第9話 ゲキリュウサイは日暮れとともに
顔にやわらかな感触を受け、目が覚める。パリパリと張り付いた瞼を擦り、窓の方を見る。まだ明けきらない闇の中、彼女が風に当たっていた。
さて、なんと声をかけるべきか、昨夜を思い出すと合わせる顔がない。気恥ずかしさでかける言葉が見つからない。
「起きたんなら声くらいかけろよ」
振り向かずにそう話してくる。イジワルな奴だ。振り返って軽快におはようとでも言ってくれたなら、こっちも幾分か気恥ずかしさも晴れたというのに。
「ああ、おはよう、おかげでぐっすり眠れたよ」
どうだ、これで昨夜の優しさを思い出してくれよう。
「そりゃよかった」
今度は振り向くと、笑顔を浮かべて伝えてくる。いよいよ自分の大人げなさに押しつぶされそうになる。これではどちらが年上か分からない。
すると、少しの背伸びをした後、俺に両腕を突き出してきた。
「少し早いけど出かけようぜ、今なら風が気持ちいいし」
ああ、そうか手錠か。夕べは手錠もかけずに店を出たのか。よくそんな状態で連れ帰ってくれたものだ。そっと手錠をかけ始める。
「その、昨日のこと聞かないのか?」
「は、言っただろ、面白くない話は聞かないって」
「そうだったな」
手錠を付け終え、身支度を済ませると部屋を出る。まあ、金の類が入った袋以外持っていないのだが。
受付に鍵を返しに行くと、奴隷が手錠もつけずに泣いてる主人をひっぱって帰ってきたもんで驚かされた、と笑われた。
宿舎を出ると、確かに心地のいい風が通りを抜けている。夜道の喧騒が嘘のように静寂へ変わっていた。さて、今日はどこに行ったらいいだろう。
「どこか行きたいところはある?」
こんな朝早くからやってる店などないと、彼女は首を横に振る。それもそうだなと、吹く風の心地よさにまかせて、あてもなく歩き始める。
どのくらい歩いただろうか、聞き覚えのある声が聞こえてくる。自然とそっちへ足を進めると、大きな荷車が現れその傍らで作業をする影が見える。昨日の騎士隊である。
その中の一人がこちらに気が付いて手を振る。ザイウスさんだ、鎧の色で分かる。彼女の機嫌が気になるが無視をするわけにもいかず、答えるようにお辞儀をして近づく。
「どうも、おはようございます」
「おはよう! 気持ちのいい朝だな」
彼女はやはりだんまりである。そこまで毛嫌いする必要もないと思うが、この年頃は人見知りが激しいのかもしれない。
「あはは、だいぶ嫌われているようだな。これはまいった」
「すみません」
「いや気にしないでくれ、そういう頃が私にもあったからな」
良くできた人である。きっと彼なら昨夜のように取り乱すことなどないのだろう。
「ところで、こんなに荷物を積み込んでどこかに行かれるんですか?」
「どこって、ゲキリュウサイに決まってるじゃないか。君も出るんだろう?」
ゲキリュウサイ、幾度となく聞いた名前だが、いまだにその実態が掴めない謎のイベント。こんなにも荷物が必要なイベントとは何なのか。
「あー、それがですね、その初参加でして、良く知らないんですよ」
「え、そうなのか、あのゲキリュウサイを?」
そんな、ずいぶん世間知らずな奴がいたもんだ、といった反応をされても困る。しかたないだろう、俺にとってはこの世界そのものが未知の領域なのである。
「そういうことで、色々教えてもらえると助かるんですけど」
「ああ勿論だとも。で、何を教えればいい?」
「まず、ゲキリュウサイて何なんですか」
まさかそんなことも知らないのかと再度驚かれる。
「では、一から教えていくことにしようか。ただまだ仕事が残っているから簡潔になってしまうが、いいかな?」
「はい、よろしくお願いします」
「ゲキリュウサイは龍の討伐を目的にした催しで、ここから約一日かけて生息地まで向かい、数日の間討伐完了までそこで過ごし、討ち取った龍の素材を持ち帰る。ここまでで一つの催しだ」
「え、龍がいるんですか。しかも狩るんですか」
到底信じられた話ではない。一歩譲ったとしてそれを狩るなど、正気の沙汰とは思えない。
「あ、ああ存在しているとも。もしかしてそれも知らなかったのか」
ああ、やはり俺の常識はまるっきり通用しない世界であると、つくづく痛感させられる。先ほどから度々困惑されているが、そうしたいのは俺の方である。
「その様子だと、向こうまでの足も用意していないだろう」
「はい、そうですね。今知りましたし」
「そうか、これから調達しようとしても難しいだろうし、良かったら我々と一緒に来ないか? 二人分の空きくらいなら用意できるだろう」
「そんな、悪いですよ」
好意の建前やんわり断りはしたが、そもそも龍退治など出来るはずがないのだ。もし、想像通りの龍であった場合、俺のような一般人がそんな化け物相手に何ができるというのか。
「いいじゃねえか、お言葉に甘えておけよ旦那様」
さっきまで黙っていたくせに、心を見透かしたようにふざけたことを言ってくれる。読心術の使い手なのだろうか、などと考えているうちに『そうか、なら今夜第三門で待ってるからな』と望まぬ方向に話が進んでしまった。
彼らと別れると、じゃあ武器がいるな!とのことで意気揚々と商館に繰り出す彼女。ああ、そういうことか。つまりは剣が欲しいがための口実に使われたわけだ。
「いらっしゃい! 何をおもとめで」
「龍退治に使える武器ってありますかね」
「あーゲキリュウサイに出られるんですね。生憎、魔導率の高い武器は軒並み売り切れでして、今あるのはどれも龍には不向きな物ばかりですね」
「はあ、それじゃあ他をあたってみますね。お邪魔しました」
出ていこうとすると引き留められる。
「それはやめておいた方がいいと思いますよ。どこもゲキリュウサイ前の需要で目ぼしい武器は売り切れていますから」
そうか、それはありがたい話である。武器が無いなら龍は倒せない、つまりゲキリュウサイには参加できない。心配も杞憂に終われば何てことないものだ。
「別に、このぼんくらで十分だろ。これ貰ってくぜ」
今の話を聞いていなかったのかと、小一時間問いただしたくなる声が聞こえてくる。碌な武器がないのに龍退治に行く気なのかと、思わず店主も困惑している様子だ。
「それで参加するのはよした方がいいと思いますよ」
ほれ見ろ、そもそも剣の一本で勝てるような相手なら、ザイウスさん達があんなに念入りに準備するはずがないのだ。
それでもこの剣で十分だと言い張る彼女に頭を抱える。店主は別に物が売れるなら何でもいいといった様子で、これ以上何も言ってこない。仕方なく剣を購入する。帯刀用の帯もつけてくれた。まあ元々彼女が勝ち取ったお金だ、苦言を呈する権利もないだろう。
満足そうな彼女をしり目に、魔術に関係するものが無いか物色する。ここに来てから気になってはいたが、お目にかかる機会のなかった代物である。何かヒントになるものくらいあるだろうか。
すると、私が魔法の杖ですよと言わんばかりの、鉛筆ほどの長さをした木の棒が視界に入る。
「すみません、これは?」
「ああ、ごく一般的な魔術用の杖ですよ」
やはりか。見る機会がないのなら自分で買ってしまえと、これも追加で購入。ははー、我ながら無駄な買い物である。
その無駄な買い物でかなりお金を使った。まあ、まだ半分魔鉱石があるのだ、どうにかなるだろう。夜になったら武器の事情を話して再度ザイウスさんに断りを入れることにする。それでこの一件は落着だ。
それならば、落ち合う予定の第三門を確認しないといけない。小腹を満たす為に昨日立ち寄った市場へ向かう。そこで聞いてしまえばいいだろう。
しかし、急に街の様子があわただしくなったものだ。今朝の静けさはどこへやら、物騒な装備をした一団が次々に横を通りすぎていく。多分ゲキリュウサイの参加者であろう。
市場に着くと、昨日と変わらぬ活気がそこにあった。軽く口に入れられそうな食べ物を探す。狭い道を歩いていると果実が目に付く。これでいいか。
彼女も食べるだろうと二つ買い、店主の男性に第三門の場所をおしえてもらう。
「お、気が利くな~」
と、渡された果実を齧るのを見届け、自分も口に運ぶ。遠くで酸味を感じる程度で、後はみずみずしいだけの味気ないものであった
暗くなるまで特にやることもないので、見知らぬ道をブラブラと散策しながら、時折通り過ぎる一団を眺める。誰もかれも大層な装備を身につけ、ガチャリガチャリと音を立てながら歩いていくのを見るたびに、自分たちの格好があほらしく感じた。
日も暮れはじめた頃、言われた場所にたどり着いた。最初に見たものより何倍も大きな門である。大勢の人と荷車が大通りを埋め尽くし門の外まで列をなしている。
ここから見つけ出すのは骨が折れそうだ。もうあきらめて宿舎に行こうかと考えていると、運よく見覚えのある荷車が目に付いた。
「こんばんは、ザイウスさん」
「こんばんは、よく来てくれたね、待っていたよ」
さて、事情を説明してさっさとお暇するとしよう。こんな情けない装備で来たのだ、薄々感づいているかもしれないが、とりあえず、事の顛末を伝える。しかし、返ってきたのは意外な答えであった。
「アハハ、そんなことか。ならうちの装備をいくつか貸し出そう。予備があったはずだ」
望まぬ展開に絶句する。こんなはずではと、ザイウスさんの人の良さを今夜ばかりは恨みそうになる。
「では、荷台に乗ってくれ、そろそろ出発の時間だ。少々狭いがゲキリュウサイについて説明しながら、短い旅路を楽しもうじゃないか」
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