第9話 守るべきもの 下
「お、親父……。助けに来て、くれたのか?」
「悪ぃな~。本当はそうしたいんだけどよ~、どうもこの義手付けてから体が言うこと聞かねぇ~んだ」
光平はそう言って右手で槍を拾い、息子に向かって槍を構える。
「不本意なんだ。これはマジだ。分かったらさっさと逃げろ」
光平は辛うじて左手で右腕を抑え、陽平に突進しようとする体を止めている。
「んなこと言っても、雪月はこの家にいるはずなんだ!」
「それ以前にお前が家に入れねーぞ」
「チッ、いつまでも舐めてんじゃねーぞ。その右腕をもぎ取りゃいいんだよな?」
「ぐっ、てめぇには出来ねぇ。早く……逃げろ……!」
光平の抑えが解け、槍を構えて突進を始める。
「遅いぜ親父!」
陽平は空に逃げ、突進を空振った光平は門に槍を突き刺す。それにより身動きが取れなくなった光平の頭上から、陽平が奇襲をかける。
「なるべく右側狙うからよ!」
光平の背中に取り付き、右手のマチェーテを全力で光平の右手に振り立てる。
キンッ。と言う硬質な音が鳴り、陽平のマチェーテは綺麗に弾かれる。そして槍を抜き終えた光平の反撃が始まる。槍を抜いた勢いで、柄を陽平の腹に当て、陽平はそれによって背後に飛ばされる。
「グハッ!」
砂利の庭園を転がり、せき込みながら立ち上がる陽平。槍を抜き終えた光平は、再び槍を構えて陽平とにらみ合いを始める。
「俺でも外せなかったんだ。お前には無理だ」
「いーや、そりゃ自分を過信しすぎだぜ。たまには他人を頼れってんだ」
「ケッ、てめぇは他人を頼ってばっかだがな」
「それも大事だって気付いたからだよ。時に支え、時に支えられる。それが仲間だ!」
陽平のその言葉に光平は鼻で笑った。そして少しの沈黙を経て、光平は話し始める。
「……まだ完全にこの腕に侵食されていない今がチャンスだ。本気で倒しに来い」
「右手にミサンガつけてねーよな?」
「ったりめーだ。いつも左手だよ」
光平は左手をあげてミサンガの存在を教える。
「うし、分かった……。俺が今助けてやる!」
雄たけびとともに陽平は父に向かって走り出す。
「かかって来いやぁ!」
光平もそれに応えて自らを鼓舞するように声をあげる。
「ぜってぇ俺がその腕を落とす!」
「たまにはバカの言葉を鵜呑みにしてやらぁ!」
陽平は得意の高速移動で光平を翻弄する。刃が通らないことから、陽平は高速移動の間に左手のマチェーテを投げ、遠隔攻撃で腕の切断を狙う。しかし光平の風の妖術により、マチェーテは思うところに投げられない。
その後数分間親子は互いに心身を削り合う死闘を繰り広げる。その中でも互いの体を気遣い、陽平は光平の右半身を狙い続け、光平は息子を傷つけまいと右腕に反発して、陽平に加わる力を弱めて攻撃を続けていた。
「はぁはぁ、やるようになったな……」
光平は通常の倍汗をかき、通常の倍疲れを露にしていた。それは右手が強引に体を引っ張るせいもあったが、それに飲まれまいと堪えていたためでもあった。
「はぁはぁ、今この状況でやっと分かったぜ……親父ってすげぇってな」
「わかりゃいいんだ!」
光平の体は限界を迎えようとしていた。しかし呪われた右腕はそんなことをお構いなしに光平の体を無理に動かす。光平は空に槍を投げ、左手の妖術を自らに纏い、槍のもとへ飛んでいく。
「陽平! 恐らくこれが最後だ。しっかり避けろよ!」
陽平の頭上で槍を構えた光平は、槍先を陽平に向け、落下し始める。
「はぁはぁ、体が……動かねぇ?」
「何してる! 避けろぉぉぉぉ!」
陽平の体は何度も高速移動をしたことで、急激な筋肉疲労に襲われていた。
「はぁはぁ、クソッ、動けぇぇぇぇ!」
――ドゴンッ! 陽平の叫びが響き、その後間もなくそれは大きな砂ぼこりと、槍が地面に突き刺さった大きな音でかき消された。
「陽平……?」
砂ぼこりの中息子の名前を呼んだが、答えは無い。
「グッ、足腰が……」
光平の体も限界を迎えた。しかし光平は槍にしがみつき、膝を曲げようとはしない。
「おい、下で寝転んでるんだろ? さっさと俺の右腕を落とせ。今が最初で最後のチャンスだぞ?」
……。やはり返事はない。しかし光平は息子が生きている確信があった。それは槍先から伝わる感覚であった。じゃりじゃりとした感覚で、明らかに人間を貫いた感覚は無かった。
「ゴハッ! クソ、このままじゃ倒れちまう。早く、早くしろ陽平……!」
「……悪かったな親父。最後まで親父に助けてもらっちまったな」
砂ぼこりが消え、槍先と陽平の顔が光平の瞳に映る。先端は地面に刺さっていたものの、それは陽平の右頬を掠めており、そこからは僅かに血が滴っていた。
「はぁはぁ、これが親父の意地だぜ」
光平は荒げた息のまま無理矢理に笑って見せる。
「それに答えねーとな。これが息子の成長だ!」
陽平は最後の言葉に力を込め、それとともに両手のマチェーテを父の右肘に突き立てた。
「ぐあぁぁぁぁ! っく、くそ、馬鹿いてーじゃねーか」
ドサッ!
義手は地面に突き刺さった槍をしっかりと掴んだまま、光平の体を解き放つ、そして光平は力なく陽平の右隣に倒れこむ。
「覚えてろよ、バカ息子」
「返り討ちだ、バカ親父」
二人は夜空を見上げながら、余力で笑い合った。
「ハッハッハッハッ! はぁ、そろそろ行くか?」
光平は先ほどまで笑っていたとは思えない声で陽平に問いかける。
「はぁ、あぁ、魔の暴走の根源を止めないと」
「しっかしどうしたもんか、立ち上がれねーぞ」
「それなんだよな。ったく、親父が邪魔なんかするから」
「仕方ねーだろ。俺のせいじゃねぇ」
二人の喧嘩がヒートアップしそうなとき、閉ざされていた門が開き、兎鞠が姿を現す。
「お、良いところに来たな。助けてくれ」
光平は軽口で兎鞠に助けを求める。
「ふぅ、派手な音がしたから来てみれば、二人してなに伸びてんのよ」
「ちと親子喧嘩」
「あっそ、まぁいいわ。応急処置程度にこれを撃ってあげる」
兎鞠は真っ白の箱に入ったタバコを一本取り出すと、それを吸ってエアガンに装填した。そしてそれを陽平と光平の手首の脈に空気弾として撃ち込む。
「あんまり痛くないんすね」
「えぇ、麻薬みたいなものだからね。むしろ気分は良くなっていくと思うわ」
「ったく、相変わらず怖いものを使ってくれるねぇ~」
光平は文句を垂れながら立ち上がり、洋服の汚れをはたいた。
「親父、もう立てるのか!?」
「おめぇももう立てるぞ?」
陽平は言われるがまま体に力を入れた。すると先ほどまで動かなくなっていた四肢が、自らの意志で動かせるようになっていた。
「す、すげぇ!」
「ふぅ、分かったらさっさと行きな。効果は長く続かないよ」
「了解っす!」
光平は既に歩き始めており、陽平はその背中を追う様に歩き出す。途中で後ろを振りかえり、兎鞠が付いてきていないことに気が付く。
「あれ、兎鞠さんは来ないんすか?」
「あたしはあっちの援護に戻るわ」
「まだ魔者が?」
「えぇ、みんな守るものの為に戦っているわ」
兎鞠はそう言うと、珍しく駆け足で石段を下っていってしまった。
「守るもの……。俺も行かなきゃな」
親父の後を追い、陽平も狭戸宅に侵入する。
二人は迷わず地下室に向かって歩いて行く。光平は右手が無いせいか、時折右側に倒れそうになる。それを陽平が支え、二人は地下室の扉の前に立つ。
「おそらくこの先だな。俺は戦力になれねーからな」
「わーってるよ。そもそも期待してねーっつの」
親子は隠し階段を下っていき、第一研究室にたどり着いた。現実世界とは異なり、水槽に破損は無く、中には水が溜まっており、そして人が一人拘束されていた。
「こ、これは……! ちー子!」
光平は陽平の腕を振り払い、大きな水槽のもとに走っていく。
「本物だよな?」
光平は水槽の中で浮く女性をまじまじと見つめる。
「親父あぶねぇ!」
陽平の瞳には、水槽の向こう側で大きな槌を振り上げる人影が映っていた。走り出して光平の背中に飛び掛かり、無理矢理かがませることに成功する。
「てめ、何しやがる――」
バリーン!
光平が怒号を飛ばそうとしたとき、それよりも前に水槽が割れ、水とともに中に入っていた女性も流れ出る。
「よっと!」
陽平は流れ出た女性をキャッチして、そのまま入り口まで流される。
「おやおや、私としたことが、ここで日向家をせん滅する予定だったのですが……」
「こ、幸蔵さん!?」
陽平と光平の前に立っていたのは、木槌を持った狭戸幸蔵であった。
「部下が無能で困ったよ。この私が手を下さなくてはいけないなんて……」
幸蔵は白いひげを撫でながら近づいてくる。
「嘘だよな……。嘘だよな!?」
「嘘なんかじゃないですよ。ほら、雪月もそこに」
幸蔵は天井を指さした。その先にはツタで天井に縛り付けられた雪月がいた。
「雪月! クソ、あんた最低だっ!」
「私はこの世界で支配者となる。そのためには僅かな犠牲が必要だったのだよ」
「おめぇ、魔に染まったのか?」
光平が声を震わせて問いかける。
「魔力は素晴らしいぞ。人間には宿せないと思っていた。しかし、我が娘は宿した。これは運命だと思った。しかしな、邪魔だったのだよ。その女がな!」
幸蔵は陽平の腕に抱かれている女にに睨みを利かせる。
「ちー子が何したってんだ!」
光平は怒りのままに声を荒げる。
「その女の光が邪魔だったのだよ。だからこうして水槽に閉じ込めておいたのだ」
「そこにいろ、俺が直々にぶちのめす」
光平は目の色を変え、左手に槍を持ち歩き出した。
「そんな体じゃ無理だ親父!」
「黙ってろ! てめぇはそこで母さんを守ってろ」
光平は頭に血が上っているようで、陽平の忠告を無視して突き進んでいく。
「母さん……? 俺が今抱いているこの人が……。でも、親父も無視できねぇ……」
父を助けたい気持ち、しかし腕に抱いた母と呼ばれた女性を離せない気持ち。陽平は最大のジレンマに悩まされていた。
「光平よ、私は悲しいぞ、その単細胞が治っていないこと、そしてここで私がお前を殺すことがな!」
幸蔵は大木槌を右手一本で振るう。光平はそれを左手一本で受け止める。しかし明らかに光平が押されていき、光平は潰される寸前となっていた。
「陽……平……。行きな……さい」
「え、でも……」
「三人で……、暮らしたいの」
「分かったよ。か……母さん」
陽平が抱いている女性は柔らかな笑みを見せ、陽平はそれを見ると頷いて、母、千恵子をゆっくり寝かせ、父の援護に向かう。
「親父! まだ死なせねーぞ!」
陽平はがら空きになった幸蔵の腹を目掛けてマチェーテで切りかかる。
「ガキがっ!」
幸蔵は攻撃を避けるために光平への攻撃を止め、後ろに下がる。
「親父は下がってろ。俺がやる。それとよ……」
陽平は父に耳打ちをする。
「……分かった。ここはお前に従ってやる」
光平は陽平の意見に可能性を感じたのか、素直に引き下がり、少し後ろに下がった。
「おいジジイ、片手しかない親父じゃ楽しくねーよな? 俺が相手してやるよ」
「クックックック。よかろう。君もここで消す予定だったからね」
――幸蔵は木槌を持っているとは思えないスピードで陽平に近寄る。
「早いっ!」
「遅いぞぉぉ!」
幸蔵は木槌の柄で陽平の鳩尾を殴り、陽平はその場にしゃがみ込む。そしてしゃがみ込んだ陽平に木槌を振り下ろす。
――しかし陽平は事前にマチェーテを投げており、幸蔵の右側に高速移動する。そして移動先で掴んだマチェーテを幸蔵に振るう。幸蔵は木槌を振るうことは止めず、そのまま誰も居ない地面に向かって木槌を下ろす。陽平の刃が幸蔵に届くとき、木槌が地面を揺らし、陽平はバランスを崩す。それによって陽平の攻撃は浅く済まされる。
「ぐっ、マズい、反撃が来る!」
陽平は咄嗟に下がり、体制を立て直す。
「惜しかったな。しかしそれでは私に刃は届かないぞ?」
「そうでもないと思うぜ?」
「……。左手の得物が無いな?」
「ご名答!」
陽平は先ほどいた場所に左手をかざし、右手のマチェーテを幸蔵の背後にある水槽に投げる。
――高速移動とともに、左手とマチェーテを繋ぐ雷の線を引き、高速で幸蔵を仕留めに行く。幸蔵は危機を察知しすぐさまジャンプする。しかし寸分遅かったせいか、左足首に直撃する。
「ぐあっ!」
幸蔵はその場に倒れこみ、左足を抑える。
「はぁはぁ、決まったぜ」
陽平は肩で息をしながら幸蔵をしっかり見張る。
「まだだ……。こんなものではない……」
幸蔵は左手を天井にかざす、すると左手から黒い触手が生え、雪月へ向かって行く。
「なんだこれ!?」
触手は雪月に一直線に進んでいく。
「へっ、でも残念だったな。俺らが一手上を行ってたぜ」
光平がすでに雪月のもとまで飛んでおり、救出している真っ最中であった。これこそが先ほどの耳打ちの正体であった。
「なんだと!? クソ、クソ、クソォォ!」
幸蔵の左手から伸びる触手は速度を増し、雪月を左手一本で担いでいる光平に向かって行く。
「おい陽平! この子を受け取れ!」
光平は雪月を風の妖術で纏い、陽平のもとに飛ばす。しかしそれと同時に光平を纏う風は消え、光平は真っ逆さまに落ちていく。
「あぁ、俺はこのまま触手に飲まれて死ぬのか……。でも最後にちー子に会えてよかったぜ……」
光平は落下の最中、死を悟って今の自分を幸せだと思い込んだ。
「親父! でも雪月が……」
光平の力が弱まり、雪月は途中で落下を始める。陽平はそれを見るや否や走ってキャッチしに行く。
「オーライオーライ。……よし!」
陽平は雪月キャッチし、そのまま入り口付近に向かって走り始める。すると入り口付近で倒れていたはずの母が立ち上がっていた。
「私に聖なる盾と浄化の光を!」
千恵子が両手を左右に大きく広げると、千恵子の頭上に大きな盾が現れる。その盾は光平と迫りくる触手の間に入り込み、触手はその盾に阻まれる。そしてなんと、触手はその盾に触れると、触れた場所から徐々に浄化されていき、導火線に火を点けたようにじわじわと触手が召されていく。
「なぜ、なぜ光が残っている! こうなったら!」
幸蔵は空いている右手を陽平に向かってかざす。
「娘は、娘は渡さんぞ!」
幸蔵の触手は尋常じゃない速度で陽平に迫る。千恵子は盾を陽平に向けようとするが、光平を乗せていたため、その攻撃に間に合わない。
「陽平君……。私を下ろして」
「雪月、平気なのか?」
「えぇ、私がけじめをつけるわ」
陽平は雪月を下ろし、その雪月は陽平の前に入り、左手を魔の腕に変貌させる。
「雪月、それはダメだ!」
陽平は雪月の肩に手をかけ、自分が前に出ようとする。しかし応急処置の時間が切れたのか、徐々に体の力が抜けていく。
「ここまでなのか……!」
陽平は雪月の肩から手を離し、その場に座り込む。
「そこで見ていてください」
「止めろ。体が持たないぞ……」
「大丈夫です。私になら出来ます。いえ、私にしか出来ません」
雪月は迫る触手に左手を構える。
「さぁ父上! 私の魔を食らいなさい!」
触手はその声にスピード増し、一気に雪月の左手を飲み込む。
「うっ……。この程度じゃ……へこたれない!」
雪月の左腕が青く光り、触手が次々に力を失ってその場に落ちていく。
「な、なんだあの光は! まさか、アレが私の求めていた純粋な魔力!」
幸蔵は求めていたものが見つかると同時に、その純粋な魔力が触手伝いに伝染し、体に異常が起きる。
「おぉ! 魔力が入ってくる。純粋な魔力が!」
先ほど切断された左足が再生し、体は二倍三倍と大きくなり、まるでその姿は巨人そのものとなった。
「これだ。これが長年研究し、追い求めてきたものだ! 雪月よ、感謝するぞ。そして滅べ!」
幸蔵は自我を失い暴れ始める。
「クックックックッ。ハッハッハッハッ!」
「雪月、逃げろ!」
「いいえ、ここからが私にしか出来ないことです」
「それも違うわ。私とあなたしか出来ないことよ」
光平の救助を終えた千恵子が雪月の横に立つ。
「あなたの弓で両腕、両足、額。この五か所を射るのよ。最後は私の力すべてを注ぎ込みます」
「は、はい!」
「あなたには淀みない綺麗な魔力が流れているわ。それはあなた一人の力。だから幸蔵の体に入って暴走しているのよ。お父さんを救えるのはあなたよ」
「私、やります!」
雪月は弓を構え、魔の腕となった左腕で矢を引く。すると矢も澄んだ青い光を纏い始め、キレイな青いオーラを纏った
雪月は額に向かって矢を引く。
「これで!」
千恵子は両手を広げて大きな盾を頭上に出す。
「最期ね」
――雪月が放った矢は見事に額を射貫き、青い光を放つ魔力が星形に繋がり、幸蔵の体は完全に動けなくなる。
「浄化の盾よ。どうか彼を蝕む魔を浄化してください」
千恵子の頭上に浮く盾が神々しく光りだし、幸蔵はそれに照らされ呻き声をあげる。
「ウアァァァァ! やめろぉぉぉぉ!」
先ほどまで巨人だった幸蔵は、みるみる縮んでいき、元の姿に戻ると気絶してしまった。
「終わった、のか?」
「多分、終わったと思いますわ」
千恵子の頭上に浮いていた盾も消え、それと同時に千恵子は倒れこむ。
「母さん!」
「大丈夫ですか!?」
「おい、ちー子は俺が運ぶ」
よろよろの光平が立ち上がり、倒れた千恵子を左手一本で担ぎ、地下室を出ていく。
「俺ももうひと頑張りだ!」
陽平は気合を入れなおし、動かないはずである体を無理矢理立ち上がらせる。
「無理はしないでください!」
「そう言うなって、幸蔵さん、現世に連れて帰るんだろ?」
「……。おかしいでしょうか。皆を裏切っていた男を連れて帰るのは?」
「いいや、おかしくなんかねーよ。だってよ、たった一人の親父だろ?」
「……はい!」
その時の雪月は顔が崩れてもおかしくないほど泣いていた。しかしその泣き顔は最高の笑顔でもあった。
…………。
陽平は雪月とともに幸蔵を運び出し、ゆっくりと時間をかけて学校に向かった。幸蔵が敗北したことにより、大半の魔者は力尽き、消えていった。しかし一部には幸蔵が支配していない魔者も紛れており、それらは殺されまいとすぐに逃げだした。
地下室を抜け庭園に出ると、そこでは穂村姉妹と兎鞠が待っており、兎鞠は光平とともに千恵子を支え、穂村姉妹は雪月と陽平と代わり、幸蔵に肩を貸した。
「みんな無事でよかったぜ。……っとっと」
安心した陽平は、腰が砕けてその場に倒れそうになる。
「大丈夫ですか?」
雪月がそれを支え、陽平は倒れずに済む。
「だっせーなぁ。本当なら俺がそっちだろ?」
「ふふ、そうですね」
そのまま陽平は雪月に支えてもらい、石段を下って学校に戻った。
その後ようやく正門にたどり着き、苦労して正門を乗り越え、一行は保健室がある廊下に入った。
「そう言えば、勇仁はどこに行ったんだ?」
陽平はここで勇仁がいないことに気が付いた。
「そう言われるとそうですね」
陽平と雪月が話していると、廊下の突き当りにある保健室から輝かしい光があふれだす。
「あの光……」
「覚えがあるのですか?」
「あぁ、ナイフを刺した光だ」
「ナイフ? もしかして千里さんが言っていた?」
「あぁ、そのナイフだ」
「一体だれが……?」
「分かんねぇ」
陽平と雪月が最後尾で会話をしている中、光平と兎鞠はすでに保健室の前まで来ていた。
「何だ、今の光は?」
「ふぅ、大丈夫よ。とりあえず入りましょ」
二人は千恵子に肩を貸しながら引き戸を開ける。
そこにはベッドに座り込む勇仁がいた。
「坊主、生きてたのか」
「ふぅ、両親は?」
「ナイフを心臓部分の傷に合わせて入れたら、消えてしまいました」
「失敗なのかしら?」
「いえ、母もそうなりましたよ」
光平らに続いていた千亜希が、保健室前の廊下から声をかける。
「じゃあ父さんと母さんは?」
「先に現世に戻っているはずよ」
「……確証はないんですよね?」
「えぇ、残念ながら」
「じゃあ俺、先に帰ります。両親が消えた地元に帰ります」
勇仁がそう言うと、しばらく沈黙が続いた。勇仁は誰かの答えを待っているようであった。
「ふぅ、誰も異論はないわよ」
兎鞠が全員を代表して答える。勇仁はその答えに頭を下げ、先に現世へ戻っていった。
「ありがとね、千亜希ちゃん、千夏ちゃん。帰ったらあたしにお礼をさせて」
「マジ!? お礼楽しみにしときます!」
千夏は素直に喜ぶ。
「素直でよろしい。それじゃ、そのオッサンはそのベッドに置いて行っていいわよ。あとはあたしたちで持って帰るわ」
「え、良いんですか?」
千亜希は予想だにしない言葉に聞き直した。
「いいわよ。あんたたちも早く帰ってお母さんと再会したいでしょ?」
「さんきゅです! 白衣のお姉さん!」
「そ、それではお言葉に甘えて」
姉妹は肩を貸していた幸蔵をベッドに寝かせ、何度もペコペコとお辞儀をしながら現世に戻っていった。
「すみません。遅れました」
陽平と雪月は一足遅れて保健室に到着した。
「あれ、みんないねーじゃん?」
「ったくおせーな。まだ一人で歩けねーのか?」
「うるせぇ、もうちょいだっての」
「ふぅ、うるさいわね。あんたらもさっさと帰って千恵子の看病しなさいよね」
「たりめーだ! 陽平にしっかりやらせるからよ!」
「親父もやれよ!」
「ふふ、賑やかですね。皆さんがいてくれたおかげで暗くならずに済みました」
雪月はそう言いながら保健室に入り、ベッドに陽平を座らせた。
「私、父上と現世に帰りますわ。陽平君、貴方はお母様と現世に帰ってください」
「雪月……」
「ふぅ、そうしなさい。幸蔵は私と雪月でしっかり話を聞いておくわ」
「兎鞠さん……」
兎鞠は千恵子の肩をすり抜け、幸蔵が寝るベッドの横に向かう。
「おら、帰るぞ」
光平が左一本で千恵子を支えている。
「何してんだ、さっさと来い。俺は片手だぞ?」
「お、おう!」
陽平は、母である千恵子の肩を自分の肩にかけ、涙を流す。
「ありがとう……。俺、幸せだわ!」
三人は声に出さず笑顔を見せ、兎鞠と雪月は幸蔵に肩を貸して現世に戻っていった。
「最後は俺らだな」
「ありがとよ、親父。帰ったらみんなで飯でも行こうぜ」
「あぁ、それも良いが、ちー子の飯はうまいぞ?」
「手作りか……。初めてかもな」
「へっ、俺のカレーがあっただろ」
「あ、忘れてたわ」
「ったく、あんな美味いもん忘れるとはな」
「ハハハ、すまん。嬉しくってさ」
「俺も同じくらい嬉しいぜ。一生家族三人で食卓を囲むとは思ってなかったからな」
「気が早いぜ。早く帰って目が覚めたらまたそのセリフを聞かせてくれよな」
「ガッハッハッ! それもそうだな!」
陽平と光平は、千恵子とともに鏡を抜けていく。
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