第4話
にこにこと機嫌良く、玲子は鳥居を潜る。体力と精神力の消耗が激しい想夜は、玲子との間に羚と愛を挟んで、最後に鳥居の下に足を踏み入れた。
手水と拝殿での参拝を済ませて、羚は束の花を抱え、霊園へと足を急いだ。
「私、お水と玉串を持って行くから、愛と羚君は、想夜と一緒に先にお墓参りしていてね。すぐに行くわ」
玲子はそう言って、管理所の方に小走りで向かう。その背とまた背を合わせて、三人は寒空の中、寒さで手を擦りながら、無機質な石の塔へと歩く。神社で葬儀を上げたり、墓を作る人間が少ないからだろうか、それとも、めでたい新年一番目の日に、死の穢れをを避けるからか、自分達以外、あまり人は見かけない。拝殿やお御籤の傍には着物を着た艶やかな女性や、酒を飲んだ若者がたむろしていたが、ここまでくれば、静かなものである。
ふと、静かに歩みを進めていた中、想夜のスマホが鳴り響いた。
「はい、柳沢ですけど。誰ですか?」
見知らぬ相手からの発信だったらしい。想夜は怪訝な表情で、羚と愛を見つめて、スマホのマイクに手を当てる。
「悪い。愛、羚、先に行っててくれ」
羚と愛は頷き、想夜を置いて道を辿る。一度、二人で後ろを振り返ると、想夜が納得いかないような顔をして、振り返って、来た道を戻っていた。
「なんだろうね」
羚が愛に呟く。愛は、さあね、とだけ置いて、羚の手を握った。少女らしい、少年らしい、芯の冷え。熱の移動。少しだけ、二人とも、暖かくなっていった。指を絡める。幼子らしくない二人の、足は止まらなかった。
誰が見てもスムーズに、彼等は一つの墓標の前まで歩いた。そこまで辿り着いて、隣、無縁霊の巨大な石碑の前、一人の少年がしゃがんで呆けているのに気づく。それを避けて、奥に進もうとすると、少年と目が合った。
ネコ科の様な雰囲気を持ち、こちらを舌なめずりでもするように、明らかに下から見上げている彼は、にっこりと微笑んだ。それは対人したとき、悪意も敵意もないことを示す、挨拶のような軽さであった。だが、その奥、炎のように燃える瞳に、闘志や戦意に近い何かを見る。掻き上げた短髪の黒に、少年は手を置いて、羚から目を反らす。
母の墓前、先に管理者によって供えられていた榊が、青々と飾られている。羚は花束を二つに分けて、一つを愛にやった。自分の一つは、墓標の左右にある筒に入れる。愛も同じように、反対側の筒に入れて、羚の隣に並んだ。足を揃えて、二礼二拍手、そして一礼し、二人は顔を合わせる。
「他のお供え物を待とう」
羚がそう言うと、愛も頷いて、墓の前で共にしゃがんだ。丁度、隣の少年と同じような格好で、並んでいた。見るものもなく、羚はふと、少年を見る。
少年の服装は、自分達とは違い、かなり汚れていて、泥や油、赤黒いもので濡れている。その手や見える皮膚には、絆創膏や包帯が見えた。ぼろぼろで、それなりに格式のあるここの霊園には、似合わない風貌である。服の布は薄く、一枚のダウンジャケットで暖をなんとか取っているようだった。
同情、というのだろうか。この国には、彼のような、貧困層は数多くいる。煌びやかな服を着て、真っ当な職に就いた親の、庇護を受けて生きる未成年は、全体の三分の一程度だと言う。残りは親と共に子供ながらに仕事をしたり、保護施設にいたりである。もっと奥に進めば、裏社会で使われているものもいる。彼もその中どれかなのだろう。親のいない羚も、彼のようになっていた可能性は、十分にある。それを簡単に拾い上げた玲子が異常なのだ。この国では。
いつまでも見つめていると、ぎょろりと、少年の目がこちらを向いた。羚は目を丸くして、瞬時に前を向いて、目を反らす。
「何だよ、さっきまでお前が俺を見てたのに、俺がお前を見るのは駄目か?」
皮肉る少年は、引きつった笑いを音と成す。頬や鼻っ柱も、絆創膏で汚れている。所々、軽い火傷のような痕が見られた。ただ、その顔は崩壊するほどの傷を負ってはいない。皮膚の薄く壊れた痕を見て、銀髪のあの少年を思い出した。
「良い服を着てるじゃないか。ママに買って貰ったのか?」
クスクスと、酷い笑い方を、少年は続ける。
「……違う。お母さんは今ここにいるから、一緒には買いに行けないよ」
羚にとっては、精一杯の反論だった。反射の鏡。弱い反射で、少年に鈍い光をぶつけようとした。それでも、少年は笑ったままである。
「知ってる」
ケラケラと笑って、少年は口で音を紡ぐ。
「交通事故みたいなやつで死んだんだもんな、稲荷山輝夜は」
母の名を、見知らぬ小汚い少年に唱えられたことに、羚の心臓が動いた。何故知っていると、何故そう言うと、羚は愛を目を合わせた。愛も、どこか不安げに、少年を見ていた。
「こっちの界隈じゃ有名だ。政府に殺された、幕府の女って」
少年は触れる。羚と輝夜の琴線へ、指を掛ける。
「お前が死なず、子供一人になっても放っておかれなかったのは、親のどちらも、あっちの国の、お偉いさんだったからだ。柳沢玲子はお前を保護する中継地点。時機に迎えが来る。そう、すぐに。俺達の前に」
嬉々として、饒舌に、高らかに。神がかって、彼は謳う。立ち上がり、高い空に唸った。艶のある白い歯が、そもそもの健康さを見せた。高らかな笑い声は、この場では異常者であることを示した。
「愛、なんか変だ、逃げよう」
驚いて動かない愛に、そう投げかけて、手を引いた。一度、転びかけた愛を、羚が立て直す。後ろの少年は動かない。だが、こちらを見て、笑っていた。その後ろ、政府の軍服を着た男達が、少年に向かって銃を構え、近づいている。自分達がそれに当たらぬようにと、二人は出来るだけ遠くへと、足を動かした。
「
遠くから、参道で出会ったあの高圧的な、膝をついた男の声がした。
「今投降するなら命くらい――――」
一瞬の激音。男の声は切り取られる。キーンと、飛行機の音。それに似ていた。羚と愛は耳を塞ぐ。背が熱い。体が吹き飛ばされているのを感じた。幸い、柔らかな枯れた芝生の上に投げ出され、傷一つ付かないでいた。
振り返り、自分にかかる影を知る。それは、トン、と、自分達の前に着地した、燃える瞳の少年である。
「命くらい助けてやるって? 馬鹿か。お前らのやり口くらい知ってんだよ」
少年は眉間に皺を寄せていた。それは何かに噛み付く前の、獣である。煙が晴れるころには、その先、先程の音の事実が見えた。
爆撃。地面に埋まっていたらしい、命を奪うための地雷。それを踏んだ軍人によって、それは起きていた。おそらくは、それを埋めたのは彼だろう。
――――何故なら彼は、豊宮淳史。表の社会にまで名を轟かす、炎の使い手。爆弾魔、放火魔、その両の銘を持つ者。
幼い羚でも、その名くらいは聞いたことがある。その程度には、彼の名は知れ渡っていた。
「さて、こうなれば、流石に来ちゃうな。おい、走れ、羚。ガールフレンドを死なせたくはないだろう? 何、心配すんな。うちのリーダーが、柳沢のお兄ちゃんは助けてくれてるさ」
足を促し、淳史は駆ける。それに伴って、羚も、一瞬の決断で、愛を引いて走った。霊園の奥、森の中、道のない道を駆ける。ぴょんぴょんと、何かを避けるようにして飛び跳ねる淳史に倣って、羚と愛はくねくね走る。
「お前らは軽いから大丈夫だ。真っすぐ走れ」
一度、後ろを振り向いて、淳史がそう言った。だが、その途端に、先に進む淳史は、立ち止まり、羚達の後ろを睨みつける。眉間と鼻に、皺が寄った。口元は牙を剥くようである。彼は傍まで駆け寄った羚と愛をぶっきらぼうに自分の背の方にやると、唸った。
「何だお前」
喉奥をガラガラと鳴らしながら、淳史は唸る。羚は淳史と同じ方向を見た。その先、視界には、真っすぐこちらを歩く、あの銀糸の塊が見える。黒で統一された服に、銀は良く目立つ。そして、青白い皮膚に、桜色の唇に、白く健康そうな歯に、鉄分をよく含んだ血液が、よく映えた。風で半分の顔が、崩壊の美を置く。
「お前らがずっと待ってた、幕府のワンワンだよ。爆弾野郎」
少年の張りつめた箏のような声が、ねちゃりと血液の音を伴って、森に響いた。
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