第11話「群衆」
岸野が空港ターミナルビルの屋上に出ると緊張した様子の隊員たちが小銃を構えていた。
「小隊長、市街地方向から団体さんが来ます!」
その声を聞いた岸野はすぐに中腰で駆け寄った。佐々木が屋上の床に伏せてシュタイナー社製の双眼鏡でその群衆を観察していた。
群衆は空港正面の南側から迫っていた。観光地として発展した近代的な街並みは紛争地帯と化し、今では不気味な雰囲気だった。
「これは暴徒化した市民なのかな?民兵には見えないぞ」
岸野がすぐ脇に来ると佐々木は言った。
「たぶん反政府民兵でしょう。戦闘適齢の男がほとんど。先頭を歩いている連中は自動小銃を持ってます。」
その集団は松明や懐中電灯の数を見てもざっと百名以上の規模だった。全員が小銃を持っているわけではないようだが、確かに銃火器を持っている者もいた。彼らはいきりたっているようで、三百メートルほど離れたここからでも彼らの怒声が聞き取れた。激しく憎悪をたぎらせた数百人の集団が、ターミナルビルに向かって迫ってきた。
岸野はこれまでの人生で、これほどの恐怖を感じたことはなかった。自分に課せられた任務と、胸に輝く幹部レンジャー徽章の誇りと意地、そして何より背後にいる民間人たちの存在が、この場所に踏みとどまらせてくれた。
「佐々木二尉、団体客は皆、腹を空かせていそうです。丁重におもてなししなくては」
岸野はなるべく気楽に聞こえるように言った。
「そうだな。格別の上客だが、あいにく今日は休業だ。お帰り願わないと」
そう答えた佐々木の声は震えていた。
「空港南側、敵性勢力が二百メートルまで迫ってる。私が指示するまで撃つことを禁ずる。
佐々木は振り返り、声に恐怖が滲まないように怒ったような声で部下たちに命じた。
「了解!」
いつものように全員が、威勢のいい大声で返した。隊員の中には脅えているのか悔しいのか解らない顔をしている者もいた。しかし全員、覚悟を決めている。
岸野は鉄帽に取り付けた架台にJGVS-V8B個人用暗視装置を取り付けた。単眼の微光暗視装置で起動すると緑色の視界が広がり、迫ってくる群衆の姿がはっきりと見えた。
群衆から離れて近づいてきた男が二人、空港を指さして何かを喚いていた。――手に持っているのはなんだ?
「手前の男達を狙え」
岸野は89式小銃の剣留め付近に取り付けたV-1赤外線照準具で男達を指定した。
暗視装置でしか見えないIRレーザー光線が二人の男に当てられ、他の隊員達の照準線も重なる。
『警告する。こちらは日本国陸上自衛隊。この空港施設への接近を禁ずる。下がりなさい!』
『Stop! Or I’ll fire!』
メガホンを持った隊員が、強い口調のインドネシア語で警告を実施する。インドネシア語、英語での呼びかけが行われるが、群衆は下がる気配はなかった。
そして照準していた男達は手に持っていた物を相次いで投げた。
それは空港敷地内に投げ込まれ、炸裂して爆発音が鳴り響く。投げ込まれたのは破片手榴弾だった。
「手榴弾です」
岸野は爆発の様子を見て言った。
「警告射撃」
佐々木は無感動に命ずる。警告を行っていた隊員の横に立つ隊員が89式小銃を頭上に構えて単発で三発射撃し、乾いた銃声が鳴り響く。
『Back off now! Or I’ll shot you! 』
警告を聞いて群衆は一瞬動きを止めたかに見えた。しかし突如として銃声が鳴り響く。
「群衆、発砲」
「各個に撃てッ!」
レーザーや
先頭集団は合図をしたように一斉にくずれ落ちた。前の者が倒れるのを見て、後ろの者はよろめきながら伏せようとしたが、単連射で次々に放たれる自衛隊側の5.56mm弾を浴びて、並べた人形を倒していくように倒れた。
中央即応連隊の隊員達の射撃は正確を極めた。普段は三百メートルの距離で射撃の訓練を行っている。今の交戦距離は百メートルほどだった。
「RPG!」
爆発的な発射音と共に対戦車ロケット弾が発射され、空港のターミナルビルの一角を直撃する。成形炸薬弾の炸裂によって腹を揺さぶる爆発音が響き、ターミナルビルが揺れる。ロケット弾を発射した民兵を分隊選抜射手が狙撃して次弾発射を阻止する。
「やつらの射撃は百メーター内からが脅威だ。優先目標は対戦車火器、機関銃、接近した敵だ。各班長は射撃に集中することなく状況を掌握して班員に目標を指示しろ」
岸野は無線に向かって怒鳴りながら撃ち続けた。放置車両の影に隠れた敵に向かって5.56mm弾を何発も撃ち込み、頭を上げさせない。対戦車ロケット弾らしきものを背負った敵を視界に捉え、岸野はその敵を撃つ。暗視装置の視界内でも血飛沫が飛び散ったのが見えた。
近い距離にいた民兵達が背を向けて逃げ出す。
「逃がすな」
戦意を失いつつある民兵でも容赦する訳には行かなかった。圧倒的武力を持った敵がここにいると思わせなければ敵は何度でも戻ってくることになる。
いつしか敵の射撃は止み、散り散りになっていた。
「撃ち方待て!撃ち方待て!」
佐々木が怒鳴り手のひらを見せて顔の前で振る。
各員が射撃をやめ、切換えレバーを安全装置に戻す。
「負傷者は!?」
佐々木が怒鳴った。
「1小隊、負傷者無し」
「2小隊もです!」
岸野はその言葉を聞いて思わず息を吐いた。何とか最初の攻撃は凌いだ。だが、これは序の口だ。
しかし佐々木は言い終わった時、右肩に激しく叩かれたような衝撃が走り、倒れた。驚いた通信手の陸曹が佐々木を起こすと防弾チョッキ3型の右肩部分に金属片が突き刺さっていた。引き抜くとそれはAK-47自動小銃の7.62mm弾だった。
「しまった、やられた」
佐々木は動揺したように呻き、そしてすぐさま起き上がって顔を怒らせる。
それを合図にしたかのように再び空港の正面に武装した民兵たちが展開して空港に向かってでたらめな射撃を浴びせてくる。すぐさま隊員達が応戦して射撃すると、今度は甲高い音が聞こえて空港の外で爆発が起きた。舞い上げられた木の枝や土の欠片が飛び散って最前線にいる隊員にも降りかかった。
「今のは!?」
「迫撃砲だ!」
岸野はぞっとした。民兵たちがこの空港を攻撃するために迫撃砲を使用し始めたのだ。四十名ほどのバンドン誘導隊で武装民兵の攻撃はなんとか退けていたが、迫撃砲を使用しての組織的な攻撃を相手にするなら別だ。
「屋内に退避!」
佐々木が叫んだ。迫撃砲弾はこちらが用意した遮蔽物も関係なく上から降ってくる。コンクリート製のターミナルビル内に逃げ込むしかなかったが、そうなると防衛線の火力は半減することになる。
岸野は立ち上がると部下達と共に屋上を降りて空港のターミナルビル内に入って外に面する廊下に走った。
さらに一発、爆発音が聞こえた。まだ残っていたガラスが砕け散る音がどこかで聞こえる。
『敷地内に砲弾落下!』
『負傷者を確認しろ!』
岸野は廊下に出て正面を狙える位置に部下を配置した。
「この位置から狙え!機関銃手!村上、早く来い!」
5.56mm機関銃ミニミを持った村上三曹が全力疾走してくると取り除いた窓から射撃し、曳光弾交じりの火線を空港の外に伸ばした。道路を横断して突き進んでいた民兵たちが土煙の中でバタバタと倒れた。路上にはもうすでに何十人もの民兵が倒れている。再び迫撃砲弾が着弾する。敵に観測手でもいるのか、迫撃砲の攻撃も次第に正確になっているように感じた。
「武器を持っている者を狙え!」
反対側で香坂三尉が怒鳴っていた。しかし銃を持たずに迫ってきた者は、倒れた者の銃を拾って向かってくる。乾いた地面から砂煙が立ち上り、敵の群衆は燃えさかる街を背景にして、留まることなく押し寄せてきた。岸野はすでに三本目の弾倉を使い果たしていた。残りはあと九十発。弾倉を銃本体に叩き込んで槓桿を軽く引き、複座ばねの力で遊底を戻して初弾を装填すると再び銃を構える。
(きりがない……!)
岸野は心の中でそう叫ばずにはいられなかった。救援がいつ来るかも分からない。弾薬は乏しい。
これだけの死傷者を出しているのだから敵はいったん退くかもしれない。岸野は一縷の望みを持って周囲を見渡したが、その気配が全く感じられないことに失望した。
民兵たちにまともな戦術は通用しないのだろう。奴らは飽くことなく突撃を繰り返してきた。こちらの応戦は効果的で、敵が突撃してくるたびに、それを打ち砕くことに成功している。
しかし、突撃が繰り返される毎に、徐々に敵の集団は空港に近づいてきている。防御線を突破されるのは時間の問題だ。空港内にいる民間人達のことを岸野は思い出した。自分達が突破されれば彼らはひとたまりもないだろう。絶対に踏みとどまらなくてはならない。
(なんとしても守らなくては。しかし……)
岸野にとってこれまでの人生で、ここまで絶望的な状況は無かった。
迫撃砲弾の着弾の爆発音に続いてひときわ激しい連続的な着弾音が響き、岸野の左翼で5.56mm機関銃を射撃していた村上三曹が勢いよく倒れこんだ。敵の民兵の機関銃射撃を浴びたのだ。
脇に居た一倉三曹が村上の体を仰向けにし、被弾の具合を確かめようとしたが、すでに事切れていた。一倉は岸野と目が合うと、短く横に首を振って見せた。
「くそ……こちら11、一名被弾」
部下達に動揺が広がるのを防ぐため、死亡したことは無線に流さなかった。何度目か分からない迫撃砲弾が落ちてきて爆発する。建物の至近に着弾したらしく、建物全体が揺れた。
『10、こちら22!砲弾落下、二名負傷!』
香坂三尉の悲鳴が無線に響いた。
銃撃は激しさを増したが、突然民兵たちの後方で爆発が起きた。驚いて振り返った民兵の頭を岸野は撃ち抜く。糸を切られた人形のように民兵は固まってその場に倒れた。
「なんだ?」
迫りくる群衆よりはるか後方で何かが起きているらしい。燃える市街地にキノコ雲が広がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます