第7話 守るべきもの 上

 現実世界に戻ってきた四人は、各々思念世界に入った鏡から現世に帰着する。鏡屋に放置も出来ないので、千亜希の魂が抜けた体を陽平が担ぎ、雪月も鏡屋から思念世界に来ていたようで、引き続き兎鞠が肩を貸し、狭戸宅を目指した。長い戦闘もあり、時刻は午後八時前と言ったところであった。


「ただいま戻りました~」


 雪月が門番に声をかけ、門がゆっくりと開く。


「ふぅ、今日はゆっくりと休みましょう。勇仁はどこから入ったか知らないけど、とにかく連絡を待ちましょう」

「そうっすね。早く来ると良いんすけど」


 千亜希を雪月と同じ部屋に寝かせ、陽平は光平が待つ隣の部屋に戻った。


「あぁ~ただいま~」

「おう、戻ったか」


 光平の右手はまだ完成していないようで、左手一つで茶を淹れていた。


「親父、俺が淹れるよ」

「お、なんだよ。珍しいな」

「たまにはいいだろ」


 陽平は急須から湯呑に茶を注ぐ。


「あぁ~。この家の茶はうめーなー。それに今日はバカ息子が淹れてくれたからな」

「もう二度とないかもしれないから、味わえよ」

「けっ、ちー子取り戻して、あいつに美味い茶を淹れてもらうわ」

「俺も飲んでみてーなー」


 二人はその後久しぶりに長い時間会話を交わした。その途中、兎鞠が弁当を買ってきてくれたので、それを食べながら茶をすすった。


 …………。

 三日後、そわそわする陽平のもとに勇仁からようやく連絡が来た。


「狭戸さん! 連絡来たよ!」


 陽平は襖を軽く叩きながら雪月を呼ぶ。


「本当ですか! とりあえず入ってください」


 陽平は承諾を得ると雪月の部屋に入り、畳に座り込む。


「何日も思念世界に入ってたから、だいぶ寝込んじまったらしい」

「そうですよね……疲れは蓄積されるって言ってましたもんね」

「問題なく目覚めてよかったぜ」

「それで、影浦君はなんて?」

「あぁ、明日こっちに来るってさ」

「分かりましたわ。それは戦いも近いということですね」

「あぁ、でも大丈夫! ちゃんとみんなを守るからよ」

「ふふ、期待してますからね。陽平君?」

「あ、えと。おうよ! 雪月……さん」

「ふふ、さんづけしなくても良いのに。それじゃ、ちゃんと準備しておくわね」

「おう、よろしく。俺は兎鞠さんに言ってくるよ」

「あ、ちょっと。今日から学校よ?」

「え、そうだったっけ?」

「そうよ。もう行かないと」

「やっちまった……。始業式が終わったら保健室に行こう」

「えぇ、そうね。それなら私も行くわ」


 二人は登校の準備を済ませ、昼間の学校に赴く。


 …………。

 始業式を終え、一時間ホームルームが行われると、すぐに下校となった。


「夏休み期間も学校に来てたから変な感じだぜ」

「そうね。パトロール手伝えなくてごめんなさい」

「良いんだって、今こうして元気でいてくれてるんだから」

「ふふ、そうね。これから頑張ればいいものね」

「そそ、そゆこと」


 二人は気さくに会話をし、保健室にたどり着いた。そして勇仁からの連絡を告げ、三人で狭戸宅に帰宅する。


「勝手に帰っていいんすか?」

「ふぅ、良いのよ。保健室の先生はもう一人いるから。それより私、ちょっと疲れてるから、雪月の部屋で寝かせてもらうわね」

「何もしないでくださいよ?」

「しないわよ……。多分」


 兎鞠はにやっと笑い、雪月の部屋に入っていく。


「雪月、気をつけろよ」


 陽平は小声で雪月に忠告する。雪月は笑顔で頷くと、部屋に入り襖を閉めた。


「よし、明日なら学校もすぐ終わるし、元気な状態で挑めるな」


 陽平は気持ちを切り替えるようにつぶやき、光平がいる部屋に戻る。


「親父、ただいま……っていねーし」


 部屋に光平はおらず、そのまま夕飯を終え、風呂を済ませ、陽平が寝付くまで光平が戻ってくることはなかった。


 …………。

 翌日、陽平と雪月は午前のみ学校に行き、そこで勇仁と再会をし、下校時は三人で狭戸宅に向かった。夕飯を早くに済ませ、なるべく長く思念世界に行くことになり、四人は夕飯をとりながら広間で作戦を練ることになった。


「ふぅ、まず今回は二手に分かれるわ。そのチームを決める。あたしと勇仁、陽平と雪月よ」

「え、俺と兎鞠さんが組んだ方が良くないすか? いや、雪月とが嫌ってわけじゃ無いからな!」


 陽平はそのチーム分けに口を挟む。


「ふぅ、いいのよ。あたしはあの二体の魔者に興味があるんだから。それに、勇仁は当然あっちに攻撃を仕掛けるんでしょ?」

「はい、出来ればそうさせてもらいたいです」

「ふぅ、決まりね。それじゃあ雪月、陽平を頼んだわよ」

「は、はい!」


 こうしてチーム分けが決まり、話は次に進む。


「穂村千夏。彼女は以前にも思念世界に一度入っているわ。あれは家出をしたときね。その時に恐らく、彼女の母である穂村千里に何かをされ、能力を得て、私たちの情報を盗み聞きするスパイとなって千亜希ちゃんの家で寝たふりをしていた。ふぅ、これがあたしの推理よ」

「そうですね……。それなら納得がいきます」


 陽平は頬杖をつきながら相槌を打つ。


「あいつは俺を狙ってきた。多分俺がチームから孤立していたからだろう」

「ふぅ、そうね。今度からは闇討ちにも気を付けなさい」

「はい、今後は気を付けます」


 勇仁は面目無さそうに頭を下げる。


「頭をあげてください。みんな無傷で済んだのですから」


 雪月は気を使って勇仁の頭を上げさせる。


「はい、ありがとうございます」

「ったく堅苦しいな。そんなんであのマント男倒せんのか?」

「なんだと!? お前こそ前回あの爆破女に負けただろ!」

「あぁ!? あれは初めての対人だったし、何より能力が分からねーから分析が先だろ!」

「まぁまぁ。それもこれも、今回決着を付けましょう?」


 雪月が喧嘩の仲裁に入り、二人はふくれっ面でそっぽを向く。


「はぁ、まったく、これだからこいつらは一緒に出来ないんだよ……」


 兎鞠は呆れるようにため息をつき、ボソッと愚痴をこぼす。雪月はそれに同意の苦笑いをする。


「ふぅ、さてと。そろそろ行くわよ」


 時刻は夜の十時を回っていた。


「はい、私は準備万端です」

「俺もいつでも行けます」


 雪月と勇仁はテンポよく返事を返す。


「ふぅ、陽平、あんたは?」

「あぁ、大丈夫ですよ。ただ……」

「なによ?」

「いえ、何でもないです」


 陽平以外の三人は、首を傾げて広間を出ていく。陽平は一人口を尖らせて考え込んでいた。親父はどこに行ったのか。と。しかしそうも考え込んでいる時間は無く、陽平は急いで三人の後を追う。

 緊迫感からか会話はあまりなく、ほどなく学校に忍び込んだ四人は、保健室の鏡を通り思念世界へ移動した。

 ブゥゥゥゥン。

 慣れた足取りで四人はいつも通りに校舎を抜け、正門で立ち止まる。


「ここから二手に分かれるわ。千亜希ちゃんに付けた発信機によると、爆破女は以前私たちが戦った二駅先の住宅街よ」

「マジすか。結構遠いっすね」

「文句言わない。学校の自転車でも借りて行ってきなさい」

「分かりました。行きましょう陽平君

「お、おう!」


 陽平と雪月は自転車を取りに学校に戻っていき、残された兎鞠と勇仁はマントの男を探して歩き始める。


「兎鞠さん、奴がどこにいるか分かっているんですか?」

「ふぅ、弾丸の一つに発信機を混ぜていたのよ。まさか正面から受けるとは思わなかったけど」

「なるほど、それじゃあすぐにそこへ向かいましょう!」

「えぇ、そのつもりよ」


 勇仁はそう言う兎鞠の後ろを静かについて行く。兎鞠はエアガンを取り出し、警戒して商店街に入っていく。


「ここなんですか?」

「いいえ、この先の大きな公園よ」

「あの公園は封鎖されているはずでは?」

「えぇ、確か火事だったかしら」

「はい、そうだったと思います」

「無駄話は終わりよ。商店街にも何か仕掛けているかもしれないわ」

「はい。我に魔を制する力を!」


 勇仁は妖神符を刀へ変え、兎鞠の後を静かについて行く。

 あたりはやけに静かであった。店と店との間に生じている路地裏を通る風が、甲高い音を立てて通り過ぎていく。それにより二人の緊張感も高まっていくのであった。


「あんたは右側を警戒して」

「はい」


 勇仁は右、兎鞠は左側を警戒し、真っすぐ公園を目指して商店街を抜けていく。神経質になっているせいか、一歩一歩の歩みがやや鈍足になっていた。

 二人は無駄に神経を使いながら、ようやく商店街を脱すると、大きな十字路に出る。そこを真っすぐ進むと公園はすぐであった。


「行きましょう。この先に鏡守公園があるはずです」

「ふぅ、了解。そうだ、あんたにもこれを渡しておくわ」


 兎鞠はそう言うと白衣のポケットから二本の注射を取り出し、勇仁に手渡す。


「何ですかこれは?」

「魔を吸い取れるかもしれない注射よ」

「かもしれない。ですか?」

「えぇ、この世に確定なんて無いわ」

「な、なるほど」


 勇仁は少しの不安を覚えながらも、その注射を受け取る。


「相当近づかないと刺せないですね」

「ふぅ、後はあんたの実力次第ね」


 勇仁は黙って力強く頷くと、兎鞠はそれを見て公園に向かって歩き出す。

 公園は近づけば近づくほど大きくなっていき、公園と言われてはいるものの、それはどう見ても広場と言う方が正しい広さを誇っていた。


「ふぅ、案外広いのね。それに遊具は全部外側に配置されているのね?」

「はい、ここにはよくサーカスが来ていたらしいです。しかし一般人の大道芸人と名乗る男が、勝手にショーに参加して、それで火事が起きたとか……」

「やけに詳しいのね」

「あ、いえ。ここに来る前に話を聞いたもんで、気になって覚えていただけですよ」

「あらそう。まぁいいわ、どうやら向こうもやる気満々みたいだしね」


 兎鞠の言葉に、なぜですか? と勇仁が聞こうとするも、その前に公園内の大きなテントがライトアップされ、アーチ状の看板には、ウェルカム。と言う文字が明るく浮かび、テントのてっぺんからは電飾ライトが方々に伸びていた。


「なぜテントが……」

「まったく、あのマント男、なかなかこだわりが強い男ね」


 圧巻の光とスケールに二人は少し見入ってしまう。


「さぁ、中に入りましょうかね」

「罠かもしれませんよ?」

「いいえ、恐らくそんなことはしないわ。あいつは戦闘を楽しんでいたもの。姑息な手を使うのは、恐らくあっちの爆破を操る女の方よ」


 兎鞠が吐き捨てるように言うと、堂々と正面からテントに侵入する。勇仁は警戒をしながらそのあとに続く。


「ようこそ~! 僕が営むマジックビーストサーカス! 楽しんでいってね?」


 マントの男は両手を広げて二人を歓迎する。その両脇には勇仁の両親と思われる狼男と鳥女が控えていた。


「野郎……」

「ふぅ、落ち着いて、ね?」

「はい、分かってます」

「イッツショウタイム!」


 二体の魔者は一斉に二人に襲い掛かる。


 …………。

 一方陽平と雪月は、学校から自転車を二台借り、二駅先の住宅街に到着していた。


「あぁ~、結構疲れたな~」

「そ、そうですね」


 二人は互いに濁り無い笑みを浮かべ、自転車を降りる。


「さってと、確かこの先の突き当りの家だったよな」

「えぇ、しっかり援護させてもらいますね」

「おう、背中は任せたぜ!」


 その時、二人の間で聞きなれた爆発の予兆音が鳴る。


「下がれ!」


 陽平は三度目の戦闘で、流石にその音に敏感になっていた。


「きゃあ!」


 雪月は少し反応が遅れ、爆発で横に飛ぶ。


「大丈夫か!?」

「えぇ、貴方を狙っていたみたいだから、軽傷ですんだわ」

「ならよかった……」

「あらあら、よく躱したわね~。ま、さすがに三回目ですものね?」


 住宅街の奥から拍手とともに姿を現す千里。そしてその後ろには千亜希が立っている。


「てめぇ、不意打ちとは卑怯だぞ!」

「卑怯? 気を抜いているそちらが悪いのですよ?」

「アレは挑発の可能性があります」


 雪月は陽平をなだめるように優しい声で気を沈ませる。


「おっけーおっけー。落ち着いた」


 陽平は頭を冷やすと再び千里に向かって叫ぶ。


「千亜希さんを返せ!」

「なぜ? 千亜希は私の娘よ?」

「でも貴方は魔に染まってしまったわ! 決めるのわ千亜希さん自身だわ!」


 雪月も陽平に続いて説得を試みる。

 しかし、千里は不機嫌そうにそっぽを向くと、千亜希を連れて穂村宅に入っていく。


「おい、逃げるのか!?」

「ちょっと! あんたたちの相手は私よ」


 千里の存在を遮るように、二人の目の前に千夏が現れる。


「貴方は騙されてるわよ!」

「ママは嘘は言わないわ! もう、絶対。そう約束したもん」


 千夏はそう言うと両手の掌を少し切り、血を固めた刃を出す。


「なぜ自分を傷つけるの!?」

「私がママを守るの! そのためには私が……強くならないといけないの!」


 雪月のなだめも通じず、千夏は両手を広げて飛び込んでくる。


「俺が前に入る!」

「お願いします!」


 陽平と雪月は初めてとは思えない連携で前後を切り替え、陽平が千夏の血刀けっとうを受け止める。陽平の背後から雪月は弓をしならせ千夏を射る。


「二体一なんて卑怯よ!」


 千夏の両膝から新たな血刀が陽平に向かって伸びる。


「うおっ、あっぶね」


 陽平はそれに驚き数歩後ろに下がる。それによって縛りから解かれた千夏は、雪月が放った矢を易々と躱す。


「二人もいるのに大したことないのね?」

「おうおう、んなこと言ってると痛い目見るぞ!」


 陽平は千夏の挑発にまんまと乗り、千夏に向かって走っていく。


「ふん、見た目通りバカね」


 千夏は両膝の血刀をしまい、再び両掌から血刀を二本出す。


「このままでは埒が明かないわ」


 雪月は横に走っていき、塀によじ登るとそこから千夏を狙って弓を引く。


「射ます!」


 雪月のその言葉とともに陽平は右手のマチェーテを千夏の背後に投げ、高速移動をする。


「マジ?」


 千夏は避ける間もなく矢を血刀で受け止める。そしてがら空きになった背中に陽平が切りかかる。

「貰ったぜ!」


 ――その時、矢を払った千夏はすぐさま両手の血刀をしまい、背中から複数の血刀をハリネズミのように発生させる。


「くそ、マジかよ!」


 陽平は落下を止めることが出来ず、そのまま針地獄に向かってマチェーテを振るう。


「間に合って!」


 雪月は千夏に向かって速射を試みる。陽平は視線の端にそれを捉えると、右手のマチェーテを空高く投げ、空中に移動する。雪月はそれを見ると千夏に向かって矢を放つ。


「もう、めんどいな!」


 千夏は背中から生やした血刀を引っ込め、掌から血刀を出さず横に回避する。


「はぁはぁ、なによあんたたち……。なんで私の家族に手を出そうとするの……あんたたちには関係ないじゃない!」


 陽平は飛んだ真下に着地して、千夏の背中を見る。


「その背中の傷を見せられたら、誰だって助けたいと思うぜ?」


 千夏の背中には、太めの針で刺したような無数の穴が存在していた。


「なによ、私の力を活かすためにしたことよ」

「貴方の意思だったのですか?」


 雪月は塀を下りて千夏の正面に立って問いかける。


「そんなの関係ないでしょ?」

「いいえあります。貴方が母だと思っている人は、既に母としての心など持ち合わせておりません」

「なんでそんなことがあんたに分かるのよ!」

「私も体内に魔を宿しているからです!」

「だからって感情が読めるわけじゃ無いでしょ?」

「えぇ、感情は読めないわ。でも魔力は読める。もちろん貴方のもね」

「は、はぁっ!? 私魔力なんて使ってないし!」

「いいえ、今貴方の体内の魔力が一瞬強まりましたよ」

「ち、違うし!」

「千夏ちゃん、貴方が倒すべく相手は、私たちではなく、貴方のお母さまだと私は思いますわ」

「なんで、やっと再会できたのに……」

「それでもさ~」


 陽平は千夏の弱くなった意思を後押しするように口を挟む。


「千亜希さんは自分の親父を殺す覚悟もしたし、千夏の魔を倒す覚悟もした。お姉さんは前に進もうと頑張ってるぜ? おそらく今も、変わり果てた母親に迫られて、それでも千亜希さんは意思を曲げず自分の親を正しい道に戻そうと頑張ってるはずだぜ?」

「……分かった。一度ママのところに戻る。でも私だけだからね。あんたたちはここで待ってて」

「えぇ、私はいつまでも待ちますわ」

「あぁ、俺もだ。気ぃ抜くなよ、そして自分の目でしっかり確かめて来い!」

「ふん、言われなくてもそうするわ!」


 千夏は陽平の横を通り、穂村宅に向かって行く。陽平と雪月はその背中を立ち尽くして見守った。

 千夏は戦闘で相当疲労したせいか、ゆっくりと自宅に向かって歩いている。ようやく自宅に到着すると思念世界の自宅をまじまじと見つめ、その後家に入っていく。


「ったく、ようやく家に入ったな」

「そんなこと言わないでください。千夏ちゃんなりに覚悟を決めたのでしょう」

「そうなのかもな~」


 陽平は千夏が家に入ったことでそこから視線を外し、雪月の方に振り返りその横まで戻った。


「なぁ、なんでずっと家の方を見てるんだ。そんなに千夏のことが心配か?」

「……」


 雪月はそれに答えずじっと穂村宅に目を据えている。

 ――陽平が返答をしない雪月に疑問を抱く暇もなく、穂村宅二階から大きな爆発が起こるとともに、二階の窓から千夏が道路に放り出される。


「くそ、あいつやりやがったな!」


 陽平は後先考えず穂村宅に向かって走り出す。雪月もその爆発で千夏の危険を察知すると、陽平の背中を追う様に走り出す。


「雪月、俺は先に行くから、援護頼むぜ!」

「あ、は、はい!」


 陽平は力いっぱいマチェーテを投げ、高速移動を細かく刻んで千夏を拾い上げる。


「大丈夫か!?」

「ママが……そんなことする訳ない」


 千夏の目は泳ぎ、呼吸は乱れている。


「おい、しっかりしろ!」


 しかしその言葉が千夏に響くことは無く、立ち上がることもしようとしない。


「クソ、とりあえず失礼するぜ。っと」


 陽平は千夏をお姫様抱っこし、雪月のもとまで下がろうとする。しかしそんなことが許される訳が無かった。


「まったく、千夏は何も変わってないわね」


 陽平の背後から千里の声がする。しかし陽平はその言葉に気を取られず、雪月のもとまで走っていく。


「陽平君、危ない!」


 雪月は走る足を止め、弓を消すと両手を前に伸ばし妖術を唱え始める。


「私に大地の力を!」


 雪月がそう唱えると、陽平の背後に大きな土の壁が現れる。その衝撃で陽平は前に転び、壁の向こうで爆発が起きる。


「いって~。危なかったぜ」

「大丈夫ですか?」


 雪月は急いで陽平と千夏のもとに駆け寄る。


「俺は大丈夫だ。だけど千夏がこの調子で……」

「あれはママじゃない。あれは別人」


 千夏は自分に言い聞かせるようにこの言葉を繰り返していた。そして先ほどの爆発とそれによって割れたガラスなどで傷が増え、千夏の体は傷だらけになっていた。


「このまま私が千夏ちゃんの傷を治癒します。一応掌の傷だけは残しておきます」

「……本当はその傷も治してやりたいけど、それで自分の身が守れなくなったら元も子もないからな」

「えぇ、少しの間一人で耐えられますか?」

「あぁ、この壁もあるしな。とりあえずこれが最終防衛ラインだ。俺は向こう側に行ってくる」

「気を付けて下さいね」


 陽平は力強く頷くと、壁の上にマチェーテを投げ、頂点に立って向こう側を見回す。


「あの女、どこ行きやがった?」


 すでに千里の姿は無く、陽平はしばらく壁の頂点であたりを見回す。

 特に異変もなく、陽平はふと穂村宅に目が付いた。すると玄関付近で倒れている人影を見つけた。


「アレは……千亜希さんか!?」


 陽平はマチェーテを投げ、急いで下に下りるとあたりを警戒しながら倒れる千亜希のもとに寄る。


「大丈夫ですか?」


 陽平は小声で千亜希に問いかける。


「はぁはぁ、大丈夫よ。絶対来てくれるって信じてたわ」


 千亜希は残り僅かな力を振り絞り、陽平に抱きつく。


「仲間ですから」


 陽平はそのまま千亜希の肩を受け持ち、一度穂村宅の塀の陰に隠れる。


「足、動かないんですか?」


 陽平はすぐに千亜希の異変に気が付いた。


「ふふ、バレちゃうよね。実は麻酔をかけられてて、今さっき目覚めたの」

「今さっき、ですか」

「そうよ、起きたら下半身が動かなくて、這いずってここまで来たの」

「なるほど、それで服が少し汚れてるんですね」

「ちょっと、胸見てない?」

「いやいやいや! 見てないですって!」


 陽平は少し焦ったが、言われてみればこれに乗じて胸を見ることが出来る。と言うチャンスを棒に振ったことを悔いた。


「ま、まぁとりあえず雪月のところに行きましょう」

「雪月?」

「あ、まだ会ったことないんでしたね。俺の仲間です」

「それしかないわよね。うふふ、急ぎましょうか」


 千亜希の無事を確認し、陽平は少し安心していた。しかしその安心をひっくり返し、一気に不安に変える音が壁のある方向から聞こえる。


「壁を爆破し始めやがった!」

「もう少ししたら私も動けます。先にあちらの援護に行ってください」

「……うーん、分かりました。しっかり身を守っててくださいね!」

「えぇ、これがあるから」


 千亜希は兎鞠からもらった盾を取り出し、左右に少し振る。


「ハハ、そんなのありましたね」


 陽平はそれに少しの不安もあったが、今は何より雪月を失いたくなかった。


「行っくぜ!」


 陽平は威勢よく塀から飛び出し、壁の方向を見る。幸いにも壁に大きな穴が開いただけで、その穴から覗く雪月と千夏は無事であった。


「うし、今行くぞ」


 陽平は不用心に道路に飛び出すと、壁に向かって走り出す。


「陽平君、後ろよ!」


 雪月の声で陽平は後ろを振り向く。


「どこだ?」


 陽平が振り返った先には誰もおらず、行き止まりの壁があるだけであった。


「左の家!」


 陽平は雪月のナビで穂村宅正面の家を見る。するとその家の塀の陰から千里が姿を現す。


「まったくどういうことかしらね。なんで私の位置が分かったのかしら」


 千里は不服そうに道路まで出てくると、腕を組んで壁の方を睨む。


「おい、壁の向こうには行かせねーぞ」


 陽平は千里と壁の間に割って入る。


「またあなたなのね?」

「俺は何度でも立ちふさがるぜ?」

「じゃあまた倒すまでね」

「やってみろよ!」


 陽平はマチェーテを投げず正面から向かって行く。


「そんなことしても結果は同じよ。すでにステージは完成しているんですから……」


 千里はそう呟くと指をパチンと鳴らす。すると陽平の周りで、チリチリ、チリチリ。と言う音が八方から聞こえてくる。


「逃げ場無しってか……」


 陽平は最後のあがきで右手のマチェーテを空に投げる。しかしマチェーテは虚しく宙を舞い。陽平がそこに移動することなく大きな爆発が陽平を襲う。


「陽平君! ……いえ、彼は生きているはずだわ。あのマチェーテを拾わなくては」


 雪月は千夏の治癒を一度止め、壁に手を添えて妖術を発動する。壁の頂点から一本の枝が生え、空中に舞っているマチェーテを受け止める。


「よし、これで陽平君はあそこに移動できるはず。よね……」


 雪月はそれを確認すると千夏のもとに戻って治癒を再開する。


「今の爆発……。早く動いて、私の足!」


 千亜希は自らの足を何度か叩く、すると最後の一撃で痛覚が戻ったことに気が付く。


「今……痛みがあった」


 千亜希は生まれたての鹿のようによろよろと立ち上がると、塀に体を預けながらゆっくりと道路側を覗く。


「正面の家前。お母さん……」


 千亜希は母の存在を確認すると、再び塀の陰に隠れる。


「蒼焔を纏いて魔を払う。焔の狐……」


 千亜希は静かに変化を唱え、焔の狐に変化する。


「お母さん!」

「千亜希……?」


 千亜希は塀から姿を現し、正面の千里と対峙する。


「麻酔が切れたのね?」

「そうよ」

「また狐になんか変化して、そんなもの私が吸い取ってあげます」


 千里は懐から注射を取りだすと、じりじりと千亜希に近寄っていく。


「そんなのいらないわ。私はもう変わったの」

「あら、母さんは悲しいわ。姉妹揃って私に反抗するのね?」

「千夏が……?」

「と言ってもちゃんと躾は済ましたわ」


 千里は壁に空いた大きな穴の向こう側を見る。しかしすでに雪月が千夏とともに壁の陰に隠れており、そこに人影は無かった。


「壁の裏に千夏がいるのね」

「えぇ、でもその前に、千亜希にも躾が必要よね」

「受けて立ちます」


 千亜希が敵と会話をして時間を稼いでいるうちに、陽平は壁から伸びた枝に移動を終えていた。


「あ、危なかったぜ……」


 雪月はしなる枝を見ると、陽平が乗っていることを確信し、枝を収縮させて陽平を壁の内側まで運ぶ。


「良かった。生きてますね」

「ったりめーよ。でも今回の爆発はいつもと違うみたいなんだ。なんつうか当たると感覚が鈍るんだ」

「爆発とともに何かが……」


 陽平と雪月が会話をしていると、治癒を終えた千夏が起き上がった。


「私、行くわ」


 千夏の言葉に二人は会話を止める。


「私がママを倒す。私がママをもとに戻す」


 千夏の目は紛れもない、覚悟の決まった目をしていた。


「分かりました。私は陽平君を治癒します」

「言われなくても行くっつの」


 千夏は鼻を鳴らして壁の向こう側へ行ってしまう。


「行かしちゃって……いいのか?」

「大丈夫ですよ。あの子ならやってくれます」


 確証は無かったが、なぜか雪月の真剣な瞳を見た陽平は、不思議と安心感に包まれていた。そして雪月は陽平の治癒に入り、壁の向こうでは家族会議が始まった。


「お姉ちゃん、私もママに言いたいことがあるの」


 千夏は軽いストレッチをしながら千亜希の横に並ぶ。


「千夏! 珍しく意見が合ったわね。小学生以来かしら?」

「そんなの覚えてない。とりあえず今は」

「ママを取り戻す」「お母さんを取り戻す」

「躾の時間ね」


 千里は陽平を攻撃した時と同じように、指をパチン。と一度鳴らす。すると二人の周りでチリチリ。と言う特有の音が鳴る。


「千夏、こっち!」


 千亜希は千夏の手を引き、自らの胸の中に抱きいれる。


「ちょ、ちょっと」


 千夏を覆い隠すと、次の瞬間には二人の周りで大爆発が起きる。

 ドンドンドン。と言う細かい爆発から、最終段には大きなドカンッ。と言う花火のような爆発まで起きた。


「お、お姉ちゃん……?」


 千夏が目を開けると、爆発をすべて受け止めた千亜希が千夏の肩に項垂れていた。


「ねぇ、お姉ちゃんってば!」


 千夏が千亜希を大きく揺すると、


「ゲホゲホ、大丈夫だった?」


 千亜希は平気そうな顔で千夏の顔を覗き込む。


「え、無傷?」

「そうよ、火に関係した技は受け付けないわ」

「つよ、マジつよじゃん」

「さて、反撃よ」

「うん!」


 二人は体制を立て直し、魔に染まった母に向き直る。


「私が前に行く」

「もとよりそのつもりよ。援護は任せなさい」


 千夏は正面から千里に向かって血刀を振るう。千亜希はその陰で盾を操り、千夏の援護に回る。

 千里は細かい爆発で千夏をけん制し、家の中に逃げ込む。千亜希は千夏の周りに盾を浮遊させながら、空いた右手で火の玉を千里に投げ続ける。

 しばらく拮抗した戦闘が続いたが、千里の罠が無くなったのか、千里は家の中に逃げ込んでいく。


「家に入っちゃった」

「きっと罠よ。家中に粉が撒いてあるわ」

「でも行かないと」

「私が行く。絶対外に出すわ」


 千亜希の言葉に千夏は信頼を込めて頷いた。

 千亜希が住宅に侵入すると、すぐに二階から物音がする。千亜希は迷わずその音がする方に上っていく。


「ゴホゴホッ。はぁはぁ、しつこいわね」

「お母さん、いるんでしょ? もう争は止めてこっちに戻ってきてよ」

「そんなこと無理よ。私はもうじき死ぬのよ」

「どうして、現世に戻れば何か出来るはず!」

「無理よ。現世で魔を払う技術なんてないわ!」

「そんな……」


 千亜希は母との会話にこの言葉を漏らしたわけでは無かった。廊下に滴る血、それは黒く染み、その点の先にはすでに人間とは思えない化け物が立っていた。手足は獣のように鋭い爪をもち、背中には竜の翼のようなものが生えていた。


「こレデ分かっタでシょ?」


 千里は千亜希の方を振り返り、変わり果てた獣の顔を見せた。


「お、母さん……」


 千亜希の姿を見ると、涙を一滴流し、千里は窓を割って外に出て行ってしまう。


「あ、出てきた……けどアレは……」


 外で待っていた千夏は、家から出てきた化け物を凝視する。


「アレがお母さんよ」


 家から急いで出てきた千亜希が冷静に真実を告げる。


「嘘……でしょ?」

「お母さん、苦しそうだったわ」

「助けないと。私たちが、私たちじゃなきゃダメなんだよね」

「えぇ、行くわよ」


 千亜希と千夏は空を飛ぶ母と対峙し、二人による母を取り戻す戦いが始まる。

 千亜希は溜めていた右手の火の玉を空に向かって放ち始める。空中に停滞し、粉塵のようなものを撒いているようで、千亜希の火とぶつかり小さな爆発が数回起きる。


「これは早く落とした方がよさそうね」

「千夏、これに乗れる?」


 千亜希は至って真面目な顔で、兎鞠からもらった盾を千夏の前に持ってくる。


「え、マジ?」

「大マジよ、恐らく私の火があたらない限り爆発は起きないから!」

「えぇ~、怖いんですけど」

「お願い!」

「一回だけね!」


 二人は空に飛ぶ準備をし、千里が飛ぶルートに狙いを定める。


「今のタイミング。丁度粉塵を出していないわ」

「りょーかい」

「行くわよ。三、二、一――」


 千亜希は左手を大きく上に振り、その勢いとともに盾に乗った千夏が空高く舞い上がっていく。


「あとちょい!」

「もう少しなのに……」


 勢いが死に、千夏は徐々に地面に向かって落ち始める。


「マズい!」


 千亜希は右手で残りの火を操り盾を後押しするように天に向かって両手を掲げる。


「届いてぇぇぇぇ!」

「おぉ、どんどん上がってる。これなら――」


 千夏は思い切って化け物に飛び移り、両手から血刀を出して翼を切る。


「これで落ちる! あ、ってことは私も落ちるじゃん!」


 千夏は化け物の背中にピッタリくっつき、そのまま化け物を下敷きに地面に激突する。


「千夏!」


 化け物は壁の内側に落ち、千亜希は急いで穴を抜けて千夏と化け物のもとに向かった。


「おいおいなんだありゃ」


 陽平の治癒も丁度終え、雪月と共に陽平も化け物のもとに向かう。


「千夏、千夏!」

「う、ううん」


 落ちた衝撃で一瞬気を失っていただけのようで、すぐに気を取り戻した。


「良かった!」


 千亜希は千夏に抱きつくと、しっかり抱いて離さない。


「お姉ちゃん、下下」


 千夏は千亜希の耳元で苦しそうに言う。


「……。そうだったわね」


 千亜希の声のトーンは一瞬にして低くなった。母の哀れな姿を見るのが嫌だったのだろう。


「ちあキ。チなつ。よくヤッタわ。母さん。疲れたわ」

「ママ、ママ。一緒に帰ろうよ!」

「それハ、ムリよ。もウ現世には戻れナい」

「そんな、どうすれば!」

「ワたしはもう助カらなイわ」

「ママ、死んじゃいやだよ! ママ!」


 千夏はその後も、ママ、ママ。と叫び続けた。陽平と雪月はその叫びに釣られ、急いで二人のもとに駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


 陽平は千亜希と千夏の安否を確認する。


「私たちは平気よ」


 千亜希は元気なく答える。


「ねぇ、そこのアンタ。治癒出来るんでしょ? ママも早く元気にしてよ!」


 千夏は到着した雪月に無理強いする。


「そ、それは……。出来ないわ。この人は完全に魔に染まってしまったもの」

「私は出来たじゃん!」

「千夏ちゃんはまだ、完全に染まっていないからです……」

「役立たず! ママ、ママ……」


 千夏は倒れる千里の顔に顔を近づけた。


「待って」


 千里の顔に近づけたまま、千夏は急に真剣な声色で話し始める。


「まだ息をしているわ。これなら助かるわよね?」

「希望はありますわ! なんとか私の家まで運べれば!」

「本当ですか!?」


 これには千亜希も大きな声を出し、雪月の言葉を待った。


「とりあえず急いで鏡の近くに行きましょう!」

「はい、私運転します!」


 …………。

 四人は千亜希が運転する車で鏡守町に戻り、鏡屋の前まで戻ってきた。


「陽平君、千亜希さんと千夏ちゃんとで現世の私の家に行き、クローン体を持ってきてもらえませんか?」

「分かった。任せとけ!」

「ミサンガは……これを巻いてください」


 雪月は真っ白のミサンガと真っ黒のミサンガを取り出した。


「確か本には……。白を左手、黒を右手と書いてあった気がします」

「了解! 確か千亜希さんと千夏の本体は狭戸宅で預かってるんだよな?」

「はい、私の部屋に寝かせております」

「うし、じゃあ狭戸宅で合流だ!」

「はい!」

「りょかい!」


 千亜希と千夏は頷いて答え、三人は鏡を抜けて現世に戻っていく。


「これでクローン体が間に合えば……」


 雪月は応急手当程度に治癒を開始する。主に外傷を治癒していくと、千里の息がわずかに強くなる。


「よし、これならもう少し持つわ」

「お嬢さん。助かった……わ。これはほんのお礼よ……」


 千里はいきなり雪月に向かって話しかけてきた。怪しさ満点ではあったが、雪月は千里がこれ以上魔力を行使できないことが分かっていたので、そっと耳を口元に寄せる。


「…………。これが私が知っている情報よ……」

「……何ですって!? それは本当ですか?」

「本当、よ……」


 千里は伝えることを伝えると、再び眠りについてしまった。


「なんてこと……。こうしてはいられませんわ……!」

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