いつかきっと子どもたちは

@arata673

第1話 万能の世代

今よりも昔、小さなの頃、蝶を観察するのが好きだった。


親の影響だったのか、誰かから教えてもらったのか。


あの細い羽で、空中を舞っていく、扇いで、空気を動かし、自分を運んでいく。


美しく、それでいて力強い。


あの頃の僕は、それがどうにも尊いもののように感じられた。


でも、一つ分からないことがあった。


なぜ彼女は、飛び立つ前に殻にこもるのか。


外の世界は自由で、光に溢れていて、美しいものであるはずなのに。


なぜ一度それから目を背けて、辛い、閉じた場所に行ってしまうのか。


それがどうしてもわからなくて、少し大人になったあの頃の僕は、まだそのことを考えていた。


きっと、僕は蛹だった。




西暦2999年、僕たちの生きる時代を、そう呼ぶ。


1000年前に近い、これを読んでいる人たちからすると、とてつもなく先のことに感じると思う。実際先の話だ。『万能の世代』人は僕らをそう持て囃している。ここ10年、僕らが生まれてからを境に、人類に不可能は無くなった。動物の遺伝子を身体に組み込んで空を飛べるようになった人がいるし、病気はもはや発症すらしない「予防医療」という方向に進化していた。『ネット』と呼ばれているものに関しては君たちの想像通りの進化を遂げていると言って良いだろう。古いデータで読んだ『スマートフォン』や『パソコン』というものは無くなり、脳が広大な光の中に接続されていて、ただそこにいるだけで僕らは知り得ない情報をダウンロード出来るようになっている。もはや人類に『知らない』なんていう概念は存在しないのだ。


プライバシー機能、繋がる機能。様々な項目に分けられ、ただ意識するだけで相手とつながれるようになったし、人は当たり前にワープ技術を取得した。


人類に仕事、という作業は無くなり、ほとんどのことをあらゆる状況で活動できるスーパーロボットに任せている。


人類が創造した動物たちも今は街中を駆け回り僕たちの心の安定を保ってくれている。僕たちの世代は、想像しうることは全てが叶う世代なのだ。


『そこ』に到達したとき、まず人々は喜んだ。願っていたことの全てができるのだ、これほど素晴らしいことはない、と。実際に最初の一年は本当にお祭り騒ぎだったようだ。毎日のように創造されて開催される祭り。子供たちも、大人たちも、出来ることを出来るだけして、世界を楽しんだ。


しかしそんなこともゆっくりと日常になっていってしまう。驚きが当たり前に、想像は日常に。そうやって僕たちはゆっくりと夢や希望を失っていき、ここ10年間は新技術とやらも出てきていない。ただ流れるように生きている。


それは、どんな気分だったのか。まだ生まれたばかりだった僕にはわからない。自分たちの日常から驚きやワクワクそういう刺激が失われていくのは。


どれほどの恐怖だったのか。そしてじわじわと蝕むこの毒が僕の全身を回っていくのは一体いつになるのだろう。そう考えれば人類ができないことが一つだけある。人類は『できない』ができなくなってしまった。あぁ…これだけはずっと…持ち続けるべきだったのに…。


今年、適当に機能していた未来を見続けるレンズが唐突にこの星の終わりを告げた。


久々の刺激に心を震わせた科学者たちはこぞって頭を動かし、どうにかこれを回避できないかと考えた。情報を共有し人類全体で考えた、が無理。


これは地球そのものの寿命で、僕らにはどうしようもないことなのだと。


これを受けて人類は久しぶりに、少し、荒れた。


今までも続くと思われていた道の先が無くなったのだ。1ヶ月ほど頭の中を悲鳴やらが過ぎ去っていった。しかしそれもしばらくすると人類は気づいた。


「どうして私たちはこんなにうろたえているのだろう、生きていてやりたいこともないのに」と。こんな世界になって、それでも懸命に残っている神とやらを信じている集団は「それこそが魂が告げている叫びなのだ。」と声をあげた。


その声を聞いてか、別の惑星に移住しようとする人が出た。


その逆に、この星とともに終わろう、と決意するものも出た。


僕の両親は後者だ。


「なぁ、空。お前はどうしたい?別に親がそうするからって地球に残らなくてもいいんだぞ?」


現代では珍しい草の香りのする僕の家のリビングで告げられたあの言葉を思い出す。僕の両親は所謂古き日本的、古風な人々で、支給されるデザインハウスではなく、1000年以上も続く資料にあるような「和風」な家に住んでいる。


だからなのか、進み続けることをやめて「ここにあろう」という精神がつよい。よりよい世界にするのではなく、世界に合わせて自分が変わっていく気質だ。


そんな両親だから、世界が終わるとしたら自分たちも消えようという選択肢に至ったのだろう。


「僕は…まだ迷ってる…」


我ながら呑気だ、とは思っている。世界が終わるというのに、刻限が刻一刻と迫っているのに。自分の道が見えていないのだから。


「なら、この星を回って来たらどうかしら。この星の美しいところ、汚いところ。その全てを見て、どう感じるか。もう可能性がないと感じるのか、それとも自分にとっての『未知』があると思えるのか。見てきたらどう?」


行き止まりの未来へ進んでいることが怖かったのか。それとも自分の未来が行き止まりだと錯覚しているだけなのか、あなたはしっかりと考える必要があるのよ、と。僕の母は言った。


「父さんと母さんは、生きようとは思わないの…?今の人類の技術なら、きっと他の惑星に移ったって何不自由なく暮らせる…もしかしたら、他の惑星にだって人が求めた可能性の先があるかもしれない…」


単純な疑問だった。自分に生きさせようとするくせに、なぜこの人たちはまったく逆の方向に進んで行ってしまうのか。往々とした回り道を繰り返した人の果て、なにもかもが変わっていく様子を見てきたこの人たちは、何を思っているのだろう。


「俺はな、空。この星が好きだったんだよ。空は高く、風はどこまでもかけていき、自然に果てはないように感じられた。延命技術ができる少し前に生まれた父さんたちはな、空が思うよりもずっと長くこの地球と生きてきた。」


延命の技術とは今から60年以上前に生み出された技術である。人間の細胞を、筋肉を脳の運動を、ある一定の振動をかけ続けることで若返らせることのできる技術だ。


ちょうど100歳を超える父は、その昔からここにいるという。


「あの頃はまだ、人間も前に進もうと躍起になっていたし、可能性という言葉をよく耳にした。誰もが等しく希望があって等しく楽しかった。世界に天井はなかったんだ。」


「私たちはね、あの頃を知ってしまっている。地球にまだ不思議が残っていて、世界にはまだ刺激があって、本当に楽しかったことを知ってしまっているの。」


「全てを知ることのできる万能の世代である君たちとは逆なんだよ。新しい惑星に行って、ここにある風も、空も、水もなかったら俺たちは耐えられない。変われないことが怖いんじゃないんだ。変わってしまうことが怖くてたまらない。」


長く生きてしまったせいだろうと、二人は涙を流して笑っていた。


“だからここで終わるのだと”もう充分生きたからと笑っていた。


その晩、珍しく眠りにつけず、のんびりと考えた。父の言葉、母の言葉。


不自由だった時代のこと。そんなことを深く考えた。


思えば思考するという作業をするのは久しぶりだったのかもしれない。頭の中に百科事典が詰まっているような僕たちはわからないということがよくわからない。だから両親の言っていることが、わからないという感覚は本当に久しぶりで、少し楽しかった。


そうして考えあぐねて、陽の光がさし始める頃、思った。遥か昔風にいうのなら


「そうだ、旅へ出よう」と。

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