第6話 迫りくる魔者

 残り僅かな夏休みを、陽平と光平は狭戸宅で暮らすこととなった。光平の右手の義手を直すため、陽平一人自宅に取り残すことも出来ないという判断であった。


「おいガキ。おまえ出かけねーのか」


 光平は夏休みに出かけもしない息子が気がかりであった。


「んだよ。良いだろ別に。こっちは毎日二人でパトロールしてるから疲れてんだよ」


 陽平はそう言うと、光平に背を向けるように寝返りを打った。


「ったく、なんで休日もてめーの顔見てなきゃいけねーんだよ」


 光平はそう言って部屋を出ていった。

 雪月が寝込んでから、早三日であった。一向に目を覚ます気配はなく、陽平の気持ちも沈み込んでいた。そんな時に襖が開き、入ってきたのは兎鞠であった。


「ふぅ、あんた今日も出掛けないのかい?」

「別にいいだろ……」


 陽平は兎鞠にも心を閉ざし始めていた。


「まぁいいわ。光平は?」

「知らね。どっかいったよ」

「ふぅ、まぁどっちにしろあんたに用があったから良いけどね」

「え、俺っすか?」


 陽平は久しぶりの誘いに少し心が躍った。


「さぁ、帰ってくる前に行くわよ」

「あ、はい!」


 陽平はすぐさま支度を済ませ、部屋の外で待つ兎鞠と合流し、狭戸宅を出た。これは思念世界に行く以外で久しぶりの外出であった。


「あの~どこ行くんすか?」

「何処ってあんたの家よ」

「俺ん家ですか?」


 兎鞠はその問いに答えずドンドン先に進んでいく。陽平はそれに黙って付いて行くしかなかった。

 その後、アパートに到着するまで会話は一つもなく、兎鞠は自らの部屋に一度立ち寄り、数分して帰ってきた。


「お待たせ、上に行くわよ」

「は、はい」


 先に部屋で待っていてもよかったが、兎鞠に外で待っていろと念を押されていたのだ。陽平は兎鞠の後に続き階段を上っていく。兎鞠はいつもの調子で日向宅を目指すと思いきや、その手前で歩を止めた。


「あれ、兎鞠さん?」

「今日用事があるのはここよ」


 兎鞠はそう言いながら、すでにチャイムを鳴らしていた。


「この間のことですか?」

「まぁ、それも兼ねてね」

「は~い!」


 そうこうしているうちに、千亜希の声が聞こえてくる。


「どなたです……か――」


 玄関を開けた千亜希は兎鞠の顔を見るとすぐに戸を閉めた。


「ふぅ、ちょっと、中に入れなさいよ」

「嫌です! 何の用ですか?」

「ちょっとした商談よ」

「はぁ、分かりましたよ……。私も聞きたいことがありますし、入ってください」


 千亜希は渋々二人を部屋に招き入れる。前回訪れた時同様、陽平と兎鞠は突き当りのリビングに案内された。少し待つと冷えた麦茶が出され、千亜希も席に着いた。


「それで話って何ですか?」

「あら、単刀直入で良いのかしら?」

「えーと、そう言われるとそれはそれで」

「んー、そうね。まずは先日の件、深くお詫びするわ。ふぅ、それと、あなたが良ければ私たちを手伝ってほしいの」

「……。それで、それで妹は助かりますか? 私は治りますか?」

「そうね……。妹さんを助けることは出来るかもしれないわ。ただ、あなたを助けるには、少し時間が必要なの。今はね」

「そうですか……。なら一つ約束してください、妹は絶対に助けると……」

「ふぅ、自分の身はいいの?」

「まずは妹を助けてからです……。早速ですが、妹の容態を見てほしいんです」

「いいわ、それも目的の一つだったからね」


 千亜希は強張った顔を少し緩め、席を立つ。玄関方向に歩いて行き、廊下の途中にあるリビングに一番近い部屋に入っていく。陽平と兎鞠はそのあとに続いた。

 千亜希は静かに戸を開けると、先に部屋に入っていく。兎鞠は臆せず後に続き、陽平は女性の部屋に入るのを戸惑い、外で待つことにした。


「これを見てください。あの世界から戻って、妹はずっと寝入ってしまっているんです。まったく理由が分からず困っていて……」

「ふぅ、なるほどね。おそらく彼女は今戦っているわ。自らの心とね。この子が犯罪を犯す心懸かりはある?」

「……あります。実は、私たちは父から虐待を受けていたんです。それで、妹はいつも父を憎んでいました」

「ふぅ、動機は十分ね」

「でも、妹はそんなことをする子じゃありません!」

「えぇ、分かっているわ。だから目が覚めないのよ。思念世界に、恐らく妹さんの魔がまだ存在しているはず、それを倒しに行くわよ」

「え、は、はい!」


 陽平はその会話を廊下で立ち聞きしていた。(随分あっさり引き受けるんだな……)と陽平は聞きながらに思っていたが、戦力が増えることに関しては、少し気持ちが高まっていた。


「それじゃ、早速今夜迎えに来るわ。準備はこっちでしとくから、千亜希ちゃんは心の準備をしておいてね」


 兎鞠はそう言って部屋を出てくる。そしてそのまま玄関に向かって行った。陽平は千亜希が出てくるのを待っていたが、彼女は中々部屋から出てこない。陽平が諦めて帰宅しようとしたとき、千亜希が丁度部屋から出てくる。


「あ、どうも」

「あら、私を待っていたの?」


 千亜希は右目を軽く拭いながら部屋を出てきた。きっと目覚めぬ妹に涙を流していたのだろう。陽平は気まずさが残りながらも会話を試みる。


「あ、えっと、その、無理はしないでくださいね? 俺でよければ妹さんの魔をしっかり払ってきますよ!」

「ふふ、ありがとね。だけど私が千夏を救いたいの。今度こそ私がそばにいてあげたいの」

「今度こそ?」

「え、えぇ。私はね、父の暴行に耐えられなくて、母と妹を残して一人暮らしを始めたの。そしたらすぐに母は行方不明になって、そして千夏もここに転がり込んできたの」

「そ、そうだったんですか……」

「あ、ごめんね! また変なこと言い出しちゃって……」

「いえ、俺でよければどんどんいってください! それで気が晴れるならですけど……」

「ふふ、ありがとね。すごく助かったわ。足手まといにならないように頑張るわね」

「はい、心配無用です! 俺が守りますから!」

「頼もしい限りだわ。それじゃ、今夜待ってます」

「はい、失礼します!」


 陽平は千亜希との会話を切り上げて、外に出た。兎鞠は玄関付近に寄り掛かり、タバコをふかしていた。


「ふぅ、良かったわ。協力的で」

「まさか手伝ってくれるとは思ってもみませんでした」

「えぇ、私もよ」

「勝算があったから来たんじゃなかったんですか?」

「そんなもの無いわ。ただ、あの子の瞳は、なにかを守りたい。そう願っている瞳だと思ったからよ」

「へぇ~。意外っすね、兎鞠さんが精神論語るなんて」

「ふぅ、確かにね。それほど今のチームの状況が芳しくないってことよ」

「あ……そうでしたね」

「これで補強が利かなかったら、またあんたと二人きりだったんだからね。あぁ嫌だ嫌だ」


 兎鞠はタバコをヒールですりつぶし、階段を下っていく。


「えぇ……それは流石に酷すぎますよ」


 陽平も徐々にいつもの調子を取り戻し、再び守るものの為に、思念世界に行く決心をつけた。


 …………。

 その後狭戸宅に戻り、夜が更けるまで暇を潰し、そしてようやく夜がやってきた。今夜は二人とも、三日ぶりにやる気が湧いていた。それは互いに見て気付くほど分かりやすいものであった。


「兎鞠さん、いつもよりタバコ多いすね」

「そういうあんたこそ、ここしばらく着てなかったお気に入りの運動着じゃない」

「ハハハ、一人増えるだけでこんなに気持ちが変わるんすね」

「ふぅ、そうね。守るもの、守ってくれるもの。これが両立しなければ、命なんて軽い気持ちで失われてしまうものね」

「そうですね。守るもの……。守られるもの……」


 陽平の脳裏には、離脱した父、雪月、そして勇仁の顔が浮かんでいた。守ってくれていた父を守る立場になり、守るべきであった雪月を、勇仁を救えなかった。思えば思うほど、陽平の胸には悔しさがこみ上げてきた。


「そんな強張らないでよ。千亜希ちゃんが怖がるわよ」

 兎鞠は珍しく励ましの言葉とともに、陽平の背中を軽く叩いた。そして兎鞠は先に狭戸宅の石段を下り始めた。

「いて……ありがとうございます」


 陽平は小さく呟くと、先に歩いている兎鞠の横に追いついた。

 十分近くでアパートにたどり着くと、兎鞠は千亜希宅のインターホンを押す。間もなく千亜希が現れて、三人は学校に向かって歩き始めた。


「先日の鏡屋さんではいけないのですか?」


 千亜希は当然の疑問を兎鞠に投げかけた。


「えぇ、簡単に説明すると、高校の保健室なら、ちょっとした結界を張らせてもらっているから、あっちの方が都合が良いのよ」

「え、誰がそんなことをしているんですか?」

「それは山の上に住んでるオッサンのおかげよ」

「あ、有名な狭戸さんのことです」


 陽平が兎鞠の説明を補足する。


「あぁ~、あの大きな屋敷に住んでるって言われてる人ね」

「俺も本人を見たときはビックリしましたよ」

「私もいつか会ってみたいわ」

「ふぅ、近いうちに会わせるわよ。それこそチームに加わるなら、すぐに会わせるけどね?」

「そ、それは少し考えておきます……」


 千亜希が少し慣れてきたところで、三人は学校にたどり着いた。陽平と兎鞠は躊躇なく正門の柵を乗り越える。千亜希は少し戸惑いを見せたが、無視してスタスタと校舎に向かう兎鞠の背中を見て、千亜希は慌てて柵をよじ登る。

 三人は保健室にたどり着き、ベッドに腰かける。すると早速兎鞠は肩にかけていた鞄から、大きめの盾を取り出した。


「え、こんなの持って戦えなくないですか?」


 陽平はすぐさま兎鞠に突っ込む。


「これは頼んで作ってもらったの。真ん中の部分に火の玉が入るように設計してもらったわ。そこに火の玉を入れれば、力のない千亜希ちゃんでも操れるってわけ」

「なるほど……」

「でも、結局現実世界では、私が持って歩かなきゃいけないんですよね?」

「ふぅ、問題ないわ。折りたためるから」


 そう言うと、兎鞠は盾の中心部にある丸い部分を押した。すると盾は文庫本ほどのサイズになり、持ち運びがしやすくなった。


「おぉ、すげぇ!」

「これなら私でも持てますね。少し重いですが……」


 千亜希は少し苦笑いをし、本のような盾を受け取った。


「さぁ、これで準備は終わりよ。妹さんを助けに行くわよ」

「え、これだけですか?」

「えぇそうよ」

「兎鞠さんも畳んで持ってくればよかったじゃないですか」

「このボタン押したかったのよ……」

「ふふ、兎鞠さんは結構お茶目なんですね?」

「え、そうかしら? お茶目さんが好きなの?」


 兎鞠の声色が少し浮つく。


「あ、え、なんとも……」

「あらそう」


 兎鞠はあからさまに膨れっ面になる。


「ま、まぁまぁ。早く妹さんを助けに行きましょう!」

「ちっ、そうね」

「え、今舌打ち――」」

「はい! 足を引っ張らないように頑張ります!」


 多少の会話で和んだ三人は、気合十分で思念世界に赴く。

 ブゥゥゥゥン。


「うっ、少し目眩が……」


 千亜希は近くの壁に手を添える。


「大丈夫ですか? まだ二回目ですもんね。徐々に慣れると思うので、少し辛抱してください」

「ふふ、結構きついこと言うのね? でもこれくらいでへこたれてちゃ、千夏を助けられないわ」

「ふぅ、そうよ。でも体には気をつけなさいね。せっかく美人なんだから」

「あ、え、ありがとうございます」


 千亜希は兎鞠の言葉に少し照れながらも、怪しそうに兎鞠を見る。兎鞠のもう一面を知っている陽平は、さっきので収まっていなかったのか。と一瞬身構えていた。


「ふぅ、ほら、行くわよ」


 兎鞠はタバコを吸い始め、気持ちを落ち着かせていた。それを見た陽平も、少し気持ちが緩む。

 三人は当てもなく思念世界内を歩き続ける。千亜希は現世に忠実に作られたこの世界に、関心を寄せる。陽平が初めそうだったように、千亜希もどのようにしてこうなっているのか気になっているようであった。


「凄いですね~。よく出来てる……」

「以前来たときは夢だと思ってましたもんね」

「うふふ、これだけソックリだと夢としか考えようがないでしょ?」

「ハハハ、確かにそうですね」

「ふぅ、羨まし……」


 陽平は兎鞠の視線に気づき、少し千亜希と距離をあける。

 手掛かりは何もなく、時間だけが過ぎていく中、千亜希は突然実家に行こうと提案する。


「恐らく父を殺すなら、実家に行ったと思うんです」

「ふぅ、確かにそうね。そこしかないわね。ただ、電車は動いていないから、歩きか車よ?」

「え、歩きですか……。まぁ俺は平気ですけど……」

「あたしは免許無いからね? 千亜希ちゃんは?」

「その……。ペーパーですけど……」

「持ってるんすか!?」

「あら、意外ね。それじゃ、適当に車盗みましょうか」

「え、良いんですか? ペーパーですし、そもそも盗みなんて……」

「ふぅ、良いのよ。どうせこの世界のオブジェクトに過ぎないんだから、誰の物でも無いわ」

「なら車で行きましょう!」

「が、頑張って運転します」


 三人は商店街付近の住宅街の一画から、普通乗用車をパクリ、三人は二駅先にある千亜希の実家を目指し、エンジンをかけた。

 ペーパーではあったものの、流石に自分以外の車は走っていないので、事故なく千亜希の実家付近にたどり着いた。


「だいぶ安全運転でしたね……」


 陽平は苦笑いを浮かべる。


「ほんとよ、ほかに車は無いんだからもっと飛ばしてもよかったのよ?」

「そ、それは出来ませんよ! 安全確認は必須です!」


 千亜希は顔を少し赤らめながら、二人に見栄を張る。


「ま、まぁまぁ。事故なく着いたから良いじゃないですか」

「ふぅ、まぁそうね。戦闘になる恐れもあるから気を引き締めておかないとね」

「私、役に立てるでしょうか?」

「大丈夫よ。自分を信じなさい」

「え、俺にもそういう言葉くださいよ」

「あんたには必要ないわ」

「えぇ~!」


 三人は車を降り、見慣れない住宅街を歩きまわり、そしてようやく住宅街奥の千亜希の実家にたどり着く。


「ここです。ここに居ればいいんですけど……」

「ふぅ、どちらにせよ、この家からは大きな魔を感じるわ」

「千亜希さんの親父か?」

「そ、そうなんでしょうか……」

「まだわからないわ。もしかしたら、ほかの魔が住み着いているのかもしれないわ」

「そうだと、信じたいです……」


 兎鞠は先陣を切り、玄関のドアノブを握る。握ったノブを静かに回し、それと同時に兎鞠はエアガンを右手に握る。陽平はそれを確認すると妖神符を取り出し、両手にマチェーテを構える。


「行くわよ?」

「はい。俺は準備おっけーです」

「え、えと、私も大丈夫です」


 千亜希はそう言うと、ポケットに忍ばせた盾を取り出した。


「開けるわ。三、二、一」


 兎鞠は一と同時に玄関を押し開ける。普通なら何か反応があっても良いほどの大きな音であったが、中からは何一つ物音がしない。


「誰も、いなみたいっすね」

「ふぅ、そんなことはないわ」


 兎鞠は若干のストレスからか、タバコを吸い始める。


「二階、でしょうか?」

「分かるんですか?」

「能力を発動したら、このお耳さんがすごくピクピクするので……」

「ふぅ、もしかしたら野生の勘みたいなものが働いているのかもしれないわね……。上へ行ってみましょう」


 陽平と千亜希はその言葉に頷く。再び兎鞠を先頭に、階段を上っていく。会話も無く神経質になっているせいか、三人の耳には、階段が軋む音が妙に鼓膜を揺する。

 階段を上りきると、廊下は左にのびていた。突き当りに一室、そこにたどり着くまでに、左右に一部屋ずつ設けられていた。


「奥が父の部屋なんです……」


 千亜希は真っすぐ指をさし、突き当りの部屋に嫌悪の表情を浮かべる。


「ふぅ、そうね。いるならあそこでしょうね」


 三人は静かに歩み始める。近づくにつれ、陽平にもただならぬ何かが伝わり始める。

 兎鞠はエアガンを構えながらドアに付き、ノブをゆっくりと回す。


「行くわよ。準備して」

「はい、おっけーです」


 兎鞠が素早く戸を押し開けると、陽平がそこにマチェーテを投げ込む。しかしわざと高速移動はせず、様子をうかがう。


「いない、のかな?」


 千亜希は不安げな表情を浮かべながら、炎でできた耳を微かに動かす。


「陽平、飛んでみなさい」

「えぇ、行かなきゃダメっすか?」

「へぇ、あんたは女性を危険なところに行かせるんだ~」


 千亜希の無言の眼差しが陽平に刺さる。


「分かりましたって、行きます、行きますよ!」


 陽平は一度大きく深呼吸し、能力を発動する。

 ――陽平の体は一瞬にして部屋の奥に刺さったマチェーテに移動する。


「中には誰も居ないみたいです!」


 陽平の声で二人も室内に入り込む。

 ――その瞬間、開けていたはずの扉が勢いよく閉まり、三人は一斉にその扉を見る。するとそこには、中年太りした男が一人立っていた。髪が少し禿げはじめ、右手には酒瓶をを握っている。


「お、お父さん……」

「こいつがそうなんですか?」

「そうよ。この男が、私たちを苦しめた父よ」

「ぐへ、ぐふふへへへ。千亜希じゃねぇか。ったく勝手に出ていきやがってよ。挙句の果てには母さんも出ていっちまった。どうしてくれんだ。あぁ!?」


 男は高圧的な態度で千亜希を責め立てる。


「おい、うるせぇぞクソジジイ。全部てめぇのせいじゃねーか!」

「んだこのガキは?」

「お前は俺が倒す!」


 ――陽平は右手のマチェーテを投げる。男の顔に刺さる寸前で、男は首を動かし、マチェーテは壁に刺さる。


「そんなもん当たらねーよ、バーカ!」


 兎鞠はその言葉を鼻で笑う。


「んだそこの女、今笑ったな!?」

「ふぅ、自分の心配したら?」


 ――男は反論しようと口を開けるようとするが、その瞬間、男の右頬に強い衝撃が走る。


「いで~!」


 男は無様に吹っ飛び、床に這いつくばる。


「こんなもんじゃねぇから――」


 陽平は再び男に向かって右手のマチェーテを投げつける。男の眼前まで飛ぶと、次の瞬間、そのマチェーテを持った陽平が目の前に現れる。


「ひ、ひえぇぇぇぇ!」


 男は不細工な表情で泣き叫ぶ。しかし陽平は容赦をしない。思い切りグーパンチでぶん殴り、男はそのまま窓を突き破って外に出る。男は空中に浮き、そのまま落ちていくかに思われたが、陽平は外で舞っている男目掛けてマチェーテを投げる。

 ――すると今度は、投げたマチェーテと間隔を開けずに移動を始める。それを空中で掴み、男を切る。そして再び振り返り、右手のマチェーテを投げ、早めに移動を開始し、男を切る。陽平は空中でそれをひたすら繰り返す。

 それを数回繰り返すと、最後に左手のマチェーテを男の頭上に投げ、右手のマチェーテを男の着地点に投げる。陽平は着地点に移動し、左手を空に掲げる。すると、二本のマチェーテを繋ぐように青白い稲妻が走り、空に浮く男を丸焦げにする。


「はぁはぁはぁはぁ」


 陽平は怒りで我を失い、怒涛の攻撃を繰り出し末、マラソンを走り終えたほど息を荒げていた。


「陽平くん!」


 千亜希が急いで家から出てくる。


「大丈夫!?」

「はぁはぁ、平気です。少しはしゃぎ過ぎました」

「私のためにそんな息切らして……。ありがと……」


 千亜希は少し涙ぐんでいた。


「へへっ、良いんですよ、これで。俺が出来るのは、俺がここにいるは、みんなを助けるため、みんなを守るためなんすから!」

「ふぅ、カッコつけんな」


 兎鞠がタバコを吸いながら、ゆっくりと二人のもとに歩み寄る。


「すみません。あいつのこと、許せなくて」

「良いのよ。足りないくらいだったわ」

「父は、父は死んだのでしょうか?」

「ふぅ、ごめんなさい。不謹慎だったわね」


 兎鞠はタバコを地面に捨て、靴で踏みつぶす。


「恐らくお父さんは生きているわ。でも、すでに現実世界のお父さんに、魔が差してしまっていたら話は変わってくるわ」

「……そうですか」


 千亜希は少し声の調子を低くした。そして再びその口調で話し始める。


「正直、父は死んで当然でした。毎日私や母、妹を殴り、自分は平日の昼から酒ばかり。私が陽平くんだったら、もっと痛めつけていたわ……。でも、これでよかったのかなって思ってしまうんです。他にも解決策があったんじゃないかって……」


 兎鞠は黙って千亜希の背中をさする。千亜希はそれに気がほぐれたのか、背中を大きく動かし、嗚咽した。陽平には何もできず、それを見ていることしかできなかった。(俺はまた、何かを守るために、何かを失ったのか……?)陽平はそう思いながら、下劣な父の死を悲しむ千亜希を見ていることしかできなかった。


 …………。

 千亜希の涙はほどなくして止まり、落ち着いたかと思えば、今度は千夏のことで慌て始める。


「どうしましょう。魔が差してしまったら、千夏も現世で死んでしまうかもしれない! どうしよう。どうしよう」

「ふぅ、落ち着きなさいよ。探せばすぐ見つかるわ――」


 兎鞠がそう言い終えると同時に、陽平らを目掛けて、屋根から何かが降ってくる。


「何だ!?」

「危ない!」


 千亜希は兎鞠から貰った盾で、振ってきたものをはじく。そしてそのまま三人は、向かいの家の庭に隠れこむ。


「何が降ってきたんだ?」

「ふぅ、分からないわ」

「あれ、見てください」


 千亜希は穂村宅の屋根に立つ人影を指さす。


「あれ、千夏じゃないすか!?」

「はい、あれは千夏だと思います」

「ふぅ、恨みを晴らす対象がいなくなったから、あたしたちに飛び火したわけね」


 穂村宅の屋根に立つ千夏の魔は、右手を天に掲げ、何かを生成し始める。


「ふぅ、恐らくさっき降ってきたのもアレね。大きくしてあたしたちを炙り出すつもりだわ」

「え、じゃあ少し移動したほうが良くないすか?」

「それじゃあ……、こっちです」


 千亜希が先導し、隣の家の庭に忍び込む。


「壁に穴開いてましたけど、現実でもなんすか?」

「ふふ、ここの家の子と友達でね。こっそり教えてもらったの。この穴で隣の家に逃げるんだって。ここは優しい老夫婦が住んでいるのよ」

「ふぅ、その話は後にして。あの子を抑えるわよ」


 兎鞠はポケットから水色のタバコケースを取り出す。そしてそこから一本抜き取り、着火する。


「これであの子が投げてくる玉を凍らせるわ。ただし、あたしにも限界があるわ。もう一回タバコを吸い始めるまでに隙が生まれる。だからこの一本を吸っているうちに、あの子の背後に回り込んで」

「そんなこと言われても……」

「出来るわよ。私が幻を作ればいいの。ですよね?」

「分かってるじゃない。顔もよければ頭も良いのね?」

「コホン。とりあえず、その間に家に忍び込み、屋根に上ればいいわけですね?」

「えぇ、お願いね。ふぅ、それじゃ、行くわよ」

「はい、俺は何もできないですけど」

「今度は私が頑張る番です!」


 千亜希は陽平にガッツポーズをしてみせると、その後目を瞑って力を凝縮し始める。耳が立ち、尻尾が立ち、炎は徐々に強くなっていく。


「……このくらいでしょうか」

「ふぅ、良い感じね。後は相手に見せる幻、あたしや自分、それにそこのバカを想像して」

「はい、やってみます」


 千亜希は再び目を瞑り、三人の容貌を思い浮かべる。すると周囲に複数の陽平、兎鞠、千亜希が出現する。


「うお、すっげ」

「これで少し誤魔化せるはずよ。行きなさい」

「私、頑張ります!」


 千亜希は両手を軽く握り、顔の前に持ってくる。


「幻には常に集中しなさいね。じゃないと消えちゃうわ。あと、自分たちの周りにも蜃気楼を張っておきなさい。そうすれば相手に見えないはずだわ」

「はい、わかりました」


 陽平と千亜希は、幻たちが歩き回る中、静かに移動を開始する。


「行ったわね。あとは私が気を引くだけ……」


 兎鞠が一対一をするのは久しぶりのことであった。それこそチームで輝く能力である兎鞠は、この力を手に入れ、試運転で光平と手合わせをした数年前振りであった。

 千亜希と陽平は徐々に穂村宅へ近づいて行く。姿を見失った千夏の魔は、穂村宅の屋根から離れようと、あたりを見回し始める。


「ふぅ、そろそろ行かないとね」


 兎鞠は覚悟を決め、ゆっくりと敷地から道路へ姿を出す。


「そこのお嬢ちゃん! 探しているのは私たちよね? でも残念だったわね、二人は逃がしたわ!」


 兎鞠は屋根の上に立つ千夏の魔に向かって叫ぶ。それに魔者が反応し、兎鞠を見つめる。そして手に溜めていた力を兎鞠に向かって放つ。


「兎鞠さん……!」

「千亜希さん、止まっちゃだめです。あの人はこれくらいじゃ倒れませんよ」


 ……兎鞠が先ほどまでたっていた場所には、大きな爆風が立ち込めていた。それはしばらく停滞していたが、徐々にその煙は晴れていく。


「ゴホッゴホッ。ふぅ、やってくれるわね~」


 兎鞠は銃を構え、千夏の間に向かって空気弾を放つ。弾丸は緩やかに魔者を追尾する。魔者はその弾丸に脅威を感じないのか、まったくその場を動こうとしない。


「ふぅ、狙い通りね。人間の危機察知能力が少しでもついていれば、この弾丸を避けられたかもね……ふぅ」


 魔者の足元に着弾し、それは魔者の足を屋根に凍り付けてしまう。


【グァァァァア!】


 魔者はそれを剥がそうと、上半身をくねくねと捩じらせる。しかし完全に凍り付いた足は、感覚をも奪ってしまったかのように、まったく身動きを許さない。


「ふぅ、無理に剥がそうとすると、足の根元から持っていかれるわよ?」


 兎鞠は白衣の内ポケットから、新たなタバコを一本取り出す。


「もう一本位なら吸えるかしらね」


 兎鞠は再び敷地内に入り、タバコに火をつける。


「これなら確実に当てられるわよね。ふぅ」


 兎鞠はエアガンの弾倉を抜き出し、新たな弾倉を込め、息を吹き込む。そしてすぐさま道路に出ると、魔者の頭上を狙って弾を発射する。それは目標を大きく外れ、魔者の頭上でフワッと消えてしまう。


「マジか兎鞠さん……。肝心なところで外すなよ……」

「でも、あの人はそう簡単に倒れないんじゃないの?」


 陽平と千亜希は穂村宅の玄関付近にたどり着き、兎鞠の弾丸の行方を見送る。魔者もその弾丸の行方が知りたいのか、頭上を一点に見つめている。


「あらあら、そんなに見つめられたら、恥ずかしがって出てこれないじゃないの」


 兎鞠がそう言った直後、弾丸が消えた空間に一つの黒雲が現れる。そしてサッカーボールほどに膨らむと、魔者を目掛けて雷が放たれる。


【グギャァァァァア!】


 魔者は両手で目を覆い、悶え苦しんでいる。


「さぁ千亜希さん。早いとこ行かないと、黒焦げにされちゃいますよ」

「え、えぇ、そうね。行きましょう」


 二人は再度穂村宅に侵入し、颯爽と階段を駆け上がっていく。


「ふぅ、そろそろ着いたかしらね?」


 魔者の目を焼いた兎鞠は、身を隠すよう庭に戻る。

 そのころ陽平と千亜希は、ベランダから屋根に上り、両目を抑える千夏の魔の背後を取っていた。


「千亜希さん、どうしますか?」

「どうって……倒すしか、ないんでしょ?」

「はい……。俺がやるか、千亜希さんがやるかの話です」

「……私がやるわ。そのために来たんですもの」

「了解です。俺はここで援護しますよ」

「ありがと、私、頑張るわ」


 千亜希は音を立てずにその場に立ち上がると、真っ赤に燃える火の玉を一つ出す。


「安らかに……眠って!」


 千亜希は身動きの取れない魔者に向かって、先ほど溜めた火の玉を投げつける。


【グルァァァァ!】


 火の玉は魔者に命中し、その体は徐々に塵となっていく。


「これが千夏だなんて、考えられないわ」

「でもこれで現世の妹さんに、害は及ばないはずです」

「それが一番なのよね……」


 千亜希は静かに火の玉を錬成する。


「ごめんね千夏……」


 体が半焼している魔者に向かい、とどめの炎を浴びせる。


【グアァァ……】


 千夏の魔はその場で動かなくなった。


「降りましょう、千亜希さん」

「えぇ、早く現世に戻りましょう」


 二人はベランダに降り、そこから玄関に向かう。そこで兎鞠と合流すると、三人の背後に千夏の魔者が降ってくる。千亜希はそれを直視できず、顔を背ける。


「ふぅ、よくやったわね。これで妹さんが魔に差されなければいいけど……」


 …………。

 三人は乗ってきた車のもとに戻り、それで鏡守町の高校に戻る。そして鏡から現世へと戻り、急いで千亜希宅に向かった。


「千夏!」


 千亜希は落ち着いたように振舞ってはいたものの、いざ帰宅すると走って千夏のもとに寄っていく。


「後は起きるのを待つだけっすね」

「ふぅ、そうだと良いわね……。ちょっと一服してくるわね」


 兎鞠は玄関を開け、外に出ていく。陽平も千亜希の背中を見ていると何か申し訳ない気がし、扉をそっと閉める。


「こういう時は、そっとしておくべきだよな」


 兎鞠を追う様に外に出るとそこに兎鞠の姿は無く、その代わりに人通りの少ない夜中に、一人歩いて行く女性を陽平は見た。それは間違いなく兎鞠の背中であった。陽平は静かに鉄階段を下り、兎鞠の横まで走る。


「なんでおいて行ったんですか?」

「あら、あんたついてきちゃったの? こういうの苦手だから押し付けようと思ったのに」

「俺も苦手ですよ。こういう時はそっとしておくのが正解なんじゃないんすか?」

「ふぅ、どうだかね。でも今更でしょ。帰るわよ」

「確かにそうですね。帰りましょう」


 二人は夏の温かさが残る夜道を黙って狭戸宅に向かった。


 …………。

 翌朝、陽平は体を強く揺すられ、気分悪い目覚めを迎えた。


「んだよぉ~」

「千亜希ちゃんが来てるわよ!」


 陽平はその声で寝ぼけていた目をしっかりと見開く。千亜希が来た。と言うことへの驚きもあったが、何より兎鞠が焦っていたからである。


「私は先に行くわ」

「分かりました。すぐ行きます!」


 兎鞠は陽平の返事を背中越しに聞き、襖を開けたままで門に向かって走っていった。陽平も急いで着替えを済ませると、廊下をこけない程度に速足で進む。


「千夏が、千夏が……!」


 玄関では既に話が進んでおり、震えた声の千亜希をなだめるように兎鞠がハグをして背中をさすっている。


「えぇ、えぇ、ゆっくりでいいわよ」

「兎鞠さん!」

「来たわね。この感じだと多分……」


 兎鞠は千亜希の左腕を流し見る。陽平はその誘導に釣られ左腕を見ると、そこにはミサンガが巻かれていないことに気が付く。


「千夏が、千夏がいなくなったんです!」

「落ち着いて、探しに行きましょう。あたしたちが手伝うわ」

「そうですよ! いつでもお供しますよ!」

「うっ、うっ、ありがとうございます……」


 それから千亜希が泣き止むのを待ち、兎鞠は詳しい事情を聞き始める。


「朝起きたらミサンガが無くなっていて、急いで千夏の部屋を見たら案の定……」

「ふぅ、どういうことかしらね。でも恐らく千夏ちゃんは思念世界に行ったわ」

「俺もそう思います。もしかしたら……」

「そうね。昨日の会話を聞いていた可能性があるわね」

「千夏が寝たふりをしていたってことですか?」

「えぇ、お姉ちゃんの気を引こうと体調の悪いふりをしていたら、思わぬ話を聞いた……」

「行動力のあるあの子なら、やりかねないですよね?」

「確かに千夏はすぐに行動する子ですけど……自ら危険な場所に行くなんて……」

「ふぅ、マイナスな妄想ばっかりしていても埒が明かないわ。思念世界に行くわよ」

「はい、でも高校では部活動をやってますから、保健室は無理ですよ?」

「鏡屋さん!」


 千亜希は思い出したように大きな声を出した。


「そうか、あそこなら誰にも見られず向こうに行ける!」

「陽平、千亜希ちゃん、準備しなさい」

「はい!」

「私、ミサンガが……」

「大丈夫よ、ミサンガはちゃんと予備があるわ」


 兎鞠はポケットからミサンガを取り出し、千亜希の手に握らせる。


「良かった……! ありがとうございます!」

「さぁ、行くわよ!」


 三人は各々準備を整え、鏡屋のある大通りに向かう。閉まっている鏡屋に出入りする人は無く、三人は敢えて堂々と鏡屋に入っていく。入ってすぐ階段を上り、三人は鏡の中に吸い込まれていく。

 ブゥゥゥゥン。


「また昨日の車を確保してから行きましょう!」


 陽平が提案をする。


「ふぅ、そうしましょう。千亜希ちゃん、運転頼むわね」

「はい!」


 二人はそれを快諾すると三人は商店街まで走り出す。その矢先に高校方面で大きな物音がし、静かな思念世界ではその音を聞き逃すはずが無かった。


「今の!」

「ふぅ、急ぎましょう。戦闘準備もしておいて」

「了解! 俺に魔を制する力を!」


 陽平はすぐにマチェーテを装備し、そのまま走って高校に向かって行く。


「はい! 蒼焔を纏いて魔を払う。焔の狐!」


 尻尾と耳が生え、蒼炎が千亜希の周りに浮遊し始める。

 兎鞠は走りながら器用にタバコを吸い始め、エアガンを取り出す。


「ふぅ~、もうそろそろね」


 三人が商店街の角を曲がり、狭戸宅が構える山を目の前にするとともに、五人の人影が目に入る。


「いやいやいや~。ず~っと僕を探し続けていましたねぇ~!」

「うるさい! 俺はお前と戦いたいんだ。魔者なんか使わず正々堂々勝負しろ!」


 大声で会話を交わすのは、シルクハットにマントを纏った男と、勇仁であった。そして勇仁の背中に隠れている人物は千夏であった。


「勇仁!」


 陽平はその姿を見るとすぐ、その名を叫んだ。それに反応したマントの男が振り返り、奥にいる勇仁と千夏も反応する。


「あらららら~。こりゃ挟み撃ちですかぁ~?」

「違う! あいつらは関係ない!」

「おい、勇仁! そんな奴早く倒して一緒に帰るぞ!」

「くそ、黙ってろよ……」

「何だって!?」

「黙ってろ!」

「ちょっとちょっと、僕を間に挟んで会話しないでくれる~?」


 男は左右にいる狼男と鳥女に鞭を入れる。すると二体は大きく震え始め、体がどんどんと大きくなっていく。


「なんじゃありゃ?」

「ふぅ、面倒なことになったわね」

「私は千夏を……!」

「待ちなさい。あの二体が先よ」


 鳥女は勢いよく翼を広げると、空に羽ばたき陽平達に向かって攻撃を仕掛けてくる。


「危ね!」

「きゃあ!」

「ふぅ、飛んでる敵は嫌いよ」


 一方勇仁の方には狼男が向かって行く。


「くそっ、以前より早い! それにこの子が……」


 勇仁は背後にいる千夏で身動きが取れずにいる。しかし狼男は容赦なく勇仁に爪を立てる。


「くっ、おい、頼むから離れてくれないか?」


 勇仁は刀で狼男の爪を受けながら、千夏に問いかける。


「もう、何なのよ……なんでこんな目に遭わなきゃいけないの……」


 千夏は声を震わせながら勇仁の服を掴んで離さない。


「くそ……。これじゃ確実に押される一方だ……。足を止める。逃げる準備をしろ」


 勇仁は千夏にそう言うと、妖術で狼男の足を凍り付かせる。


「走れ!」


 勇仁は千夏の手を取って走ろうとする。が、千夏はその場から動こうとしない。


「おい、早く行くぞ!」

「ごめんなさい……」


 千夏は走り出そうとする勇仁の背中に赤い刃を突き付ける。それが勇仁の背中に刺さろうとしたとき――一本の矢がそれを弾いた。


「痛っ!」


 その声で勇仁は振り返る。


「大丈夫か!?」


 すぐさま振り向いた勇仁だが、右手から伸びる赤い刃に目を細める。


「おい、それはなんだ……?」

「……見てわかるでしょ」

「貴様、これを狙ってずっと俺の背後に」

「そうよ。こうなったら力ずくよ!」


 千夏は右掌から伸びる赤い刃で、左手の掌を少し切る。


「痛っ……」


 するとその傷口から出た血が凝固していき、右手の掌から伸びている、サバイバルナイフ程度の長さで形が定まる。


「血が、固まった……?」


 勇仁はその様子を見ると、大きく後ろに跳ね、千夏と距離を取る。


「どこを切っても私は死なないわ。すぐに止血できる私を、お兄さんの刀で倒せるかしらね?」


 千夏は不敵な笑みを浮かべ、じりじりと勇仁ににじり寄る。


(こいつも凍らせてしまうか、切り刻むか。……アレは、ミサンガ……。じゃあこの子は……)


 勇仁はミサンガの存在に気が付くと、余計に手を出せず、千夏との距離を一定に保とうとすると、それに伴って陽平たちとはドンドン距離を取られていく。

 ――すると勇仁と千夏との間に、再び矢が降ってくる。それは地面に突き刺さると、地面が大きくへこみ地割れを起こす。


「大丈夫ですか!?」


 勇仁は声がする方を見ると、そこには住宅の屋根の上で、弓矢を構える雪月がいた。


「狭戸様……!」

「私が援護しますわ! 高校の正門で合流しましょう!」


 雪月は遠目から勇仁に向かって叫ぶ。そして屋根を飛び移りながら高校方面に向かって行く。


「分かりました!」


 勇仁もそれに答えると、高校方面に向かって走り出す。


「何よ、つまんないの。私は走らないからね」


 千夏はその二人を追うことはせず、マントの男のもとまで下がり何か耳打ちをする。


「了解しましたよん。それじゃ、こっちは任せました~」


 マントの男は鳥女と狼男を回収すると、勇仁と雪月が向かった方向に走っていく。


「なんだ? 逃げやがったぞ?」

「ふぅ、良かったわ。防戦一方は嫌いなの」

「千夏……?」


 千亜希は近づいてくる妹の名を呟いた。それはいつもと様子が違う妹への疑心が籠った声であった。


「戦闘は避けられない感じですね……」

「なんで、なんで千夏が……」


 千亜希を纏う炎が徐々に弱まっていく。


「しっかり気を待って! 操られているだけかもしれないじゃない!」

「そうですよ! とりあえず俺が足止めしますんで、兎鞠さんと千亜希さんは下がってください」


 陽平はマチェーテを握り直し、千夏と対面する。


「うわ、金髪じゃん。私達お姉ちゃんに用があるんだけど?」

「それは出来ないね!」

「はぁ、めんどくさ。はいはい、雑魚は引っ込んでて」

「んだと!?」


 ――陽平が切りかかろうとすると、耳元で不穏な音が鳴る。チリチリ。その音が鳴った次の瞬間には、陽平は兎鞠と千亜希のもとまで吹っ飛ばされていた。


「あら、少し威力が強すぎたかしら?」


 以前校庭で戦闘を繰り広げた、千亜希が母と言った存在であった。


「またあんたかよ!」

「ママ、あれはやりすぎよ。痛そう」

「そんなこと言ったって仕方ないじゃない。千亜希に付く虫は排除しないとね?」

「それもそうね!」

「さて、千亜希。貴方も早くこっちに来なさい。家族仲良くしましょう?」

「千亜希さん……」

「えぇ、間違いないわ。アレは私たちの母、穂村千里ほむらちさとよ」

「ふぅ、千亜希ちゃんを待っているみたいよ?」

「ちょっと、そんな可哀そうなこと――」

「いえ、私行きます」

「え、ちょっと千亜希さん。別に無理は――」

「これを渡しておくわ」


 兎鞠はそう言うと、ポケットから黒いボタンのようなものを取り出した。そしてそれを千亜希に手渡す。


「これは?」

「発信機よ。必ず迎えに行くわ」


 兎鞠はそう言って千亜希の背中を軽くたたく。


「行ってきます」

「ふぅ、頼んだわよ」

「お母さん! 私も行きます!」


 千亜希は敵側に走って向かう。


「それじゃあね~。金髪と白衣さん」


 千夏はそう言いながら左手を振る。

 千亜希が二人のもとに着くと、千里を中心に、右に千亜希、左に千夏と三人は手を繋ぎ、黒い渦の中に消えていった。


「これで、良かったんすか?」

「ふぅ、さぁね。とりあえず肉親なら手を出しはしないでしょ。勇仁たちの援護に行くよ」

「あ、はい!」


 兎鞠と陽平は、勇仁たちがいる高校に向かって走りだす。


「あれ、勇仁一人じゃねぇな?」

「ふぅ、体調良くなったみたいね」

「え?」


 兎鞠はその疑問には答えず、マントの男に標準を合わせ、空気弾を何発か放つ。


「おやおやおや?」


 男はその音に振り返り、素早く防御態勢に入る。


「ありり、何も飛んできていないですね?」


 男は不用心にも防御を止めて腰に手を置く。


「あいつバカですね~。これなら当たりますね」


 兎鞠が放った空気弾は、男に近づくにつれて火を纏って行き、炎の弾丸となり男に直撃する。


「ふぎゃぁぁ!」


 その弾丸の命中で、戦場は一時休戦状態となる。


「ヒヒヒヒ! こんな感じなんですねぇ。空気弾って」


 男は服に汚れが付いた程度で、外傷はまったく見受けられない。


「あら、なんだか静まり返ってしまいましたね~。それにあの親子も逃げたみたいですし……」

「おい、まだ俺は止まってないぞ!」


 勇仁がマントの男に切りかかる。しかしそれは狼男に防がれてしまう。


「くそ! なんで毎回邪魔するんだ」

「まったく、君の刀が僕を傷つけることは無いよ? ただし、その狼君がいなかったら別かもね?」

「ふぅ、一旦引くわよ!」

「なぜです!? ここで一人仕留めましょう!」

「いいえ、影浦君。今の貴方は頭に血が上りすぎですわ」

「そうだ! いつものお前らしくないぞ!」

「なんでだ……。なんでみんな……」

「あらら、よそ見していると切り裂かれますよ?」


 気が抜けている勇仁は、今やただのサンドバッグ状態となっていた。


「内に眠る魔よ。汝の半身を我が半身にお貸しください」


 雪月が詠唱を終えると、左半身がとげとげしくなり、左手は獣のように大きな手へと変貌する。


「魔樹の一矢」


 雪月はその手で矢を引き始める。糸が切れるギリギリまで腕を引くと、木製の矢の先端が黒く染まり、それは矢全体を包んでいく。


「放つ!」


 その声とともに矢を放つ。空間を飲むように矢は真っすぐ狼男に向かって行く。


「あれはマズいですね……。ほら避けなさい!」


 男は鞭を振るい、攻撃を仕掛けに行った狼男を横に払う。


【グァァア!】


 狼男はそれによって横に飛び、矢はそのまま地面に突き刺さる。

 ボコン!

 矢は大きな音を立て、コンクリートの道路に大きな穴を作る。


「はぁはぁはぁはぁ、外し、ちゃった……」

「え、えげつないですねぇ~。ここはひとまず退散です!」


 マントから複数の煙玉を落とし、それによって視界を奪われている間に、マントの男は姿を消した。

 一同は神具をしまい、正門前に集まる。


「えっと、狭戸さん。もう大丈夫なの?」

「はぁはぁ、はい。体調は良いのですが、なにせこれは疲れます……」

「ふぅ、上手に使いこなせていたじゃない」

「そ、そうですかね。えへへ」

「すみませんでした」


 勇仁はうつむいたままボソッと呟いた。


「誰だって熱くなる時はあるぜ。ただ、お前にしては珍しかったな!」

「ふぅ、そうね。あんたは冷静に戦略を練るところが売りなんだから、長所を消さないように気をつけなさいね」


 兎鞠はそう言いながらタバコに火を点ける。


「誰にも犠牲にはなってほしくありません。以前貴方が守ってくれたから、今の私がいます。兎鞠さん、光平さん、日向君がいてくれたから、今の私がいるんです。私はそれを誇りとし、守るべきものにしました」

「狭戸様……。ふっ、俺は何を焦ってたんでしょうね。情けないところを見せてしまった。一番見られたくない陽平にもな。……俺、あの二体の魔者を傷つけたくないんだ」

「なんて? お前が傷つけたくないなんて天変地異でも――」

「しっ、何か理由があるはずです」


 陽平が茶化そうとしているところに、雪月が人差し指を口の前に立てながら言う。


「ありがとうございます。実は、あの二体の魔者、俺の両親かもしれないんです」

「両親って……」

「何となくだけどな。もしかしたらあのマント野郎が俺の出生を調べ、両親の名前を言っただけの可能性もある。それでも、あの二体の魔者の攻撃、優しさを感じるんだ……」

「勇仁……。俺はさ、お前がそう思うならそうしたほうがいいと思うぜ」

「私もそう思います。それが、影浦君の守りたいものに繋がるなら」

「ふぅ、あんたがあの二体を助けたいなら、あたしも協力するわ。試したいこともあるしね」

「み、みんな……。ありがとうございます!」

「うし、じゃあ全員そろったことですし、千亜希さんを助けに行きますか!」

「早まるんじゃないよ。一旦出るわよ。勇仁はずっとこっちの世界にいたみたいだしね」

「俺は全然いけま……すよ……」

「おっと」


 急に倒れこむ勇仁を陽平が受け止める。勇仁は疲れと安心からか眠りについてしまったようだ。


「勇仁は俺がおぶります。狭戸さんは兎鞠さんに任せて良いですか?」

「えぇ、さぁいらっしゃい。雪月ちゃん?」

「は、はい。ありがとうございます」


 雪月の左手は徐々に人間の手に戻ってはいたが、力を解放した後はしばらく動かせないらしい。兎鞠は雪月の左側に回り肩を貸し、四人は鏡屋を目指して歩き出した。

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