4
空ではすでに太陽は、月と役割を交代していた。弱い光が周りを薄暗く照らす。
街はそんな光では満足せず、曜の歩く道には幾つか街灯が取り付けられていた。
(月は何の役割を担ってるんだろうな。今は)
ふとそんなことを思い、スマホの電源ボタンを押す。出てきた時刻は約六時半。すっかり遅くなってしまった。部活に精を入れるといつもこうなる。
(まあいつものことだし、大丈夫か)
陶芸部なんて、正直そんな時間の掛かる部活ではないのだが、友人と会話したりとそんな些細なことで時間は削られる。
もっと時間があれば……。そう思う日は数え切れぬほどだ。
そうこうしているうちに、夜の閑静な住宅地の一軒家。曜の家に辿り着いた。
軽やかな足取りで玄関のドア前まで立ち、鍵を取り出していると、後ろから一陣の風が吹いた。
何と言う事もない、ただの風だ。しかし、そんな風が曜の背筋を凍らせる。
これが虫の知らせというのだろうか。張り詰めた空気が曜の周りだけに存在するように思えた。その空気が曜の身体を硬直させ、玄関を開けさせないようにしている。
『見てはいけないものがある』
曜の頭には、直感的にその言葉が浮かんだ。
だが、曜はその言葉を無視し、思い切ってドアを開けた。
闇が空間を制し、視界は完全に奪われていた。
曜は腕時計を確認すると、午後七時半を回っている事がわかる。
おかしい。この時間帯ならさすがに両親は家にいる筈だ。父さんも家でも出来る仕事だし、いないとは思えない。だから母さんが何か用事があっていなくても、父さんはいる筈なのに。
曜がそう思った後、馴染まない匂いを嗅いだ。とても、嫌な匂いだ。
曜は暗闇の廊下をゆっくりと警戒しながら歩く。ギシ、ギシ、と稀にフローリングの床が軋み、自分の足音の筈なのに恐怖を覚えた。
リビングへのドアを目の前にして、また曜は開けるのを何故か躊躇う。本能的に見たくないものを見る。そう感じ取った。
だが、このままでいい筈もなく、曜は思い切ってドアを開ける。
照明は点いていない。夜で目はそれなりに慣れていたとはいえ、暗闇では何も見える訳
はなく、手探りで照明のスイッチを捜した
壁を擦りながら動き、ようやくスイッチらしき突起が指に触れた時、足元で濡れた感触があった。何だろうと思った直後、照明が視界を取り戻した。
母親が血を流してリビングに倒れている。
まだ血は出切ってないのか、フローリングの床を微かに、ゆっくりと血は紅く汚していった。
血の湖はまだ広がり、曜の履いている靴下を濡らす。
白かった靴下は見る見るうちに赤い靴下に変わっていく。
曜は倒れている母親の下まで行き、その場に膝を落とす。
血だまりの上だという事を気にせずに。
傷口を塞ぎながら、無駄だとわかっていながらも、母親の体を揺さぶる。
やはり返事はない。
手を赤く染めながら、数分間ただ母親を眺めていた。
我に返った曜は思わず言った。
「で、電話を」
動揺したのか、携帯電話があるのを忘れ、焦って何処に置いてあるか忘れた家の固定電話を探す。血だらけの母の元を離れることに躊躇いを感じたのか、リビングの同じ場所を何度も何度も探し、しばらくして、あっと思い出したかのようにスマホを取り出し、一一〇番に掛ける。
電話を取った受付係に慌てた様子で拙く説明し、何とか住所を伝えたところで、電話を切った。
そして、またあることに気付く。父親はどこにいるのだろう。まさか母親がこんな状態になっても、そのまま放置している、なんて非常識な人間ではない。そして、先程の考えから、留守にしているとも考えにくい。
嫌な予感がする。
曜はばっと横にあるドアに目を向けた。父の仕事場である書斎のドアだ。曜は駆け出して、勢いよくそのドアのノブを回し、ドアに体当たりするように部屋に滑り込んだ。
部屋は仕事用のスタンドライトだけが点いていて、何とか見える程度の明るさだった。
製図用紙や製図用道具が床に散乱している。几帳面の父親には有り得ない光景だった。
そして一番目を引いたのは、床から足の浮いた人間のシルエットだ。
父親が首を吊っていた。
曜は自分の親とは思えない、恐怖に満ちた形相の父親の手を握った。氷のように冷たい。
死んで時間が経ったのか、死後硬直で手は曜の思った以上に硬くなっていた。まるで、マネキンの手のようだ。
曜はそのまま倒れ、自分の意思に関係なく、深い眠りに入った。
全てが失われ、苛まれる……事の発端。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます