3
外は既に日の光が闇を打ち消し、小鳥の優しいさえずりがほんの少しだけ曜を癒す。
しかし、時折鴉の声も混じって鬱陶しく感じる。やはり鴉は不吉だ。さっきから頭が熱っぽくなり、結局気持ちは沈んでしまった。
自宅へと戻った曜は、心の中で鴉に悪態を吐いて階段を上り、自分の部屋に戻る。
勉強机に使い損ねたカッターを放り、着替えもせずにベッドへうつ伏せにダイブする。足をベッドの柱にガンとぶつけても気にしない。
とにかく寝よう。仮眠だ。
どの道、奴があんな無茶難題な依頼をこなさなければ俺の命は終わりだ。
どれだけこの身体が不健康になっても構わない。
あいつに出来っこない。そう、出来る筈がないんだ。
曜がそう思う意味と理由は、まだ夜が明け切ってない早朝。あの廃ビルで起こったことに起因していた。
*
「逢わせ人?」
曜は疑問を素直に口に出す。悠は眠たそうに大あくびをして机の上に軽く跳んで座った。
こいつ……からかってんのか? 心の中でまた悪態を吐きながら訊いた。
「おい。何だよ逢わせ人って?」
「そのまんまの意味だよ。逢わせる人。だから逢わせ人」
「だから! 一体何する奴なんだよその逢わせ人って!」
はああ、と今度は大きく見せびらかすかのように大きな溜め息を吐く。今度は嫌味か。もう一度堪忍袋の緒を切ってやろうかと曜が考えていると、泉はぼりぼりと頭を掻きながら説明し始める。
「簡単に説明するなら、探偵の仕事の一つを特化した仕事をしてるんだ」
「仕事?」
「そ。まあ主に尋ね人を捜す仕事を生業としてる。誰かが望む人を逢わせる。たとえそれが死人であろうとも。そんな素晴らしい仕事。それが逢わせ人だ」
そう言って軽く微笑んで見せる。曜は呆れて何も言えなくなってしまっている口を無理矢理動かして言った。
「……インチキ臭いな」
しかしそれにめげずにびしっと人差し指を突きつけ、悠は言葉を繋ぐ。
「さっきのが証拠。君はさっきの老人を見たよね。宗さんって言うんだけど、もう二年前に亡くなっていて、逢いたい人がいると俺に依頼してきたんだ。何でも孫に話したいことがあるらしかったから、もう一度孫に逢わせてやると、言いたい事をガツンと言った」
「なんて?」
「一昨年お年玉やれなくてすまん、だって」
「しょうもな!」
「冗談。でもそんなこととか色々と喋ってた。何よりも、中学生になる前に死んでしまって申し訳ないって」
「…………」
「言いたいことを全部言って、最後に謝って、それで彼は満足した。お孫さんも最初は驚いてたけど、最終的に爺ちゃんと話ができて良かったってお礼を言われた。で、本来なら成仏するはずだったんだけど、どうしても俺に礼をしたいって言って聞かなくて……それでさっきようやく成仏したって訳」
「なるほどそうか……って納得すると思ってるか? 今の説明で」
「でも君は見た。あのお爺さんが宙に浮かんだのを。そのまま天井をすり抜けていったのを。大勢の人にならともかく、君一人に見せて驚かす為にマジックをする気はまったくないんだけど」
確かに悠の言葉には一理ある。わざわざ曜一人を驚かす為にこんな馬鹿げたマジックを仕掛けるとも思えない。だが、もしも自分に霊の存在を信じ込ませることが目的だとしたら。実は悠は詐欺を働こうとしていて、これは騙す為の布石なのでは。曜はそう悠に聞くと、笑って一蹴された。
「だとしてもおかしくない? もし詐欺を働く気でいるならもっとリアリティを求めるよ。どこぞのいかれた宗教団体じゃあるまいし、もちろん俺はそういう奴ではない。もし霊をネタにした詐欺を働くなら、霊に君を襲わせて助けたり、『あなたは呪われてます』って嘘をついて騙すだろうし。そもそもお金もとる気も無いしね、今のところは。ま、逆に取られそうになってるわけだけど」
「どういう意味だよ?」
「此処を仕事場にするのに必要なテナント料を君に払わされるかもしれないってこと」
曜は耳を疑った。そういえばさっきも言っていた。此処を仕事場にする。それはすなわち、
「此処が取り壊されるのか!?」
「は? いや、取り壊さないよ」
曜の大声に両耳を小指で塞ぎながら悠が間髪入れずに言う。曜はますます訳がわからなくなる。このビルを壊して新しい建物でも建てるのかと曜は思っていたが、此処を壊さないで仕事が出来るのだろうか? そもそも、自分と同じ位の歳の少年がこんな所で仕事が出来るものだろうか? そんな疑問がぐるぐると頭を回る。
そんな曜の考えを見透かしたように悠は口を開く。
「別に株式会社として認可をもらうわけじゃない。あくまで俺個人が勝手にやる事務所なんだ。金もないから取り壊して立て直すなんてことは出来ないし、する気もない」
「する気が無い?」
「だって良いじゃん廃ビル。霊が集まりそうじゃん。依頼どんどん来そうじゃん。なにより雰囲気良いじゃん。だからこのまんま事務所に使う。合理的だろ? 金は掛からない、本人も満足。うん、これ以上良いことないな」
「出てけ馬鹿」
「良いじゃないか。別に君が先に使っていようがいまいが。土地の権利を君が持ってる訳じゃないんだし」
「はぁ……もう良い」
溜息を吐いて曜は悠から離れ、彼に背を向けた状態で、机に手を突いて肩を落とす。
逢わせ人。死者に逢わせる仕事を生業としている。
曜は今浮かんだ考えを、ぶんぶんと頭を振って否定した。
出来るわけがないんだ。死者に逢うことなんてできる筈がない。
本当にそうなのか?
頭の中にもう一人自分がいるかのように、脳は勝手にそんなことを言い出す。
本当にできないと言い切れるのか?
できるものか。霊なんだぞ。そんな話、信じるほうがどうかしている。
もう俺自身がどうかしているのにか?
そう自分に問われ、曜ははっと我に返ったかのように目を見開いた。
そうだな。もうどうかしているんだ。
だから、こんなものを持っているんだ。
彼の頭で、ただ一文字が浮かんだ。
『死』
曜は尻ポケットに手を突っ込み、一般に使うものより比較的大ぶりのカッターを手に握り締め、横に腕を突き出し、悠の目に晒す。
「やっぱり、あの子が言ってた通りか」
悠の言うあの子が誰なのか、一瞬疑問に思ったが、そんなことはもうどうでもよかった。
カチカチカチカチと音がする。
悠が目を見開くと同時に、曜は振り返って弱弱しい笑みを見せた。
「なら、この行動は読めたか?」
アンティークランプが弱々しく映していた影が動き出し、大きな靴音が部屋中に響いた。
遅い。そう思いながら曜は刃を手首に押し付ける。あと少し、カッターを横にスライドすれば終わりだ。
しかし、そこで初めて死の恐怖に駆られ、ぐっと力が入りすぎて、それ以上強く刃を動かす事が出来なくなる。その刹那、駆け寄った悠はカッターの刃の部分を右手で握り、手首を掻き切るのを無理矢理阻止した。
思い掛けない出来事に曜は思い切りカッターを引いて、悠の手から無理矢理離さした。嫌な感触が手に残り、カッターに目を向けると鈍色の刃が紅く光り輝き、慌てて悠に向き直ると、悠は右手に残った横一直線の細い傷をじっと眺め、腕を前に突き出して手の平を床へ向ける。じわりと傷口から染み出してきたのだろう。
「あーあ……結構痛いね」
鮮血が等間隔で何度も落ちてコンクリートを湿らせる。
床に広がり続ける小さな血溜まりを目にした曜は、膝を突き、頭を抱えて絶叫した。
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