第8話 白昼夢を鮮明に

 腹がへっているならそう言えばいいのに、わざわざ人を蹴飛ばす奴があるか。痛む脇腹をさすりながら受付に鍵を渡す。出かける際の決まりだという。


 俺の横でたいそう気分よさげに夜道を歩くのは、先の事件の暴行犯。聞けば、商館に居た頃は碌な食事が与えられなかったとのことで、まともな食事に心躍らせているらしい。


 この瞬間だけ切り取れば、可愛いげのあるただの少女に見えるだろう。だが、忘れてはならない、彼女がその気になれば鎖を破壊できるほどの人物なのだと。


 宿舎の通りに続くように食事処が点在しており、宿泊者相手に繁盛しているようで、漏れ出る匂いが鼻腔をくすぐる。異世界で初めての食事になるのだ、彼女ほどではないが少々楽しみな面もある。


 しかし、どの店に入ったものか。食文化が分からない以上、下手に選ぶと痛い目にあうのは間違いない。ここは、彼女に頼るか。


「なあ、ここらじゃ何が有名なんだ」


「あ? 知るかよ、ここじゃずっと商館に居たからな」


「そうか、それは......」


「哀れみならよせよ、その気になればいつでも出られたんだ」


 実際その通りなのだろう。では何故、まずい飯を我慢してまでその境遇に甘んじていたのか。だが、その理由を教えてもらえるほどの仲でも無い、何より彼女の気分を壊すような愚行を犯す勇気など、持ち合わせていなかった。


 疑問を夜道の活気に包んで、本来の目的に戻ろうじゃないか。


「気に入った店があったらそこに入ろう。俺より、君の勘の方が頼りになるだろう」


「ほんとか!? じゃあどうするかなぁ」


 その言動一つに幼さを垣間見、やはり少女なのだと実感する。いつも上機嫌でいてくれるならそれに越したことはないのだが。


「ここにしようぜ! ここ!」


 彼女が指さす店を見る。希望通りここで、といきたいところだが確認しなければ。


「何を扱ってる店か分かるか?」


「んー、多分肉だな」


 あまりにおおざっぱだな。しかし、肉なら焦がしでもしない限り、まず食べられるだろう。決まりでいいか。


「すみません、二人なんですけど席はありますか?」


 扉から顔を覗かせるように伺う。


「空いてますよ! 奥にどうぞ」


 さあ、と思ったところで忘れていた。彼女の手錠を外す。


「え? いいのかよ」


「手錠があったんじゃ一人で食べられないだろ」


 それもそうかと納得されたところで中に入る。まあ、暴れられたらどうしようもないが、まさかそんなこともするまい。


 店の雰囲気は、レストランより居酒屋に近く、ちょっとした既視感にほっとする。テーブルに案内され向かい合わせに座る。


 陶器のコップと共に小冊子が運ばれてきた。メニューか。読めないメニューを前に、行ったこともないフレンチレストランを連想する。


 読めない読めないと、あまり彼女に聞いていても鬱陶しいだろうし、店員に聞いてみることにしよう。


「すみません! お肉が食べたいんですけど、おすすめありますか?」


「今日はダードのいいやつが入ってるよ! いってみるかい?」


 厨房から答えが飛んでくる。ダード?肉らしいが皆目見当のつかない名前だ。


「たびたびすみません! ダードてなんですか?」


「おめぇそりゃあれだよ! 四足歩行の尻尾の長い奴! 味は保証してやる!」


 異界の味に保証も何もないだろうが、おすすめらしいしそれにするか。


「じゃあそれで! あと汁物も何かつけてください!」


「あいよ!」


 自分の注文は無事済んだが、肝心の彼女はいまだにメニューとにらめっこである。そんなに迷うほど種類があるようには見えないが、気に入るものが無いのだろうか。


「気に入るものが無いなら、俺の分を半分こして店を選びなそうか?」


「いや、そうじゃねえんだよ。ただ」


「ただ?」


「食べたいのが二つあるんだよなー」


「なんだそんなことか、だったら二つ頼めば?」


「えー、でも食べきれるかな」


「その時は俺に任せればいい」


「なら、両方たのむかな! すみませーん!」


 聞きなれない名前を注文すると、よほど楽しみなのだろう、足をブラブラさせている。これだけ雰囲気もいいなら質問の一つも許されるだろうか。


「なあ、気になったんだが、昼間兵士とやりあっただろ」


「ん、それがどうした?」


「あの時笑っていただろ、それがどうにも気になって」


「ああ、あれは単純に剣を握るのが久しぶりだったからだな」


「じゃあ、以前どこかで扱ってたのか?」


 その質問に少しだけムッと表情を変える。


「私の話はいいだろ、それよりお前の話を聞かせてくれよ」


 おっと、また地雷を踏んだらしい。難しい年ごろなのか、今までの生活がそうさせるのかは分からないが、なかなか距離感が掴めない。


「俺の話か、どこから話したもんかな」


 違う世界から来たと話しても相手にされないだろうし、通じなくても日本の話をすればいいか。


 そういえば、両親はどうしてるだろうか。出来のいい息子ではなかったから、一日の外泊くらいで慌てるようなことはないだろう。


 だが、一日どころかいつまで続くかも知れぬ。知らない世界に、一人投げ出されたのだ。家に帰りたい。ふと、精一杯抑えていたものが、少しだけ漏れでる。


「故郷の話でもしようか、と言っても大したところじゃないがな」


「ふーん、面白くないならいいや」


 どうやら、俺の話が聞きたかったわけではなく、話題を変えたかっただけらしい。そんなやり取りをしているうちに料理が運ばれてきた。


「はい、こっちがダードね。熱いから気を付けて」


 いい匂いを漂わせて俺の前に運ばれてきたそれは、香草が乗せられ茶色く焼き目がついた、パッと見はただのお肉である。それと一緒に野菜?のスープが添えられる。


「おお、うまそうじゃん! 私もそっちにすればよかったかなぁ」


「いいから自分の料理に集中しろ。二つも頼んだんだ、残すにしてもしっかり食べてくれよ?」


 ふん、と鼻を鳴らすと骨のついた肉にかぶりつき始める。気分を変えて俺も頂くとしよう。こっちに来てから初めての食事だ、最悪味付け次第では楽しみが一つ減ることになりかねない。


 まずはスープをすする、うん悪くない、ただもう少し味に深みがあった方が良かったかな。味噌汁が懐かしい。


 お次は肉を一切れ、ナイフで切り取り口に運ぶ。やはり食べなれない味だ。香辛料なのか辛みと喉に抜けるさわやかな感覚が、激しく主張する。


 ああ、そうか、やはりここは


「おい、お前......」


 彼女が困惑した声で呼びかけてくるが、その表情は濁っていて良く見えない。ああ、味覚は、自分で考えているよりも深く記憶や感情に結びついていたらしい。


「大丈夫、大丈夫だから。気にせず食べて」


 震える声で彼女にそう伝える。


 異界の味は、それまで漠然と捉えていた境遇を鮮明に映し出す。

 

 そうして

 

 もう、俺の知る世界ではないのだと、

 

 もう、戻れないかもしれないと、


 心のどこかに隠していた不安を、容赦なくかき回し、否応なしに突きつける。


 それっきり、食事は喉を通らなかった。自分ではもうどうしようもできず、流れる涙に任せるように孤独に包まれた。


 気の抜けた体を彼女が宿まで運んでくれた。食事中に泣き出すバカがいるかだの、お前のせいで味が分からなかっただの、結局まるまる二品食べることになったと、愚痴をこぼしていたが、引いてくれるその手は孤独を和らげてくれた。


 受付で鍵を受け取る時も、部屋までの道のりも、手を握っていてくれた。仕方ないから今日は一緒に寝てやると言われ、二人で寝るには窮屈なベッドに横たわり、情けない背中をあずけて眠った。

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