承 歌う鯨
「いやあ、助かったよマスター。今回ばかりは死んだかと思った」
台詞のわりに暢気に男は言った。
「まさかあんな辺境で船を拾うとは思わんかったわい。まったく、まだあんなじゃじゃ馬に乗ってやがったのか。さっき軽く状態を見たが、いままで飛べてたのが不思議なくらいだ。正気の沙汰じゃあねえ」
♢
ガルモデキニアサルバトロスを殺し脱出した直後、案の定組織の追ってが差し向けられた。普段なら敵ではないのだがパンジャンドラム号がタイミング悪くガタをおこし、ワープをしようとした瞬間、積んでいるサイファー燃料が派手に爆発。その爆発に追ってが巻き込まれたのは不幸中の幸いだったが、座標がガタガタになった状態での無理なワープを敢行したため、全く知らない宙域に飛び出た。
船内の機能は生命維持装置を残し軒並みストップし、現在地も分からず動くこともできず、連絡も取れない。現状の打開策は終ぞ浮かばず、フットは寝ることにした。
時間を知らせる町の鐘を、郊外にある教会の外で、少年が妹の手を引き聴いていた。妹がぐずり始め、仲間たちのいる元へ向かい歩く。教会からは晩ご飯の匂いが漂ってきて、夕日に奪われていた感情は直ぐそちらに引き戻される。
香りから今日のメニューを妹と当てっこしながら向かった先はどこまでも高く伸びる炎に包まれていた。馥郁たる香りは人の焦げる臭いに変わり、鐘も聞こえない程の叫声が耳をつんざく。
少年は妹の名を叫び、手を引こうとするが、妹はそこから動こうとしない。ただその大きな瞳に炎を映していた。その瞬間、一際大きな火が爆ぜたかと思うと見えない力に少年は引き剥がされ、空に飛ばされていく。何度も叫ぶが景色はどんどん遠くなり、視界は黒く塗り潰されていく。最後に見えたものは、ポツンと一人で巨大な炎と対峙する妹の姿だった。
「キレル!」
ガバリと起き上がり、一人船内で叫ぶ。しばし混乱した様子のフットは肩で息をしながらも、靄が晴れるように自分の現状を思い出す。
どれくらい寝ていたのか分からない。脂汗が額をつたい、唇を噛んでいたらしく口内に鉄の味が広がる。心臓は存在を主張するように肋骨を叩き、脈動が耳に騒がしい。
暫く深く息を吐き、呼吸を落ち着かせる。
「死ねねえよな」
自分に言い聞かせるようにぽつりと零す。
そこでフットは微かに自分の心音以外の音を聴いた。腹の底に響くような、決して不快ではない、寧ろなにか静謐さを孕む荘厳な響き。
「あの鳴き声は……」
頤を上げ、慌てて窓から外を見る。音が近付いてくるのは感じるが、どこに目をやっても見つからない。フットに焦りが見え始めたとき、自分に影が落ちてることに気づいた。ふっ、と鼻から短く息を吐いて笑い、ゆっくりと顔を上げる。
「久しぶりだな、ホラム」
パンジャンドラム号の上に被さるようにして、近くからでは全貌が見て取れない程の超巨大な白鯨がそこにいた。何十にもホラ貝が重なり合っているような声が響き渡り、軽い振動を感じる。
「ああ、元気だったよ。お前は相変わらずでけえな。サンキュー、正直助かった」
そこへ白鯨の背中側から小型の宇宙船が飛んできた。
宇宙船はパンジャンドラム号の横に着け、コックピットからごつい男が手を振ってくる。無線も使えないためハンドサインで船が動かない事を伝え、引き上げてもらうよう頼む。向こうは親指を立て了解を示し、数十分後、フットは久方ぶりに地面を踏んだ。
♢
絶滅種である宇宙鯨の背にぽつんと一つほったて小屋が建っている。そこでは三本しか腕の生えていない無骨なンシス星人が一人、いつ来るかも分からない客に出すためのグラスを磨いている。
ここは知る人ぞ知る移動式宇宙遊泳バー〝歌う鯨”。男と鯨がどれだけの星霜を共に過ごしてきたのかは誰も知らない。
「それにしても、どうしてマスターたちはあんなところを通ってたんだ?」
マスターが用意してくれた幾日かぶりの食事をかっこみながら、カウンターを見遣る。
「んなもんおれが聞きてえよ。ホラムがどこに行くかなんて誰にも指図できねえし、分からねえ。何を言ってるか分かるなんて酔狂はお前みたいなもんだ。おれはいつも通りに背中を借りてるだけさ。ただ二週間前にお前がサルバトロスの野郎を殺したニュースが宇宙の話題をさらってった日、ホラムが急に方向を変えたのは確かだ。もしかしたらこいつにはお前の居場所が分かってたのかもな」
三本ある腕の一本で足下を指差し、がははと豪快に笑う。
「そうか。またお前はおれを見つけてくれたんだな」
フットは足下に話しかけ、頭を下げる。
「マスターもありがとな」
「よせよせ、お前の素直な礼なんて気持ち悪りいよ」
「このひげ野郎」
悪態つきながらもこんなやり取りを人とするのも随分久しぶりな気がして表情が弛緩する。しかしそこでさっきのマスターの言葉に引っかかりを覚える。
「ん?ていうかマスター、今二週間前って言ったか?」
「ああ、言ったな。サルバトロスの死亡なんて大ニュースだ。よく覚えてる」
「マジかよ……」
ドカッと背もたれにもたれ、天井を仰ぐ。思ったよりも長く漂流していたらしい。これからのことを考えると、組織の他の奴らに態勢を立て直されるのはうまくない。
「マスター、相棒をまた飛べるようにしてやってくれないか。それといくつか知りたい情報がある」
カウンターの主はグラスを磨きながら、余った腕で、異様に発達した牙の生えた顎をさする。
「そうさな。あの状態から万全にするってだけで骨は折れる。その上あのへそ曲がりな小娘となると、一週間てとこか」
「一週間……」
組織が完全に守りを固めるまでに次の奇襲をと考えていたフットにとって、ここから更にその時間を浪費するのはかなり痛い。
「まあ並のメカニックならな」
うなだれているフットにマスターがニヤッと牙を見せる。
「……おれの知ってる宇宙一のメカニックにかかればどうだ?」
フットも片眉をつり上げ、同じように口角を上げる。
「二日で終わらしてやるよ」
ふん、と力強く鼻息をはく。
「さっすがマスター!面倒かけるな」
「お前を引き上げた時点で面倒ごとに巻き込まれるのは予想ついてたわい。勿論お前にも色々手伝ってもらうぞ。ホラムに免じて、料金はつけといてやる」
カウンター奥のガレージに通じる扉を開き、顎でフットに指し示す。
「色々と世話になるな、マスター」
「調子のいい野郎だ」
二人して笑いながら、扉をくぐる。
「おい、フット」
「なんだ?」
「よく生きてたな」
♢
「スパナ」
「あいよ」
火花を飛び散らせながら、迷うことない手つきでマスターは作業を進めていく。手伝いといってもフットは雑用をこなす程度で、殆どは話し相手としてその場にいた。
「全くどんだけの無茶をしたらこんな状態になるんだよ」
「仕方ないだろ。腕のいいメカニックが毎度いるとは限らないし、大概はおれが応急処置程度の事しかできないしな」
船の下に潜り込んでるマスターは両手で作業しながら、余った一本を出してくる。
「バーナー」
「あいよ」
「それで聞きたい情報ってのはなんだ?」
「ああ、サルバトロスはおれの妹の名前を知らなかった。それと管理は他のやつに任せてると言っていた。組織の人身売買の統括者について知りたい」
「だろうな。サルバトロスは組織の顔ってだけで、もう老いぼれの飾りの冠だ。実際に力を持ってるのは部署ごとの統括者ってのは裏じゃ周知の事実だ。お前が殺さなくても、近いうちにあのダンゴムシは死んだだろう。部下たちの手によってな」
作業しながらも淀みなくマスターは話す。何百年と鯨の上にいる人物がどうしてここまで正確に現在の宇宙情勢を把握しているのかは謎である。
「しかし、よりによって人身売買の頭とは、お前はほとほと危ねえ橋をいきやがるな」
半分呆れ半分面白がってマスターは言った。
「んなもんは今更だろ。それでそいつの名前は?」
「やつの名はディル・ザ・ハック。こいつは組織の人身売買を一手で行ってる宇宙マフィアの狂犬さ。この宇宙に生きてる以上絶対に喧嘩を売っちゃならねえやつの一人だ」
「マフィア……」
フットの頭では葉巻を咥えた傷だらけの男が浮かんだ。
「そいつはどこに行けば会える」
「会うだけならそう難しくねえ。お前も聞いたことぐらいあるだろ。この世の楽園。宇宙の桃源郷。一大娯楽施設〝ジャックポットプール”。そこにやつはいる。ハックは生来のショー好きで知られててな。自分の施設であるそこへお気に入りの劇団を呼んでは毎夜ショーを観てるって話だ」
マスターは船の下から出てきて立ち上がり伸びをした。
「なんか暢気なやろうだな」
「表向きはな。だがこっからが本題だ。そのジャックポットプールではショーとカジノ以外にもう一つの顔がある。それが奴隷オークションだ」
「奴隷」
フットはその単語を聞くだけでうなじのあたりがざわつくのを感じた。
「まあ、そっちに関してはVIPしか出席の許されねえ、組織が介入している催しだ。セキュリティも本来の施設の比じゃねえ。まあお前にこんなこと言っても関係ないだろうがな」
「当たり前だ。おれはそのハックってやろうを何が何でも締め上げなきゃなんねえんだ」
フットは自分の手の平に拳を打ち付けた。
「まあ、何にせよ先ずはこいつを動くようにしてやんねえとな。その間お前はバーで皿洗いをしろ。明日は店を開けるぞ」
「おいおい、別にあんな客の来ねえ店、店番いらないだろ」
「馬鹿野郎!おれが生きてる限り祝日を除き、来てくれたお客様をもてなす。それがおれの流儀だ」
「祝日は休むのかよ……」
♢
フットの予想に反し、開店するとちらほらと客が来た。
鯨の背にあるなんて特性上、殆どが顔なじみの常連で皆がマスターに土産話を持って来る。
「なるほど、だからマスターはあんなに色々知ってんのか。しっかしなんつう客層だよ。おれでさえ知ってる顔が何人もいやがる」
フットはバーカウンターでグラスを洗いながら客たちに目を向ける。
「あっちにいるのは大富豪のバルナカルダ、マスターと話し込んでんのは宇宙海賊のビッグランプ」
そのとき、さっきから一際騒がしい二人の酔っ払いが肩を組んで歌い出した。
「おいおいあそこで一緒に歌ってんの宇宙警察長官のカフスレスと大泥棒ドートマンダー三世じゃねーか」
フットは口笛を吹き、あたりを見渡す。客たちは各々が勝手に騒ぎ、誰も歌っている二人につっこむ者はいない。
「変な店だな」
「違えねえ」
いつの間にかフットの隣に立っていたマスターが、がははと笑う。マスターとさっきまで話していたビッグランプは、歌っていた二人に混じり一緒に歌っていた。
「こんなややこしい時代だ。誰だって邪魔されずに意味もなく騒ぐ場所がほしいのさ。この店のドアをくぐった瞬間、立場なんて関係ねえ。おれとお前たちがいる。ただそれだけさ」
マスターも酒を飲んでいるらしく、機嫌良く目を細めて店内を眺めている。フットは珍しいマスターの表情を横から盗み見、そのままマスターと同じように店内を眺める。
「マスター」
「なんだ?」
「悪くねえ」
がははとマスターが笑った。
♢
「御免」
「ん?」
マスターがガレージに引っ込み、フットがカウンターに立っていると、フードを被った男が声をかけてきた。顔を見ることはできなかったが、幾分かの幼さが残る声だった。
「紅茶ハンターのフット殿とお見受けする」
その瞬間全身が粟立ち、フットは身を構えた。組織の刺客がここを嗅ぎつけたか、組織とは無縁な賞金稼ぎが来ないとも限らない。フットは相手との間合いを計り素早く窓の位置を確認する。カウンター側にいるフットにとってあまりいい位置とは言えず、義手の拳を握りしめた。
「そいつは敵じゃねえよ、フット」
ガレージにいたマスターが戻ってきたらしく、フットに声をかける。
「何だと?」
フットは迎撃態勢を解き、マスターとフードの男を交互に見る。
「申し訳ない。失礼ながら試させていただきました。さすが音に聞こえた紅茶ハンターフット殿、今の殺気を感じ取るとは」
そう言って男はおもむろにフードを外した。やはりまだ年若く、成人を迎えていない程のヒューマン型の青年が顔を見せた。寒くはないはずなのに臙脂色の長いマフラーを首に巻いている。しかし何よりも目を引くのは、精緻な細工が施されている機械仕掛けの眼球だった。
「アンドロイドか。これだけ出来がいいのは初めて見るな」
物珍しそうにフットはその瞳を覗き込んだ。
「正確には半アンドロイドです。自己紹介が遅れて申し訳ありません。私はヤポン星のシノビ、名をエイジ・K・ローと申します。先ほどの非礼、重ねてお詫び致します」
そう言って青年は折り目正しく頭を下げた。
「ヤポン星?シノビ?何かの冗談か?」
「私、冗談は苦手です」
「じゃあお前は本当にあのシノビだってのか?」
フットは矯めつ眇めつ青年を改めて見る。
「フット、エイジが言ってることは本当だぜ。ヤポン星は実在する」
マスターはこの青年を知っているらしく、側に行って彼の背中をバシバシと叩いた。
ヤポン星、それは物語に出てくる伝説の星。そこはメカニックの天国で、その星で見つからないパーツはないという。そうしてその科学力から作られる兵器、モ=エアニメ。この兵器の詳細は一切分かっていないが、これをひとたび隣星に流せば、その星に新しい概念が生まれる。その概念はMind Of Evil,通称MOEと呼ばれ、そうなってしまうと星の住人たちはモ=エアニメ無しでは生きていけない体になり、ヤポン星のいいなりになってしまう。
そしてそんな星を守っている者たちこそシノビである。彼らは忍術と呼ばれる特殊な力を使い、紅茶をキメずして分身したり火を吹いたりするのである。
「いやいやマスター。ヤポン星もシノビもカートゥーンの話だろ。ガキでもそのくらい知ってるぜ」
「ところがどっこい、そのみんながガキの頃に観るシノビのカートゥーンこそヤポン星が作ってるのさ。あの星は自分たちの存在を隠蔽するために、フィクションというでかい目くらましを用意して、その陰に隠れてる。事実で本物を隠すなんていう馬鹿げた博打に星を賭けてるのさ」
「まともじゃねえな」
「ああ、勿論まともじゃねえ。だがだからこそこいつらは賭けに勝ち続けてるわけだ」
フットより一回りほど小さい背丈の青年の肩にマスターがポンと手を置いた。
「それでそのシノビがおれになんのようだ?」
フットが尋ねるとエイジはまっすぐにフットを見つめたか思うと、突然膝をつき額を床にこすりつけた。
「兄を、救う手伝いをしていただけないでしょうか!」
あまりに突飛な状況にフットは訳が分からなかったがこのスタイルは知っていた。ヤポン星に伝わる古代武術の最終奥義〝ドゲザ”である。小さい頃に仲間たちとテレビにかじりついて観ていたカートゥーンでシノビの主人公が一度だけ見せた技である。だからフットは知っていた。この技を男がするということは、大事な人を守りたいとき。自分のプライドを曲げてでも成さねばならない事があるときだと知っていた。
「……話を聞こう」
♢
店を閉めた後、ガレージにてマスターが作業を進める傍らで、二人は向かい合い椅子に座っていた。
「それで兄貴を助けてほしいってのはどういうことだ?」
フットは背もたれを前にして寄りかかりながら、エイジに尋ねた。
「はい。二週間前、兄と私はシノビの勤めであるスパイ活動中に組織のものと接敵しました。本来であればヤポン星最強のシノビである兄が遅れをとることはないのですが」
そこでエイジはぐっと飲み込み、自分の拳を握り混んだ。
「兄は、私を逃がすために囮になりました。そのとき兄は私に言ったのです。歌う鯨を頼れ、と。その言葉を最後に私たちは別れました。それから二週間かけ、なんとかこの店を見つけた次第です」
エイジは身を震わせ、つっかえながらも話し終えた。
「……話は分かった。だがそれでなんでおれに頼もうと思ったんだ?」
そこまで黙って話を聞いてたフットは腕を組み、問う。
「おれが言ったのさ。フットならお前の力になってくれるってな」
パンジャンドラム号の修理をしていたマスターがこちらを向き言った。
「マスターが?おいおい、知ってるだろ。おれは直ぐにでもハックのやろうにかましにいきゃなかなんねえんだって」
「だからこそさ。幸か不幸かヤポン星のテクノロジーは莫大な金になる。その技術が詰め込まれたアンドロイドは確実に売りに出される。ジャックポットプールの奴隷オークションにな。組織が絡んでるならまずあそこに売りに出されるはずだ」
「つまり目的地は一緒だってことか」
フットは顎に手をやり思案する。
「ヤポン星は?」
「存在自体が最上機密の星だ。まず助けは期待できねえ」
予想していたらしくマスターがすぐさま否定する。
「ヤポン星においてシノビは影の存在なのです。本来ならば兄を助け出す私の行動こそ責められるべき事なのです。しかし私にはどうしても……」
声を震わせたエイジはフットへ向き直った。
「今一度お願い申し上げます。どうか兄を助けるためにフット殿の力をお貸ししていただけないでしょうか」
「フット、おれからも……」
マスターが言いかけたところで、それをフットが手で制し、エイジに話しかけた。
「お前はおれに兄を助けてくれと言わず、力を貸してくれと言った。おれが断ったらどうするつもりだったんだ?」
「やることは変わりません。一人で乗り込み、兄を助けに行きます」
エイジは顔を上げ、真っ直ぐにフットを見据えた。
暫くの沈黙の後にフットが笑みを零した。
「そんだけ聞けたら充分だ」
そう言うとフットは立ち上がり、拳を突き出した。
「お前は運がいい。何故ならお前が頼った男は宇宙一頼れる紅茶ハンター、このフットだからな。大船に乗った気でいろ」
「では……!」
「どのみち組織に関係してる奴らは全員潰す予定だったんだ。ただお前の気概が知りたかった。それももう分かったしな。一緒にお前の兄貴を助けに行くぞ」
エイジは立ち上がり、また頭を下げる。
「ありがとうございます!本当になんと言っていいのか……」
「違う違う。こういうときはそうじゃねえぜ、エイジ」
フットは自分の拳をちょいちょいと指し示し、ニカッと笑った。
数瞬のちエイジは意味を察し、フットの拳に自分の拳をぶつけた。
「恩に着ます。フット殿」
「おう!」
♢
「それじゃあ、色々世話になったなマスター」
翌日、修理の終わったパンジャンドラム号にエイジと乗り込み、フットはマスターへ手を振った。
「ホントだぜまったく。料金はきっちりつけてんだ。生きて帰って来いよ」
エイジの乗ってきた宇宙船は限界を超えており、パンジャンドラム号に二人で乗っていくことになった。
「狭いが我慢してくれエイジ」
「何も問題はありません、フット殿」
エイジは大きな風呂敷を背負い直し、姿勢を正した。
「分かってると思うが、あんまり船に無茶させるんじゃねえぞ。修理したっつっても危なっかしい船には変わりねえ」
「大丈夫だってマスター。おれがいつ無茶したよ」
「ぬかせ」
いつものようにマスターはがははと笑い、エイジを見遣る。
「エイジも達者でな。イーグによろしく伝えてくれ」
「はい。マスター殿もお元気で。必ず恩を返しに参ります」
ぺこりとエイジが頭を下げた。
「イーグってのは兄貴のことか」
「そうです。そういえばお伝えしていませんでしたね。名をイーグといい
ます。ヤポン星最強のシノビ。自慢の兄です」
照れくさそうにエイジははにかんだ。フットはいつかの遠い記憶が蘇り、そんなエイジの様子に目を細めた。
「そんじゃあ行くか。イーグを助けに」
「はい!」
マスターがガレージの扉を開け、親指を立てた。それにフットも返しエンジンをかける。パンジャンドラム号が浮き上がり、駆動音が響く。フットはアクセルを踏み込み、銀河の海に一隻の船が躍り出た。
後ろを見遣ればもう小さくなったマスターがみえた。フットは軽く敬礼をし、船を加速させていく。
「ホラム、お前もありがとよ。またな」
白鯨の顔を横切る途中にフットが声をかけ、そのとき、答えるようにして白鯨の声が轟いた。
その瞬間船のアラームがけたたましく鳴り響いた。
「何事ですか!?」
「どうやら待ち伏せされてたらしいな」
今まで何も無かった空間に、突然何十隻もの宇宙船が現れ包囲網ができあがっていた。
「インビジブルか。よくもまあこんな場所を探し当てたもんだ」
「マスター殿たちは!?」
エイジは慌てて後ろを振り返る。
「ホラムの上にいる以上、マスターは大丈夫だ。おれたちが出てくるまで待ってたんだからな。さすがに組織の連中もホラムに喧嘩売るほど馬鹿じゃねえだろ。それよりも問題はおれたちがどうやってここから脱出するかだな」
「何か手はあるんですか?」
エイジが尋ねると、フットはにやりと笑い振り返った。
「あるからこんな落ち着いてるのさ。この船には緊急用のブースターが付いてる」
そう言ってフットは赤いボタンのカバーを外した。
「口閉じとけよエイジ!舌噛むぜ」
言われエイジは目と口を閉じ、きたる衝撃に備えた。
しかし一向に何も起こらない。
「あれ?おっかしいな……」
エイジが閉じていた目を開けて見てみると、フットが首を傾げながらボタンを連打していた。
「フット殿?まさか……」
「……故障したらしい」
さっきの余裕な表情は消え失せ、冷や汗を浮かべながら振り返る。
「どうするんですかフット殿ぉ!もうそこまで敵がきてますよぉ!」
「うるせー!これぐらいで狼狽えんじゃねえ!エイジ、お前シノビなんだろ?忍術でなんとかしろよ!」
「あれはアニメの中の話です!」
「夢を壊すようなこと言うんじゃねー!」
そのとき無線がなり、スピーカーからマスターの声が聞こえた。
『おう、フット聞こえるか。どうやら面倒なことになってるみたいだな』
「マスター!このひげ野郎!てめえ修理できてねえじゃねえか!緊急ブー
スターがつかねえぞ!」
切迫詰まったフットとは真逆にマスターは落ち着いていた。
『ああ、伝えるのを忘れてた。その加速装置は少しいじらせてもらって
な。以前の状態が危険過ぎたんで徐々にヒートアップするよう安全装置を付けた。押してから一分後に起動するようにな』
「なんだそういうことかよ、慌てたぜ」
『ああ、だから間違っても絶対にボタンを連打しないようにな。エネルギーが何乗にもなり、サイファー燃料が暴走しちまう』
マスターがそういった瞬間、安堵していた二人の顔が再び引きつり、顔を見合わせる。
「……フット殿、何回ぐらい押してました?」
「……十回くらい?」
『緊急加速装置の起動を確認。三十秒後に加速状態に移行します。二十九……二十八』
船内に無機質なアナウンスが流れ、カウントダウンが始まった。
『フット、エイジ、てめえらのことは忘れねえ。ツケは保険金から受け取っておくから安心しろ』
「死んでたまるかひげ野郎!ていうかいつのまに保険かけてやがったんだよ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないですよフット殿!このままじゃ、敵の船に衝突してお終いですよ!」
「くそ!組織の連中の足さえ止められればなんとかなるんだが……」
目前まで迫ってる船を睨みフットが言うとエイジが何か考え込む。
「時間さえあればなんとかなるんですか?」
「ああ、おれが紅茶を飲めさえすればな」
「……分かりました」
そう言うと、エイジが隔壁の外に出てハッチを開け、生身のまま宇宙空間に飛び出した。
「エイジ!?お前何してんだ!」
『ご安心を、アンドロイドなので』
フットが訳も分からず慌てていると、外にいるエイジの声が無線から流れた。
『忍法、幻想火遁の術!』
その瞬間、パンジャンドラム号の周囲を巨大な炎が円を描くようにして燃え上がった。 宇宙空間にあり得ないはずの炎に組織の船は訳も分からず、動きを止めた。
同じようにフットも目の前の光景に呆然としていると、後ろの隔壁が開きエイジが戻ってきた。
「忍術使えるじゃねえか……」
「いいえ、これは科学です。あの炎は本物ではありません。ホログラムです。ヤポン星の科学力により改造手術を施された半アンドロイド、それが我らシノビです」
そういってエイジは少し得意げに胸を張った。
「時間稼ぎにはなりますか?」
「充分だ!」
フットの義手が変形し手の先が紅茶の満たされたティーカップに変わる。その普段よりも多い量を一気に呷り飲み下す。
『五……四……』
カウントダウンは迫り、パンジャンドラム号の船体は悲鳴を上げるようにガタガタと振動し、エイジは何かを叫んでいるが、フットは目を閉じ集中していた。本来ならばあり得ない、本来以上の紅茶の適用効果を発動させるため、脳内で鮮明にパンジャンドラム号の形をイメージする。
『三……二……一』
「おれに掴まれエイジ!」
目を開きフットが叫んだ。エイジが慌ててフットの肩を掴む。
『ゼロ』
♢
爆発音によりイカレてしまった通信機器を投げ捨て、マスターは立ち上がり伸びをした。
「まったく。相変わらず最初から最後まで騒がしいやろうだ」
手元の酒瓶を開け、ぐいと呷り、窓の外からどこまでも広がる宇宙を見つめる。
「こいつはいい。見えてるか?ホラム。あいつからの餞別だ」
窓の外ではあの男同様に曲がることを知らない一条の流星が真っ直ぐに伸びていた。
そのとき、一際大きな白鯨の鳴き声が、綺羅星の光る闇に響き渡った。
♢
「教授!とんでもない流星が観測されました」
「どうしたというんだね。流星なぞ珍しいものではないだろう」
立派な髭をたくわえた男性が若い研究員の報告に首を傾げる。
「それがこの流星、全ての遮蔽物をすり抜けてるようなのです」
研究員は端末で観測結果の動画を見せた。
「こ、これは一体?!チームのみんなを集めてくれ」
「え、でも教授、今日は確か奥様との二十回目の結婚記念日じゃ……」
「それがどうした!」
「きょ、教授?!」
「私は夫である前に研究者だ!」
「きょ、教授~!」
「それに妻もきっと分かってくれるさ!」
一週間後、教授は離婚を告げられた。
♢
「ママ、窓の外を見て。流れ星が消えずにずっと残ってるの」
年端のいかない少女が興奮した様子で母の手を引いた。
「まあ、信じられない。こんなことってあるのねえ」
夕焼けから夜になりかけている橙と紺碧の混じり合った空には確かに長
い長い流星が飛んでいた。
娘が目を瞑ってお祈りしていることに気づいた母は、優しくその頭を撫
でた。
「何をお願いしていたの?」
「みんなが幸せでありますようにって」
母が娘を抱きしめてキスをしたほぼ同時刻、この星から隣の星へ向けて
核弾頭を積んだミサイルが発射された。
♢
その日、様々な星で観測された流星の正体であるフットオリジナルブレ
ンドの適用効果を干渉させたパンジャンドラム号は、組織の船も、スペー
スデブリも、惑星さえもすり抜けて、ただひたすらに闇を貫いた。
男二人を乗せた流星は、宇宙の桃源郷〝ジャックポットプール”へ向け
て、最短距離をひた走る。
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