転 クレイジーエネルギッシュエンターテイメント

 実にあっさりと捕まった。

 ジャックポットプールに火を噴くパンジャンドラム号で不時着して、霞む視界にきらびやかなネオンの光と一斉にこちらに向かってくる黒服を残して、その場に適用効果の増長により見事なまでに気を失って視界がブラックアウトする。目を覚ましたら電磁捕縛縄が腕にも脚にも首にも巻きつけてあり、必死にもがいてみたところで全身に高圧の電流が流れて死ぬかと思う。辺りを見回して、その暗さになにも見えないことを悟り、とにかく自分の生きている事実にフットは敵方の行動の意図を探る。ディル・ザ・ハックが人身売買の請負人で、ジャックポットプールが人身売買の会場で、その場で侵入者の自分がいまだ殺されていないことはつまり、フットが人買いに品定めされる商品であることを指している。

 やべえと思う。

 エイジはいったいどこにいるのかとも思う。

 いきなり視界が白くなる。

 それは、天井のスポットライトの重なりによる照射だった。目が痛い。奪われた視界が徐々に色を取り戻す。フットはレッドカーペットの上にいて、レッドカーペットは十段ぐらいの階段に続いて、その先はひとしきりの闇にいまだ覆われている。さらなるスポットライト。現れたのは、サークル状の舞台、十数人のチアガール、赤塗りのスポーツカー、その上には背中を向けた一人の男がいる。つば広のハットに手を添えて、スパンコールのジャケットに身を包み、ワイドのパンツに吹き流しみたいなひらひらをつけている。カッカッカッ、三回にわたる甲高い音の後に、やけにリズムの良い音楽が空間を満たす。

 踊り始めた。

 スポットライトは極彩色に辺りを照らす。男は、赤塗りのスポーツカーのその上で、高々と足を振り上げたりバックステップを決めたり頭を下にして独楽みたいに回ったりしている。チアガールは肩を組み円陣を形成し、柔軟な体を活かして組体操みたいなことをやっている。音楽には歌詞があって、ジャックポットプールはこの世の楽園であるだとか、アトラクションの種類だとか、ホテルやプールなどのいくつかの施設を紹介しているようだった。

 なんだこれ。

 その思考に至った時には、すでに音楽も踊りも終わっていた。

 初めてまともにこちらを向いた男が、スポーツカーのボンネットを経由して舞台に立つ。

 男はハットを横に投げ出して腕を広げた。スポーツカーのヘッドライトはまぶしいぐらいに男を照らす。


「さああああああああああああああ、お楽しみいただけましたかなお客様! この世の楽園、ジャックポットプールにようこそ。ささやかながらに上質な踊りと歌をご提供させていただきました。はああい! しかしあなた様はただのお客様ではございません。あなた様はわたくしの尊敬するお方。あのぶよぶよして気持ちの悪いガルモデキニアサルバトロスを見事討ち果たしてくれたお方。はああい! ああ、嬉しや嬉し、フット様に会えたこと、とても光栄に思います」


 一瞬の間。


「ああそう。それなら尊敬ついでにこの縄をほどいてくれ」


 男はくるくるとその場で回って、


「んんんんんん、それはできない相談。もはやフット様はわたくしの一存ではどうにもできません」


「なるほどな。ディル・ザ・ハックと話をつけなきゃならないわけか。いいぜ。ここに呼べよ。掴まっている俺に姿も見せられないような雑魚、眼光だけで射殺してやる」


 男はすっとんきょうな顔をして小首をかしげる。それから得心のいったような顔をした。


「ああ、申し遅れました。わたくし、ディル・ザ・ハックと申します。大きな瞳と白塗りの顔がチャームポイントの、宇宙で一番クレイジーでエネルギッシュでエンターテインメントを愛する男。ぜひぜひ以後以後お見知りおきを。はああい!」


 今度はフットがすっとんきょうな顔をする番だった。

 宇宙の狂犬、絶対に手をだしてはいけない危険人物、葉巻を加えた傷だらけな男、ディル・ザ・ハックの二つ名と強面のイメージ図がフットの頭の中で崩れ去る。ディル・ザ・ハックはそんなフットにお構いなしに、軽く指を鳴らしてこちらにフット様を連れてくるようにとチアガールに指示を出す。

 チアガールに担がれる。

 フットは、ディル・ザ・ハックの足元に無造作に投げられる。


「いてっ」


 顔を上げて、すぐ目の前にディル・ザ・ハックの目があった。こちらを覗きこんでいるようだが、それ以上のアクションは起こさず本当にただ見つめているだけ。不気味だった。なんだこいつと思った。


「なんだこいつ」


 思ったことを口にした。

 ディル・ザ・ハックは口の裂けるような笑みで顔を動かさず、


「いえね、先ほど眼光だけで射殺すと仰っていたので、その機会を与えていたのですよ。眼光だけで射殺されるだなんて、実に面白いショーになるでしょうからね。まあ、さすがのフット様にもわたくしを殺すには眼光だけでは足りないようで。内心で、殺されるんじゃないかと心臓がばくばくでしたよ」


 馬鹿にされている、無意識にやっているのか意識的にやっているのかは問題ではなく、フットがそう感じていることが問題だ。殺意が湧いた。殺す。

 ナマコみたいに身をくねらせてからディル・ザ・ハックはようやく白塗りの顔を離した。


「はああい! 心地の良い殺気をどうもありがとう。しかしまだ足りませぬ。膨らみ切ったその殺気を持ってして、あなた様の眼光はようやくわたくしの心臓へとたどり着くのです。そのためのショーをお見せしましょう。とっておきですよ」


「……なにを、」


 フットの声を遮って突然に機械の駆動音が響く。うつ伏せの腹に地鳴りのような振動を感じる。周囲の壁は徐々に下へと落ちていく。——いや違う。上がっているのだ。フットとディル・ザ・ハックは驚くことにサークル状の舞台ごと上昇している。駆動音と地鳴りはやがて収まる。二人はそうしてガラス張りの部屋にたどり着く。これはおそらく、防性ガラスだ。


「なんのつもりだ。ここはどこだ」


「んっふふー」


 ディル・ザ・ハックは赤塗りのスポーツカーのボンネットに座る。それから手品のようにティーカップを取り出して、舌に馴染ませるように中身を飲み干した。その頭が痙攣でもするように震え、その動きをぴたりと止めて、とびっきりの恍惚の笑みを浮かべた。ティーカップの中身は明らかに紅茶で、それをキメたということは下手な動きをするなという牽制が込められているに違いない。適用効果ははた目からでは推測不能、こちらの紅茶はそのすべてが没収され、この場を逃れる手段は体の電磁捕縛縄に加えて目の前のディル・ザ・ハックの対処、——不可能だ。ただ——、

 スピーカー越しの大音量。

 防性ガラスはスモーク加工を晴らし、どこかで見たことのある光景がそこにある。

 ディル・ザ・ハックは手元のマイクを口に当て、


『皆々様あああああああああああ、ご機嫌のほどはいかほどでしょうか。此度はジャックポットプールの新たなる試み、スペースコロッセオ・セカンドへとようこそいらっしゃいました。はああい!』


 スピーカー越しの大音量は割れんばかりの歓声で、ガラス越しの景色は多種多様の異星人の集まりで、集まりの中心には防性ガラスを通して面合わせの二人の戦士がいた。一人は長身痩躯でぴったりとしたボディスーツに身を包んでいる。精悍な顔つきで、腰には二本の脇差が見える。一人はえんじ色の長いマフラーを首に巻いている。成人と呼ぶには、どうにも及ばない顔をしている。後者は、明らかに見知った顔だ。


「エイジ……」


 その名を呟き、それをきっかけにフットの胸に怒りが湧いた。


「ディル・ザ・ハック! 貴様、エイジになにをさせる気だ‼」


 訊くまでもなく、そんなことはわかっているはずだった。しかしそうしなければ、フットの気はわずかばかりにも納まらなかった。

 ディル・ザ・ハックはさも面白そうにこちらを向いた。


「わたくしね、ガルモデキニアサルバトロスのことは大っきらいでしたがね、あのスペースコロッセオの仕組みは素晴らしいと思うのですよ。強い者こそが生き残る、まさに弱肉強食の戦舞台。単純にして明快なこの世の掟を体現して、それを見事なまでにエンターテインメントの一つに昇華させた。うううううん、素晴らしい。でもね、しかしねえ、ちょっとだけ物足りない。物語性が欠けている。だからまず、その舞台に花を添えました。見てください」


 ディル・ザ・ハックは闘技場に向かって指をさす。

 目を向ける。

 闘技場の二人を囲むのは、単発装填の古式の銃だった。囲むどころではなかった。銃口を下にして闘技場の至る所に突き立っている。その見た目はまるでマスケット銃、その銃身はハンドガンに比べるとあまりに長く、突き立つ姿はいくつもの墓標を思わせる。

 銃の墓場と呼ぶにふさわしかった。新たなる墓標は、敗者の上にこそ突き立つのだ。


「こういったステージギミックを用意したのです。周囲にあるものをどれだけ上手く利用できるか、それもまた、その方の持つ力量の一つでしょう? そして選手の解説ですが、おっと、これでもわたくし司会をやっておりまして、ちょいと失礼」


 手元のマイクにまたも口を当て、ディル・ザ・ハックはとんでもないことを言い始めた。


『それでは長らくお待たせいたしました。これより血煙をくゆらせて、躯体に傷を刻み合うは、なんとなんと実の兄弟であります。はああい! 弟のエイジははるばる兄を探してこの地まで、しかし現実は無情なり。まさかこのような試練が待ち構えていようとは、もはや肉親を殺す以外に生きる道は残されてはいない。愛する者よ、我が身の可愛さゆえに死んでくれ。なああああああんてエキサイティング。これもシノビゆえの宿命なのでしょうか。さあ、心ゆくまでお楽しみください。兄と弟、生死をかけた彼らの美しき殺し合いを。殺し、愛を! はああい! さて始めましょう、試合、開始‼』


「貴様あああああああああああああああああああああああああああ!」


 フットの絶叫、観客の歓声、ディル・ザ・ハックの高笑い、時の歩みは止まることなく、ただひたすらに進み続ける。

 塹壕築かれる銃の墓場で、一つの試合が始まった。



 ▽▽▽



 目の前には、探し求めた兄がいる。

 エイジは深層記憶のログを泳ぐように探り出し、不自然なプロテクトは接触不可のファイアウォールに守られていて、抗体ナノインターフェイズでプロテクトの一部をブレイクする。ログの行動記録は目の前の男を兄であると告げる。ここにいる理由は彼を連れ戻すためなのだと告げる。正直なところ、感情プロセスの接触不良でまったく自分の行動に共感ができない。非効率が過ぎる。

 感情プロセスのプロテクトは、並みの抗体プログラムでは太刀打ちできず、結局、エイジはすべての不必要な感情にフリーズをかける。これでいい。戦闘用の心理回路は驚くほどにスムーズに張り巡らされ、戦術ロジックは状況に最適なものだけをインストールした。瞳の内部に仕込まれたスキャリングポルトでエイジは戦闘レンジ内の3Dモデルを仮想し、二億と八千と三十と二の戦闘における大雑把なシミュレーションを試行した。辟易するほどの負け筋の多さに落胆する。使えそうなシミュレーションをトレースバックだけしておいた。エイジはディル・ザ・ハックの試合開始の言葉を待った。

 目の前の兄を、なんとしてでも殺さなければならない。

 だって私は、シノビだから。これが正しいに決まっているから。

 ディル・ザ・ハックを楽しませ、よりよい値段で売られるのがシノビの役目だから。

 兄のイーグが無感情な瞳でこちらを見据えている。ディル・ザ・ハックがなにやら無駄話をしている。そんな言葉じゃない。欲しい言葉は開戦の合図だ。はやく言え、はやく死ね、はやく殺したい——

 ——あれ、なんで私は——


『—————————————ょう、試合、開始‼』


 思考が軒並みはじけ飛んだ。

 視界を埋め尽くしたのは眩い閃光、トップギアに加速させた反射速度で音よりも速く横に跳ぶ。浅い塹壕に躍り込み、小型光子反射鏡を上空に飛ばし、リンクさせた視界で0.2秒前の自分の位置を見る。深淵を生み出す縦の亀裂と青白いスパークの残り火がある。発生源はもちろんイーグで、その手の内ですでに抜かれた脇差の一本は許容熱量を超えて爆発し、イーグは惜しむことなくそれを放り投げて、手近の銃を拾いながら一つの塹壕に身を隠す。

 鞘走りの電磁加速による、超速抜刀術。

 エイジの回避があと半々呼吸でも遅れていたら死んでいた。そのような死線は数えきれないほどに乗り越えてきた。小型光子反射鏡を四つほど追加で射出する。たちまちのうちに三つが破壊され、残る視界で二機一対のトラップビーコンとそれに紛れたスキャリングリコンを捉える。エイジはすぐさま次の塹壕を目指して飛び出し、走りながら銃を拾っては撃ち、スキャリングリコンを優先して破壊していく。塹壕に身を隠すまでにスキャリングリコンを全壊させ、トラップビーコンを二組残し、わき腹に二発の銃弾を食らった。自機修復機能をとにかく全力で働かせながら、銃声の発生源からイーグの位置を割り出し、インビジブルにより隠していた最後の小型光子反射鏡に向かって銃弾を放つ。銃弾軌道演算処理に従って跳弾を利用した銃弾の軌跡がイーグをめがけて飛来する。

 たぶん、当たった。

 だけど足りない。

 しかし焦りは敵だ。

 イーグの脇差は、あと一本残っている。

 これは勝利の光明でもある。超速抜刀術はその高威力による演算処理により、わずかなオーバーフローを生じる。つまりはめちゃくちゃに短い硬直時間がある。そこがねらい目である。中距離ではたぐいまれなる威力を発揮するし、近距離では中距離以上の威力を発揮する。が、近距離抜刀では避けられた際の無防備が問題となる。だからこその開幕抜刀だ。虚を突くことも近距離の隙を守ることも、さらには戦闘の心理的主導権を握ることも目的だろう。当たれば即時戦闘終了、外せば戦闘の主導権を握れる。最強のシノビの称号はやはり伊達ではないが、それゆえに付け入る隙がある。イーグからしてみれば、エイジは基本的に遠距離の立ち回りを要求される。そう思っている。実際に今がそうで、そこからのイーグの行動はおのずとして絞られる。

 スキャリングリコンのばら撒きか無理やりにでも近づいて中距離を詰めてくるか、だ。

 前者はすでにやっている。ならば次の行動は後者だ。

 その中距離を、わざと詰めさせ、超速抜刀術を誘発させる。

 そこを狙って自壊覚悟で突っ込みながら左腕に仕込んでいるパイルバンカーを打ち込んでやる。

 ——来た。

 最後の小型光子反射鏡もついでに壊された。

 身を隠さずの接近は多少のダメージよりも超速抜刀により一撃必殺を狙っているからだ。

 エイジの位置は、さっきの弾着の逆算によりバレているに違いない。

 エイジは身をさらしながら全力で距離をとり、その中でも銃を拾っては撃ちを繰り返しての牽制を忘れず、あたかもこちらに接近を許さないように立ち回る。イーグは牽制の銃弾を拾い上げる銃身により防いだり、おそろしいほどに緻密な射撃で銃弾で銃弾をはじいたりしている。さらにはただ距離を詰めているのではなくて、二組のトラップビーコンの赤外線の位置までエイジを誘導している。トラップビーコンの破壊を余儀なくされて、エイジは仕方なくといった風にトラップビーコンを破壊する。エイジの背はその際にイーグの位置に向けられる。

 一気に距離を詰めてくる。

 ここしかない。

 130度に旋回した下半身で排気マフラーに火を噴かせる勢いでブースト移動、わずかに逸れる位置でイーグに向かって距離を詰め、抜き放たれているであろう超速抜刀術の隙を

 突けなかった。

 イーグは、絶好の機会に脇差を鞘に納めたままであり、エイジはそのままの勢いを緩めることなく軌道修正してイーグに向かう。歩みを止めれば、待つのは死だけ。エイジの接近は幸いにもイーグの虚を突くことには成功し、イーグの持ち手の銃はその銃口の位置を変えるに至らない。

 伸ばした腕の当たる距離。

 エイジは左腕をギミック可変することにより仕込みのパイルバンカーをさらす。

 そのままパイルバンカーを打ち込もうとして、自分の間違いを悟った。

「ホログラム⁉」

 瞬間、足下の機雷が爆発した。

 銃の外装と黒色火薬とで即興に作られた機雷であるとの推測をとにかく捨てて、エイジはとっておきのバニシングドライブでその場を離脱する。被害はしかし免れることはできずに、エイジは被爆の黒煙と黒色火薬の粉末を肌にこびりつかせる。そこらの塹壕に逃げ込んだ。いったん状況を整理した。その間も許さずにエイジの目に飛び込んできたのはスキャリングリコンの電磁回路光——まずいと思うよりもはやくにその場を離脱する。


「幻想火遁!」


 煙幕代わりの視界潰しは、むしろスキャリングリコンの索敵の前では自分の不利にしかならないことを悟る。三発の被弾を確認する。弾着位置からの逆算を行う。あまりにも近い位置にいる。

 拾い上げた銃を向ける。それはホログラムの炎の先から伸びてきた脚に蹴られる。

 銃口がこちらを向いている。それを裏拳により払いのける。

 互いに拾い上げた銃身が、鏡合わせの動きでかち合った。

 ここでホログラムの炎が晴れて、やっとのことでお互いに顔を見た。銃口は互いの眉間に向けられている。同時の発砲と同時の回避が行われる。エイジはこの時にイーグの重心にブレが生じたことを見逃さず、懐の一丁を取り出すやいなや即時引き金を引く。イーグの姿勢はほぼ九十度に背が逸れていて、それが罠だった。その背に二丁の銃を隠し持ち、一方から放たれる銃弾でエイジの撃ち放つ銃弾の軌道を逸らし、一方から放たれる銃弾で下脚部神経系回路の集まる大腿部分を撃ち抜いた。

 左脚は、無いよりはマシだけどあってもそこまで役には立たないというレベルの損傷を受けた。

 エイジはとにかく距離をとろうとして移動をはじめ、イーグはそれに追従するように足音もなく移動する。もはや応戦するしか道はなかった。エイジは左半身を沈めがちに、まったく新しいイーグの銃を絡めた組手に応戦する。その中でイーグはすでに銃弾の込められていないはずの銃と、いまだ銃弾の込められている銃を手品みたいに入れ替えたり、持つことが億劫とばかりに銃のストックを中空にお手玉みたいに泳がせたりと、まさしく曲芸師のような神業を魅せてくる。

 要は、弄ばれているのだ。

 ショーの台本には、初めからエイジの勝利など書かれてはいないのだ。

 さらに被弾した左脚をパージして、次に右腕をもぎ取られて、最後の希望に打ち込むパイルバンカーはホログラム相手に不発して、ついには左腕も無くなった。

 歩くこともままならず、情けなく尻もちをつく。

 試合前と何ら変わることのない無表情が、こちらを見下す。そして言うのだ。

「シノビの戦いは常に化かし合い。お前にはその才能が一つとしてない。ちょっとした策を立てればそこに慢心する。追い詰められれば動きは直線的になる。それなりの技量はあっても、お前にシノビとしての未来はない。だからこそ終わらせる。某の手でお前の未来を根こそぎ刈り取ろう。それがせめてもの情けだ」

 イーグは腰元の脇差に手をかける。

 鞘走りの電磁加速による、超速抜刀術——あれがくるのだ。

 食らえばひとたまりもなく死ぬ。

 だけどまだ光明は残されている。

 視界に映り込むスキャリングリコンである。イーグはあれによりエイジの位置情報を確認している。目の前にいる以上はもはや意味のない長物であるように思えるが、しかしイーグに無線リンクしているスキャリングリコンは、すなわちそれをハッキングすることでイーグの内部機能に潜り込むことを意味している。だからやるべきなのだった。視覚情報からハッキングを仕掛けるべきなのだった。

 当然、やった。

 エイジの体はひとたまりもなく痙攣した。

 ハッキングトラップに見事なまでに引っかかった。

 これ見よがしに見せつけて、エイジの浅はかな策を誘引したのだ。

 内部機能はあますことなくイカれにイカれた。もはや動く部分なんて体にない。もはや死ぬしか未来はない。


「最後の希望も潰えたか。ならば——————逝け」


 ハッキングトラップのウイルス群はエイジに施されていた接触不可のファイアウォールを打ち消す。深層記憶のログプロテクトのすべてと感情プロセスの接触阻害のプロテクトをついでとばかりにぶち壊す。ジャックポットプールで捕まりいくらかの機能をいじくられたことも、歌う鯨に辿り着きティーハンターのフットと共にパンジャンドラム号に乗り込んだことも、ヤポン星においてたくさんの緑に囲まれて兄と一緒に野山を駆け巡ったことも、その時に感じていた感情も、エイジはそのすべてを思い出した。

 だけど、時間がなかった。

 思い出す記憶は短い期間に絞る。

 十センチは積もっているであろう雪の上、白うさぎの跳ねまわる山の中、機械化治療もまだ受けずに肌で寒さを感じていた頃、幼いエイジは鼻っ面にちっこい氷柱を垂らしてそこにいた。ここにいる理由は、村の家から見る雪山の白さにある種の感動を覚えたからで、興奮交じりのエイジはみなしごとして共に育ったイーグの手を無理やり引いて、雪の絨毯にちっこい足跡を刻みながら登山した。雪合戦をしたし、雪ダルマを作ったし、雪に紛れての隠れんぼもした。すぐに見つかって、ぷーすかと文句を垂れると困ったようにイーグが頬をかく。そんな困り顔が無性に可笑しくて、エイジはさらに困らせようとさらに文句を垂れてみた。——仕方ないなあ。イーグはそんなことを言ってのけ、首のえんじ色のマフラーをほどき、それをエイジの首に優しく巻いた。——これをあげるから機嫌を直しておくれ。子供なんて安っぽいものである。たちまちのうちに機嫌を直したエイジは馬鹿みたいにはしゃいで思いっきり足を滑らせた。膝小僧にちっちゃな怪我を作ってそれを理由におんぶをねだって、そのまま下山を始める。背中に揺られる。すでに機械化治療を受けているイーグの背中は冷たかったけど、イーグに巻いてもらったえんじ色のマフラーは温かく、それをイーグの背中と一緒にエイジはぎゅっと抱きしめた。これが兄の温もりなのだと思った。

 それから四季に関係なく、エイジはマフラーを首に巻いている。

 だって夏にもマフラーをしていると、イーグの困った顔を見れるのだ。

 エイジはその顔を思い出して、腕もないくせにマフラーに触れようとする。

 ——ごめんね、兄様。殺したいなんて嘘だから。



 イーグの脇差が閃いた。



 紙を挟むような時間をさかのぼる。

 ディル・ザ・ハックのすぐ近く、なんの前触れもなく、そっくりそのまま人型に空間が削り取られていた。何もかもを消失したその空間に莫大な量の空気がせめぎ合うように流れ込み、この世の終わりではないのかという轟音がジャックポットプール全域に叩きつけられる。イーグの耳にはもちろんその音は届いていたし、しかし何より目の前のエイジを殺すことが優先される。副脳は耳に届いたその音をエラーとして処理し、イーグはエラーの処理を後に回すと決めていた。

 だって、ありえないのだ。

 外部は音すらも通さない防性ガラスにより音の発生源としてはありえず、内部は目の前のエイジが行動不能であるからどのような音も生まれるはずはないのだ。ありえる可能性はディル・ザ・ハックのスピーカー音声ではあるが、それならばスピーカーに紛れるノイズを確認できなければおかしい。

 よって、エラーに違いない。

 だから斬る。

 生み出されたのは、電磁加速による最大ボルトのスパークと超速抜刀術による空気摩擦の灼熱と、死体の塵すらも残さぬ地をえぐる底なしの深淵。見世物はこれにておしまい。ディル・ザ・ハックはこの見世物を楽しんでくれただろうか、人買いたちはイーグに価値を見出してくれただろうか。イーグはディル・ザ・ハックのいる特別観覧席に瞳を向ける。

 イーグは視界処理からもエラーを吐き出した。——特別観覧席の防性ガラスが、ただのガラスみたいに割れている。どうしてしまったのかと思う。そこまでの激しい戦闘ではなかったはずだ。エラーをここまでに引き出す要因はなかったはずだ。防性ガラスが破られるなんて、まさかありえるはずもないというのに。


「なあ、あんたがエイジの兄貴か?」


 さらなる聴覚処理のエラーにほとほと呆れかえり、イーグはゆるりと回れ右した。

 視覚野に紛れ込むゴーストかと思った。

 十二メートル先に男がいた。

 腕の中にはほとんどダルマ状態のエイジがいた。

 臨戦態勢に入って力加減もわからずにバックステップする。男はダルマ状態のエイジを地面に寝かせたと思ったら十二メートルとバックステップの距離を詰めてくる。視覚に捉えた顔をポットサーバーのデータベースにアクセスして照合、七十四パーセントの一致でティーハンターのフットであると結果がでる。データベースと違って瞳はきれいな琥珀に輝いている。彼の周囲には湧き立つような熱気による湯気がある。イーグはフットに頭を掴まれてそのまま壁に激突した。その際に鼻孔をくすぐるのは果実とはまた違った芳醇な香り。

 まるで紅茶のようだと思った。


「お前は何一つとして悪くないんだろう。だけどムカついた。八つ当たりみたいで気が咎めるが、少し寝てろよお前」


 何をされたのかまったくわからずにイーグは強い衝撃とともに意識を沈めた。

 

 

 その様をフットは目を向けるまでもなく意識を逸らす。すぐに目を向けたのはすべての元凶のディル・ザ・ハックの位置だ。この事態に例のにやけた笑みを崩さない。肝がとことん据わっているのか、事態がいまだに飲み込めていないのか。どっちでもいい。にやけづらをさらしまま無様に死ね。

 再び、爆音。

 フットは物質としての限界を超えた早さで移動して、初動の位置はあらゆる気体も置いてけぼりにして、鼓膜の裏に雷を落としたような音を起こして——ディル・ザ・ハックの目の前でフィルム再生を一時停止するみたいに動きを止めた。意図的に止めるわけもない体の不動に顔でわかりやすいぐらいに狼狽を示すフットは、


「っんだこれ⁉」


 止まるにしても不自然だ。

 星すらも射殺すような勢いは見事なまでに消え去って、空中で身動きもできないままにどういうわけか重力落下すらしない。これではまるで手を触れずに物体を操る念動力だ。それでもまさか念動力ごときで今のフットを止められるわけもない。

 ディル・ザ・ハックは、逸らすことなく目を見つめてくる。ワントーン低い声音で、


「はああい、フット様。短いお別れでしたね。とてもお綺麗なお姿で、わたくしとっても感動いたしました。でもでも、わたくしはねえ、わたくしのショーを邪魔する者は絶対に許さないのですよ。なので、わたくしは、

実はね、」


 溜めるように言い、ここで高めのトーンに戻り、


「ちいいいいいっとも怒っていません。なぜなら! これも! ショーの演目の内だからです! サープラアアアイズ‼」


 フットはこの時になって初めて恐怖を感じた。

 目の前の男はどこまでも壊れている。

 常人とははるか遠くの場所にいる。

 目の前にいるはずなのに、そこにはいないような気さえしてくる。

 得体のしれないもの、理解の及ばないもの、まずそこに抱く感情は原初的な恐怖なのだと初めて知った。


「おや? 眼光の鋭さがみるみる錆びているではないですか。それではわたくしを射殺すには到底足りませんね。はあ、残念。とっても残念。あなた様はガルモデキニアサルバトロスを倒したわたくしのヒーローなのに、あなた様はあの馬鹿げた実験の唯一の成功例だというのに。あらあら、どうしてそのことを知っているんだ、という顔ですね。そりゃもう知っていますよ。紅茶人間計画。人を生み出すための配合に紅茶の成分を加える、実にシンプルながらにクレイジーな試み。しかし生まれる子供はいくつかいても、そのほとんどが一年を経たずに死んでいく。その中でも、拒絶反応を起こさずに今まで生き延びてきた者が一人いて、それがあなただ。幼少期は、さぞ辛い経験の絶え間ない連続だったことでしょう。実験施設を紅茶の力で抜け出して、それからは追手から逃れる日々が続いた。どこでかくまわれていたかは知りませんが、よくぞここまで生き延びていましたよ。そんなあなたを捕らえるためにジャックポットプールの売り上げは、今、あなたの体に巻きついているものに費やされた。イジブルタートルの甲羅の芯、羽うさぎの心臓の毛、カンミテガフユチデリアの肝の油、マグマドラゴンの生き血、クモンバジリスクの胃壁の細胞、飛びペンギンのくちばしの先、カミネハシクルマルガイチのオスの筋繊維、ニッケル星の終わりゆく星のコア、カミユシ星雲の収縮銀河、アラガントマルム坑のプラチナテルチ、クモデガナイ遺跡の古代秘宝、クラフトワークス技術の物体混合、セトニキア研究所の物体紅茶適用、黒魔術真理教の圧縮強度増幅機器、それらを組み合わせたあなた様を捕らえるための特別繊維。電磁捕縛縄とは比べ物にならないほどの拘束力を誇り、紅茶が人の皮を被ったような今の状態のあなたさえも逃さない。ここまで言ってしまえばもうお分かりでしょう。ジャックポットプールとは、すべてがあなたのために造られた施設なのですよ。目的はあなた様から生み出されるエネルギーをキレル様のために利用すること。会いたがっていましたもんねえ、では今こそ感動の対面といきましょうか。キーレルーさまー、出てきてくださいよー」


「黙れ。もういる」


 ディル・ザ・ハックのすぐ横に真っ黒いフードを被ったやつがいた。

 いつの間にか現れたそいつはおもむろにフードを捲り上げ、昔のキレルをそのまま大人にしたような姿が露わになる。

 フットは想像していた通りの美人の姿に想像とは違う落胆を覚えた。

 再会は、涙を流し合うような感動のものになると思っていた。


「お前は一々お喋りが過ぎる。言っていただろう。ネタばらしは私がやると。それをお前は……まあいい。久しぶりだな、お兄ちゃん。その姿は初めて見るが、それでも面影はいくらか残るものだな。宙ぶらりんのままの会話は辛いだろうが、しかし可愛い妹の無邪気な願いを聞き届けてほしいんだ」


 フットは、見えないほどに細い繊維のありえないほどの強度に顔をゆがめて、身をよじることを諦めてとにかく会話する道を選んだ。


「いったい無邪気な願いってのはなんだ。そんなことよりもどうしてお前がそこにいるんだ。そこはお前がいていい場所じゃない。この邪魔くさいやつをとってくれ、そうしたらはやくここから逃げ出そう。この状態も長くは続かない。時間との勝負なんだ。キレル、お兄ちゃんの言うことを聞いてくれ」


 キレルはそんなことは知っているしお前の言うことなんて取るに足らないものだと鼻で笑った。


「大丈夫だ。その状態を保つための装置も開発したし、すぐにでもこの場所から移動もしよう。おい、あれを出せ」


 キレルの言葉にディル・ザ・ハックはうやうやしく頭を下げてから指を鳴らした。

 それに合わせて、闘技場の中心地帯にでっかい落とし穴みたいなのが現れる。正方形のブラックボックスがその穴の中心からぷかりと浮遊してきて、そのまま捕縛されているフットの元へと様子見でもしているみたいに恐る恐る近づいてくる。ブラックボックスはフットが十人ぐらい収まるぐらいの大きさで、それがいきなり数十倍に膨れたかと思うとフットの周囲を包み込んで風船がしぼむみたいに収縮した。フットの意識はまとわりついてくる黒に消えてしまいそうになる。

 その様子を眺めてキレルは何でもないように話を続ける。


「それは熱量別次元保存と時空振幅を重複して発動する機械でね、お兄ちゃんから放出されるエネルギーを無限に吸い取れるものだと考えてもらって子細ない。さて、そこに収まっていてもらうことが私の願いだ。どうだ。簡単だろ? 拍子抜けしたか? だけどここからが大変なんだぞ。私はこれからヤポン星に攻め入るが、あそこの防衛ラインを突破するための兵器がなくてな。いや、構想だけはあったのだけど、エネルギー源になるものが見つからなかった。だけど私は思い出したよ。私には素晴らしいエネルギーを持つ兄がいるってね。そして時はきた。お兄ちゃんは策略通りにここまでやってきて、こうしてエネルギー源となってくれた」


「キレル様も中々にお喋りですね」


「黙れ。話の腰を折るな。久方ぶりの兄妹の再開だ。仕方がないだろう。……まあでも、確かにお喋りが過ぎるな。本筋に触れよう。私は全知全能のオレンジペコを手に入れた。そこで知ったのはMOEという概念であり、そこに手を加えてしまえば、私の望んだ世界が実現される、ということだった。私の望む世界は一つ、世界でもっとも美しいものが紅茶なら、世界のすべてを紅茶に変えてしまうべきだ。だからこの世界は、紅茶を注ぐためのティーカップという概念に成り代わる。悲しみも怒りも喜びも、すべての無駄を排除した合理的な世界だ。素晴らしいだろう、なあ、お兄ちゃん」


 フットの意識はすでに落ちている。

 それを確認したキレルは、行くぞとディル・ザ・ハックに一声かけて踵を返す。

 ディル・ザ・ハックは、フットをちらりと見つめてからキレルに続いた。 



 ▽▽▽



 大勢の観客が大口を開けて馬鹿みたいに目を丸くして、見るべき対象もなくただ闘技場を見つめていた。そこにもぞりと動く人影があった。エイジだった。彼は唯一残された右脚の中に、一つの茶葉を隠し持っていた。ジャックポットプールにたどり着き、意識を失うその前に、これは切り札になるのだとフットに渡された、ガルモデキニアサルバトロス主催の最後のスペースコロッセオ試合で勝ち得たらしい茶葉だった。

 適用効果はまるで不明、しかし等級は最上級。

 フットは、この茶葉にどのような願いを込めたのだろうか。

 彼に助けられた命だ。兄の命さえも救われた。無様に這いつくばりながら気を失うイーグの元へ行く。

 エイジはただひたすらに、生きたいと願った。

 だけど無理だと悟った。

 眠るイーグの足元にフットだけではなくて自らの願いを込めた茶葉を置く。

 助けられた命は、このために繋がれたのだと思った。

 生まれ故郷のピンチだけど、最強のシノビにかかればそれぐらいの事態は脱却できる。当たり前のことだと思った。兄様はエイジという足枷がなくなれば、もはや負ける道理がないのだから。世界を救うぐらいはわけないのだから。

 エイジは最後に振り絞る力で、イーグの手を自らの頬に触れさせる。

 機械仕掛けのその手からは、あの真っ白い雪の日の温もりが、確かに伝わってくるようだった。出るはずもない涙が、溢れてくるような錯覚を覚えた。エイジはその頬を緩ませて、すべての機能が一つ残らず永久停止されていくのを感じていた。

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