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曜がゆっくりと休養を取ってからはや三日。その間、テレビではニュースが盛り上がりを見せていた。『高階情報処理会社社長死亡! 犯人は秘書』とか『犯人自殺!? 自身の行いを悔いたのか』など、ワイドショーが脚色した薄っぺらな内容を報道していた。真相は、二人と幾多の霊しか知らない。
今日は九月一日。夏休みの終わりだ。何時でも学校へと向かえるように、昨日から準備しておいた学生鞄を手に持ち、クローゼットに仕舞ってある身体に馴染んだ制服に素早く着替える……と、そうしたいのだが、そうもいかない。袖口がとても広く、帯に腰紐にと、それなりに本格的なセット。そう、着物だ。と言っても、上半身だけで下は普通のズボン。女子の場合も普通のスカートなのだが。
曜の通う高校の理念が『古きを訪ねて新しきを知る』であり、着物風の制服もその一環だそうだ。かなり珍しい制服なので、結果的に生徒の人気が出ているようだ。
さすがに半年も経っているので、慣れた手つきで、黒に白い花びら模様(ちなみに女子は薄紅色に白い花びら模様だ)の制服に着替え、どうせ始業式なんてすぐ終わるだろうと思ったので、何も食べずにそのまま家を出た。
自宅から徒歩十分程で学校に到着する。その間の道は何の変哲もない、よく言えば平穏で、悪く言えばつまらない道である。
そんな道に意識を持っていかれるなんてことは無く、昨日の事ばかりが頭に浮かぶだけだった。
『生きてやる』。そう叫んだ事を思い出す。
人間にとって当たり前の事を言うとは、少し恥ずかしい気持ちが芽生える。
それでも死のうと思っていた自分が、こんな当たり前の事に気付けただけでも、少しは進歩したんだろうと思い込み、これから自分はどう生きようか。そればかりを考えるようになった。
中庭へと続く正門に着いた時には同じ着物制服に身を包んだ大勢の先輩、後輩、同級生が学校の中にゆっくりと吸い込まれている。
『
何故こんな名前なのかというと、この学校が建つ前、この場所は亡くなった人と逢うことが出来るという伝承が昔からあり、その伝承以外には何も無い空き地だった為、学校を建てることが決まったらしい。当初、名前は全く違ったのだが、霊と遭った、霊を見たなどの話が幾つも飛び交い、昔の伝承の事もあり、いつの間にか呼ばれる名前が変わり、そのまま公式の学校の名前として使われるようになったらしい。一部の人ではお化け屋敷の相場である「洋館」から、漢字を変えて「妖館」という愛称(?)で呼ばれるようにもなった。
四階建ての比較的綺麗な校舎で広い校庭があり、サッカーと野球のどちらも規模が小さなものであれば、同時に練習することが出来るくらいである。
曜が生徒で溢れかえっている昇降口付近まで行くと後ろから右肩を叩かれる。
慌てて振り返ると頬に人差し指が突き刺さった。眼球だけ動かして横を見ると、長めの髪で右目の辺りが少し隠れている。正体はすぐにわかった。
「黎明。何やってる?」
くっきりとした眼で曜を見つめ、やがて黎明は歯を見せて笑い出し、肩から手を放す。
「古い手でも引っ掛かるもんだねー」
そう言った黎明を曜は三発引っ叩いた。それから制服の襟首を掴み、そのまま歩き出す。
「くだらない事はいいから、とっとと教室に行くぞ」
「はーい」
呑気な声で引きずられながら返事する黎明。
そんな二人の姿を周りの生徒は込み上げる笑いに耐え切れず、くすくすと声を上げた。
少しばかり、曜は不思議に思った。黎明のことだ。先日のことを問いただしたくて仕方がないだろうと思っていたのだが、特に何の変化もない。無かったことにしようとでもしているのだろうか?
黎明に聞くこともできず、結局疑問は晴れないまま、二人は三階の階段の手前にある一年A組の教室に辿り着く。
中に入ると見慣れた教室と生徒達がいた。周りの生徒が曜を見ると、急に笑うのを止める。話し声や笑い声に包まれていた教室が一気に静かになった。
「あ……曜。……その、大丈夫か?」
両親が亡くなったことは既にクラスメイトは知っている。心配してくれている生徒達に、曜は微笑んで答えた。
「大丈夫。もう吹っ切れたから。だからそっちも気にすんな」
その姿を見て皆は狐につままれたような顔をして曜を見た。そんな中黎明が声を上げる。
「ほらほらー! そんな辛気臭い事言わない言わないー! 本人がこう言ってるんだからー、優しく迎えてあげようよー」
その言葉を皮切りに、皆が曜を歓迎した。これからもよろしくとか、困った事があったら相談に乗るよとか、いろいろと優しい言葉を掛けられた。ふと、誰かの視線を感じて、その方を見てみる。そこには茜が座っていた。茜は曜と目が合うと、さっと視線を手元の本に戻した。
何だと思ったその時、チャイムが鳴り、それぞれ席へ座っていく。曜は最初自分の席が何処か忘れて戸惑ってしまったが、すぐに気付いて窓際の列の一つ隣りの一番前の席に座る。それからすぐに担任である雛乃芽衣子が入ってきた。
今年赴任してきた先生で、黄色いカーディガンを着た、ピンクの髪留めがチャームポイントの二十代の女性だ。
教壇に立つといったん周りを見てから声を上げた。
「はい皆おはよう。久しぶりにみんなの顔を見たけど、元気そうでほっとしました」
「むしろ先生の顔が見れなくて寂しかったでーす」
黎明の軽口に男子の大半は頷いた。彼女は男子生徒にとってマドンナの一人だった。
「相変わらず軽い口ねぇ光墨君。さて、早くも元気な声が聞けたし、早速始業式に行こうと思うけどその前に報告がありまーす」
そう言うと生徒達はざわざわと騒ぎ出す。そんな生徒達を見兼ねて芽衣子は手を叩いて注目と合図する。やがて静かになった生徒達に芽衣子は言った。
「実は……珍しく、転校生がやってきました~。今教室に入ってくるから、皆拍手~」
芽衣子が拍手し始めるのとほぼ同時に教室の引き戸が開けられる。
転校生はたった一人の生徒を驚かせた。
ぼさぼさの髪型で寝癖を軽く解かしたような感じ。すっきりとした悪くない顔立ちで、ほのかに蒼い瞳が特徴的な少年。
生徒は皆、特に女子は彼の顔に釘付けになった。
教壇に立った少年はこれから共に学ぶ同志を見渡してから口を開く。
「今日から皆さんと共に過ごす事になった、泉悠です。よろしくお願いします」
それから皆拍手して、彼を歓迎した。二人を除いて。
曜は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、ただ茫然としていた。
黎明はおーと声を上げて驚いていた。
「じゃあ泉君の席は窓際の咲間君の隣…どうしたの、咲間君、?」
曜の顔を見て不思議そうに訊く芽衣子。それに釣られて生徒は全員曜を見る。曜は未だ信じられないと言わんばかりの表情で答える。
「いや……何で此処に悠が……」
「二人は……知り合い?」
誰かがそう言うと生徒達が騒ぎ出す。それを抑えるかのように悠は大声で言った。
「たまたま喋った事があるんですよ。彼と黎明君とね」
それから悠は曜の座っている机まで歩き、腰を曲げて自分の顔を曜の耳元まで近付け囁く。
「後で話がある。屋上に来てくれ」
そう言ってから腰を元に戻し、芽衣子に向き直る。
「雛乃先生。そろそろ始業式が始まるんじゃ?」
「え? ……あっ! もうこんな時間! さっ皆、校庭へ急ぐわよ!」
芽衣子と生徒達は次々と教室を後にした。悠も黎明も涼しい顔で出ていくので、曜は我に返り彼らの後を追う。
退屈な校長の話を軽く聞き流し、再び教室に戻りホームルームを終わらせると、悠の周りには生徒の囲いが出来ていた。転校生への質問攻めが悠を待っていたのだ。
しばらく解放させてもらえそうになさそうなので、曜はひと足先に屋上へと向かうことにした。
一番奥の階段にだけ、屋上へと通じる道がある。最近は自殺なんかが問題で閉め切る所が多いが、『たとえ屋上を閉め切っても自殺する手段などいくらでもある。ならば景色の良い屋上へ行く事を禁ずるのは自殺者を減らす事への貢献にはならない』という理事長の考えで、屋上は常に開けっ放しである。
屋上にはベンチが二つほどあり、フェンスの代わりに曜の胸の上程の高さの、ステンレスでできた手すりがある。これを見る限り、さあ来い自殺志願者! と、どっしりと待ち構えているかのように見えなくもない。
空が蒼く曜の眼に映る。所々にある白い雲が、風に揺られてゆっくりと流れている。
屋上の景色はやはり綺麗だと改めて実感する曜。こればかりは理事長には感謝しなければ(予想できるだろうが、理事長はかなり変わり者だ)。地面に寝そべってみる。
ああ、綺麗だ……。素直にそう感じた。
頭に何かが当たる。不機嫌になりながら身体を起こして、良い気分を台無しにした元凶を探す。水の入ったペットボトルが転がってきたようだ。それから屋上の出入り口を見ると、もう一つのペットボトルを持ちながら悠が立っていた。
「差ーしー入ーれ。やるよ」
「頭にぶつける必要は無いんじゃないか?」
細かい事は気にすんなと言ってペットボトルの蓋を開け、悠は水を飲む。曜もせっかく貰ったので、ありがたく頂くことにした。
一息吐くとふと曜はある事を思い出す。悠の右手の包帯が既に外されている事だ。
「お前、傷もう完治したのか」
「ああ。出血はけっ、こ、う、し、た、け、ど、深い傷でもな、かっ、た、し」
悠は毎度毎度の口調でそう言って欠伸をした。人が心配してやってるのに。曜はまたいらつく。いくら傷が浅くても完治するには早過ぎる気がしたが、さっさと話を進めることにした。
「それで、話って?」
曜が水を一口飲んでから訊くと、丁度悠は水を飲んでいたのでタイミングが悪く、思わず咳き込んでしまう。それを見た曜は、心の中でざまあみろと毒づく。やがて咳も治まり、悠は軽く呼吸を繰り返してから真面目口調で本題に入る。
「依頼料の事だよ」
「ああ、やっぱり請求しに来たか。で、訊くけど幾ら?」
「いや、お金はいい」
曜は目を細める。どういうことだ? そう疑問に思っていると、悠は曜の目の前まで行き、曜の顔に自分の顔を近付けて、曜の疑問に答える。
「社員になってくれ」
「は?」
「だから、逢わせ屋の社員になってくれ」
曜の後ろから一陣の風が吹く。以前のとはまた違う悪寒が背筋に走る。そして、これで何度目だろうか。何時も悠に対して投げ掛けた言葉を、これでもかと言うくらい大声で叫んだ。
「はあぁ!?」
〈続〉
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