第3話 前兆

 勇仁の体が治り次第、陽平と雪月の特訓を兼ねてもう一度思念世界に入るという話になっていた。しかし勇仁の回復があまり芳しくなく、次の仕事は一週間後となった。


「結構派手にやられてたしな~」

「そうですわね。私のせ……いえ、これは言わない約束でしたわね」

「そうだぜ、あんときは誰も悪くなんてねぇ。結果誰も死んでねーしな」

「えぇ、ですが次は……」

「んなこと言うなって、俺がみんなを守れるくらい強くなればいいんだからな!」

「ふふ、私も頑張らなくっちゃ」


 陽平と雪月はすっかり仲が良くなり、休み時間には廊下で立ち話をするまでに至っていた。周りの目は少し刺さったが、陽平はそんなことは気にしなかった。なぜなら自分には、みんなを守る使命があると固く自覚していたからであった。


「そんじゃ、また明日な」

「えぇ、また」


 二人は別れ、自分の教室に戻った。陽平が教室に戻ると何人かの友達に囲まれて、「今日は何話してたんだよ?」「今日こそ教えろよな?」

など、取り囲んでは毎日のようにこの質問が飛んできた。すると陽平は決まって、


「何でも無いって」


 と、疎ましく思っていた。

 この日も何事もなく学校を終えると、いち早く帰宅した。父が、「坊主の見舞いに行く」と朝に言っていたので、もしかしたら良い報告があるかもしれないと思ったのだ。


「ただいま!」

「おう、俺も今帰ったところだぜ」

「そうだったのか、んで、勇仁はどうだった?」

「あぁ、明日には学校にも行くってよ。だが、先に言っておくと今日はまだ行かないからな」

「なんでだよ! いち早く俺は強くなりてーんだよ!」

「はぁ、ったくお前は脳筋だな。休むことも考えろっての」

「そりゃそうだけどよ……」

「分かったら学生らしく勉強してな!」


 陽平は渋々部屋に行き、ベッドに飛び込んだ。


「はぁ、結局親父に助けられちまったからな~」


 背後から影に襲われたとき、陽平は死を覚悟していた。最後に見るのは雪月の泣き顔であり、無様に這いずって、生き長らえようとした自分が情けなく思えた。そんな自分を助けたのは父であり、そしてその父は一人でその影を退けた。となると陽平の心中には、強さへの憧れが生まれるのが当然であった。


「俺も、親父みたいに……」


 陽平は天井に向かって拳を突き上げた。


「この手でみんなを守るんだ、親父も含めて全員……」


 陽平はひと眠りすることにした。少し考え過ぎた頭を冷やすため、目を瞑った。


 …………。

 ぐぅぅぅぅ。目を覚ますと同時に腹の虫が鳴った。先日狭戸家を訪れた時と同じくらいの時刻であった。念のため時計を見ると、やはり八時頃であった。あの時は光平もイライラしており、時間なんて答える気にもなれなかったのかもしれない。と陽平は思い返した。


「ふぁ~ああ。腹減った」


 陽平は欠伸をして大きく伸びると、ベッドから降り、リビングに向かった。

 テーブルには弁当が一つ置いてあり、父の姿は無かった。


「親父は先に食ったのかな」


 陽平は弁当を取り、電子レンジで温め始めた。寝覚めに少し風に当たりたくなった陽平は、ベランダに出た。すると見覚えのある背中が目に入った。しかし瞬時に誰か分かるほど明確な記憶でもなかった。


「なんか見たことあんな~。ま、いいか」


 ベランダから戻ると、ちょうどレンジが鳴った。陽平は弁当を取り出すと、席について食事を始めた。しかし、食べ始めてすぐに先ほどの背中の主を思い出した。


「あ、あれ数学の担任だ! あのお団子頭はぜってぇそうだ」


 陽平は数学科の教師が嫌いだった。数学が嫌いなのもそうだったが、何よりあの教師が嫌いだった。


「こんな時間に一人で出歩くなんて、やましいことをしてそうだな~? ちょっくら尾行してみるか」


 陽平は数学教師の弱みを握ろうと、尾行を決心した。

 家を出た陽平は、ベランダから見たとき、教師が歩いて行った方向に歩き始めた。


「確かこっちだったよな~?」


 あやふやな記憶を辿り、陽平は歩き始めた。しばらく進むと商店街に着いた。商店街は既に明かりが消えており、どの店も閉まっていた。


「なんだって終わった商店街なんかに?」


 陽平は疑問を抱きつつ、商店街に入っていった。

 商店街は真っすぐ伸びており、道の両側に店が軒を連ねている。暗く見通しが悪く、一番先は視力が良くとも全く見えないほどである。


「さて、とりあえず歩くか」


 陽平は商店街の散策を始めた。いつも通りの商店街と言った感じで、暗がりの中で動く影もない。気のせいだったのだろうかと思ったとき、背後から気配を感じた。陽平は素早く振り向くと、人影が右側に走っていった。


「なんだ? 学校のほうだな」


 商店街を半分まで来ていた陽平は、引き返す形で商店街を出た。人影はそのまま走っていき、無人の学校に侵入した。


「なんだ、同業者か?」


 陽平は真意を確かめるためにその影を追うことにした。

 正門をよじ登り、昇降口の玄関が開いていた。侵入口は陽平たちと全く同じであった。


「なんだ、まだ誰か仲間になるのか?」


 陽平は当然のように保健室に向かい、戸を開けた。そして鏡の前に立ち、ミサンガを装着した。


「さっさと連れ戻さねーとな」


 鏡に手をかざし、前進する。

 ブォォォォン。


「うし、到着だな」


 思念世界に着くと保健室の戸は既に開いており、どこかに向かった様子であった。


「どこ行ったんだ?」


 陽平は校内を隈なく探した。しかしどこにもそれらしき人影は見当たらなく、陽平が帰ろうとしたとき、ふと現実でのことを思い出した。


「あ、そう言えば最初は商店街にいたよな?」


 陽平は帰る前に一応商店街まで行ってみようと決め、昇降口から外に出た。

 三度目の思念世界だが、校外に行ったことは無かったので、陽平は内心ワクワクしていた。

 現実世界での侵入ルートを逆走するように門を乗り越えると、そこにはいつも陽平が見ている景色が広がっていた。


「どこまでもそっくりなんだな……」


 校内だけだと思っていたが、外まで現実そっくりとは思ってもいなかった陽平は、いろんなところを回りたい欲を抑え、商店街に向かって進んだ。

 小走りに商店街にたどり着くと、やはりそこに人影はなく、ただ忠実に商店街が完成しているだけであった。


「んだよ、無駄足だったか?」


 陽平はそう言いつつも、よく出来た商店街を奥まで見てから帰ろうと思い、ゆっくりと商店街を見回しながら進んだ。


「すげぇ、よく出来てんなぁ」


 商店街の出来に感心していると、再び背後から物音がした。


「なんだ!?」


 青い大きなポリバケツが倒れていた。


「ね、猫かなにかだよな……」


 入り口付近で倒れたポリバケツとしばらく睨めっこをした。唾を多く飲み込むと、それに向かって恐る恐る近づいた。


「俺に魔を制する力を!」


 陽平はバケツを調べる前に、護身用に神具を出した。


「ね、念のためな……。俺に雷の力を!」


 妖術を全身に帯させ、準備万端でポリバケツの前に立った。そして剣先で二度バケツをつついた。

 ……。何の反応もない。


「良かったぁ!」


 ――陽平が大声を上げた瞬間、背後から鋭い攻撃が空を割いた。


「ふぅ、あぶね~。来ると思ってたぜ!」


 陽平は右手に持つマチェーテを、左に建つ古着屋のシャッターに投げた。


「よし、準備は完了だな。行くぜ!」


 真っ黒に染まった影が、陽平の目の前に立ちはだかる。しかし前回の影よりも人間に近い形をしている。


「魔が……。魔が……」


 影は何かをぶつぶつ呟いている。それは他人に言うでもなく、自分に言うでもなく、虚に向かって発する言葉のようであった。


「おい、お前人間なのか?」

「魔が……。魔が……」

「クソッ、会話はまともに出来そうにねーな」

「魔、魔魔魔魔……」

「な、なんだ急に!?」

「…………」

「今度は黙りやがった」


 均衡状態が続いた。正体が分からぬ影に手が出せず、左手に握るマチェーテの柄は、手汗で滑り始めていた。陽平はマチェーテを右手に持ち直し、逆手に構えた。


「く、来るなら来いよ!」


 声は聞こえているようで、陽平が大声を出すと影はわずかに動いた。しかしすぐに元の状態に戻ってしまう。

 数分経ち、俯いていた影は顔を上げてこちらを見た。口は半開きで涎が垂れており、目は飛び出しそうなほど見開いていた。首を大きく左右に傾け、一歩陽平に近づいた。陽平はその顔を見て、


「嘘、だろ……?」


 と言った。それは影の正体が数学教師であったからである。

 ――「魔!」と言う掛け声とともに、数学教師の影は陽平に殴りかかってきた。陽平は咄嗟に右手をかざし、刺さったマチェーテの位置まで移動した。刺さったマチェーテを抜くと、両手で構え、防御態勢に入った。

 ――構えるとすぐ、影は猛スピードで陽平を捕えようとしてくる。陽平はそれを横っ飛びで躱すと、峰打ちで一撃かました。


「ぐあぁぁぁぁ。痛い。痛い」


 影はその場にうずくまった。


「げ、やっぱり人間だったのか?」


 陽平はそこで少し躊躇した。しかし影はすぐに立ち直り、裏拳を陽平に浴びせた。


「ぐふっ」


 陽平は大きく飛び、ゴミ捨て場に突っ込んだ。


「いって~、これは人間の力じゃねぇぞ」


 陽平は立ち上がると、右手のマチェーテを影に向かって投げた。すると影は軽やかにそれを躱した。


「避けた!?」


 避けると同時に影は陽平に向かって走り出した。


「まずい。飛ばねーと!」


 陽平はマチェーテを素早く投げ、右手を投げたマチェーテにかざした。すると再び陽平の体は刺さったマチェーテまで移動した。


「どこ? どこに行ったの?」


 影はゴミ捨て場を荒らしている。捨てられたごみ袋を何度も殴り、蹴り、そして振り返った。


「なにしたの? ねぇ、なにしたの?」


 陽平を見つけると、影は歩きながら問いかけてきた。


「んだよ気持ち悪いな。寄ってくんな!」

「あなたいつもそう思っていたのね?」

「いや、そういうわけじゃ――」


 影は再び攻撃を仕掛ける。陽平はそれを躱し、強烈な峰打ち後頭部に当てた。


「あ、ぐっ……」


 教師の影は倒れ、そのまま気絶した。


「危なかったぜ。それにしてもなんで先生がこの世界に……」


 陽平は謎を抱えたまま、先生を担いで元の世界に戻った。先生はそのまま保健室に寝かせ、陽平はとにかく早く家に向かった。


「ただいま親父、聞きたいことがあんだけど?」

「はぁ、どこ行ってたんだ?」

「えっと、その……」

「思念世界に行ってたんだな?」

「あ、あぁそうだよ」

「まぁいい、それは後だ。話ってのはなんだ?」

「それがよ、思念世界に先生の影がいたんだ。俺はそいつと戦って、今保健室に寝かせてるんだけどよ」

「お前なんつった……?」

「いや、だから先生を――」

「今から保健室んとこまで行くぞ!」


 光平は有無も言わせず飛び出すと、全速力で学校に向かった。陽平もそれに続いて学校に戻り、再び保健室の戸を開けた。


「おい、これ見ろ」

「はぁはぁ、どれだ?」


 陽平がベッドを覗き込むと、そこには教師の姿は無かった。


「はぁ、やってくれた。なんで連れ帰った?」

「いや、だってよ。先生が学校に入っていくのが見えたから、それを追ったら保健室が開いてて、思念世界に入ってみたらそっくりな影がいるし、そりゃ助けるだろ……」

「はぁ、まんまと罠に嵌ったな。そりゃ俺ら封魔師だけが見れる、『魔の前兆』だ」

「魔の前兆……」

「あぁ、魔が差しそうな奴が俺らには幻覚となって見えるんだ。そしてそれが鏡に入っていったとなったら、そりゃ魔の前兆確定だ」

「俺、やっちまったのか……?」

「言いづれぇが、明日には何かしら起きるぞ。話してなかった俺も悪いがな……」

「いや、すまねぇ。こればっかりは親父のせいじゃねぇよ……俺が止めてくる」

「待て、もう遅い。こっちに魔が来た時点でその教師には魔が差している。もう俺らが手を出せる領域じゃねぇんだ。いいか、俺らはあくまでも思念世界でしか魔を封ずることが出来ねぇ。いわば番人だ。そこが破られたとなりゃ、もう俺らは何も出来ねぇ。次に備えることしか出来ねぇんだ……」

「クソッ!」


 陽平は壁を強く殴った。


「次はねぇからな。しっかり肝に銘じとけ」


 そう言うと光平は保健室から去っていった。陽平はしばらく鏡に映る自分を見つめ、再び失敗した哀れな自分を殴りたくなった。しかし鏡を殴っては、思念世界に行けなくなってしまう。その葛藤のすえ、陽平は壁をもう何発か殴り、帰宅した。


 …………。

 翌日、登校すると正門にはパトカーが止まっていた。光平の言った通りの結果を迎えてしまったのだ。パトカーには数学教師が乗せられ、そのままパトカーは走って行ってしまった。


「おいおい、朝からなんだよ?」

「いやだねぇ、うちでも事件?」

「数学の教師だってよ」

「あぁ、あの人ね。口うるさくてすぐ怒鳴る先生」


 正門は野次馬で溢れていた。陽平はその光景を見ると、胸がきつく締まった。


(俺のせいで……)


「おはようございます。どうかしたのですか?」


 そんな陽平のもとに雪月がやってきた。


「俺のせいなんだ……」

「それは言わない約束ではないでしたか?」

「今回ばっかりは……。俺が悪いんだ」

「あ、陽平さん!」


 陽平は雪月に顔向けできず、走って教室に向かった。

 教室には生徒は一人もいなかった。皆正門に集まりそれどころではないのだ。


「よう、どうした日向さんよ?」


 怪我が治って登校してきた勇仁であった。


「へっ、俺はチームから外れるかもしれないぜ、よかったな?」

「ほう、それは嬉しい限りだ。だがな、お前は一回のミスで逃げるのか? ここで諦めなければ、消せる魔もあるんだぞ?」

「……少し考えるよ」

「こんなことを言いたくは無かったが、お前の力は未だに謎だ。だから今日の修練には来てもらうからな。じゃあな」


 そう言うと勇仁は帰っていった。

 教頭がナイフで刺されたらしく、学校は休校。そして数学教師は「魔が差したんです」といい、殺人の容疑で裁判が執り行われることとなった。陽平はそれを自宅のテレビのワイドショー番組で確認すると、自室に籠った。

 ドンドン。


「今日だけは無理矢理でも連れて行くからな。覚悟しとけよ!」


 父は励ましも兼ねて、ドア越しに大きな声で陽平に呼び掛けた。


「あぁ、分かってるよ」


 陽平は今にも消えそうな声でそれに応え、父が気遣って自室においてくれた手製のカレーを食べた。


「具がデカすぎんだよ……」


 陽平は父の唯一の手料理を頬張りながら、一人呟いた。小さいころから大好きなカレーは、父の気が向いた時しか食べることが出来ず、それが今になるとは思いもしていなかったので、陽平は少し涙ぐんでいた。

 食事を終えると、流し台に行き、食器をきれいに洗い、自室のベッドに潜った。そしてアラームをセットして陽平は眠りについた。


 …………。

 ジリリリリ。ジリリリリ。

 目覚まし時計がアラーム通りになり始めた。陽平はなり続く音を止め、上半身を起こした。

 多少目が覚めるまで座ったままでおり、その間に昨夜犯してしまった失敗をじわじわと悔やんだ。


「起きたか?」


 ドア越しに父の声がする。


「お、おう。今行くよ」


 陽平は珍しく考え込んでいたせいか、声がひっくり返って出た。


「情けねー声出しやがって」


 光平は心配の声を残し、リビングに戻っていった。陽平はその足音を聞き、いつもの動きやすいジャージに着替え、ドアを開けた。


「お待たせ」

「おう、んじゃ行くか」


 親子の会話はどことなくぎこちなかった。なぜかいつものような貶しあい、罵声の飛びあいは無く、ただ黙々と高校に向かって歩き続けるだけであった。

 沈黙が数分続くと、校門前には雪月と勇仁が待っていた。


「こんばんは。今日はご指導よろしくお願いします」

「こんばんは、よろしくお願いいたしますわ」


 二人は軽く頭を下げながらそう言った。雪月は頭を上げると軽く陽平に手を振った。勇仁は目もくれず校内に入って行ってしまった。


「俺らも行くぞ」

「おう」


 光平は土台となり、雪月を校門に上がらせ、それに続いて光平が上り、最後に陽平が門を上った。

 保健室まで来ると、光平は扉を閉めて鏡の前に立った。三人は光平が先に入るものだと思い、ミサンガを各々の手に巻くと、光平が鏡に入るのを待った。しかし光平は鏡の前に立ったままであった。


「親父、入らないのか?」


 陽平は痺れを切らして問いかけた。


「お前らに聞きたいことがある」

「はい、なんでしょうか?」

「俺も出来る限りなら答えます」

「おう、今更何だってんだ?」

「……。お前らの戦う訳だ」


 ……。空気は一変した。そして誰から答えるものかと三人は目で訴え合う。その均衡を破ったのは勇仁であった。


「俺は……、両親を探す為です。ある日突然消えた両親が、何か思念世界と関係がある気がするんです……。以上です」


 勇仁はそう言うと、質問をする間も与えず光平の横を通り過ぎ、鏡の中に吸い込まれていった。


「私は……」


 次に口を開いたのは雪月であった。


「私は、自分を知る為です。なぜお父様がそこまでして封魔にこだわるのか。そしてなぜそれが私なのか……。それが知りたいんです」


 雪月は自分の気持ちを落ち着けるように手を胸の前に持ってきた。光平は雪月に力強く頷いた。そして勇仁に続いて雪月も鏡の中に入っていった。


「あとはおめぇだな」

「俺は……」


 陽平には戦う理由が無かった。いくら考えようと、いくらひねり出そうと、それが見つかることは無かった。


「あのな、俺はお前に二つ隠してることがあるんだ」


 光平は、口ごもる我が子を見て、助言を授けるかのように語りかけた。


「二つか、親父にしては少ないんだな」

「けっ、そうかもな。でもこれはマジだからな、ちゃんと聞けよ?」

「おう、いつでも良いぜ」

「まずは一つ目だな。実はな、お前にトドメを刺したのは俺なんだ」

「は、どういうことだよ?」

「だからな、あの交通事故、あんときお前は左半身がほとんど骨折してたんだよ。痛む姿も見たくねーし、病院行く金もねーしでな。だからお前を封魔師の体にしたんだ」

「……。じゃあ俺は親に殺されたってことか?」

「俺はお前のことを想ってこうしたんだ。そして何より、母さんがそれを託したからだ」

「か、母……さん?」

「あぁ、母さんはまだ生きてる。この中でな」


 光平はそう言うと、鏡をノックするように二三度叩いた。


「生き……てるのか……?」

「あぁ、大マジだ。お前が封魔師になったときこれを話せって、ちー子から言われてたんだ」

「あ、え、その。ちー子?」

「ゴホッゲホッ。な、何のことだ!?」

「いや、今ちー子って……」

「き、聞き間違いだ! 千恵子ちえこって言ったんだ!」

「ハ、ハハハハ! あぁ元気出たわ、ありがとな親父!」

「なら良いけどよ……。これはほかの奴には言うんじゃねーぞ?」

「それは親父の行動次第だな!」


 陽平は父に捕まらぬように脇をすり抜けると、そのまま鏡の中に入っていった。


「ったく。これがあいつの戦う理由になりゃ良いがな……」


 光平は後頭部を掻くと、弟子三人の後を追い、思念世界へと消えていった。


「すまねぇお前ら、待たせたな」

「いえ、大丈夫ですよ。この世界で戦う理由。俺は大事だと思います」

「えぇ、私も揺らいでいた心が定まった気がしますわ」

「へへ、俺も助かったぜ」


 陽平は照れ臭そうに鼻の下掻いた。


「そんじゃ訓練つけるとすっか~。まずは勇仁の力から見させてもらうぞ」

「はい!」


 勇仁の力は万能で、右では常に刀を扱い、左では常に氷を扱うスタイルであった。


「よし、お前は特に問題ないな。今度俺が稽古つけてやる」

「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」

「よし、次は二人だ。めんどいから一緒でいいぞ」

「俺ら雑じゃねぇか?」

「良いんだよ。まだひよっこなんだから」

「そうですね。とにかく私にできることを享受して頂けたら幸いですわ」

「あぁ、えっとな嬢ちゃん。そんなに固くなんなくていいぞ?」

「いえ、これが私なんです。お気になさらず」

「そ、そうか、なら続けるぞ。二人とも神具と妖術出せ」


 二人は指示通り神具と妖術を唱えた。雪月は弓と草。陽平は二本のマチェーテと雷。それぞれ準備を終えると、光平が近くまで来て二人の神具と妖術を確認した。


「嬢ちゃんのほうは今のところ思いつく戦術はねーなー。俺は遠距離ってのが性に合わないんでな」

「それじゃあ……」

「まぁまぁ待てって。嬢ちゃんには一人当てがいるからよ」

「それなら良かったです。ありがとうございます」

「よし、んじゃ最後はお前だな」

「おう!」

「どれどれ……。まぁ、お前も大した事ねーな。適当にやってろ」

「えぇぇぇぇ!?」

「俺は坊主の指導で忙しいんだよ」

「ふん、残念だったな。あ、ですが一つだけ気になることがあるんです。あいつ、瞬間移動のようなことをするんです」

「ほう、初耳だな?」

「いや、それがよ。妖術を発動すると、手と手がくっつくんだよ、磁石みたいに。それで俺の能力は、本当は磁石なんじゃ無いかって思ってやってみたら――」

「落ち着け、ちょっと俺に見せてみろ」


 光平はそう言うと強引に陽平の手を引いた。


「おい、あぶねーぞ?」

「こんくらい平気だっての。良いから見せろ」


 光平はしばらく陽平の両手を見続けていた。


「なんか分かったか?」

「あぁ、分かった。しかしこれは陽平、お前にしか言えない」

「お、俺は良いけど……」


 陽平は後ろで待つ雪月と勇仁の顔を見た。


「俺は良いですよ。ただ、あれの原理は教えてもらいたかったですが」

「私はまだ、自分のことで精いっぱいですので……」

「よし、決まりだな。結論から言うと、こいつは体が電磁石になってる。だから妖術の電気を流すことによって、高速移動が可能となった。まぁどっちでもいいが右がS極で左がN極って感じだな」

「なるほど。こいつは常に帯電しているのか」

「そう言うこった。だから、こいつの持ってるマチェーテに電気を移して投げれば――」

「高速移動ができるのか!」


 陽平は自分が謎を解いたように大声をあげた。


「はぁ、いいとこ持ってきやがって。まぁいい、原理はこれでおしまいだ」

「ありがとうございます。では、マチェーテのどちらかを潰されると危険なんですね?」

「それはこいつ次第だな」

「なるほど、期待しておきます」


 全員の今できる限りの能力を把握したところで、四人は思念世界から戻ってきた。今後は鏡に入る人影を見つけたら、一人で行かず全員で揃っていく。と言う規則も作り、今晩は解散した。


「なぁ、さっきの話気になるか?」


 光平は帰路でぽつりと話し出す。


「ん? さっきのって、思念世界でのことか?」

「あぁそうだ。聞きたいか?」

「まぁそりゃな」

「そうだよな~。まぁ結論から言うと、母さんが残した注射をお前に使ったんだ。これを使えば唯一無二の封魔師になれるってな」

「唯一無二……」

「そうだ。磁石体質はこの世でお前だけってことだ」

「母さんが現世に残してくれたもので、俺は強く、もっと強く」

「あぁ、期待してるぜ!」


 光平は思い切り陽平の背中を叩いた。


「いて、何すんだよ!」

「ハッハッハ! 叱咤激励だよ!」

「んだよ、言われなくても母さんを救うために頑張るよ!」

「あぁ、そうか……」


 光平の顔は少し曇った。しばらく母に会えていないからだろうか、自分が原因で母を思念世界に置いてくる羽目になったからなのだろうか。それは光平にしか分からない話であった。


 …………。

 数日後、雪月の師匠替わりを頼んだ人物が来る。という知らせを陽平は父から聞いた。陽平は登校するといち早くそれを雪月に伝えた。


「本当ですか、私、頑張ります!」

「おう、その意気だぜ!」


 謎の盛り上がりを見せる二人は周囲から少し浮いて見えた。そこに勇仁がやってきて、二人をさらって屋上に出た。


「あんまり大きい声で話すな。狭戸さんも気をつけてください」

「すまん……」

「すみませんでした……」

「確かに俺も光平さんが稽古をつけてくれるから、頑張りたいという気持ちは一緒ですが、校内ではなるべく抑えてください」

「はい。以後気を付けますわ」

「お前もだぞ!」

「お、おう!」


 勇仁は鋭い視線で陽平を睨みつけると、扉を開けて階段を下りて行った。


「ったく、なんで俺だけ当たりつえーんだよ」

「フフ。私としては微笑ましいですわ。あんな友達いないもの」

「……そっか」

「さぁ授業が始まるわ。急ぎましょ」

「おう!」


 授業を済ませると、三人は校門で集合し、日向宅を目指して歩き始めた。光平曰、「自宅に訪問してくるから、放課後にでも三人で来い」とのことであった。


「そんな遠くないから、早速行くか」

「はい」

「ちゃんと道案内しろよ」

「それくらい出来るわ!」


 三人は戦術のことやどんな先生が来るのか、期待に胸を膨らませながら日向宅前に到着した。


「ここだぜ」

「ほう、これは中々古いアパートだな」

「私ここに来るのは初めてですわ」

「まぁまぁ上がってくれよ」


 陽平が先導して階段を上がり、自室のノブを捻って扉を開けた。


「ただいま~」

「お邪魔します!」

「お邪魔いたします」


 玄関には見慣れぬ靴が一つあり、確かに先生らしき人が訪れているらしい。


「おう、お帰り。ちょいと変人でな、ベランダ越しに話を聞くってよ」

「もしかして巨人!?」

「貴様はバカか」

「ふふ、巨人だとしたらもうとっくに見えてるはずね」

「た、確かに……」

「まぁ良いから、三人とも座れや」


 日向宅に備えられた椅子がすべて埋まるのは初めてのことだった。


「とりあえずベランダにいる奴のことだが、遠距離の神具を使う、かつての俺の仲間だ。名前は西嵐兎鞠さいらんとまり

「兎鞠……。変な名前だな」


 バン!

 窓を強く叩く音が部屋に響いた。ベランダにいる人物が怒ったようだ。


「す、すんませんでした!」


 陽平は窓の向こうにいる人物に謝った。


「気難しい奴でな。多分雪月の話しか聞かないと思うぞ」

「え? 私ですか?」

「あぁ、まぁ色々あってな」


 光平はそう言うと、雪月を窓の近くに行くよう指示した。カーテンが少し開いており、その隙間から死人のような瞳が覗いた。


「ひゃっ!」


 雪月は驚きのあまりその場で少しジャンプした。こちらを覗く瞳は雪月を見つけると生気を取り戻し、雪月をじっと見つめた。


「いや、外の人怖くね?」


 陽平は小声で勇仁に耳打ちする。


「あ、あぁ、さすがに俺も寒気がする」


 陽平と勇仁は、思念世界で戦った魔とはまた違う恐怖を感じた。


「はぁ、相変わらずだな……。そろそろ出てきてくれねーか? そこの嬢ちゃんがお前の弟子だぜ」


 ガラガラ!

 光平の声を聞くとすぐ、ベランダの窓が勢いよく開いた。


「ぐふ、ぐふふふ。その子が私の弟子なのね……」


 ベランダから姿を現したのは、白衣に身を纏い、前髪で両目を隠し、襟足は肩ほどで長身の女性であった。


「お、女かよ」

「ま、まさか女性とはな……」

「まぁそういう反応になるよな。ハハ」

「何か問題でも……?」


 兎鞠は死んだ三白眼で三人を睨んだ。


「い、いや。なんもねーよ! それよりどうだ、その嬢ちゃんは?」

「ぐふ、私好みよ……。綺麗なお顔……」


 兎鞠は舐めるように雪月の顔を見た。それに対して雪月は一歩ずつ後退していく。


「ぐふ、ぐふぐふ。可愛い……」


 兎鞠は屈せず雪月ににじり寄る。


「親父、本当にあの人大丈夫なのか?」


 陽平は小声で光平に問いかける。


「実力は確かだ……。うん、実力は……」


 光平も小声で返す。


「も、もしかして今夜はあの人も……」


 勇仁も小声で会話に参加する。


「あぁ、来るぜ」

「マジ、か……」

「あ、ハ、ハハ」


 陽平はあんぐりと口を開け、勇仁は愛想笑いをするしかなかった。

 もっと詳しい話は思念世界ですることになり、一同は一旦解散した。光平は雪月を追おうとする兎鞠を椅子に座らせ、ちょっとした尋問が始まった。


「お前が作ったのか? あの注射」


 光平は単刀直入に話を持ち掛けた。


「どれのことかさっぱりね……」

「はぁ、早速奥の手を使うか……。千恵子は生きてるかもしれん――」

「本当なの!?」

「うおぉ!?」


 兎鞠の食いつき、陽平が驚いて声を上げた。兎鞠は光平を一点に見つめ、再び話始めるのを待った。


「あぁ、だがあっちの世界でな」

「……なるほどね、ふぅ、確かに千恵子には一本注射を渡したわ」

「やっぱりな。それは――」

「そうよ。この世での生命を奪い、思念世界で特殊体質になる注射よ」


 兎鞠は光平の話を遮って自白した。


「あれで封魔師を量産しようとしていたのか?

「ふぅ、まぁそんなところね」

「素質が無い奴は、それを打たれた時点で死ぬことも分かってのことか?」

「えぇ、だから千恵子に没収されたのよ」

「な、あいつが……」

「数少ない成功作だったわ。体を磁石にし、妖術もほとんどの確率で電気になる代物よ。その代わり相当素質がある子じゃないと死んじゃうけどね」

「そんなもん俺に打ったのかよ!」


 陽平はそう言うとテーブルを強く叩いた。


「すまねぇ……。こいつの作ったものと分かってれば……」

「陽平君、だったかしら、あなたは最初からそれで死ぬことは無かったわ。なぜならその注射、あなたの細胞から作ったものだから」

「お、俺の!?」

「えぇ、さっき少し嘘をついたわ。光平が考えもせずに使ったみたいだからね」


 兎鞠は冷静に切り返すと、光平を鋭く睨んだ。


「くそ、確かに今回は俺が悪かった」

「とまぁそれは置いといて。一つあなたたちに伝えなければならないことがあるわ。その注射はね、千恵子がやってくれって言ったからやったのよ」

「ちー子が!?」

「か、母さんが……? なんで……?」

「陽平君が封魔師にならないためによ。両親ともに素質に溢れていて、その子どもが平凡なわけないでしょ? それで千恵子があたしに頼んできたのよ」

「あいつ、そんなことまで考えて……」

「ま、結果は水の泡になったけどね?」

「ぐ……、本当にすまねぇ」

「いや、でも俺は力が戻って嬉しいぜ。そりゃ戦うのは怖いけど、母さんが俺のことを想ってそうしたなら、俺も母さんを想って、母さんと親父から貰ったこの力で救い出す!」

「ふぅ、熱い子ね」

「けっ、いっちょ前に言いやがって」

「だから俺、もっと強くなりたい!」

「言っとくけど、あたしは雪月ちゃんと遊ぶから無理よ」

「俺も坊主の面倒があるからな~」

「え、嘘でしょ。この流れで?」

「えぇ」「あたりめぇだろ」

「えぇぇぇぇ!」


 会話にオチがつき、千恵子の過去に触れた親子は魔との戦いに再び熱い炎を燃やし始めた。その後三人は夕食をとりつつ、注射は他に数本作ったという話を兎鞠から聞き出した。兎鞠自身も覚えていないらしいのだが、十本以上は無いと断言した。そして何を隠そう一本目の被験者は自分であることを語り始めた。


「科学者である以上、最初の犠牲は自分でありたかったの。その結果、向こうの世界では肺が変異したよ」

「肺、ですか?」

「えぇ、あたしは向こうで拳銃を使うんだけどね。タバコの煙が弾になるのよ」

「煙が?」

「そういやそうだったな」

「これを見な」


 そう言うと、兎鞠はタバコの箱を数個テーブルに広げた。


「これが炎、これが氷、これが電気」

「え、えっと、どういうことっすか?」

「ふぅ、注射を打ったことで、あたしは向こうで妖術も神具も使えない体になった。でも、肺が変換機になってることに気が付いたのよ」

「なんで気が付いたんすか?」

「タバコが好きだったからよ。向こうでも吸ってたの。そしたらいきなり口から火を吐いたのよ。あん時は可笑しかったね、ふぅ」


 兎鞠は初めて陽平の前で笑みをこぼした。口角がとても上がっているわけでは無いが、微笑でもとても珍しく思えた。


「これが愛用してるエアガン」


 兎鞠はよくおもちゃ屋で見るような、安価なエアガンを取り出した。


「まぁこれで何代目なのかって話だけどね。数か月実験した結果、こいつに私の肺で変換した空気を流し込み、発砲するとその属性の空気弾が完成するの」

「そう言う原理だったのか。俺も知らなかったぜ」

「すげぇ~かっけぇ!」

「あたしくらいだよ。現実のものを向こうにまで持って行ってるのは、ふぅ、ちょっと一服」


 兎鞠はそう言うと、テーブルに並べたタバコケースから、適当に取り出した一本を持ち、ベランダに出て行った。


「面白いんだぜ、マガジンのリロード前に、必ず口付けて息吹き込むんだ」


 光平はバカにしたように陽平に教えた。


「じゃなきゃ撃てないもんな」

「いやー長年の謎が解けた気分だぜ。ただのガンマニアだと思ってたからな、ハッハッハ」

「確かに、毎回リロード時にキスしてたらそう思うな。ハハハ!」


 親子は兎鞠本人がいないことを良いことに、全力で茶化した。


「ふぅ、丸聞こえよ。相変わらずデカい声だねぇ~。ふぅ」


 兎鞠はベランダで独り言を呟き、一服を終えると屋内に戻った。

 兎鞠が戻ったあと、三人は夜に備えて仮眠をとった。兎鞠はソファに寝転がり、すぐに眠りについてしまった。二人は顔を見合わせると、すぐに自室に戻って就寝した。

 数時間後、三人はほとんど同じタイミングで目を覚ますと、深夜の町を歩き、学校を目指した。校門では前日のように二人が待っており、合流して保健室に向かう。五人は思念世界に入ると、真っ先に兎鞠の能力を見せてもらった。光平が言っていた通りで、弾倉を込める前に、吸ったタバコの息を拳銃に流し込む、そして発砲すると、空気弾は着弾とともに真っ赤な炎となった。規模は小さいものの、弾数はワンマガジンで十七から八ほど入るので、手数は相当なものなのだろう。


「ふぅ、しんどいね。久しぶりにこんなにコッキングしたよ」


 兎鞠は右手を軽く振った。


「まぁ今回の目的は、嬢ちゃんに距離の取り方を教える程度だ。お前が銃を抜くことはそうねーよ」

「ふぅ、だと良いけどね……。ねぇ、雪月ちゃーん。ぐふふ」

「あのさ親父、なんで狭戸さんにだけアレなの?」


 陽平は、豹変した兎鞠を指さした。


「あぁ、あいつ美女好きなんだ。母さんも相当付け回されてたぜ……」

「な、なるほど……」

「光平さん、俺の稽古もつけてください」


 親子の和やかな会話の中に、勇仁が楔を入れた。


「おう、そうだったな。坊主は切り替えがはえーな。アレにもう慣れるとはな。そんじゃあなガキんちょ」


 陽平に手を振って、光平と勇仁は廊下に出て行った。足音を聞く限りでは、下駄箱方面まで歩いて行き、階段を上がっていったようだ。


「ふぅ、おふざけはここまでにして、あんたら二人は校庭に出な」


 兎鞠は少し顔色を変え、保健室から出て行った。


「行こうか、狭戸さん」

「はぁはぁ、え、えぇ」


 雪月は、修行が始まる前から相当息が上がっていた。


「まぁ、無理もないよな……」


 二人は兎鞠に続き、校庭に出て修行を始めた。

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