第三章 それはいつも唐突に始まる
ざわ。
「……おい、何が始まるってんだ?」
「あいつとあいつさ。どちらが正しいか決めるんだ。《決刀》だよ《決刀》!」
「おう、この町じゃここんとこ久しく見なかったな。……で、どっちがどうだって言ってやがるんだ?」
「知るもんか! そんなこたぁ俺たちにとってはどっちだって構やしねえのさ! だろ?」
埃っぽい町の大通りには早くも野次馬連中がいずこからか集まり始め、口々に囁き合うというよりは少しばかり大き目なざわめきが飛び交っていた。
そもそも《決刀》とは――。
この世の
大陸の支配者たる大国、グレンフォード皇国にて定められ、深く民衆へと伝えられた、人と人の間に起こった争い事を鎮め、正邪を決するための唯一かつ正当な儀式であり、絶対の法、それこそが《決刀》である。
正確を期すならその他にも、貴族間の争い事を調停するために開かれる《長老会議》や、魔法使い同士で喰い違った主張を見定めるために執り行われる《魔法会議》といった儀式事もあるにはあるが――普通の人間、皇国民の大部分を占めている只の平民に許されている手段はこれきりしかなかった。
ただ、元々は互いの誇りと名誉を賭けた高潔なる儀式だった物が、今となっては力持つ者が強引に相手をねじ伏せるかのごとき野蛮で低俗な喧嘩程度に成り下がってしまっている。奇しくも酒場の主人・ドングが言うように、長きにわたる偽りの平和がその高潔さを腐らせてしまっていたのだが――それを自ら正すだけの力は、今の皇国にはない。
力持つ者こそが正義である。
その者が正しかろうと、正しくなかろうと、だ。
町の大通りには、二人の男が立っていた。
正確には、もう一人。
「やっぱり……こうなってしまうんですね……?」
そのもう一人、銀灰色の髪をした少年はがっくりと肩を落として傍らに立つ物言わぬ剣銃遣いに
「おい! 合図はどうする!?」
代わりに口を開いたのは、反対側に立つ若い剣銃使い、エッジズである。
「もう始められるんだろう? それとも、その腰に下げたモノは飾りだってのか!?」
皺枯れた叫びはざわめきの中でも良く通った。
「……?」
問われた剣銃遣いの瞳が、どうする?と言葉に出さずに少年に尋ねている。
「……仕方ないです。でも――分かってるよね?」
こくり、と頷き、再び煤けた鉄兜が揺れた。
まるでそれを待っていたかのように、通りに立つ二人の中央に、酒場の主人・ドングがのっそりと歩み出た。ドングは二人の剣銃遣いの方に代わる代わる視線を向けて、最後の意志確認をする――どちらにも異論はないようだ。
「ったく……よりにもよって、俺の店で《決刀》の宣言をしてくれやがって……」
ドングは諦めたように筋肉で盛り上がった肩を揺らして聞こえよがしの溜息を吐いてみせた。《決刀》を取り仕切るのは、宣言の行われた場所にいた者の中で、最も権威と良識を備えた者であること――これもまたルールの一つだ。ただしその取り決めも今や形ばかり、大抵はこのように、揉め事の起こった店の主人がその役を務めることになっていた。
「――いいか? 恨みっこなしだ」
本来はもう少しマシな
「結果がどうあれ、だ。あとな、腰に下げた剣銃以外の獲物は使えねえ。分かってるな? んじゃ、そっちの若僧から始めてもらおう」
エッジズが頷き、喉元の
そして言った。
「我こそは、エッジズ=ティースボーン! 我が姉、ベラッサの命を奪いし悪逆なる者よ、我はここに《決刀》を申し込む! 我にこそ正義はあり! 必ずやその命をもって償わせてやろうぞ!」
し……ん。
ざわつきが止んだ。
たっぷりと時間を置いてから、ドングは反対側に立つもう一人の剣銃遣いの方に視線を向けて、一瞬、戸惑うような素振りを見せた。
「だ――大丈夫です。僕が代わりにやりますので」
やはり、答えたのは少年の方だった。
こほん。
咳払いを一つ。
「ええっと――!」
頭の中で慎重に言葉を選り抜きながら、少年は声変わり前のビブラートのかかった声を出来る限り張り上げて叫んだ。
「彼の名は、ノーマン=ガナーと言いまして! 僕た――い、いやいや。彼は、あの人の言ったようなことなんてしてません! ホントですよ!?」
何ともしゃっきりしない口上に、ドングは張り切って差し出していた右手をがっくりと落とし、天を仰ぎながら呆れ果てた様子で目をぐるりと回した。
だが、これでも正当な口上には違いない。何人と言えど《決刀者》の口上を非難することも口を挟むこともできない――これもまたルールの一つなのだ。
「身に覚えなんてないんです! で、でも! 仕方ないので慎んで《決刀》はお受けします! ホントは嫌ですけど……でも、何というかですね――!」
とは言え、もう頃合いだろう。
「ストップ、ストップだ、小僧」
ドングは堪りかねて、まだ喋り足りなさそうな少年の科白を乱暴にぶった切ってしまった。
「そのへんで終いにしろ。まだぐだぐだ続ける気なら、棺桶の中ででもやってくれ。いいな?」
まったく――。
どうにもしまらねえ。
今か今かと《決刀》の始まりを待っていた野次馬連中の間にもざわめきと失笑が広がっていた。《決刀》の仕切りの良し悪しは、その役を担うドングの評判にそのまま繋がってくる。特段、
――にしても。
《
恐らく偽名だろう。ドングにもすぐピンときたものの、彼にとってはどうでも良いことだった。イスタニア常駐の魔法執行官宛に提出する《決刀》報告書に記載できる名前さえ分かっていれば、あとはどうだって良い。
ドングは右手を高々と挙げ、さざ波のようなざわめきが静まるまでじっと待った。
やがて、その時が訪れる。
「――では、始めるとしようや。準備はいいな?」
双方に視線を向ける。
しかし、エッジズは苦々し気に口元を歪めると、唐突に構えを解いてしまった。
「おいおい――」
「てめえ……舐めてるのか?」
それはドングに向けた科白ではなかった。
「糞……何処までコケにすれば気が済むんだよ!? 構えろ! 構えやがれ!!」
エッジズがいきり立つその訳は、もう一方の剣銃遣いの態度といで立ちのせいだった。
見ると、
「……」
物言わぬ剣銃遣い――ノーマンはロクに構えもせず、その腰に下げた剣銃も足元近くまである長い鞘に納められたままである。どころか、その身を覆い隠す漆黒の外套さえも脱いでいなかった。
それでも頷き返し、代わりに少年が言葉を添えた。
「これでいい、と言っています。これは彼なりの構えと流儀なのです。ですので――」
「糞っ! 知らねえぞ、俺は!」
もう挙げた手を下げることはドングには許されないのだ。
「――さあ、糞共! 始めやがれ!」
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