第2話 彼の事情
竹島さんと出会った私は、時々『逃避所』で彼と一緒にベンチに座って夜空を眺めながら談笑するのが習慣になっていた。眠れない夜に竹島さんに電話をかけると、彼は必ず出てくれて、直ぐに『逃避所』に来てくれた。
竹島さんと星空を眺める日は、暫くして訪れた。
公園のベンチに座りながら竹島さんが来るのを待っていると、彼は息を切らしてやってきた。
「すみません。遅れてしまいましたね」
「大丈夫。見て」
私は夜空を指差した。運良く、今日の夜空は一面に星が見えた。
「綺麗ですね……」
竹島さんは感嘆するように言って、私の隣に腰掛けた。
「本当に、何度見ても綺麗だ……」
私は竹島さんの横顔を見つめた。星空を眺める竹島さんの表情は優しくて、でも何故だか寂しげで、ドキリと胸が跳ねた気がした。
「……あなたと一緒に、あの星空が見られて良かった」
本心を伝えると、竹島さんは私を見て微笑んだ。
「僕もです。……いつも、一人であの星空を見ていましたから。佐川さんと一緒に見られて良かった」
竹島さんの微笑みにドキドキしながら、気になったことを彼に尋ねた。
「竹島さんは、ご結婚はされてないんですよね?」
「していませんよ。恋人もいません」
私は何だかホッとした。
「佐川さんは……いや、いたら僕ではなくその人に頼みますよね」
「はは。残念ながら、一緒に星空を眺めてくれる恋人はいないんです」
同士なら、いますけど。そう付け加えると、竹島さんはじっと私を見た。
「……竹島さん?」
「……いえ。……ところで、星空が見られた記念に飲みませんか? あそこに自販機があるでしょう」
私が頷くと、竹島さんは立ち上がって、自販機に近付いてビールを二つ買って戻ってきた。
「僕の奢りです」
「そんな。悪いですよ」
「気にしないでください」
竹島さんは私にビールを差し出した。躊躇いながらもありがとう、と受け取ると、竹島さんはビールの缶を開けてごくごくとそれを飲んだ。
「ふふ」
「……どうしました?」
「なんか、オジサンみたいだなって」
「オジサンですよ」竹島さんは真面目に言った。「若く見えるのは、若作りをしているからです」
若作り。何だか意外だなと思った。竹島さんが若さに拘るイメージがなかったからだ。
「僕が、星空を見るのが好きなのはね」
ビールを飲みながら、星が瞬く夜空を眺めながら竹島さんは言った。
「あそこに家族がいるからです」
「……家族?」
「はい」
竹島さんは頷いて、寂しげな顔をした。
「僕の両親は、僕が高校生の時に事故で亡くなったんです。それからは兄と二人で生きてきましたが、その兄も、僕が27の時に病気で亡くなりました」
思わぬ事実に愕然としていると、竹島さんは微かに笑った。
「ほら、人は亡くなったら星になるというじゃないですか。僕はそれを信じているんです。父さんも、母さんも、兄さんもあそこにいると」
何も言えなかった。竹島さんは隣にいるのに、とても遠い人のように思えた。
「兄さんは、とても優しい人でした。昔からいつも一緒にいました。兄さんが亡くなって、僕は兄さんより歳上になるのが嫌で、せめて外見だけは兄さんよりも若く見えるように若作りをするようになった」
竹島さんは一気に言って、苦く笑った。
「兄さんが亡くなった日から──僕は時間が止まっているんです。周りはどんどん変わっていくのに、僕だけは変われない。僕だけがあの日に取り残されているような気がしました」
竹島さんは、星空を指差した。
「どうしようもない気持ちになる度に、僕は決まって星空を見上げた。あそこには、僕の家族がいるから……。……そうして、何度僕もあそこに行きたいと思ったか分からない」
竹島さんの指は、震えていた。
私が何も言えずにいると、竹島さんは笑みを消した。
「すみません、こんなことを……。酔っているのかもしれません」
竹島さんは、ずっと星空を見ている。
不安になって、私は竹島さんの腕を掴んでいた。
「行かないで」
竹島さんは、遠回しに自分も死にたいと言ったのだ。竹島さんが、もし死んでしまったら──そう考えてゾッとした。
竹島さんは、私を見た。
「清子さんがそう言うなら、僕はここにいるよ」
竹島さんの言葉にホッとして、下の名前で呼ばれたことに気が付いて、微かに頬が熱くなった。
「静二郎さん」
躊躇いながら私も彼を下の名前で呼ぶと、彼は目を見開いて、嬉しそうに笑った。
「いいね。もう一回呼んで?」
「せ、静二郎さん……」
静二郎さんはまた笑って、私に掴まれている腕を見た。
「あ。すみません……」
静二郎さんの腕から手を離そうとすると、その手を掴まれて、強く握られた。
「あなたはこの公園が『逃避所』だと言いましたが、僕の『逃避所』は家族がいる星空だ。一度そこに逃げたら、もう戻ってはこられない……」
静二郎さんは苦しげに言った。
私は胸が締め付けられる思いがした。
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