3
黎明はじっと道路の真ん中で夜風に当たっていた。都会と言っても、閑静な住宅街の周りに出歩いている人など少なく、まるで災害現場で一人残されてしまったかのような感覚を味わえた。この静けさも、また良い。風情があるとまでは言えないが、たとえここが都会でも、自然の中とはまた違う心地良さがあると彼は信じている。
時刻は八時半。そろそろお腹も空いてきた頃だ。帰ってご飯でも作って食べようかなと考えていると、ふと彼に手料理を食べてもらいたかったなと思ってしまった。
咲間曜。彼はとても辛そうだった。彼の目には、自分への辛辣な言葉もただの八つ当たりで、彼自身もそれに気付いていて、余計な罪悪感を募らせていたことがわかっていた。
自分で何か力になれることは無いか。そう考え続け、そして自分自身の力では曜を救えないことは明白であることを、嫌というほど思い知った。
自分の言葉では、彼の心の根を掴むことはできない。わかり切っていたことだった。
だから彼は一つだけ、一つだけの可能性に手を伸ばすことにした。
彼の両親の霊を探し出すこと。
自分には霊を見ることができる。残念ながら曜は信じてくれなかったが。もし彼の両親の霊を見つけ出すことができれば、両親からの言葉を聞かせることができれば、彼はまた立ち直ってくれる。黎明はそう信じていたのだ。
そう思い立った黎明は、様々な場所を曜の安否を確認しながら探していた。決して彼に悟られぬように。その結果、高階情報処理会社の周りで、曜の父親らしき人影を見た。人違いというのもまずないだろう。生きた人であるなら、そのまま姿を透明にして消すわけがない。
曜に逸る気持ちを抑えて連絡を取るも、驚き食い付いた様子ではあったが、何故かそのまま電話を切ってしまった。そもそも彼の性格上、霊を一時でも信じようとすることなどない筈なのに、霊が出たということを前提に場所を聞き出した。何か妙に思った黎明は、そのまま高階情報処理会社の外で潜伏してみることにした。
曜は案の定やってきた。見知らぬ誰かを連れて。
曜は一心になって見知らぬ誰かに話を聞いていた。聞き耳を立ててみると、どうやら両親の霊を彼と共に探しているようだった。
黎明は心の中が掻き乱されていた。しばらくは出まいと思っていたが、気の迷いとでも思えるタイミングで、二人の前に姿を現してしまった。空気は多少読める筈だったのに。
泉悠と名乗った同年代らしい少年は、「曜に両親の霊を探してほしいと頼まれた」と、いとも簡単に白状した。
そこでようやく黎明は理解した。これは云わば嫉妬なのだと。
今まで信じようとしなかった曜に、たやすく霊の存在を信じさせた。いやそれ以前に、曜が頼ったのが自分ではなく、この見知らぬ少年ということに腹が立ったのだ。
『逢わせ人』とかいう話は、霊が見える自分にとっても信じがたい話だったが、曜が信じているのであれば、信用しようと思った。それと同時に、どうやって彼の化けの皮を剥がそうかとも考えた。
もしペテン師であれば、心身虚弱に陥った曜を、さらに陥れようとしたこの少年を許すわけにはいかなかった。
しかし、ペテンにしてはどうにも様子がおかしかった。どうにも悠は、本当に曜を気遣っているようにしか見えなかった。黎明にはわかる。霊感があるからこそわかることがあった。
数々の発言や行動に、騙そうという感情が見えなかった。そして、何時しか黎明は希望を託したくなってしまったのだ。
曜を救える可能性があるのは、もしかしたら彼、泉悠なのかもしれない。
黎明は自ら身を引くことにした。ここで無意味な手助けをしても野暮なだけだ。それならいっそ、彼に全てを任せるのが良策であり一興だと思った。
何の関係の無い者が、身を滅ぼそうとする者を救う。実にベタな展開だが、現実にそれが起こるのなら、それはもはや一興というものだ。
そんな流れに身を任せ、運を試すのも悪くはない。黎明は全てを信用し、全てを託すことにした。
素性の知らぬ、見知らぬ少年に。
「一興ねー……いや、やっぱ面白くないやー」
ふと呟いてみる。
「何が、ですか?」
不意に声を掛けられた。声した右に首を向けると、電柱に取り付けられた街灯の真下に、珍しい人物が立っていた。
「えーっと確か……伏(ふし)谷(たに)茜(あかね)さん、だよね?」
曜と黎明の同じクラスメイトの、伏谷茜。ブルーのスカートに灰色のホルターベストを着こなしている。街灯に照らされた表情は、何処か物憂いげに細く目を開いていて、暗い印象。艶やかなロングストレートの黒髪。産毛すらなさそうな肌と、笑顔の一つでもあれば、すぐにでも人気者になれそうな容姿だ。
性格は大人しいらしく、学校でも黎明はあまり関わりを持ったことは無かった。しかし、たまたま逢って話すなんてことがあるとは思っていなかった。
「これまた珍しーお人が話しかけてきたものです。それで、何用ですか?」
彼女は僕の軽口に少し俯いた。少し真剣みが足りな過ぎただろうか。
「僕の軽口は気にしないでよー。これは生来のものだし、特に不真面目に君の話を聞こうとしてるわけじゃないからさー。……結構真面目な話なんでしょ?」
最後の言葉は口調を変えてみた。びくりと茜は身体を震わせ、こちらを見る。
何だろう? 彼女は何を伝えたいんだろう。黎明の目には、彼女に怯えた感情があるのがわかった。何か僕は彼女に、無意識に酷いことでもしてしまったのだろうか。
「あの、……光墨君、何かひどく悲しんでるみたいだったから」
拍子抜けした。僕が悲しんでいる? 何故?
「何でそう思うの?」
「えと、その……なんとなく」
「なんとなくで僕の感情を当てようとしたの? 冗談よしてよー」
「当てようとしたんじゃない。……その、わかるの。貴方の気持ちというか、感情が」
彼女は何を言っているのだろう。その疑問しか浮かばない。
「わかるって。僕は特に表情にそんな思いは出してないつもりなんだけど」
「表情に出さなくてもわかるのよ。私、……なんか、とても他人の感情に同調できて、相手の今の気持ちを、なんとなく理解できるの」
「馬鹿な話ー」
「うん。馬鹿な話。でもわかっちゃうの。何処か辛い気持ちが」
「やめて」
「その、……もし良かったら教えてくれる? 貴方の」
「やめてってば!」
思わず黎明は叫んだ。
茜の言ったことは、当たらずも、遠からずといったところだ。
悠に任したと思っても、実際のところは嫉妬心が残っていた。どうして曜は自分ではなく、悠を選んだのか。どうして自分ではなく、悠に助けを求めたのか。自分が無力に思えて、しょうがなくなった。
黎明は彼女の顔を見た。彼女の少し細い目から、街灯に照らされ光る雫がしたたり落ちている。黎明はぎょっとした。
「ごめん。叫んだりなんかして」
「違う。私はそんなことで泣いてるんじゃない」
何かが髪に当たる感触がした。それは何度も、髪だけでなく肩や腕や足に、徐々に間隔を狭めて落ちてきた。黎明だけでなく、彼女の上にも落ちてきた。雨はもう涙との区別をつけなくさせた。
「貴方の感情に共感して、悲しくなったから泣いたの」
雨は強くなってきた。雨など降ると言っていただろうか。するとふと天気予報で、にわか雨が降るかもしれないと言っていたなと思い出す。
彼女は手に下げたバックから緑の折り畳み傘を取り出す。
「入ろう。とりあえず、愚痴とか聞くよ」
傘を差した彼女に手招きされた。
「どうにもわからないなぁ。ほぼ初対面と言ってもいい程関わりのなかった僕と話したかと思えば、今度は愚痴を聞くとか」
「困った時は、お互い様かなと思って」
「変わってるね」
「そうね」
黎明は彼女に背を向けた。
「せっかくだけど遠慮するよー。もう決めたことだ。今さらぐちぐち言っても仕方ないさー」
「良いの?」
「……僕は、曜の信じた彼を、信じることに決めた。悪い方向に転べば、あいつを殴る。良い方向に転がれば、まあ結果オーライということで」
「…………」
「まあでも……やっぱり自分が何もできないとさ、いらいらする」
少しだけ黎明は肩を落とす。
「自分で救えないと面白くないんだよねー」
振り返って茜に微笑む黎明。
「はい、愚痴った。これで君はお役御免だよ」
「……どうして遠慮したの? 聞いても良い?」
「それ」
黎明は彼女の顔を指さす。茜はきょとんとして自分を指さす。
「泣いてる女の子に愚痴ってたら、悪い男と思われちゃうさー」
そう言ってにこっと笑い、そのまま歩き出す。
茜は引き止めたそうに手を恐る恐る前に出そうとするも、結局その手を下ろした。
黎明は思いのほか、あの程度の愚痴でもすっきりしていた。
心の底からではないが、黎明はあの少年に思わぬ信頼を抱いているようだった。
悔しいが、今救える可能性があるのは彼だけだろう。おそらく。
そして曜本人も、彼を信頼している。彼自身は否定するかもしれないが。
そんな中で、自分が無理やり入るのは、やはり野暮であり、そしてとてつもなく無粋だ。
いいさ。やってみなよ。
彼の心を癒して見せなよ。
黎明はにこりと笑って、雨に当たりながら帰路へと就く。
茜はその後姿をじっと眺めた。気が付くと、彼の感情に逢った悲しみが薄れていくのを感じ取り、自然と彼女の涙は止まった。
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