第六話 少女は、少年とメイドに出会う


「確か……こっちよね!」


 全力で疾走する少女は確信していた。足の速さの方に関しては人に誇れるほどのものではなかったが、迷うことなく狭い路地目がけて突進する。




 が――。




「うわわっ!」

「うぉっとっと!」


 曲がりしなにちんまりした人影に出くわし、勢いもそのまま、派手につんのめりそうになってしまう。すんでのところでそのふんわりと良い匂いのする人影を庇うように抱きかかえることに間一髪成功すると、まとめて、ごろん!と一回転した。


「え? え?」

「いたたたた……痛ったあ……」


 奇跡的に、手の中にあるかけがえのない二つの物は無事だった。




 一つは、商売道具でもある魔道写機。


 そして――。




 少女の胸元から見上げるようにして、そのもう一つが心配げに気遣いの言葉を投げてきた。


「だ、大丈夫ですか……!?」

「あー。ごめん、ごめんねー」


 少女は改めてその声の主の顔をまじまじと見つめると、詫びつつ、照れたように言い訳をした。


「……うん、大丈夫。お姉さん、人探ししててすっごく急いでたモンだからさー。失敗失敗」

「人探し、ですか? じゃ、早く行った方が――」

「実は、そっちももう大丈夫だったりして」

「はあ……」


 地面に胡坐をかいて座り込んだまま向かい合うように少年の身体をかかえ直し、にんまりと微笑みを浮かべたままその整った愛くるしい顔をじっと見つめると、銀灰色の髪の少年は不思議そうな表情を浮かべた。


「もしかして、それ……僕のこと……ですか?」

「半分は正解。あとは……ええっと、彼は何処?」

「か――彼って………………誰のことです?」


 少年はそこでようやく警戒心を取り戻したようだった。わずかに言い淀みつつ辛うじて答えると、少女の胡坐の上から今にも逃げ出しそうに落ち着かなげな素振りを見せた。だが、少女はそれを制するように、ことさら親し気に少年の肩に両手を添えると、埃を払うように、ぽんぽん、と優しく叩いてやった。


「うんうん。ごめんねーホントに。あたしのせいで、あちこち埃だらけになっちゃったねー」

「い、いや、あの――」


 さり気なく少女から距離を置きたい様子の少年だったが、少女の手は優しくあちこちの埃を払いながらも決してそうするだけの隙を与えてくれない。


「あー、怖がらないで! 大丈夫だから! ……うーん、こんなところまで汚れちゃったねー困ったねー。ほら……ぽんぽん……っと」

「んんっ! そ、そこまではいいですって……!」


 きらきらと輝くような銀灰色の髪、ほっそりとした華奢な肩、中性的な身体のライン――そして徐々に少女の手が、ショートパンツに包まれた青く硬い尻、白いハイソックスに包まれたすべすべとした足へと伸びていくと、少年は頬を真っ赤に染めてくすぐったそうに身を捩った。


「あー……ここにも埃がー……うふ……うふふー」


 それでも頬を上気させた少女は、慎重に、入念に、何度も少年の身体に触れ――。


「………………そこで何をなさっているので?」


 ぎくっ!


 不意に堅く冷たい印象の女の声が背後からかけられると、我に返った少女の手が凍りついたかのように、ぴたり、と止まった。


 ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ。


 恐る恐る振り返ると、そこにはやけに大きな、山のような荷物を背負った長身のメイドの姿があって、少女に対して不審感丸出しの視線を向けていた。


「……あー。えっと。これはー……ですねー……」

「だ、大丈夫だよ、メイベル。このお姉さんと曲がり角でぶつかっちゃっただけなんだ」


 慌てて少年が言い添えたが、メイベルと呼ばれたメイドの丸眼鏡の奥の瞳は、一層疑り深そうに細くすぼめられただけだ。


「それはそれは――」


 ぎろり。


 何故か今度は、少なからずの憎悪が入り混じっている気さえする。少女は内心身震いする思いだった。


「あとは私がやりますので。お嬢様はお立ちくださいませ。……よろしいですね?」

「あ――あはははー。そ、そうですねー」


 冷静そのものの口調でそう言い含められてしまっては引き下がるよりなかった。少年の小さな身体が急に熱を帯びたかのように、ぱっ、と手を放すと、少女は潔くホールドアップするように手を挙げた。


「いやはやまったく――汚れてしまいましたね」


 淀みない所作で荷物を地面に降ろしたメイドは、一歩後退った少女と入れ替わるように少年の前に躊躇うことなく跪くと、にこりともせずに少年の身体のあちこちを観察してはせっせと土埃を払い除けていく。だが、もうさっきまでの少女の手であらかた綺麗になっている筈である。


(ううう……)


 すっかり立ち去るタイミングを失ってしまった少女は、気まずい気持ちを抱えたままその様を見つめるしかない。


(嫌味のつもり……なんだよね、これ)


 どうしたものか、と迷っていたところで、






 ……ん?

 底知れぬ違和感に、少女の片眉がひくりと蠢いた。






「ああ。まだここにも」


 ありもしない土埃を黙々と払っているメイドの表情は変わらない。変わらない、のだが――その白い頬がほんのり染まり始めた微妙な変化を少女は見逃さなかった。


「も、もう大丈夫だから、メイベル」

「いいえ。まだです」


 ぽんぽん。


「私の欲望が満たされて――いえ、私の認める清潔さには遠く及びません。あら、こちらもですね」


 おいおいおい!

 何か言いかけたぞ、こいつ!


「ひゃっ!」


 執拗なまでに身体に何度も触れられて、少年は恥ずかしそうに、くすぐったそうに身を捩った。


「そ――! そ、そこは……大丈夫……だよ!」

「って、うぉうい!」


 堪らず少女はツッコミを入れた。

 ち――。


「何です? 今、最高に楽しいひとときを堪能しているところ――」

「舌打ちしてんじゃねーわよ!」


 しれっと言い放ったメイドの取り澄ました顔に噛みつくようにして少女が喰ってかかった。


「完全にお前の趣味じゃねえか!? つ、つーか、その子のショートパンツ周辺を執拗にくにくに弄り回してる手を止めろっつーの、このド変態っ!」

「……はい?」


 夢中になっていたあまりわずかにズレてしまったらしい丸眼鏡を元の位置に、ちゃきっ!と直しながら、メイドは怒り狂う少女の顔と自分の手を交互に見比べると、


「この手のことを……仰っているのでしょうか?」


 くにくに。


「ひゃん!」


 すぱーん!

 初対面だというのに、思わず手が出てしまった。


「それを止めろっつーんだよ!! 今すぐっ!!」


 メイドの魔の手から解放された少年は、ほっ、としたような表情を浮かべつつ、ようやく自分の足で立つことができた。まだ頬は赤かったが、言い訳のように少女に告げた。


「あの……ありがとうございます」


 あ、うん。

 とうとい。


「でも、怒らないであげてください。メイベルは心配性なので、いつもこんな感じなんです」



 いつもなのかよ!?

 それは羨ま――けしからん、けしからんぞ!



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