第5話 前に進めばゴールが近くなる

人間の文字を狼が人間に教えるということ以上に珍妙な事態がこの世にあるのだろうか、いやないだろう。


お婆さんの家では夕刻から2時間程度語学教室が開催されていた。オオカミが言葉を教え始めて3日目である。オオカミの見立ての通り赤ずきんは学習能力が高く、書きはスムーズに、読みは考えたり辞書を引いたりしながらではあるが出来るようになっていた。


「元々喋りに不足してないからな。口から出る言葉と紙の上の文字を一致させるだけの作業のようなもんさ。」


お婆さんの家にある料理の本がかなり役に立っていた。赤ずきんが内容を動作で理解していることに加え写真が多くイメージがしやすいようだ。


「お婆さんはええと、小麦粉を入れたわ。小麦粉、小麦粉は……あった!そしたら次は『牛乳を温めて少量ずつ加えて煮込みながら混ぜる』であってるかしら。」


「合ってるぜ。」


お婆さんが料理をするまで回復したので、その工程をレシピ本から探し、読み上げる、これが訓練の1つとなっていた。

ちなみに今晩の食事はグラタンである。具はほとんどなく最低限の食事であるが2人と1匹に不満はない。


「そうだわ!お婆さん。明日は何の日だか覚えているかしら。」


食事も終わるころ赤ずきんがお婆さんに問いかけた。お婆さんはペンをとって答える。


『もちろん。赤ずきん、お前の誕生日だろう。明日は御馳走を用意しなくてはね。』


「もちろん。赤ずきん、お前の誕生日だろう。明日は御馳走を用意しなくてはね。」


赤ずきんは読解の練習も兼ねて音読する。そして満足げな顔を浮かべた。


「そう!明日私は12歳になります。そしてなんと私をリンゴ園の正社員として雇ってくれると約束してくれたんです!」


12歳になれば各種契約ができる。そしてその日が明日来るということだ。

赤ずきんの報告にお婆さんも拍手を送る。


「なんだか勿体ねぇな。お前、賢いんだからよ、しっかり学ぶことさえできれば普通に就職も出来そうなもんだ。」


とオオカミは言うがオオカミも分かっている。稼がなくては2人とも生きていくことができない。


しかし赤ずきんはそのことを決して恨んではいない。むしろお婆さんを支えていることを誇りに思っているようだ。数日の共同生活の中でそのことをオオカミは感じ取っていた。


「構わないわ。元はお婆さんの、そしてお父さんが継いでのリンゴ園だから。次は私の番だもの。」


現在は所有権は父親から継いだ赤ずきんにあるが、土地の管理者登録は16歳以上のため、村の農業組合の人が代りに登録されている。その人が現在の赤ずきんの雇用者である。オオカミは一通りの事態をお婆さんから聞いた。


「なるほどな。しかしいいタイミングで文字を教えることが出来たようだ。文字の分からない職員なんて笑いものになっちまうぜ。」


その時、ドアをノックする音が聞こえた。オオカミは反射的に暖炉の中に隠れる。


「すみません。開けますよお婆さん。」


その声はかつて3度オオカミを撃ったあの狩人コンビである。オオカミが隠れたのを確認すると赤ずきんが返事をした。


「はーい。今開けますね。」


赤ずきんがドアを開けると、もちろんあの狩人コンビが立っていた。


「こんばんは赤ずきんちゃん。お婆さんも。」


赤ずきんが可愛く挨拶を返す。お婆さんも優しい笑顔で答える。この2人は中々の詐欺師だなとオオカミは思った。


「前にもお話した狼がまだ見つからないんだ。懸賞金も付いたから、見つけたらすぐ連絡してね。危ないから近づいたり、食べ物をあげたりしたらダメだよ。」


そういって金額と連絡先の書かれたチラシを赤ずきんに渡した。赤ずきんは笑顔で受け取る。


笑顔の裏でオオカミが暖炉にいるとはだれも気が付かないであろう。もちろん狩人は気づかず、おやすみ、と一声かけて帰った。


「危なかった。顔に出てなかったかしら。」


狩人が見えなくなるのを確認すると赤ずきんは胸を撫で下ろした。


「それにしてもオオカミさん、とっても狙われているのね。見たことないくらい0がいっぱいだわ。」


赤ずきんからチラシを受け取ったお婆さんと、お婆さんを後ろから覗くオオカミも驚いた。


「ここまでよくしてもらったお礼に、俺のことを売ってもいいんだぜ。そしたら一気に生活も楽になるだろ。」


「駄目よオオカミさん。オオカミさんはお婆さんを助けてくれたり、私に文字を教えてくれたり。私の方がお礼をしなくちゃいけないわ。」


お婆さんも赤ずきんの言葉に頷く。

しかしオオカミは察していた。売られるにしろなんにしろそろそろこの家を出ないといけないことに。明らかに狩人がこの辺、この家を警戒しているのである。


「それなら俺は明日の夜この家を出ようと思う。もう婆さんの看病も要らないしな。赤ずきんに教えられることも全部教えた。2人が狼を匿っているなんて知れたら不味いだろ。」


オオカミは決意を固めていた。明日赤ずきんの誕生日を祝ったら2人と別れる、それが2人にとって最善である。

お婆さんもその事実に気が付いていたようだ。


「 」


赤ずきんは口を開いて何か言いたそうだったが、言葉は出てこなかった。

赤ずきんも賢い子である。オオカミの言うことが全うなのは理解しているようだ。


「お婆さん、今晩、泊まってもいい?」


赤ずきんはお婆さんに尋ねる。お婆さんは優しく頷いた。


『今日はもう寝ましょうか。明日は忙しくなるわ。赤ずきんの誕生日とオオカミさんの卒業をお祝いするからねぇ。すぐにでも食材注文のFAXを送らなきゃいけない

ね。』


「俺のパーティーもあるのかよ。」


オオカミは寝床である暖炉の中に丸くなり、お婆さんはベッドに、赤ずきんは床に布団を敷き横になった。

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