さよなら

時田知宙

さよなら


「ごめん。」


 正直、謝るくらいなら、別れ話を切り出すなと思った。悲しみよりも怒りが込み上げてきていた。こんな、最寄駅という公衆の面前で別れを切り出した事に腹が立った。

 4年間付き合ったのだから、私が人混みの中で泣く事も、縋ることも出来ない女だと知っていた筈だ。この4年間と言えば、親よりも長い時間を共有してきたと言うのに、わざとやっているとしか思えない。

 和之は、如何にも好青年と言った風貌の裏に、狡猾なところがある。目をつぶってきた側面の汚れが次々と浮かんできて、私だって和之の◯◯なところが、とつい口走ってしまいそうになった。

 私の誕生日を忘れていたこと。デートをするのが嫌いなのか、いつも部屋でダラダラとセックスをして過ごすのが、本当は不満だったこと。友達に彼女だと紹介してくれないところ。

 私だって、あなたに呆れていたところはたくさんあったのに、お前から別れを切り出すのか。


 それでも、口から出た言葉は違っていた。なんなら唇が震えていた。

「でも、私は好きだよ。」

 未練がましい女にどうすればいいと言わんばかりの困った顔をして、和之は突っ立っているだけだった。

 暫くの沈黙を経て、今までありがとう。楽しかった。などと、お決まりのセリフを言い始めたので、聞き間違いかと思った。

 なぜ私が駄目だったのかすら、言ってくれる気がないことに絶望した。

 自分を顧みられない訳ではなかった。私にも悪いところはあった。付き合っているというおごりがあった。愛情表現が薄かったのかもしれない、怒った時には、すねた顔もしたかもしれない。

 これ以上、言葉が出なかった。代わりに手を伸ばすと、避けられて、もう駄目なんだと悟った。

 急に砂漠で、大事な宝石を無くしたみたいな気持ちになる。駅の改札を抜けて行く和之は振り返らなかった。


 私は改札前の柱に寄りかかり、手の震えを抑えたくて、その場にしゃがみこんだ。

 吐きそうだ。臓物という臓物がひっくり返って口から流れ出てしまいそうだ。

 失恋はいつも辛い。誰に捨てられても、抉れた痛みがいつまでも胸に巣食う。最善は選ばなかった道にあった事を信じて疑わない。

 でも何が悪かったかなんて、出会ってしまった最初から、間違っているに決まっている。馬鹿げている。いい加減にして欲しい。楽しかったあの日々?終わりにするのならそんなものに意味はない。今までありがとうなんて、私は思わない。

 来世があるなら、絶対にお前を選ばない。出会いたくもない。どうか決して私の次の人生と交差せず、素知らぬうちに、道端でのたれ死んでくれますように。


 そう願うしかなかった。だってそうじゃないと、涙で溺れてしまいそうだった。流れ行く人にじろじろと見られたが、それどころじゃなかった。心臓がバラバラになって、飛び散ってしまいそうだ。飛び散って、このまま気を失いたい。

 この血の気の抜け切った体で、家に帰らなければいけない事が、酷く億劫で堪らなかった。

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さよなら 時田知宙 @mtogmck

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