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 少女が川辺に座って休んでいると、道の方から足音が近づいてくるのに気がついた。木陰から顔を出して、音のした方を覗く。

「こんにちは、お嬢さん」

 そこに立っていたのは、□□□だった。

「ごきげんよう、●●●さん」

「こっちの方の壁にも描き始めたのですか?」

 ◇◇は、微笑みながら言った。

「ええ、そうなんです。前のところはもう描きつくしてしまいましたから」

「ああ、確かに……」

 彼の名前は、▽▲だ。しかし誰もが彼の名前を知っているのに、その名前を"彼の名前"というイメージでしか認識できない。どうやら、"彼の名前"というのは私達が『言葉』と認識する概念とは異なるものであるらしく、言葉として正しく音や、文字に直す事ができないのだ。それは発音しようとする度に、別な音の羅列として発声される。それが何故かは知らないが、皆特にそれを疑問に思ったりはしない。

「そうだ、『つぶやき屋』を見ませんでした?」

「今日は見てませんね。彼がどうかしたんですか?」

「師匠さんに頼まれたんです。彼が妙な事をしないか、見ていて欲しいと」

「妙な事? なんですそれは」

「歩いたり、呟いたり以外の事。らしいです」

 彼は困ったように笑って言う。

「はあ……よく分かりませんね」

「そうなんですよ」

 そう言って◎◎はまた笑った。彼は、よく笑うのだ。殆どいつも笑顔でいると言ってもいい。笑顔以外の彼を見た事が無いくらいだ。少女は彼の笑顔が好きだった。

「私、そろそろ戻ります」

「あ、でしたら、描く所を見ていても構いませんか?」

 この申し出は、彼に限ってはよくある事だ。しかし、少女の作業風景を見たがる者は、彼以外には珍しい。

「勿論、構いませんけど、『つぶやき屋』を探さなくていいんですか?」

「ここで待っていれば、そのうち来ると思いますから」

 彼はやはり、笑ってそう言った。

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