新しい世界

時田知宙

新しい世界

 狂っていると思った。何を隠そう彼女は、祖父の葬式で、年端もいかない僕を押し倒した。

 そうして、僕を招き入れ、いとも簡単に射精させた。下着を手際よく白い太腿へ戻した彼女は立ち上がり、僕を一瞥したのだった。


 彼女は叔父の娘で、小さい頃に何度か会ったことがある。子供ながらに綺麗な人だと思った。彼女はその印象通りに成長していた。なんだかこの世のものではないような、艶やかな黒髪が美しかった。

 彼女は何でもないような顔をして、かすかに花の匂いをさせながら、まるで重力など無いような身振りで、僕から離れた。スカートの襞をなびかせ、暗い廊下に消えて行った。


 昼だというのに、この家はどこも薄暗い。親戚連中に愛想笑いをするのにも飽き、祖父のだだっ広い家を歩く内、白い靴下の裏側は、煤で擦れたように黒くなっていた。探索の最中、無言の彼女に押し込められ、何もかもを奪われてしまった。大事にしていた訳でもないが、僕の喪失感は大きかった。

 何しろ彼女は一言も喋らなかったので、桐箪笥が並ぶ古い畳の物置部屋に取り残された僕は、白昼夢を見たような、狐に化かされたような感覚に陥って、いい暫く惚けるしかなかった。

 やがて日が傾き、夕焼けを帯びた部屋が色を変えていた。障子の影が、まるで牢屋のようで恐ろしくなり、やっとの事で起き上がる。


 大広間の方へ戻ると、背筋を伸ばして正座している彼女が見えた。僕の母や叔父に囲まれながら、亡き祖父の思い出を談笑する彼女を見て、ゾッとした。寒いような、暑いような、血の気が上がるような、下がるような。気持ちの悪い、濡れた下着の感触が蘇る。汗が吹き出し、学生服の下のワイシャツが、肌に張り付くのがわかった。耳にこびりついた彼女の息遣いが、夢ではないと告げていた。これ以上は立っていられなくなり、僕はその場に座り込んでしまった。

 気付いた母が駆け寄り、僕の身を案じたが、母の声は遠く感じた。水底にいるようにくぐもって聞こえた。僕は動揺していた。急に女と言う生き物が恐ろしくなり、産み育ててくれた母の手さえ振り払った。


 風邪ではないかと、カビ臭い煎餅布団を被せられ、消沈する僕を見て、彼女が目を細めていた。笑ったようにも見えたし、悲しんでいるようにも見えた。その表情からは何一つ受け取れなかった。いや、僕には、わからなかった。


 僕は親類で犇めく広間の敷居をまたぐ事がついには出来ないまま、暗くて寒い廊下で布団の重みに集中し、目を閉じる事に専念した。

 数える程しか会った事のない、血の繋がりのある女に突然襲われ、混乱の内に初体験を済ませてしまった事を、大人になったら笑い話に出来るのだろうか?体の震えとは裏腹にそんな呑気なことを考えていた。出来ないかもしれない。今はまだわからない。酒に酔った大人たちの声が耳障りで仕方なかった。閉じた瞼に彼女の視線を感じながら、震えが止まるのを待っていた。


 僕が目を覚ました時には、きっと新しい世界になってしまう。そんな気がして、恐かった。

 とにかくそれが、とてもとても恐かった。

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