第5話
風で揺らぐのは意志と視界。羚の目に、揺れる銀はすぐさま迫った。
「派手な狼煙を上げてくれる。おかげで警戒ばかりされて、困ったもんだよ」
大きく開いた、見下すような目線のその下の、赤い舌と染まる犬歯が、鈍く光っている。昴は今にも羚の喉笛を噛み千切りそうな、そんな近さで、生臭さをぶつけた。
「手土産選びのセンスは良い。丁度、探しに出ていたところだったから」
羚の瞼を撫でて、昴は笑った。隣の、愛の侮蔑と困惑の混ざった目を見て、半歩下がる。淳史が昴を睨んだ。
「餓鬼の癖に偉そうに」
野次を飛ばすが如く。淳史がそう吐き出すと、昴は喉を鳴らしながら笑った。
「お前とそう変わらねえよ。餓鬼でも必要とされるから、お前だって俺達を目指したんだろう」
獣と獣。その態度、言葉の重なりから、二人が似た性根を持っていることだけは理解できる。
「こちらに戦う意思はない。稲荷山羚と柳沢愛をこちらに寄越せば、お前も、お前達『殺人鬼同盟』も全部、幕府に連れて行ってやる」
昴の言葉、幕府という名に、羚と愛は顔を合わせた。何度も出るその単語は、羚の母を呼びつける言葉でもある。淳史は確かに言っていた。羚の母、稲荷山輝夜を、『幕府の女』と。
「ねえ」
静かに、淡々と、羚が言葉を落とす。その音に、昴と淳史が目を向けた。
「幕府って何?」
羚の声と、その瞳に、昴が息をのむ。どうやら、昴は何かしら、羚自身が知らない、羚のことを知っているらしい。淳史は笑った。愛は羚の隣で、羚と同じ先を見ていた。
「この国と――政府とずっと戦争をしている、ただの野蛮な国さ。お前の本当の故郷でもある」
昴が語るより前に、淳史が零す。盃の中の酒を掛けるように、羚に言葉をかけていった。ぎょっとする昴を他所に、それは続いて行く。
「ライフルでもマシンガンでも無く、大砲のような鉄砲を構え、日本刀を握って、異世界の住人と共に戦う。そして炎や水を操り、神や鬼の力を使う、政府が隠し続けた存在達の集まりだ」
そう言って、淳史はもう一度、昴を見る。その目線の先、昴は口元の血を拭って、その人間離れした鋭い犬歯を見せていた。ギラリと光った金の瞳が、細くなる。
突如、昴が足に力を籠める。淳史に襲い掛かるように、姿勢を低く、空を飛んだ。淳史はそれを避けるようにしゃがみ、羚と愛の頭を無理やりに地面に伏せる。後ろから、ヒッと、誰か男の声がした。
「やるなら予告くれない? 地雷踏んでたら俺達一緒に死んでるんだけど」
斜面でずり落ちた淳史が、そんなことを昴に飛ばす。その昴は後方、斜面を駆けて、政府軍の制服を着た死体の首を噛み千切る。頭は昴の手の中で、潰れて原型が無くなっていた。
「風呂入ってない奴が埋めたモンなんて、簡単に嗅ぎ分けられるんだよ。火薬塗れで歩きやがって。その辺で一人で爆発してろアホ」
悪態をついて、昴は兵士の肉を食む。ゴリゴリと骨が噛み砕かれる音が、羚の耳には不思議と心地良く感じられた。
「……そういう種族? 人喰い?」
淳史が尋ねると、昴は首をかしげて、少女のようなその顔を傾けた。
「そんなところ」
そうやって、一言目も向けずに落とすと、昴は兵士の胸に手を刺し入れる。そこから取り出したのは、真っ黒な血で覆われた、筋肉の塊。もう動かない心臓は、昴の口にすぐに収まって、胃まで到達していた。
「ゆっくり食ってる時間がない。早く神社に戻らないと。まだメインの仕事が終わってない」
昴がそう言った瞬間、彼のコートのポケットが、ぶるぶると鳴った。皆が聞きなれた、スマホの着信音である。それを取り出して、昴は画面を見たと同時に、怪訝な顔で、淳史を一度見て、画面に触れる。耳元に板を重ねると、はい、とだけ言って、一度、画面を見て、もう一度、触れる。
『豊宮淳史、稲荷山羚、柳沢愛』
その場にいる三人を的確に、ある一つの声が差した。昴の持つスマホから、スピーカーで出るその声は、低く、男性らしいそれである。
『俺は幕府特殊部隊、不死身の行進の隊長。名を
男は、神野は、そう言って、ククッと笑う。
『さて早速だが、殺人鬼同盟の豊宮淳史』
名指しをされて、淳史が眉を上げた。何だよ、と、声を上げる。
『急で悪いが、入隊試験だ』
その言葉に、昴が少し、驚いたような顔をした。昴は急いで画面を自分の前にやり、神野へと問う。
「神野さん、こいつはただの人間ですよ。うちの部隊には入隊させられないでしょう」
昴の言葉に反応して、画面の奥から激しい笑い声が聞こえた。それは少し遠くにいた三人にも、しっかりと聞こえた。青年らしい、若めの声質になっている。
『何言ってんだ昴、お前は昇格試験だぞ。心して臨め』
楽し気に、神野が声を弾ませる。そして、一息つくと、『試験』を簡潔に伝えていく。
『二人で協力して、稲荷山羚と柳沢愛を無傷で神社本殿まで連れて来い。ついでに、本殿で「神器」を確保出来れば満点合格だ』
神野の言葉を咀嚼するように、淳史はそれを行動で示す。
「昴! お前先頭、俺後方。子供のお守は俺に任せろ。丁度これくらいの奴らをいつも相手してるんだ」
淳史はそう言って、羚と愛を両脇に抱え、立ち上がる。愛が少し暴れたが、そんなことはお構いなしに、昴が答えるのを待った。
「……あぁ、畜生。本当に発想が突然すぎる」
『聞こえてるぞ』
昴の悪態に、すかさず神野が反応した。ビクッと体を震わせて、顔を強張らせ、昴は一言、すみませんとだけ零す。昴がポケットにスマホを入れようとしたとき、神野がついでというように、また一言落とした。
『そうだ、豊宮淳史。お前のお仲間は皆、入隊試験はクリアしたぞ。皆、政府軍をその身で屠り、柳沢想夜と柳沢玲子の親子を俺の元まで連れてやって来た。良い功績だ。特にリーダーの
その言葉を聞いて、淳史は少し、高揚するようだった。特に、出雲という言葉を聞いて、尻尾を振る犬のようであった。先程までの獣らしさは、掻き消えている。画面の奥で、ガチャリと音がして、通信が途切れたことを確認すると、昴は急いでそのスマホをポケットに入れて、淳史の傍まで駆け寄る。
「良いから、早く行くぞ。あの人、短気だから。道は俺が決める。ちゃんと着いて来いよ」
昴がそう言って、斜面を降り始める。羚が少し前を向くと、丁度、麓の霊園が、兵士が爆発四散するところであった。
「あー、踏みまくってるなあ」
あちらこちらに埋められている、爆弾を思い返すように、しみじみとした表情で、淳史はその爆音を聞く。愛が、羚と反対の腕に抱えられながら、耳を抑えている。
「愛、大丈夫だよ。きっとこの人達は強いよ」
困ったような顔をして、泣きそうになっている愛に、そう言った。淳史はそれを聞いても、黙ったままである。
「大丈夫。僕がいるよ、愛」
爆風で飛ばされてきた、人間の足が、淳史達の前に降った。それを淳史はひょいと避けるが、血飛沫が三人の顔にかかる。それでも羚は動じずに、淡々と、にこやかに愛に語る。
「愛。大丈夫。人間の腕なんかが、僕たちを殺したりなんかしないから」
生きている者ではないと、愛に羚は言い聞かせる。そうじゃないだろうと、淳史が思いつつ、黙っていたが、羚はまだにこにこと、愛に愛を植え付けている。
「……そうね、そうだわ」
愛がそう笑った。既に非日常の真ん中で、思考は何処か狂ってしまっていたようだった。鉄錆と硝煙が香る、人々の眠る霊園で、愛と羚は静かに、爆弾魔に運ばれていった。周囲の兵士は、昴が食らっていく。何て人数の少ないパレードだと、羚は脳内で言葉を落とした。
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