6

 前髪を全てオールバックにした髪型で、プライドを人一倍持っているような雰囲気を持つ、スーツを着こなした男は足早にある場所へと向かっていた。

 早歩きである場所へとぐんぐん進む様は、何処か焦っているような雰囲気を漂わせている。

 表情は硬く、下唇を噛んで気を落ち着かせていた。

 灰色のカーペットの床を黒い革靴が踏む。カーペットの御蔭で、足音はほとんど聞こえない。

 延々と続く廊下に嫌気が差したのか、男は小走りし始める。

 歩いていた時より足音は少し大きくなった。男の焦りを表しているようだ。

 やがて男はあるドアの前で止まって、そのドアを睨みつける。そしてノブを握り、『社長室』と白いプレートに書いてあるドアを開けた。

 部屋に灯りはない。すでに捜査は一時的にだが終わっているため、『入るな』という注意だけを受ける形で、事実上この部屋は解放されていた。だが男は電灯を点けず、持参したペンライトで部屋を照らす。

 やがて灰色の横幅の大きいワークデスクを照らすと、そこへ一目散に駆け寄り、デスクの引き出しを調べ始めた。

 ペンライトを口で咥え、両手をばたばたと動かす。

「それじゃあ見辛いですよ」

 声が聞こえた。若い少年の声だ。男がそう理解するのと同時に、パチッという音聞こえ、その瞬間に電灯が点く。

 ドアの両脇に、二人の少年が立っている。一人は黒い長袖のシャツを着て、ほのかに蒼い目をした少年。もう一人は半袖の赤と黒のチェックのシャツを着て、ずっと男を睨みつけている少年の二人だ。二人とも、雨に濡れたのかずぶ濡れだった。

「社長室で何かお探し物ですか?」

 先程聞いた声で、蒼い目をした少年が訊く。別の少年は未だ男を睨みつけたままだ。男は生唾を飲み込み、あくまで平静を装って訊く。

「君達、何処から入った? 此処は立ち入り禁止だ」

 すると青い目をした少年はくすくすと静かに笑いながら言う。

「そんなことはどうでも良いでしょう。それよりも、私はあなたに話があるんですよ。早野武さん」

 早野と呼ばれた男は青ざめる。何故この少年は自分の名前を知っているのだという顔で、蒼い目をした少年を見る。

 馬鹿な。気付かれてない筈だ。早野は自分にそう言い聞かす。

 そんな事は露知らず、彼は優しく微笑んでいる。早野にはそれが、とても不気味なものに見えた。そうこう考えていると、少年は話し出す。

「僕の名前は泉悠。此方は咲間曜君。聞いた事ありますよね? あなたの御友人、咲間栄治さんの息子です」

 紹介された曜は未だにじっと早野を睨みつけていた。早野は思わず顔を逸らす。悠はそんなことも構わずに、話を続ける。

「あなたですよね。曜の両親を殺したのは」

 早野はばっと悠の方を向き、眼球が飛び出るほど眼を見開く。

「な……何を言ってるのかさっぱり……」

「あなたは咲間栄治さんをある事に利用しようとしたのです」

 早野の言葉を無視し、悠は雨の染みた紙をポケットの中から出す。濡れないように工夫して入れたつもりだったが、予想外の強い雨だったのであまり意味は無かったようだ。

 悠はくにゃくにゃ曲がる濡れた紙を、苦労してやっと安定させ読み上げる。

 それに書かれていたことは早野のくだらない計画を解き明かすためのパズルのピースとなる情報だった。

 高校時代からの友人だった咲間と早野は、夢を語り合っていた。

 咲間は建築家。早野は大手会社社長。

 それから五年後。咲間は夢を叶えた。一方早野は小さい会社の社長秘書を務めていた。

 しかし、早野の務めた会社は実力があり、ぐんぐんと業績を伸ばしていく。そして約十二年前。会社はついに高層ビルを建てることとなった。

 一方咲間は、未だ名の売れない建築家として、家庭の事を気にする毎日だったらしい。

 悠がかなり簡潔に説明した後、早野は唇を震わせ、前に出て二人に近付く。

「そ、それが今回の自殺と何の関係があるっていうんだ」

「それが、あ、る、ん、で、す、よ。それに、栄治さんは、自殺(じ、さ、つ)、じゃ、な、い」

 そう言って早野の方へ歩き、少し腰を曲げて、自分の顔を早野の顔に近付ける。そして早野の表情を覗き込みながら、嫌な薄ら笑いを浮かべる悠。

 曜は今すぐにでも早野を殴りたい衝動に駆られる。しかしそれを堪えて、悠が全てを話し終えるのを待つ。

 そんな曜の気遣いも知らず、曜は薄ら笑いを浮かべたまま話し出す。

「あなたは友人という肩書を利用して、金を巻き上げようという計画を立てたんでしょう?」

「なっ何を根拠にそんな……」

「此処の設計はほとんど栄治さんがやったそうですね。それを頼んだのは、もしかしてあなたでは?」

 早野は肩をびくっと一瞬震わせる。それが悠の予想が当たっている状況証拠になった。

 早野のその様子を見ると悠は笑うのを止め、腰を元に戻す。

「あなたは此処の設計を栄治さんに任せた。いくら友人とはいえ当時は無名の建築家。そんな大きな仕事を、普通任せる筈はありません。では何故任せたのか?……栄治さんの知名度を上げるためです」

「知名度を上げる?」

 早野の声ではない。曜の声だ。曜もいくつか話は聞いたのだろうが、全貌はまだ話されてないようだ。

 悠はそういえばそうだったという顔をして、曜の方を向いて答える。

「そう、高階情報処理会社は世間で注目を集めていた。もしそのビルを無名の建築家が設計して成功すれば、建築業界で一躍有名となる」

 曜の髪の毛から落ちた水滴が頬に付き、水滴と共に汗が混ざって顎まで滴り落ちる。

「まさか……」

「……知名度が上がれば、栄治さんの腕が認められる。現にネットでは、高階情報処理会社ビルの建設の話が一番有名みたいだし、それ以降から様々な建設にも携わっている。……さぞ稼いだでしょうね」

 悠は早野に向き直る。慌てて早野はまた顔を逸らす。右手で握り締めているペンライトが、小刻みに震え出した。

 曜も右手を小刻みに震わせ始めた。ただ、早野の恐怖に満ちた表情と、曜の怒りに満ちた表情から、その手に込めた感情はそれぞれ違うものだとわかる。

 悠はまた腰を曲げて早野を下から見上げる形で威嚇する。

「あなたの計画はとてつもない時間を要するものでした。何年も時間を掛け、ついに先日実行に移した」

 悠は腰を戻し、目線を早野と同じくらいにした。悠の顔は笑っている。

 曜はその笑顔にも、先程から滞ること無く続く怒りを覚える。しかし、悠にも心の底では怒りがある事はわかっていた。だが、たとえ表面上でも、どうしてもその笑顔はあまり許せなかった。悠はそんな曜の思いも知らず、今回の事件の真相を話し始める。

「あなたは栄治さんをこの会社の地下駐車場に呼び、金を請求した。口説き文句は恐らく……」

 悠は右手を肩ほどまでに挙げ、ゆっくりと歩き出す。特に行先は無く、ただぶらぶら歩くだけだ。

「私が君を、このビルの建設に指名し、な、かっ、た、ら、此処まで、有名にな、れ、な、かっ、た、筈、だ。君が、一流の建築家にな、れ、た、の、は、私のおかげだ。そのお礼として、私に君の資産の一部を渡したまえ……とでも言ったのでしょう。しかし栄治さんは断った。そこであなたは栄治さんを紐状の物で絞殺。凶器は恐らくそのネクタイ」

 お馴染みの口調でそう言って、早野の赤と紺の色をした、ストライプのネクタイを指差す。早野は黙ったまま俯く。それは悠の言った仮説は真実だということの暗黙の証明となった。

 悠はそれを見てまた笑顔になる。そして自分の推理を続ける。

「栄治さんの遺体をトランクに乗せ、咲間宅へと向かった。情報処理会社の力で、他の家族が家にいない時間帯を調べるのは容易かったでしょう。無事に到着し、栄治さんが持っていた鍵で玄関を開けた。あなたは予め殺す可能性を想定し、遺書を書いておいた筈です。凶器を紐状の物にしたのも、首吊り自殺に見せかける為ですね?」

 悠は早野に訊いた。早野は俯いたままでしゃべろうとしない。黙っていることが余計に自分の首を絞めるとも知らずに。悠は何も話さない早野を見て諦めたのか、話を再開する。

「栄治さんの書斎で作業をしていると、予想外の出来事が起こった。遥さんが予定より早く帰って来てしまったのです。焦ったあなたはキッチンに置いてあった包丁で刺殺。その後書斎で作業を再開。そして最後にパソコンで遺書を書き残して部屋を去った。死亡推定時刻の情報で、無理心中を行った筈の栄治さんの方が先に亡くなっていたのはこれが理由です」

「じゃあもし俺がもっと早く帰ってたら」

 今まで黙っていた曜は久しぶりに口を挟んだ。悠は曜の方に向き直し、平然とした口調で質問に答える。

「殺されてただろうね」

 それを聞いて曜は背筋にさぁっと寒気が通り抜けた。

 殺されていたかもしれない。そう思うとほっとした気持ちと、なんだかやるせない気持ちでごちゃごちゃになった。

 そんな曜の様子を気遣うことも無く、悠は話を一方的に続ける。

「高階社長はあなたの計画を知っていた筈。何処の誰かも知らない建築家に大切なビル建設をすんなりと頼むわけがありません。そして、僕が頼んだ曜の両親の情報が書かれた書類が何処にもありませんでした。あなたが処分したんですよね? 社長を殺した際に。口封じと強請られるのを恐れたから。さらに僕らを轢き殺そうとした。理由は当然、曜の両親のことを調べていたから。違いますか?」

 早野は顔を上げた。今度の表情は恐怖ではない。むしろ怒り、反抗の目をしていた。

「証拠は無い……証拠は……」

 早野の最後の抵抗だ。悠は黙って歩き出し、早野の横を通り過ぎる。横を通り過ぎた瞬間に早野の生唾を飲み込む音が悠には聞こえた。悠は高階の仕事机で立ち止まる。

「高階社長の遺品の一つに、プラスドライバーがありました」

 ポケットから自前のプラスドライバーを取り出す。

「随分と奇妙に思ったんですよ。殺される前に、この部屋で何か分解するものでもあっただろうかってね」

 悠がドライバーの先端を、ある物のネジに向けた。

「しかし、違ったんです。このドライバーは分解する為ではなく……」

 四つのネジでがっちりとデスクに留まっていた電話を取り外した。

「狭くて固定できて、普通は探さない場所にものを隠すための手段だったんです」

 悠はその下にあった茶色い封筒を手に取る。それを見た早野は目を大きく見開いて、動揺の色を見せる。

 悠は軽く跳んでデスクの上に座り、今度は真顔で言う。

「予め用意して使えなくなってしまった遺書です。これを使って高階社長はあなたを強請ったんですね?」

 返事はない。悠は封筒をデスクの上に置き、曜の元へ歩く。早野は自分の横を悠が通り過ぎた瞬間、矢を放ったようにデスクに飛んでいき、封筒を取る。そしてポケットから百円ライターを取り出し、何回か空振りしてやっと点いた火で封筒を燃やし出した。

 曜は動くことなく、茫然と燃える証拠品を眺めている。

 悠は証拠品が燃えているのに眼もくれず、曜の肩を叩いて出口へと促す。

 悠が扉を開けて、曜は振り返り、早野に憐みの目を向けた。五秒くらい見て、二人は社長室を去った。

 扉が音を立てて閉まり、しばらくしてから早野は大声で笑い始める。

「はははははははは! 証拠なんて無いぞ! もう誰も私を捕まえることは出来ない! はーははははは! そしてお前ら! 絶対に逃がさんぞ。お前らを最後に殺してしまえば、俺の勝ちだああああぁぁぁぁぁぁ!」

 声高らかに笑う。今までつなぎ止めていた理性を弾き飛ばし、何かから解放されたように、とても楽しそうに笑った。

 笑い続けて、ぴたっと急に笑うのを止めた早野は、高階の仕事机に置いてある白く薄い電話を取り、素早く番号を押して、受話器を耳に当てる。

「もしもし、早野だ。頼みたい事があるんだが……」

 幾つかの説明を警備員室にした後に、彼はふらふらとした足取りで、上の階へと向かう。

 後はの処分だ。あれさえ何とかしちまえば、それで全て俺のもんだ。


 その頃二人は廊下を全速力で走っていた。床を雨水や汗で濡らしながら走る。

「おい! 本当にあれでいいのか? 証拠燃やされたんだぞ!」

 曜は走りながら叫ぶ。悠は落ち着いた口調で答える。

「大丈夫だよ。それより早く走れ。……面倒なことになる」

 曜はそれ以上何も訊かなかった。悠も何も言わなかった。

 走って走って、悠がボタンを押し、開いたエレベーターに乗り込み、一度も止められることなく地下駐車場に着く。

 エレベーターのドアがゆっくりと開き、開き切った音がスタートの合図だったかのように二人は走り出す。

 コンクリートと靴がぶつかり合い、タァンと大きな音が雑で適当なリズムを刻んでゆく。ほとんど密閉された空間なので、あちらこちらから反響音が聞こえる。その音を聞きながら出口を探す。大きなビルで社員も多いので駐車場も広く、なかなか出口に辿り着けない。

 二人はまだかまだかと走りながら辺りを見回していると、曜が悠の肩を叩く。二人は立ち止まると、曜はある方向を指差す。指を差した方向には、横幅の大きい穴がある。その奥は暗くてほとんど見えないが、地下駐車場の灯りで、手前の道が上り坂になっていることがわかる。出口だと確認した二人は小さく頷きあうと、そこへ走ろうとした。

「何をしている?」

 後ろから声がした。走り出そうとした二人は前につんのめり、慌てて振り返る。

 紺色の服と帽子。腰のベルトには無線機や警棒が吊るされている。どうやら警備員のようだ。眼鏡を掛けて髭を顎に蓄えた中年である。

 少し焦っている曜をよそに、悠は冷静に対応する。

「此処に用事があっただけですよ。それでは」

 そう言って足早に去ろうとするが、出口付近に二人の同じ制服を着た若い警備員が出てきた。後ろで髭の濃い警備員が言う。

「お前たちを捕まえれば早野から金が貰えるんだ。悪いが大人しくして……」

 そう言いかけたところで警備員は目を疑った。悠が左手を素早く動かすと、出口に立ち塞がっていた二人の警備員が崩れ落ちたのだ。一体何が起こったのか眼を凝らすと、二人の太股に黒いグリップのナイフが刺さっている。警備員達は呻き声と苦痛の声を小さく上げている。

 髭の濃い警備員が茫然と今の状況を眺めていると、悠は中年の警備員の方に向き、左手を素早く動かし、何かを投げた。

 髭の濃い警備員が何を投げたのかを認識する前に、左の太股に激痛が走る。

 警備員は激痛の走る部分を見る。出口付近で倒れている警備員達と同じナイフが刺さっている。警備員は膝に力を入れられず、地面に尻餅をつく。すると悠はまた左手を素早く振り、もう一度ナイフを投げる。今度は中年の警備員の右肩に刺さる。警備員は悲鳴を上げる。

 悠は警備員に近付き、右肩と左の太股に刺さっているナイフを引き抜く。傷口の蓋の代わりだったナイフが抜け、出血が酷くなる。紅い血が紺色の制服を汚していく。

 曜はそれを見て左手で口を塞ぐ。悠はしゃがんで中年の警備員に言う。

「大丈夫、死にませんよ」

 悠は立ち上がり、踵を返す。曜の肩を優しく叩き、行くぞと無言で伝える。曜はまだ口を押さえていたが、少しすると手を放し、頷いて見せた。

 曜はそのまま出口へ走り、悠は出口に行く前に、出口付近にいる二人の警備員からナイフを引き抜いてから外へ出る。

 警備員達は呻いていたが、しばらくしてから、さらに信じられない事が起こる。

 傷が徐々にだが治ってきたのだ。本当に少しずつだが確実に治ってきていた。やがて出血は止まる。警備員達はただ驚く事しか出来なかった。


 雨はもう既に止んでいて、所々に真新しい水溜まりが作られていた。

 高階情報処理会社を出てからも、真新しい水溜まりを蹴飛ばしながら二人は走る。

 やがて辿り着いたのは近くの公園。それほど広くなく、遊具も滑り台とブランコと砂場くらいしかない。五つあるベンチの中の緑のベンチ、雨が降った後で濡れていたが、雨に当たってきた為、服もずぶ濡れなので、特に気にすることなく座る悠と曜。

 五つある中の何故緑のベンチに座ったかというと、高階情報会社と直面する位置と方向に設置されているからだ。

「もっと詳しく説明してくれ。何が起こるんだ? これから」

 曜は息を吸い、呼吸を整えてから訊く。悠は黙って高階情報処理会社の上側を指差す。曜は諦めて黙って悠の指差す場所を見る。

 ビルの先端が赤く点滅している。ヘリがそこへ下りたりする為の目印とする重要な部分である。曜がそこをぼけーっと眺めていると、目印どころじゃないあまりにも目立つ出来事が起こる。

 かなりの距離がある筈のビルの方から、ドォンと少し大きな音が聞こえ、位置からして、最上階の六十階から炎が室内から外へと湧き出る。それと同時に、ビルの全ての電力が止まったらしく、ビルの電灯の点いていた部屋の灯りが全て消えた。

 曜は口を半開きにしてその景色を眺めていた。我に返ると、曜はばっと悠の方を見る。悠は真顔で燃え盛る炎を見つめていた。

「知っていたのか? これ」

 曜は恐る恐る訊く。悠はここでやっと曜の方を向き、頷く。

「あのビルの最上階には大量のサーバーとかが置いてあったんだ。ただかなり年季が入ってたものも幾つかあってね。何年も使うと部品の劣化でショート。正常なサーバーも幾つか配線を組み替えることで簡単に短絡事故の下準備はできる。そんな不良品が大量にあれば……」

「他の製品にも電力が行き渡ってショートして、あの階にほとんどのサーバーが集中していたからあの爆発が?」

「そういうこと。あれのおかげで早野は死んだよ」

「死んだって……何でわかるんだよ?」

 不思議に思い、曜は問う。悠はベンチから立ち上がり、数歩歩いてから曜に背中を向けたまま意味深な言葉を残した。

「あまり知らない方がいいよ。好奇心は、時に猫を喰う」

「何だよそれ。まだわからない事は沢山あるのに」

「答えられる事なら答える」

「何故高階社長はお前に協力したんだ? 明らかに不利になるだろ」

「逆だよ。調べる人間がいる事を知って、協力する振りをして口封じしようと考えたんだろ。あるいは、誤った情報を渡して早野、もしくは何の関係のない人物を犯人に仕立てようとした。まあ恐らく後者が正解だろうな。闇雲に殺そうとは思わないだろうし」

「ああ。わかってて良かったよ。まさかこんな事もわからない馬鹿だとは思いたくなかったんでね」

 曜は不敵に微笑んで見せた。

「なら、もし殺す手段を高階が取るつもりだったら、お前どうやって逃げるつもりだったんだ?」

「成る程。さっきの質問は楽な答えを潰す為だったんだな。気付いてなかったって答えを」

 御名答と言って彼は笑う。やれやれと悠は呟き、言葉を続ける。

「霊をけしかけるつもりだったさ」

「……は?」

 恒例の疑問文が登場。それに満足して悠は語る。

「あそこを恨んでる霊がいてね。それも一人二人じゃなくビルの中にうようよ居たんだ。話を聞くと悪徳社員に弱み握られて自殺やらかした人達だったみたいで、脅したり、取り憑くような行動を起こしたりなんかしてサポートしてくれるよう依頼しといたんだけど。まっ必要なかったね。どうやらあの会社は早野みたいな奴が社員に採用されやすいみたいだ。みんな言われるまでもなくやる気満々だったよ」

 ぽかんと口を開けてじっと悠のにやけ顔を見てから、曜は口から幸せを逃がす吐息を漏らす。

「お前何時そんな話聞いてたんだ?」

「君と銭湯で別れた後。情報を集めるように頼んでた子に、色々と情報を回してもらった。それも、ほとんどの事件の真相を教えてもらったよ」

「はぁ? お前あれは推理って」

「嘘だよ嘘。俺はただ聞いた話を話しただけ。早野の犯行方法も、あの遺書の隠し場所も、それぞれ見た霊からの聞いた情報だよ」

 曜は末恐ろしくなる。全ての情報を知る手段を持ち、それを利用して犯人を追い詰めた彼を。

「……まだ謎はあるぞ。何故早野は致命的な証拠である遺書を高階に渡したんだ?」

「それは単純に高階に脅されてたんだろ。情報処理会社の能力を使えば弱みくらい握れるだろ? ましてや会社の社長だし、会社の人間の情報なんて楽勝だったろ」

「何故奴が死んだとわかる」

 最初と同じ質問。今度は悠が溜息を吐く。

「言っただろ? 好奇心は」

「俺は猫じゃない」

 しばらく沈黙。そしてまた悠が溜息。

「あいつは相当悪人だったみたいだね。あいつを恨んでる霊(やつら)が多くて。それもほとんどがあの会社の正社員。そいつらに教えたことなんだけどさ」

 悠は言葉を止めるも、曜はじっと悠の言葉を待つ。どうやら最後まで引く気はないらしい。

「……さっき話したサーバーのショート方法を教えたんだよ」

「なに?」

「あいつ、どうやら最上階のサーバールームを根城にしていたらしくてな。あそこに出入りする機会はほとんどないから、あの場所で脱税した金とか、不正の証拠を山ほどおいて、日々こつこつと処分していたらしい。だが、ここまで事件を公に起こしちまったから、遅かれ早かれサーバールームにも警察の手が回る可能性があった。早野は早い段階であそこにある悪行を処分しなければならなかった。そのタイミングを見計らって、奴をショート事故に巻き込めって」

「霊たちに吹き込んだのか!」

 ぐいっと悠の胸倉を掴む曜。

「落ち着きなよ」

「落ち着けるか! 奴には社会的な制裁を」

「俺は求めてない」

 きっぱりと悠は言い放った。胸倉を掴む手が震えた。

「何故……そんなことが言える」

「俺が求めたことは、奴が霊達によって殺され、満足した霊を成仏させることだ」

 曜は目を見開いて、悠の顔を覗く。いつものようなおちゃらけた顔ではない。眼光は鋭くこちらを射抜いていた。

「奴が逮捕されるだけでは、あいつらの無念は晴れなかった」

 そう言って悠は、高階情報処理会社を指さす。曜が視線を向けると、燃えている最上階から白い光を灯したホタルのようなものが、幾つも、無数に飛んでゆくのが見えた。

 曜はそっぽを向いて、もう一度溜め息を吐いた。呆れてもう起こる気も失せたらしい。

「わかった。質問はもう無い」

「素直に引いてくれて助かるよ」

「納得はしてないがな。下手すりゃ晩年まで恨み言の一つになるかもな」

「こ、わ、い、ねぇ」

 悠は元の口調に戻り、そして歩き出す。曜も慌ててベンチから立ち上がり走り出す。

 悠の隣に着くと走るのを止め、悠と同じくらいの速度で歩く。

 辺りの住宅には一通り灯りが点いている。そして道に建っている街灯のおかげで、道が見やすくなっている。

 道の様々な小さな窪みに水が溜まっている。曜はたまにその中の一つを蹴り上げる。水滴が宙を舞って道の何処かに消える。そしてまた別の水溜まりを蹴り上げ、また水滴は何処かに消える。それを歩いている途中で、曜は五回繰り返した。

 悠は黙ってポケットに手を突っ込んだまま歩いている。曜のように水溜まりを蹴り上げることもなく、ただ歩いている。

 不協和音の生じる二人の間に、しばしの静寂が降り立つ。たまに水の音がばしゃばしゃと聞こえる。

 悠は歩きながら空を見上げる。雲は薄れ、満月が月灯りと共に空から現れた。

 どんな光より優しく、弱く照らす月。道端に建つ街灯より明るく感じた。

 悠が空を見上げているのに気付き、曜も見上げてみる。

 薄れていた雲は消えてゆき、月が本来の姿を見せる。眼を凝らせばクレーターが見えるほど鮮明になった。

 二人は同時に足を止め、しばらくの間満月を観察した。

「行こう。まだ終わってない」

 悠がそう言うと二人は顔を下ろし、再び歩き出す。

 月と街灯の照らす道に、二人は消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る