第七話 ショタコン――それは不治の病


「あ、自己紹介が遅れましたね」


 少女の心の叫びを知ってか知らずか、少年は姿勢を正して精一杯胸を張ると、そこに右手を添えるようにして礼儀正しく会釈をしてみせた。


「僕の名前は、レイナード・ニーディベルンと言います。気軽に、レイ、と呼んでくださいね。彼女は……ああ、さっき言いましたね、メイベルです」

「よろしくお願いいたします」


 メイドはくるぶしまで伸びる丈の長いスカートを摘み、わずかに引き上げて膝を折るようにして会釈をする。が、その細く切れ長の瞳には、無粋な邪魔をした少女への敵意が少なからずこもっているような気がするのは気のせいか。


 それにしても――。


 改めて相対すると、このメイド、かなり背が高い。少女より頭一つほどは大きいだろうか。かたわらの少年が小柄ゆえ、余計にそれが強調されていた。


 おまけにかなりの巨乳だ。


 思わず羨望と嫉妬の入り混じった思いで、自分の薄っぺらい胸とまじまじと見比べてしまったくらいである。


「――ふ」


 くっそおおおお!

 こいつ、今、笑ったろ!


 目の前のメイドの見事なまでのポーカーフェイスは相変わらず毛筋ほども崩れていなかったものの、ほんのわずかだけ口の端が、きゅっ、と引き上げられたのに気付いてしまった。


「で……ですね」


 そんな静かで不毛な戦いが今なお目の前で繰り広げられていようとは気づきもしない少年は、そわそわと少女に問いかける。


「お姉さん……のお名前をうかがっても?」

「あ。あー、そうだったよね」


 本来であれば今のように、男性から問われるまで名乗らないのが淑女のルールである。しかしそうするまでもなく、名乗っておくべき事態を引き起こしていたことを思い出した。


「あたしはブリル――ブリル・ラウンドロックよ。さっきはごめんね。怪我がなくてホント良かった」

「い――いえいえ! お姉……あ。ブ、ブリルさんがかばってくれたおかげで僕は全然平気でしたし」

「もー。さん、は無しでいいって! 気安く、ブリル、って呼んでね、レ・イ・君・!」

「そ、それは……」


 とは言え、自分より年上の女性を呼び捨てにするのは気が引けるらしい。見たところ、ブリルの歳は二〇歳前後だろう。つまり、レイの倍は生きている年長者なのである。それでもおずおずとレイは呼んでみた。


「じ、じゃあ……ブリルおねえちゃん?」

「はうっ」

「……?」


 矢で射抜かれたように胸を押さえたブリルを、レイは不思議そうに、メイベルは怪訝けげんそうにじっとりと見つめている。訳が分からず傍らに立つメイベルを見上げると、長身のメイドは溜息を吐きながらレイに説明してやった。


「……レイ様。このブリルなにがしというお嬢様は、不治の病にかかられているようです」

「ええっ!?」


 駆け寄るべきか、離れるべきか、おろおろし始めるレイの肩に手を置き、その腕の中で守るように軽く引き寄せながらメイベルは優しく続けた。


「大丈夫、大丈夫です。伝染うつることはありません。……ただし、完治することもないでしょう。その恐るべき病の名は『ショタコン』と言いまして――」

「うぉうい!」


 ストレートに言われるとさすがに泡を喰う。


「だだだ誰がショタだっつーの! やめてやめて! 幼気ない少年にいらんこと吹き込むんじゃねえ!」

「し……しょたこん?」

「そうです」


 うなずくメイドの表情が真顔すぎて、怯えたレイが、ごくり、と唾を飲む。

 やがてメイベルは静かに語り始めた。


「その忌むべき病の名の由来は、かつて児童文学として広く少年少女たちの間で流行した『二十八番目の鉄巨人』という物語に登場する、ショーター=ロー=キャネディという主人公の少年の名によるもの、と言われておりまして」

「あーあー! 聴こえないいいい!」


 つーか、詳しいな、こいつ!

 もちろんあたしも知ってるけども!


 両手で耳を塞ぎ、歌うような大声を出そうとも無意味だった。メイベルは淡々と説明を続けた。


「少年・ショーターはただ一人、父が作りしその鉄巨人――ゴーレムと心を通わせ、意のままに操ることができたのです。ショーターと鉄巨人は力を合わせて蔓延はびこる悪人たちを退治し、やがて町に平和を取り戻す、そういう勧善懲悪的なお話でして」

「ぬおおおおお! やめろおおおおお!」

「いやはやまったく。ショーターは少年の純粋さと尊さを象徴する存在だと言えるでしょう」

「ぎゃああああ! わーわー! ……わ?」

「その見た目、ショートパンツに白のハイソックスがド定番だとしてもですね……科白がまた、きゅん、とくるのですよ――」


 そこで興が乗ってきたメイベルは迷うことなく、すっ、とポーズを取り、主人公になりきって朗々とその科白を口に出した。


「『僕と鉄巨人は同じ父を持つ兄弟なんです! 皆が道具だと言うならそれでもいい、兵器だと言うならそれでもいいんです! でも、僕にとってはかけがえのない兄弟なんだ! だから……! お願いです……鉄巨人を壊さないでください……!』と!」


 ちょっと待てい!


「お前も愛読者じゃねえか!?」


 さすがに一言一句間違ってないのは有罪確定ギルティ


「……何のお話でしょう?」


 オペレッタよろしくの姿勢から元の直立不動の体勢に瞬時に復帰したメイベルは、くいくいっ、と丸眼鏡の位置を戻しつつすっとぼけて見せた。なかなか良いタマである。


「ともかく」


 くいくいっ。


「そのショーターのような年頃の無垢なる少年に、あろうことかよこしまな劣情をもよおす……まさにこのお嬢様のような偏愛思考をお持ちの方のことを、ショーター・コンプレックス、縮めてショタコン野郎と呼ぶのですよ、レイ様」


 野郎は余計だってーの!


 そして、レイを魔の手から守るかのように、すす、と一層引き寄せ、ひし、と掻き抱くメイベル。だが、そのメイベル自身の手つきの方がよほど怪しい。じきにレイはくすぐったそうに飛び跳ねた。


「や、やめてってば、メイベル。うーん……でもそれって、メイベルとどこが違うんだろうね?」

「はうっ」


 今度はメイベルが胸を突かれる番だった。


「わわわ私は、職務に忠実なだけで」

「うーん……でもさ? このだって寝言で言ってたよ? ハイソックス美味しいぺろぺろー、とか」

「はうっ」

「こ、この前、洗濯している時だって、ぼ、僕のショートパンツに顔を埋めてたりとかしてたし……」

「はうっ」


 またも。


 それでもポーカーフェースを貫き通しているのはさすがと言うべきか。遂にしゃがみ込んで身悶えしているメイベルを見下すようにしてブリルが手招きすると、呼ばれるままに素直なレイはブリルの方へ歩み寄って、されるがままにその両手に守られるように腰のあたりにしがみついた。


 よしよし、とレイの頭を撫でながら、ブリルは冷ややかな目つきでメイベルを見下ろし、追い打ちとばかりに吐き捨てた。


「この……ド変態メイドめ……」


 これを、世では『同族嫌悪』と言う。

 どっちもどっちである。



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