうなずく。それからレイは少し済まなそうに言葉に詰まりながらも言った。


「あの……本当に済みませんでした。あれはわざとじゃないんです。勢い余ってといいますか……」

「ん……? 何のこ――」






 思い出した!






「ちょ――!」


 がばっ、と予告なくブリルが身を起こしたせいで、危うくぶつかりそうになったレイは慌ててる。


「あいつは何処っ!? 何であたしまでぶっ叩かれないといけないのよっ!」

「え……えーっと……」


 ぽりぽり、と頭を掻きながらレイが済まなさそうな表情であさっての方向を見上げてから続けて言った。


「ノ――ノーマンは、剣銃の扱いがあんまりうまくなくってですね……あ! 危ないですってば!」


 唐突にレイが揺れにバランスを失いかけたブリルの身体に飛びつくようにして抱き留める。


「今、竜の上です。落ちちゃいますよ?」

「あ、ありがとね。えっと……これって……」


 見ると、どたどたと騒々しい音を立てて疾駆するこの竜は《四つ足》だ。ブリルは《視た》。だから覚えていた。


「あいつらのじゃない……! もしかして、拝借してきちゃったの?」

「え、ええとですね……」


 言いづらそうにレイは鼻の頭を、ぽり、と掻いた。


「あの方たちから、どうぞ使ってください、と申し出があったので、遠慮なく使わせてもらいました」

「……ぷっ。レイ君ったら嘘が下手。可愛いっ!」

「ほ――ホントですってば!!」


 顔を真っ赤に染めて、どぎまぎしながらレイは慌てて手を振る。そのやりとりをさすがに見かねたのか、前方で手綱を握る手に力を込めてメイド姿の女が口を差し挟んできた。


「……ラブコメの波動を感じます」


 が、


「ああ! いた! あんたねええええええ!!」


 背中からでもそれと分かるポーカーフェースを認めると、ブリルはいきり立って声を荒げた。


「どうしてあたしまでぶっ叩いたのよ!? 超痛いんですけどっ! これ、どうしてくれるのさ!!」

「ち、ちょっとブリル――!」


 レイは慌てふためいてブリルの振り上げた右手に飛びついた。


「違います。違うんですよ? あれはノーマンがやったことで――!」

「無駄ですよ、レイ様」


 しかし、メイベルはレイの科白をさえぎり、溜息と共に告げた。


「もう、そこのショタコンお嬢様に《視られて》しまいましたから。……違いますか?」


 最後の一言はブリルに向けたものだ。


「そういうこと」


 ブリルは二人に向けてそれぞれ頷いてから言った。


「ああして何度も宙を舞ってたら、あたしじゃなくてもいつか気が付くと思うわよ? むさ苦しい男の筈の黒衣の剣銃遣いの外套がいとうの下から、メイド服のスカートと、そのさらに奥にある白いドロワーズがチラ見えでもしたら、ね」

「で、でも、今までは――」

「かもしれない」


 あわあわと狼狽した様子で無意識に今の指摘が事実だと認める科白を漏らしてしまったレイの様子に苦笑しつつ、ブリルは続けた。


「でもね? それって、レイ君とノーマンの二人旅なんだ、って思わせてたからでしょ? もう一人、この――糞メイドがいるって分かってたら、ひょっとして――って思うんじゃないかしら?」

「あ……」


 確かに。今まではずっとそうしてきたのだ。

 レイは予想以上に、しゅん、と気落ちした様子で肩を落としている。胸が締め付けられる思いだった。


「ねえ、レイ君?」


 ブリルの意志なんてとっくに決まっている。


「これ、秘密……なんでしょ? 大丈夫、あたしはどんな酷い目に遭わされたって言わないから。拷問されたって墓場まで持って行ってあげる。あげちゃうんだから――絶対に。だからね……?」


 そこでブリルは、秘密を共有するものだけができるウインクを一つしてみせた。


「そ・の・代・わ・り。……あたしも連れて行って欲しいんだけど? ううん、大丈夫だってば。答えがノーでも言わないから………………多分だけど」


 呆気に取られて見つめる中、ブリルはもう一度レイに向かってウインクをしてみせた。レイはしばし茫然としていたが、やがてぷくーと頬を膨らませる。


ずるいですよ、ブリル……」


 ぷしゅー、と息を漏らして声を張り上げた。


「そう言われたら、僕、イエス、って答えるしかないじゃないですか! そんなの狡いですっ!!」

「――レイ様」

「しようがないでしょ、メイベル!」

「はあ……。いやはやまったく――」

「そ――そうよ、それっ!!」


 そうだ、この台詞だ。


(このメイドに復讐しなければっ!)


 勇んで揺れる竜上で立ち上がろうとして、


「ひゃん……っ!」


 唐突にハートを散りばめたような乙女チックな悲鳴を上げてブリルはへたり込むと、大慌てでスカートの裾をあらかた押さえつけた。


(な――何でー!?)


 ちらり、と横目でレイを見つめると、視線を反らされてしまった。


「あ、あのですね……」


 ぽりぽりと口元を人差指で搔きながらレイは言う。


「ち、ちょっと僕の口からは申し上げにくいのですけれど……」


 そこでメイベルが口を挟んだ。


「……やーいやーい。お漏らしショタお嬢様ー」

「こ、こら! メイベルっ!」

「だってー」


 無感情なメイベルの科白に追い打ちされ、見る間にブリルのデッサンの崩れた顔は真っ赤に染まる。


「~~~~~っ!」

(恥ずかしい恥ずかしいっ! もう死にたいっ!)




 そうか、あの時――。


 ノーマン――いや、メイベルの振り回した剣銃の柄により頭部を殴打されたブリルが、徐々に薄れゆく意識の中、妙に幸せなまどろみの暖かさに浸っていたあの時、彼女の弛緩しきった筋肉は膀胱と呼ばれるダムの放水を遂に決断し、彼女の足の付け根のあたりもまた、比喩表現でも何でもなく暖かさに包まれてしまっていた、ということだろう。






 つまり今は――ノーパン……だと……!?






「ううう……。レイ君………………見たでしょ?」

「見てません見てません見てません!」


 今度、真っ赤になるのはレイの方だった。


「今も! あの時も! ぼぼぼ僕は何も……!」

「……絶対見たでしょ? 男の子だもんね……」

「見てないですってばあああああ!!」

「ホ・ン・ト・にー?」


 何だかちょっと面白くなってきたブリル。


 ぴらっ。


 そこにちらちら視線が向けられているのを分かっていながら、わざとスカートの裾を跳ね上げてみる。


「わわわわわっ!」


 すると案の定レイは、熟れた果実ごとく赤々となった顔を、ぎゅんっ!、と勢い良くあさっての方向へと向けた。


「見てない! 見てないです! 見てませんっ!」

「はあ……。いやはやまったく――」


 やりとりに加われないことが不満でもあるらしいメイベルは溜息を吐くと、手綱を握る手を緩めず前を見据えたままで告げた。


「殺されないうちに即刻破廉恥はれんちな行為を止めなさい。そこのノーパン露出狂お漏らしショタコンお嬢様」

「呼び名長いわっ! いちいち丁寧かっ!」


 がるる、と噛みつかんばかりに唸りを上げたブリルの顔に、出し抜けに白くて柔らかい物が、ぽすっ、と投げつけられた。


「?」


 顔の前に掲げて少し広げようとして――。


「――!?」


 大急ぎで手品のパームのように手の中にあらかた握り込んで隠してしまうと、涙目になった瞳でブリルは前を向いたままのメイベルの背中を睨み付けた。


「これ……ううう……」

「ええっと……」


 それきり説明しようとしないメイベルの代わりに、おずおずとレイが切り出した。


「あのですね……あれでも、メイベルなりに済まないと思っているんですよ。だから、濡れたブリルの、し、下着は、メイベルが嫌な顔一つせず優しく丁寧に洗ってくれましたから、もうすっかり乾いていると思います。ぼ、僕、後ろ向いてますから、み、見ませんから……ど、どうぞ、遠慮せず……」


 そう言い終えるとレイは、宣言通りに両手で目を塞ぎ、進行方向とは逆の方に身体ごと向けてじっとしている。


「あ……うん」


 断りづらい……。

 定員四名の《四つ足》とは言え、竜の背中のスペースには限りがある。メイベルのトレードマークにもなりつつあるあの大荷物を含めればなおさらだ。


「じ、じゃあ、早速――」


 ブリルは渋々行動に移そうとしたものの、バランスの悪いこの状況で立ち上がって片足ずつ交互に履こうとするのはいかにも愚策に思えた。無様にひっくり返ろうものなら恥の上塗りだ。


「んしょ……ん……」


 しようがない。座ったままでやろう。


「……ふう」




 履けた。




 が、妙にすーすーするのは何故か?




 そろそろと自分自身のヒップの曲線をゆっくり指でなぞってみると――。


「うぉぅい! 大穴開いてるじゃねえか!?」

「……し、仕方ないでしょう。やわだったんです」


 珍しく言いづらそうに言い訳をするメイベル。


「もー! どんだけ馬鹿力なのよっ!」


 どう洗濯したら、どんなヒップでも包み隠せる新品同様のパンツに穴を開けることができるのか。メイベルのメイドらしからぬ振る舞いに怒るどころか呆れてしまった。


 そして一行は次の町、オールドバニーに到着する。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る