夢と現実と

チャガマ

第1話夢と現実と

私は最近、夢を見ている。人を殺してしまう夢だ。無駄に鮮明な、美しくも恐ろしい夢だ。

季節は冬。木々に囲まれた、何処かもわからない場所に私は立っている。ありとあらゆる地上のものに雪が降り積もり、一面を白く染めていたが、私の手は赤かった。

私は右手に包丁を持っていた。何故持っていたのか。私には分からない。その包丁や私の右手からは鮮血が滴っていて、知らぬ間に雪の上に赤い斑点を刻んでいた。

そして、目の前には人が倒れている。茶色いコートを着た、体の細い女性だ。髪は黒くて長い。黒いブーツを履き、赤い革製の鞄を左手に持っていて、その薬指には指輪が光っていた。うつ伏せに倒れているから、顔はよくわからない。その代わり、刺されて穴の空いたコートから、まだ赤い血が脈を打って出てくるのがしっかりと目に入った。

月の光に照らされて美しい黒髮と、白銀に煌めく雪。私は平然とその光景を眺めていた。きっと美しい女性だったに違いない。一目見てみたかった。なんとなくそう思った。

私の右手には肉を刺した鈍い感覚と、手の甲を伝う血の感触をはっきりと感じる事ができる。目の前の女性は死んでいる。恐らく私が殺してしまった。殺すまでは、なにやったのか私にはわからない。気がついたら、私は包丁を携えていて、目の前で女性が死んでいるのだ。けれど、私は全く動揺していない。自然と心は安らかだ。落ち着いている。冷静だ。この場に不釣り合いなほどに、私の思考は冷めていた。


そして、私は夢から覚めた。私は安堵した。人を殺してしまったと思ったのだ。安心した。ほっとした。全く汗の滲んでいないパシャマを着たまま、私はもう一度眠りについた。


それから、数日。私はまた同じ夢を見た。やはり、夢の中の私は落ち着いていた。あの状況に噛み合わないほど心臓の鼓動はいつも通りだった。

私は何度もその夢を見た。五回ほど見れば、私も慣れてしまって、夢の途中で『あぁ、これはきっと夢だ』と思うことができるほど、その夢を繰り返し見た。

だが、私は繰り返し見るにつれて、ある一種の恐怖に悩まされるようになった。夢の中の私はあまりにも冷静過ぎたのだ。だから、私は現実で人を殺しても冷静でいられるような非情な人間なのではないか、と思うようになっていった。

私は怖かった。自分が非情で人間であることが怖かった。私は真っ当な普通の人間であると思いたかった。

私は夢を見る度に、私は非情な人間ではないと自分に言い聞かせるような日々が続いた。そんな時、現れたのだ。あの夢の中の女性と同じ髮、同じコート、同じ鞄、同じブーツを身につけた女性を。私は見つけてしまったのだ。私は彼女を見つけるや否や、そのあとをつけた。そして、彼女が公園近くの森の中に入って行くのが目に入った。私は急いで自宅へと引き返した。そして、台所の包丁を荒々しく掴み取り、鞄の中に放り込んだ。私は彼女の入った森へ急いで駆けつけた。足音を忍ばせて森を少し進み、森の中で一人佇んでいる彼女の後ろ姿を見つけた。その瞬間、私は包丁を強く握りしめ、駆け出した。彼女ははっとして振り向いた。その時には、包丁が彼女の背中を刺していた。彼女は一瞬うめき声をあげて、雪の上へ倒れた。私はそこに馬乗りになって、何度もその無防備な背中を刺した。夢よりも残酷に、夢よりも非情に、夢よりも過激に。彼女はやがて刺しても痙攣しなくなった。私の手や肌には生温かい血が飛び散り、雪にできた斑模様は赤黒く変色しかけていた。私は暫くぼーっとして、漸く腰を彼女からあげた。

そして、私は取り返しのつかないことをしてしまったことに漸くして気がついた。彼女は死んでいる。そして、私は間違いなく彼女を刺して殺した。どうせまた夢だとは思わなかった。だが、夢であってくれとは願った。

私は人を殺してしまった。なんてことだ。恐ろしい。これから、私はどうしていけばよいのだろう。私はどうして彼女を殺してしまったのだろう。あぁ、もうどうしようもない。殺してしまったものはどうしようもない。しかし、許されるものでもない。私はひたすらに後悔した。罪悪感に苛まれた。私のこれからの人生に絶望した。

そして何より、人を殺して後悔し、罪悪感を得、人生に絶望している自分を見つけて、心の底から私は安堵したのだった。

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