第11話 君子危うきに近寄らず

 重い。革の鎧に短剣、これだけあれば体を重くするに十分である。


 憂鬱な朝は曇り空から始まった。昨夜は見張りに出ている兵の寝床を貸してもらい眠りについたが、なかなかに心地の悪い物であった。


 いくつかのパーティーが夜に出かけ、今朝になると残りのグループもほとんど出かけたようで、起きた時には夜勤明けの騎士以外姿はなかった。


 そうして俺たちも例に漏れず森を散策中である。龍を狩るなどと毛頭考えていなかったが、せっかくここまで来て龍の一頭も見ずに帰れるか!と彼女に連れられこの始末である。


「はー、見つからねえな」


 俺としてはとてもありがたいことなのだが、思うように見つからず彼女が苛立ち始める。


「じゃあ、そろそろ戻ろうか? 見つからないならしょうがないさ」


「バカ言うな、みすみすこの機会を逃してたまるかよ! 戻るんなら一人で戻りな」


 奴隷一人森に放置する主人がいるかと、仕方なく散策に付き合う。しかし、随分歩きにくいところだ、なぜか履いていた運動靴に感謝である。


「ところで、君は龍を見たことあるの?」


「あるわけないだろ」


「え? なら今回の標的がどんなのかも知らないのか」


「当たり前だろ、なに寝ぼけたこと言ってやがんだ」


 ああ、なんということだ。好奇心だけ手がかりに散策を続けていても見つかるはずがあるまい。もし、万が一、それらしい生き物と相対したとして、判別する知識がないのだからお手上げである。


「ぼーっとしてないで探すの手伝えよ」


「探すったって、見たこともないのに無理だろう。何か考えでも?」


「龍てんだからでかい奴に決まってるさ。見たらわかるだろ」


「分かった、任せるよ」

 

 今日一日が無駄になることが決まった。森に入る前に手錠を外してあるので、ズンズンと進んでいく彼女を追いかける。いいさ、特に予定も無いんだから景色でも堪能しておこう。たとえば、そうあの大きな穴とか。穴?


「あの穴はなんだ?」


「穴?」


 右斜め前の少し開けた場所、そこに車一台は優に呑み込んでしまえそうな大きな穴が開いている。誰かが掘ったのだろうか。


「ほんとだ、よし、ちょっと覗いてみようぜ」


「やめておいた方がいいんじゃないかな~、ほら何か飛び出してきても怖いし」


 ちょっかいを出して面倒ごとに発展するのはごめんである。それに、もしあの穴が動物が掘ったものだとしたら、尋常な大きさではないだろうし、そんな化け物に襲われでもしたらひとたまりもない。


「は、なら臆病者はそこで待ってな。私が見てきてやるよ」


「あ! ちょっと......」


 止めるのも聞かずに一人奥に行ってしまった。躊躇なく穴を覗きこむと、今度は落ちていた石を放り込む。肝を冷やす思い出その行動を見ていると、振り返りこちらに手を振ってくる。


「おーい! ちょっとこっち来いよ! もしかしたら当たりだぜこの穴!」


「勘弁してくれ! そんな得体の知れない穴に誰が近づくもんか! そもそも龍を狩る気もないんだ!」


「いいから来いよ! この腰抜け!」


 怖気づく俺に酷い剣幕に声を荒らげきつく迫ってくる。不気味な穴なんかよりよっぽど恐ろしくなった彼女に気おされ、しぶしぶ穴に近づく。


「おせえよ、やっと来たか。ほら、お前も見てみろよ」


「嫌だね、それよりさっさと用事を済ませてくれ」


「つまんない奴だな。信号弾貰ったろ、何回分ある?」


「えーと、討伐時の合図用に二発、緊急時用に一発だね」


「よし、両方一発ずつ渡しな」


 言われた通り信号弾二発を渡す。何をする気か知らないがどうせ碌でもないことだろう。


「よし、撃ったらすぐ隠れろよ」


「は?」


 言うな否や銃口を穴に向けると引き金を引いた。ポン、と軽い破裂音と共に黒煙が闇に消えていく。


「何してるんだ! 中に何か潜んでたらどうするんだよ!」


「いいから早く隠れろ、何かいるんならそれこそ出ざまに食われるぜ」


 やはり碌でもないことだったか。しかし、時すでに遅し。ただの大穴であることを祈りながら木の陰に身を隠す。今か今かと目を輝かせる彼女とは対照的に、息を飲みじっと穴を見つめる。


 だが、少し待っても何か出てくる気配はない。杞憂に終わったものと肩の力を抜き安堵し、穴から視線を外す。


 そもそも、冷静に考えてみれば、異世界と言えどあんな大穴を掘る生物が存在するはずがないのだ。貸し出された革の鎧と短剣が何よりもの証拠である。こんなちんけな装備で戦える相手などたかが知れている。


「なあ、もう気が済んだろ。そろそろ戻ろう」


「しっ、静かにしてろ」


「いくら待ったって出てきやしないさ。それに龍相手に二人だけってのがそもそもおかしいんだ。今回は諦めて」


「来るぞ」


「へ?」


 再度穴に目をやると、先ほどまで静かに揺れていた煙が命を得たように忙しなく動いている。と、煙の中に確かに影が見えた。それはゆっくりと煙をかき分けるように這い出た。


 トラックほどありそうな茶色の図体に大それた前足、サンショウウオのような顔に潰れた瞳の化け物が姿を現す。


 なんだこいつは!?規格外の生物が燻し出され、その事実を受け止めるには俺の体は小さすぎたのだ。


「なん、これ、え」


「情けない声を出すなよ、ほら行くぞ!」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 行くってどこへ? いいや言わなくていい、俺は行かないぞ、心中の趣味はないんだ!」


「はぁ、お前は何のためにここに来たんだ?」


「まるで自分の意思で来たみたいな口ぶりはやめてくれ! 大体剣一本であの化け物に出来ることなんてないだろ!」


「ギャーギャーわめくな、頭に響くだろ。そんなに言うならそこに居な、あいつを殺してやるよ」


 剣を握りしめると影から飛び出していく。こんなバカな話があってたまるか。きっとこれは悪い夢で、少年の夢を歪に再現しただけなのだと、その逃避は彼女の声でかき消される。


「先手必勝! ここで死んでもらうぜ!」


 急を付かれ一瞬化け物の反応が遅れる。その隙に脇腹に深く一太刀浴びせ、距離を取る。


「おら! ぼさっとしてないで魔術かなんかで援護くらいしろ!」


 そう言われても魔術なぞ使ったことも無ければ、使えるかどうかも怪しい。一応例の杖を取り出しテキトウに念じるが、うんともすんとも言わない。


 引きずるように体を動かし、彼女に向き直る化け物。にじみ出る体液を気にするそぶりもなく低く喉を鳴らし鋭く見据える。お互いに出方を探るようににらみ合う。


 動いたのは化け物であった。大口を開け前足で掻くように突進し迫る。だが、彼女は動こうとはしない。


「何やってる! 早くよけろ!」


 しかし、依然として避ける気配はない。とその時、持っていた信号弾をその口めがけて撃ち出し、見事に口内を捉える。その場で緑色の煙をまき散らしもがき始める化け物。その煙は徐々に視界を奪っていく。


 正面から大きく廻り再度脇腹を捉え、傷口をえぐるように深く突き立てる。が、次の瞬間鞭のように尾を振られ、彼女の体を重い一撃が襲い転がるようにはじき出される。


 いまだに視界は煙に奪われている化け物は、運の悪いことに彼女が倒れている方めがけ闇雲に突進を始める。


「起きろ! 奴が来てるぞ!」


 その声によろよろと体を抱えるように起き上がるが、その表情に避けられるほどの余裕はなさそうであった。


 どうする、このままだと彼女がやられてしまう。魔術は使えない、剣の腕も力もない俺に出来ることなどないに等しい。考える時間はない。


 腰に提げた短剣を掴み、化け物に投げつける。剣は鈍い音を立てて頭に当たり跳ね返る。視界の奪われた化け物は飛んできたであろう方向に振り返る。


 大丈夫、見えていないはずだ。彼女が立て直す時間さえ稼げればいい、そう思っていた。


 だが、発煙が止まり視界を取り戻したのは誤算であった。こちらに向き直り再度突進を始める化け物。


「くっ、来るなぁ!」


 勿論そんな言葉を聞いてくれるはずもなく、逃げるなりなんなりすればいいものを、腰の抜けた体は本能とは裏腹に終わりを迎えようとしていた。

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