第6話

 時は暫くを遡る。霊園の奥を進む手前、想夜は液晶の奥から聞こえる男の声に、耳を研ぎ澄ませていた。スマホに非通知と称される彼は、奥でケラケラ笑っている。自分の嫌悪の顔を、愛と羚の二人に見せたくなかった。それ故に、想夜は母親仕込みの演技までして、二人から物理的に距離をとったのだ。


「……今日は掛けてくるなって言っただろ、風太ふうた


 電話越しの彼の名を呼ぶ。彼の名は出雲いずも風太ふうた。想夜の多くいる、の友人の一人であった。


『仕方がないやろ。急ぎなんや』


 彼の独特な、西の言葉が弾んでいる。想夜の眉間に、更に皺が寄る。目の前に、政府の軍人が迫っていた。


『もう迎えも送っとる』


 自分の前に迫り、退けと零した男の一人が、首を宙に落としていく。隣にいた軍服も、ある一人赤く塗れて倒れ、ある一人は想夜に銃を向けていた。その銃に対して、想夜は表情一つ変えずに、出雲に言葉を迫る。


春馬はるまの暴れ癖、躾とけって言っただろ?」


 想夜の目の前で、銃身が二つに割れる。アンティーク調の装飾が施された、二つの刃が地面に突き刺さっていた。それを繋ぎ止める中心のネジは、刃にこびり付いた血液を飲み込むようである。その人体液を振り回し、空中を伸び伸びと、しなやかな体躯で舞う、一人の男がいた。彼は消えた銃の先を探す、目の前の兵士を一人、巨大な骨董鋏で食らい、その飛沫を目で追った。


「結構高かったんだぞ、このコート」


 飛沫の先、苦言を呈す想夜の、赤く濡れた顔に、舌を伸ばす。想夜はそれを心底嫌そうに手で遮って、出雲に続けた。


「何処に行けばいい。騒ぎになるなら愛と羚と……母さんも逃がさなくちゃいけない」


 正常であると信じる、自分の家族の、安否を零す。その言葉を聞いた出雲は、やはりケラケラと笑った。


『安心しい。今日を以って、政府の庇護を受けたこの街は、幕府という一つの存在に、真正面からぶん殴られる』


 想夜は黙ってその先を聞きとめる。周りに集まる不特定多数の政府の兵士は、無慚にも春馬の刃に食われていった。その中に、一人、あの時大通りで自分を呼び止めた男を見た。やはりという顔で、こちらを睨んでいるのが分かった。それでも、その男が首を落として死んだのを、黙って想夜は見ている。とりあえず歩き出そうと、愛と羚とは反対の方向に足を動かしたとき、出雲は続けた。


『よおく、よく聞け。お前は飲み込まれるだけでええ。政府に三人を残した所で、お前の母親の、幕府との繋がりはすぐに露見する。愛ちゃんの安全地帯は、今日という日を迎えた時点で、既に無くなってるんや』


 出雲の静かな声が、想夜の耳には心地よかった。ただ聞いているだけでいい。それが、酷く気持ちよかった。


『被害者を演じるんや。お前は今から、幕府に入りたくて暴れまくった殺人鬼共に巻き込まれ、幕府の内通者だった母と共に、幕府に流れ着いた哀れな優しき青年』


 演出家のように、出雲がそう言った。その瞬間、想夜は腰を低くし、目を涙ぐませる。


『殺人鬼同盟とはお前達家族と稲荷山羚を土産として差し出すつもりだ。その為に生かされている。その役目が終わった時、お前はどうなるかわからない。いつ殺されるのかわからない恐怖が、目前の鋏に込められている』


 高らかに出雲の声が、想夜の脳髄を這う。想夜はそれに応えるように、『何も知らなかった』『今まで平凡に生きてきた』『ごく普通の青年』の『柳沢想夜』を演じる。想夜の演技力は、目の前にいた春馬が、喋らずも目で、驚きを隠せなくなる程であった。想夜の真の価値観を知る彼からすれば、想夜はこのような姿にはならないはずである。

 過呼吸気味に出入りする空気。それでも妹の為、と、勇気を薄く持った、絶望に覆われた瞳。蒼白の皮膚。抜けた腰。噛まれる唇は怯えを含む。しかし恐怖に対する念は、口の端から唾液と共に溢れていた。


『あぁ……上出来や。流石はあの大女優の息子』


 何処から見ているのだろうか。出雲は感嘆の声を上げて、何処か遠くで鳴いていた。

 フッと、憑き物でも取れたように、想夜は元の冷静な、無表情のそれを魅せる。よくよく見れば、母の血を継いだ、冷淡で人形のような顔を持っている。その差が大きく見えるのは、いつも、羚達には、道化のような、阿保らしい気の優しいお兄さんを見せているせいかもしれない。


「世辞は要らねえよ。このくらい、いつもやってることと変わりはない。いつもの想夜であればいいんだから」


 電話越しに、想夜は言った。それは酷く冷たい、氷のようなそれである。そして、一瞬だけ息を大きく吸うと、短くそれを吐き出して、また元に戻った。そこにいる想夜は、か弱い、何も秘策を持たぬ、無垢な青年。


『……まあ、ええわ。気を付けて来るんやで。玲子おばさんは……一人でも大丈夫そうやけど、とりあえず咲宮兄妹とみどりちゃんを向かわせとくわ』


 出雲のその言葉に、あぁ、と、短く唱えて、想夜は通信を切る。そのまま電源を切り落とすと、石で埋め尽くされ、血で濡れた地面に落とす。兵士がこちらに向かってくるのを見計らって、踵で全体重をかけた足を落とした。


「……スマホは高くなかったの?」


 ころころと可愛らしい、綺麗な少女のような声が、春馬の喉から響く。それを聞いて、想夜は怯えた表情を崩さずに、冷ややかに謳った。


「これは俺の金じゃねえし」


 怯えの一つも本当は無い、想夜の顔を、春馬は無表情に受け止めて、そう、とだけ零した。未だ敵数は増えるばかりである。望まぬ玩具が増えていく。あぁ、愛は無事だろうかと、一種の不安の種を植えこんで、想夜は春馬にたどたどしく着いて行った。

 後ろ、一つの影を感じて、想夜は振り返る。しかし、そこに誰もいないことを知ると、興味を失ったように、そっぽを向いた。何処かで爆発が起きている。きっと淳史とかいう、クソ餓鬼の地雷を、誰かが踏んだのだ。程度の知れた子供の悪戯に、よくもまあ引っかかってくれるものだと、想夜は安堵する。案外、政府も幕府も馬鹿そうである。秘密の共有者、出雲と春馬だけが、それなりの脳味噌を詰めているように見えた。少数精鋭でいい。多数で群れるからそうなるのだと、心内、鼻で笑う。それの過程すらも、想夜は顔に出さずに、思考を別にして、哀れな青年を演じ続ける。遠く、鳥居が見えた。鳥居の上に、見知らぬ者達が立っている。神社の拝殿、二人の少年少女を連れ添って、玲子が駆けて来るのが見えた。


「想夜! 想夜!」


 必死の顔で、玲子が駆ける。一回り大きい息子の想夜に抱き着くと、涙を堪える様な声で、想夜に呼びかける。


「母さん。良かった、無事で」


 言葉と涙を零して、想夜は不安と安心を織り交ぜたような表情を作り出した。


「貴方こそ無事で良かったわ……ごめんなさい……助けに行ってあげられなくて……」


 玲子は優しく想夜の背を摩る。優しさが滲み出るようであった。温もりが、幼い頃の自分を思い出すようである。玲子を連れてきたらしい、二人の少年と少女が、想夜の目の前に立つ。


「これで俺達も入隊だよね!?」


 少年がそう言って、拝殿の方を見た。ウキウキと、可愛らしい、子供らしさの塊であった。無垢の目に付き添う、その妹と見える少女は、ぼーっと想夜を見た後、共に目線を拝殿へと動かした玲子と共に、そちらを見やった。


「まあ、及第点と言ったところだ。その種族、その幼さにしては、良く出来た方だ、とは思う」


 拝殿から階段を降りてくるのは、出雲ではない。白の布で頭と額、目元を隠し、鋭い眼光をこちらに向ける、長身の男。服装は軍服。だがそれは白い。学生服のようにも見えるが、腰に下げた三本の太刀は、彼を学生とは思わせない。出雲とは違う、低い声。それを追うようにして、同じ場所から降りてくる一人の青年が、想夜と目を合わせる。


「ようやった春馬、水咲みさき水樹みずき。お前らのおかげで俺も幕府暗殺部隊、入隊決定やと」


 染た金髪、黒く光の無い目、何処にでも紛れられる、平々凡々のその顔は、想夜を見てにやついている。


「ごめんなあ、巻き込んで。お土産に丁度良かったんや。ま、お前も待遇は良さそうやし、恨まんでな」


 演技を続けよと、出雲は言った。想夜はそれに了解の意を送る。涙を流して、意識を空中に飛ばし、玲子に凭れかかる。玲子の手は、冷たかった。彼女の鞄が、少しだけ萎んでいるのが見えた。

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